ブロークバック・マウンテンのレビュー・感想・評価
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同性愛ものとはいえ、とても純粋なラブストーリーで良かったと思う。 ...
同性愛ものとはいえ、とても純粋なラブストーリーで良かったと思う。
多くを語らず表情や風景描写など時間経過の描き方などとても良かったと思う。二人の演技力があってのことだろう。特にヒースレジャーはさすがだと思う。後半二人で言い争って泣き崩れるシーンとか本当に凄かった。あれだけいきり立ち最後には背を向けたのにも関わらず、捨てられると思った瞬間、あれだけ男気のあったヒースレジャーが女性のように泣き崩れるシーンには驚かされた。さすが、あの最高のジョーカーを演じていただけのことはあると感心した。
ただ、納得出来ない部分やそれはないだろって箇所が結構多かった気がして自分の中で評価が下がってしまった。
二人の関係の始まりがいきなりセックスなのはいいけど、恐らくその気があった(もしくは本当はゲイだった)ジャックはまだしも、結婚する予定もあり、過去に父親がゲイを惨殺していた過去を持つノンケのイニスが酒に酔った勢いだけでセックスしてしまうものか?それも挿れる側!その描写に至るまでが早すぎるし。まあ、お互いに本当はゲイなりバイだったのならそこに行き着くまでの早さはいいけど(笑)ジャックのアンハサウェイとのセックスの時のように、普通キスだのなんだのの前戯があってからではないだろうか?イニスがゲイだったとしても、あれだけ周囲の目を警戒しているんだからさ。何を言いたいかと言うと、イニスの男を受け入れるまでの過程が無さすぎるってこと。そしてそれ以降の二人の友情が愛情に変わっていくまでの過程がそれしかないので、結婚した後に、周囲の目をあれほど警戒しているイニスが奥さんの居る家の前であんな堂々と絡みあう様に呆然としてしまった。どれだけ待ち焦がれていたのだとしても。
そして最後のイニスがジャックの家に訪ねた時のやりとりが腑に落ちない。
ジャックの死のフラッシュバックを見るに、恐らく両親はイニスとのことを分かっていたんじゃないのかと推測(何も語られないので真相は不明)。ナイフで股間を刺す描写があったのと、父親は怒っているように見えたから。その上で、差別が当たり前のようにあった時代背景からしても、父親はイニスに憤りを見せるだの何かしらの感情表現はあっても良かったんじゃないかと思ってならない。あのシャツを持ち帰るシーンを見ればきっと確信に変わっただろうから。
そのシャツも、あれが隠してあったものだとして、両親は何なのか分かってなかったとしても、何も言わずに持ち帰らせるのか?いくら親友だとは聞いていたとしても、初めて会う人間にそこまで警戒心を抱かずにいられるほど器がでかい両親なのか?ちょっと首を傾げてしまった。
それと、奥さんや家族への罪悪感とかの描写が一切なかったのが残念。罪悪感を越えてでも~って残酷さを描いて良かったんじゃないかなと思った。そっちのほうがよりリアリティがあるでしょ。
多くを語る必要はないが、もう少し語る描写があっても良かったんじゃないかな。視聴者に丸投げすぎて個人的に答えを出すという所にまでも行き着けない感じがイライラするから(笑)
良い作品ではあると思うけど、色々惜しかったなと思いました。
ヒース・レジャーの出世作
何年か振りで再見。
最初に観た時にはどうしても主役二人に目が行ってしまったが、あらためて観ると、二人の妻をはじめ脇を固める役者も凄くいいことに気付く。
夫の心が自分にないことに耐えられずに離れていったアルマ、夫が何をしているのか知っているのかいないのか、最後まで知らぬ振りを続けたラリーン。共通するのは、二人とも夫を愛していたこと。
ジャックとイニスの関係は二人の妻も巻き込まざるを得ない。
しかし、周囲を不幸にしながらも二人が一緒になることは時代、保守的な土地柄が許さない。二人の雇い主アギーレは人々の目を象徴する人物だ。
そんな中、ジャックの両親は息子が本当に愛していたのはイニスだと知りながら、彼を受け入れる。彼等の出演シーンはわずかワンシーンだが少ないセリフで息子に対する愛情と二人の関係に対する許容を表現していてとても印象的だ。
イニスがジャックの実家を訪ねるこのシーン。ブロークバック・マウンテンに置いてきてしまった筈のイニスのシャツがジャックのシャツと重ねてハンガーに掛けてあるのをイニスが見つける。
「本当に好きだったんだなあ」
とこれ程雄弁に語るシーンを私は知らない。
値札が付いたままの魚籠
一度劇場で鑑賞し、気になってもう一度DVDで
解説書も買ってあったのでそれの内容を確認
そしたら、作品の良さがだんだんわかった
作品を追っていくにあたり、
内向的なイニス側にたつか、
それより外向的(といっても複雑)な
ジャック側にたつかで
見かたがかわってくる気がする
どちらも妻・子供がいて
いわば不倫行為を行っているのだが、
男同士ということでそれは観客の目に
どういうことか美しく映る
自分の場合は断然イニスの側だった
いつも何かを抱えていて、
気持ちを押し殺すことが当たり前になって
好きなはずだった妻を大切にしきれない
”薄汚い”男なのであるが、
口数すくなくともあのまなざしで
どうしても、放っておけず
胸が詰まってしまう
自分視点ベストシーン3
1 建物の陰でむせび泣くイニス
2 妻に魚籠の値札で問い詰められるイニス
3 目頭をおさえて涙を流すイニス
(イニスばっかり)
映画史上 これに勝るハッピーエンドはない。
HEATH演じるイニスの目がいい。JAKE演じるジャックの目もまた素晴らしい。この2人の俳優は、画面に目だけが大写しになっても、台詞もなくても、すべて「目」だけで、感情を表現できるのだろうと思った。
「BROKEBACK MOUNTAIN」。この映画は観るたびに感動が新たになる。けれど、同時に切なくもなり、また幸せにもなれる 類稀な映画だと思う。20年もの長い間、人目をしのんで逢瀬を重ねる2人。会うたびに別れる寂しさに胸をつぶされるジャックの気持ちがよくわかる。山で出会ったばかりの19歳の頃とは違う。イニスがジャックを愛していないわけはないが、彼はいつも「忙しい」「なかなか休みはとれない」「養育費とう言葉がおまえにわかるか?」・・・何を犠牲にしてもイニスに会いたいジャックには、すべてがわかっているからこその、せつな過ぎる言葉達。最後にイニスが出した手紙があんな形で戻ってこなくてももうジャックがイニスに会うことはなかったのかもしれない。こんな気持ちをかかえて、ずっと生きてゆけるのか?だから、胸にせまるラストシーン、これにまさるようなハッピーエンドってないと思った。
観終わってからジワジワくる
静かな山の景色と共に淡々と流れていく映画。
言葉はあまり無くてもお互い惹かれあう
それがたとえ男同士でも。。
一線を越えなければ苦しむことも無かったのだろう。
だけど、超えてしまった・・
イニスは葛藤を続け、結婚生活も破綻してしまうけど
最後はジャックの思い出を持ちながら満ち足りた気持ちで
過ごして行けるのだろうなと思うと、そう悲しい映画でもないのかもしれません。
アン・リー姐さん大いに叫ぶ
アカデミー作品賞を「クラッシュ」と争って敗れた「ブロークバック・マウンテン」。個人的に「クラッシュ」を非常に面白く感じていたので妥当なんじゃ?と思っていたが、「ゲイ映画だから差別したんだ」との声があちこちのブログやらで見受けられた。それほど素晴らしい作品だったのかと期待してみたが、これがあんまりだったというわけ。
確かに映像はきれいだ。だがその映像には何の意図が込められていたのだろうか。明度と彩度をすみずみまで行き渡らせた結果、綺麗ではあるが画一的な映像になっていたと思うし、風景は風景としてただそこにあるだけで、その中になにか心象風景が組み込まれていたようには、私には見えなかった。「獅子座」のように別に美しくもなんともない汚い川の風景にもかかわらず、水面の煌きが人生の儚さと美しさを圧倒的なまでに表現したことに比べ、この「ハリウッド」映画の「映像美」がいかに作り物めいていることか。「バッドランズ」(邦題「地獄の逃避行」)における、木々の一葉一葉にまで丁寧に気を配られた映像美を思い出せば、ただただCGで洗いをかけたような「人工的な自然美」には食傷気味になるだけだ。
映像に関してはこれぐらいにして、では物語はどうか?
この映画に関するレビューを読んでいると結構無邪気に「男同士の愛だから純愛だ」と断定してしまっている人(高確率で女性)もいて、私としては考えなしにそういいきってしまうのは、それこそ差別なんじゃねーの?と思ってしまう。そんな神聖視するものなのだろうか。
少数派をゲイ、多数派をヘテロという単純な区切りで考えるのならば、男女というのはある意味「両者の合意があるのならばくっついて当たり前」であるのであって、そこに“両者が合意しているにもかかわらずくっつけないのは何故か?”という理由が物語を成立させる--どっちかが既婚者である、身分が違う、本人のメンタル的なところに問題がある等々--とするならば、同性愛というのはまだまだ“くっついている”のが不自然であるという部分は否めない。ゆえに「なぜ恋愛が成立しているのか」という部分を丁寧に書き込まないと、(ヘテロに属する)観客は感情移入しづらかったりする。普遍性を見出せないと共有できない。
そういう意味でいえば主人公二人の馴れ初めが、恋には理由はいらないよとはいえ、アン・リーの一人合点という感がする。「いいのよ!アタシがこれでいいって思ってんだから!もうこれよこれ!サイッコー」というアン・リー姐さんのお言葉を受信シマシタ(嘘。テキトウ)。そんなことはどうでもいいんですが、どうして二人が恋に落ちたのかというキモがあまりにも説明不足ではあると私は思う。そしてそのあたりを風景や情景で心象風景を代弁させているわけでもないので、なんだか成り行きと成立具合に唐突な感を覚えてしまう。(性欲から始まった恋愛が普遍的な恋情へ昇華されるのかっていうことをテーマにしたわけでもなさそうだし)そして男二人が無邪気に楽しむ姿を見ているうちに、ブロークバック・マウンテンから追い出され生活の只中に晒される場面へあっという間にうつってしまい、以後はその「永遠の夏」に縛られ、再現しようとして挫折していく男たちの姿を見続けることとなる。観客が二人の「愛」に納得し共感していることを前提に話が進みすぎではないか。
大事なところを置き去りにしてしまったがゆえ、ゲイであるとかないとかいう以前に物語としてフツーに面白くないのだ。最後さすがに泣かせるシーンがでてくるが、それは愛という不確かなものを心のよりどころにしてしまった結果縛られ殉じることとなった人間の悲しみ、最も偏見を抱いてのは誰かということに気づいたが既に遅すぎたことを熟知した男の背中にグッとくるのであって、ここにいたって初めて物語は普遍性を獲得したといえる。どちらにしろ「遅すぎた」と思えますが。そういうわけでこの物語を男女間に置き換えたら(不成立条件にどのような理由をつけたとしても)陳腐で退屈な作品に仕上がってしまうのではないだろうか。であるからこそ、普遍性を獲得していないと私は思う。
以上、私としては「アカデミー監督賞」というのは非常に妥当な線だと思えました。わかったわかったアン・リー、みたいなところですかね。悪い作品ではないけれども、傑作とは言いがたい。そういう作品でした。(しかし「クラッシュ」が作品賞で「マグノリア」が無冠っていうのがどうにも納得できないなアカデミー賞ってやつは)
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