ブロークバック・マウンテンのレビュー・感想・評価
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山と空
描かれる愛のバックに映し出される山と空が、なんとも美しい映画でした。彼らの行き場のない愛情が、密室ではなく、こうした自然の元に映し出されることで、どこかその苦しさが当たり前のように存在しているかのような気がしました。
しっかし、なんと言ってもヒース・レジャーの佇まいには圧倒されます。抑制のきいた話し方の中で時折見せる悲しそうな眼が、どうしようもなくこうなってしまった人生を、そのまま表しているような気がしました。改めて、すごい役者です。
切なさの果てにあるもの
カウボーイ2人の20年にも渡る愛の物語は自分の想像以上に心の奥深くまでずっしりときた。
登場する2人の男性はあまりにもピュアで、全くいやらしさはない。ハッピーエンドではないけれど、なぜか爽快。観終わったあとすぐに又この二人に逢いたくなった。
壮大な大自然の美しさ、全編通して流れる抑え気味のギターの音色が心地よかった。タイトル名のブロークバック・マウンテンは二人にとって楽園のようなもの。戻れるものなら、留まれるものならそうしたかっただろうに。
それが許されないのが社会、そう考えたら誰の心にもブロークバック・マウンテンはあるのかもしれません。(4.8点)
見るタイミング
もし結婚してる生活してたら、奥さんの立場で見てしまい、この作品はつまらないものになっただろう。けど今の私にはこんな愛情もありだと思ってしまった。この広い世の中、男が女を愛するのが常識ってのもおかしい事だと思う。男が男を愛するのも同じ人間同士なんだからあっても全く問題ないと思う。こんなに愛する人間に出会えた事が羨ましい。唯一、何でも夢が叶うとしたら世界中の人と出会って自分と最高の関係になれる人を見つけたい。もちろん、男女問わずね。
愛と郷愁
本当に全く何の前知識も無しに借りてきて観た感想。
大自然と音楽とが美しい映画だな〜。
うわっゲイ映画かよオエッ!
ふ〜ん…
…
…
ラストのブロークバックマウンテンの写真
その瞬間、僕の中に謎の感情が溢れ出すのを感じた。
それは凄まじいものだった。
言葉にするなら「切ない」が一番近いと思う。
ジャックへの愛と、かつて二人過ごした日々。
それらはブロークバックマウンテンに確かにあったこと。
それが切なくてたまらないんだ。
ブロークバックマウンテン
3月3日に2014年のアカデミー賞が発表される。それにちなんで、今回は過去のアカデミー受賞作品を遡ってみる。
『ブロークバックマウンテン』は第78回アカデミー賞の監督賞を受賞した作品である。監督は「アン・リー」。彼は去年のアカデミー賞(第85回)でも『ライフ・オブ・パイ』で監督賞を受賞している。
『ブロークバックマウンテン』は鑑賞後、今までの映画には感じたことのない感情がこみ上げてきた。直後には自分の気持ちを整理できなかったものの、これは生涯のベストに入る映画であることを直感した。
殆どの映画は鑑賞の最中に演出が良いとか、詰めが甘いということを気にしてしまうが、『ブロークバックマウンテン』に関しては、自分がこの映画の"何"に魅了されているのか、最後まで理解できなかった。
おそらくそれは、ヒースレジャーの演技であったり、映像の美しさであったり、物語のテンポであったり、時代背景であったりするのだろう。
もちろんストーリーも素晴らしく、「自由」や「愛」について考えさせられる作品であることは間違いない。アメリカは自由の国だと言われているが、実際、あの"ブロークバックマウンテン"にある本当の自由とはかけ離れている。同性愛がばれてしまえば殺されてしまうし、大切な家族や愛する人をひどく傷つけてしまう。そのような時代、一線を越えてしまったイニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ギレンホール)の二人の感情、そして人生を鮮明に描き出している作品は、まさにアカデミー賞に相応しい。
しかし、それ以上にこの作品の秘めている力は大きい。"ブロークバックマウンテン"に憧れるイニスとジャック同様に、作品としての『ブロークバックマウンテン』に憧れる自分がいる。それは決して言葉にできない感情なのだ。母体回帰を願うような、人間としての本心を揺さぶられるような作品なのだ。
男同士の恋愛もいいね、切ないけど
素敵な同性愛のストーリー。
ブロークバックマウンテンの風景がキレイで音楽も良い。
ヒースレジャーの演技が観れるだけでも幸せ。
ジェイクジレンホールはハマり役。
周りに見つからないように隠れながら会うしかない。
2人が一緒にいられる場所はブロークバックマウンテンだけ。
悲痛な想いが伝わります。
自分の居場所
イニスは居場所が欲しかった。
それは、多感な頃に貧乏に放り出されたからかもしれないし、
反発して自立心を養うだろう頃に両親を失ったからかもしれない。
傍目からも、自分でも、納得できる『幸福な典型的家庭』こそがイニスが作りたかったものです。
二人で暮らすというジャックの望みが叶ったとしても、イニスが心の底から求めるようなものではないし、
他人に害されるのではという不安にも悩まされる。
だからこそ劇中ではイニスは家庭を手放さなかった。
たった一年にも満たない、ひと夏の時間が酷く幸せだったため、その後の人生は思い出に費やされてしまう。
もう戻ることの出来ない楽園を思い続ける。
思いが通い合っていないわけではなく、現実が絡まり、ついに堪えられなくなっても身動きがとれない。
苦しいし、悲しい。
偏見を持たずに、一度は見るべきです。
美しすぎる愛
Brokeback Mountain
景色の美しさに圧倒される
ゲイ映画というイメージの強い作品だが
それだけでこの映画を判断するにはこの愛は深すぎる
I wish I knew how to quit you
同性愛への差別は今もなお無くならない
虐殺シーンが印象的だった
なぜ人は自分と違うものを恐れ排除したがるのか
ただただ純粋な愛
同性愛者の存在を否定するわけではないが、男二人の性描写は気持ち悪くて鳥肌がたった。最初、この映画は自分には合わないと感じてしまった。
しかし、ブロークバック・マウンテンでの仕事を終えて二人が別々の道を生きていく中で、彼らの純粋無垢な想いが目には見えないはっきりとした形で伝わって来た。そして、その関係を知ってしまった妻が何とも居た堪れない。まだ同性愛が認められていないこの時代でそんな自分の夫の姿を見てしまった妻の想いもまた切ない。
この映画は男どうしの話しであるが、例えこれが男女の話しだったとしても同じだったと思う。この映画を通して伝えたかったのはただただ純粋な愛である。それは男だろうが女だろうが関係ないのだ。ブロークバック・マウンテンをただのゲイ映画と捉えるのは間違いである。
対象は別としても良質な恋愛映画
扱っている題材は男と男のラブストーリー。
それも1960年代のアメリカの片田舎なので、恐らく今よりも世間の風当たりは強い時代です。
夏の間、山奥でひつじの世話の仕事をすることになった主人公たち。
大自然に2人だけでの生活の中、それは酔って寝てしまった夜の出来事でした。
酒のせいなのか、刑務所の中と同じような理屈なのか
残念ながら僕にはその心境は全くもって理解不能(正直その描写には若干ひき気味…)でしたが、
とにかくそれが始まりです。
この2人の場合は劇中の「俺はカマじゃない」という台詞からも
今で言うトランスジェンダー(性同一性障害)とは違うようです。
のちに結婚して子供も生まれますし。
それでもお互い結婚生活を続けながら長きに渡って関係が続く2人。
お互いを特別に思い、たまに会って同じ時を過ごし、浮気には猛烈に嫉妬。
個人としての反応から伝わってくるのは男女の恋愛となんら変わらない切ない気持ち。
2人が同じ画面に収まってさえいなければ誰しもが普通に感情移入できると思います。
ただし、やはり表向きは家族を持ち真っ当な生活を送っている2人。
夫として、父として、男としての葛藤と、60年代の保守的な世間の壁がそこに加わってくるわけです。
つらい…。
そういえば昔、男女の間で友情の話題が上ったときにその感覚の違いを感じた事があります。
この年になると親友と呼べる友達はほんの一握りですが、
共通の時間を過ごし、たくさんの思い出を共有しているその仲間が本当に困っている時は
なんとかして力になってやりたいと思うものです。
これは家族とも恋人とも違う一種独特な感覚(男性なら分かってもらえるはず)。
個人的な見解ですが、この2人は生まれ持っての同性愛者ではないはずですので
たまたまあの山での一夜に事故(?)が起きたことで歪んでしまいましたが、
あれさえなければ本当は一生の親友になって男同士で酒を酌み交わしていたのではないでしょうか。
友情と愛情というのは紙一重なのかも知れないですね。
切ないストーリーもさることながら、アメリカの大自然の景色の素晴らしさもこの作品の魅力の一つ。
作品全体としては文句なく☆☆☆☆☆です。
※他サイトより転載(投稿日:2008/03/14)
“燃える”…もとい“萌える”お兄さん!てか?
やれ“ホモ映画”だの“ゲイの映画”だのと騒がしかったですが、そこはそれアン・リー監督に、アジア人初の“アカデミー監督賞”をもたらしたほどの映画です。果たして如何ほどのモノでございましたでしょうか?
いやあ、確かにこれは“ラブ・ストーリー”ですよ。しかも最近では珍しいくらいに、純粋な部類のお話(まあ、時代設定が少々昔ですけど)です。ただ対象が“異性”ではなく、“同性”なのですね。で、結論から申し上げますと、吾輩はやはり少々感情移入できませんでした。いや、決して悪い話じゃないんですよ。でもちょっとリアルなシーンもありましたし、何よりも“そこ”へ行き着いてしまうまでのストーリーが、若干説得力に欠ける(言い換えると少々ヨワイ!)かな?と感じられた(そう、『何でそうなる?!』みたいな…)モンですから…。
それよりも、ジャックが初めてスクリーンに登場したときの、手や腰の仕草そしてニヤけた顔を見て、吾輩思わず『うわ、コイツやる気満々やがな!!(笑)』と心の中で叫んじゃいましたし、『そんなアッサリ奥さんに見られたらアカンがな!』とか、『何でそんな下手な嘘をつくねんな?!』と思わずツッこまずにはいられない、この“ゲイ”カップル(特にイニス)の、お間抜けさに毒気を抜かれたっていうのも、多分に影響しているとは思うのですが(笑)。
ただ、この映画がアカデミー賞を獲れなかったのは、正解だったような気がします。ゲイの映画と言う以前に、映画としてパンチに欠けている気がしますから。まあ、佳作であるとは思いますが…。
う~ん、賛否両論。ちょっと判らんかった。
2006年アカデミー賞作品賞大本命と言われながら、受賞を逃がしたと言う曰くつき。その代わりと言っては何だが、監督賞を受賞している。作品賞受賞を逃した原因の一つとして、”ゲイ”を扱ったからだとも言われているが、真相は不明である。
現代の話かと思っていたら実は違っていて、1960年代後半から80年代初めの辺りの話。今でこそ、ゲイも市民権を得られ、(アメリカの)州に依っては同性同士の結婚も認められてきていますが、この映画を正しく理解するためには1960年代~1980年代のアメリカにおけるゲイの扱われ方を知らないと、この映画の本当の意味は理解できないでしょうね。って言うか、差別されていたと言うこと以外、私もわからないんですが(今も、差別されているのかもしれないですが)。あと、メキシコに言及する件があります。これもその場面を見ていればどう言うことなのかは理解できますが、ゲイの世界におけるメキシコの意味を知っている方が、このシーンの意味はもっとよく理解できるでしょう。
などと書いていますが、期待しすぎたのかなぁ。愛しても結ばれないと言う悲哀がこの映画の良いところ?なのでしょうか。その意味では、一方の男を女に置き換えて男女の話としても成り立つ物語で、そう言うストーリーだったら、とても哀しいラブストーリーとして認識されると思います。でも、特に最後の終わり方があまりにもあっけなくて、結構拍子抜け。特に、ジェイク・ギレンホールの最後があのような最後を迎えることになった理由が、アン・ハサウェイが説明している通りなのか、あるいは、フラッシュバック映像に描かれているようなことになったのかが不明です。ちょっと消化不足気味になってしまいました。
男同士のラブシーンが結構出てくるのでビックリです。あんなにきちんと描いているとは思いませんでした。そう言う意味で、映画批評家の世界では評価されたんでしょうか? でも、一般の日本人の感覚からいうと、ちょっと判りにくいかなぁと思います。
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