アダプテーション : 映画評論・批評
2003年8月15日更新
2003年8月23日よりシネマライズほかにてロードショー
進化論のビジョンが現代の“淘汰”を浮かび上がらせる
「マルコヴィッチの穴」の人形遣いは、売れない自分に嫌気がさし、「ヒューマンネイチュア」のライラは、毛むくじゃらの身体に悩み、「コンフェッション」のバリスは、低俗なテレビ番組に彩られた人生を悔やむ。そして、この映画に登場する脚本家チャーリー・カウフマンは、デブで存在感がないことに苦しむ。
自己嫌悪と抑圧された欲望を起爆剤とするカウフマンの世界を異色なものにしているのは、「コンフェッション」を例外とすれば、19世紀に遡る世界観である。「マルコヴィッチの穴」では詩人エミリ・ディキンスン、「ヒューマンネイチュア」では小説「類猿人ターザン」、そしてこの映画では進化論が、奇妙なドラマのインスピレーションの源になっている。
「アダプテーション」の題名には、“脚色”と進化論に結びつく“適応”の意味があり、チャーリーは進化論に感化され、オーリアンは蘭の進化に魅了され、なんとダーウィン当人までが登場してしまう。進化論のビジョンは、生存競争を繰り広げるカウフマン兄弟や実はドラッグの快楽に溺れているオーリアンの存在を異化する。そして終盤のドタバタ劇では、適応と脚色の境界が崩壊し、滑稽で哀しくもある現代の淘汰が浮かび上がるのだ。
(大場正明)