トラフィック(2000) : 特集
「トラフィック」が凄い3つの理由
文:小西未来
【その2】独自の映像感覚
「トラフィック」の撮影監督には、「ピーター・アンドリュース」とクレジットされている。この名前に心当たりがある人はそうはいないだろう。なぜならピーター・アンドリュースなる人物は存在せず、スティーブン・ソダーバーグ監督の別名にすぎないからだ。
とうとうメガホンだけでなく、カメラまでも握ってしまったソダーバーグ監督だが、それは「撮影時間が短くて済むから」という単純な理由からだという。たしかに監督がカメラを握れば、自分の判断でテンポよく撮影を進めていくことが可能だ。しかし、監督業をこなすだけでも大変なのに、わざわざ過酷な撮影監督にまで手を出したのは、合理性のためだけではあるまい(ハリウッドで同様のスタイルで仕事をしているのは、「スウィンガーズ」「GO」のダグ・リーマン監督ぐらいしかいない)。映像派で知られるソダーバーグ監督のこと、ビジュアルにこだわるあまり、自らカメラを握るところにまで行き着いたと見たほうがいいだろう。
「トラフィック」を観れば、ソダーバーグ監督のこだわりは一目瞭然である。ドラッグ戦争をテーマに3つのストーリーが同時に展開していくのだが、記録映画のように粒子の粗いメキシコと、のどかな西海岸、そして凍り付くような東海岸と、それぞれのストーリーに独自のルックを持たせている。各ストーリーのムードを色彩で伝えるだけでなく、場面変化の際、観客が迷わないようにする仕掛けなのだ。
ソダーバーグ監督の映像感覚は、10代のころの徹底した映画鑑賞で研ぎ澄まされた。13歳から短編映画を撮り始めた彼は、近所の映画館で公開される「ジョーズ」「タクシー・ドライバー」のような新作はもちろんのこと、父親が学部長を務める州立大学の映画館で「去年マリエンバートで」や「ハード・デイズ・ナイト」「8 1/2」などの上映会に参加した。1日2本見ることも珍しくなく、週に6日間は映画館にいたという。とくにミケランジェロ・アントニオーニ(「欲望」「赤い砂漠」)などヨーロッパの監督には強い影響を受けたという。
ソダーバーグ監督が目指したのは、ヨーロッパ映画の抽象的なビジュアルと、ハリウッド映画のサービス精神旺盛なストーリーテリングとの融合だ。初監督作「セックスと嘘とビデオテープ」以来、その配合バランスに苦心してきたソダーバーグ監督だが、第7作目「アウト・オブ・サイト」にして、はじめて最高のミックスに成功する。時制がバラバラのノンリニア編集や、ジャンプカット、フリーズフレームなどのテクニックを駆使しながらも、ハリウッド映画としてまとめあげることができたのだ。それからのソダーバーグ監督の快進撃はご存じの通り。洗練された映像で、ハリウッドを改革しつづけている。