トータル・フィアーズのレビュー・感想・評価
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ジャック・ライアンシリーズ
アメリカに核爆弾が持ち込まれ、スーパーボールをやっているボルチモアのスタジアムで爆発する。 折しもロシアの大統領が変わったばかりで、疑うアメリカはロシア攻撃の準備を進める。 分析官のジャック・ライアン(ベン・アフレック)はロシアではないと進言するが・・・。 トム・クランシーのこのシリーズは映画になっても面白い。
恐怖の連鎖は2021年の今現在始まっています 本作は古いどころか今現在を扱っていると言えると思います
原作者トム・クランシーの映画化された長編小説の発行年と題名は次の通り 1984年 レッド・オクトーバーを追え 1987年 愛国者のゲーム(パトリオットゲーム) 1989年 いま、そこにある危機 1991年 恐怖の総和(本作、トータルフィアーズ) いずれもCIA 分析官ジャック・ライアンが主人公 しかしお話はそれぞれ独立しているので、どれから映画を観ても大丈夫です ソ連崩壊後のロシアと米国との核戦争の危機を扱っています そんなもの21世紀の現代に於いては、もはや観るべき価値はない? 核戦争危機の黒幕の正体はトム・クランシー自身そんなものはいないと明言しています では、彼は何を描きたかったのか? それは恐怖の連鎖が、超大国の強大な軍事システムや情報機関でどのように互いに連動して動くのか、動き出したらどれほど止まらないものなのか それを限り無く具体的に、綿密な取材の上で描く それが本作のテーマです 映画化に於いても監督はそこを良くふまえています オーディオコメンタリーでもトム・クランシーから監督が誉められています だから主人公の活躍で全面核戦争の危機が寸前で止まるという荒唐無稽な展開はお話を面白くするための方便という程度のことで、そこを云々しても仕方のないことです そこを批判するのではなく、巨大な軍事組織、情報機関がどう動くものなのか、動きだしたら止まらないものなのかこそを観るべきなのです 軍事オタクの目からしても、ディテールは極めて正確です ん?というシーンも恐らく映画の演出の為、意図的にわかってやっていると納得できるものです 超音速爆撃機Tu-22Mバックファイアの大編隊が北海に展開中のニミッツ級原子力空母に大型対艦ミサイルの飽和攻撃を浴びせるシーンは、軍事オタクなら夢に観るようなシーンを極めて正確に映像化しています では本作は軍事オタクだけしか、もはや価値はない作品なのでしょうか? ひさびさに本作を観てロシアを中国に置き換えてみたら、そのままだ!と痛感させられました 劇中でのロシアのチェチェン問題は、中国のウイグル問題と相似形です 内政問題に口出しするなという台詞はついこの間聞いたばかりです 黒幕の台詞 誰もが20世紀は共産主義と資本主義が激しく対立した時代で、ファシズムは衰退したと思っている 共産主義は失敗 マルクス信者は地上から消えた フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」と同じ視点です 所が、21世紀の私達は直ぐ隣の大国が、悪夢のように共産主義とファシズムが結びつき、民主主義世界に挑戦しようとしているのを目撃しています 映画TNET のように歴史を逆転させようとしているのです 本作の劇中のボルチモアでの核爆発にも似たコロナウイルスのパンデミックも経験しているところです 恐怖の連鎖が始まっているのです トータルフィアーズ 恐怖の総和 それは全面核戦争のことです 米中が激しく対立するとき、日本も巻き込まれるのは間違いないことです いや日本こそ、その対立の当事者であるのです そのとき平和憲法が有ろうが無かろうが、そんなことはお構いなしに戦争となり日本も戦場になるでしょう 核の恫喝すら受けるかも知れません そんな事態を一体どう防ぐのか その視点でぜひ本作を観て頂きたいと思います 裏口を開けておくことの大事さ 果たして米国や日本はできているでしょうか? それよりも中国は裏口を開けてくれているのでしょうか? 恐怖の連鎖は、2021年の今現在もう始まっています 本作は古いどころか今現在を扱っていると言えると思います つい数日前のアラスカでの米中外交トップ会談は激しい非難の応酬だったのです 本作でのジョン・クラークは「今そこにある危機」の役者よりも、ずっと原作イメージに近いと思います
米露全面核戦争の危機の政治サスペンス映画だが、小説の面白さに止まる
「フィールド・オブ・ドリームス」のフィル・アルデン・ロビンソン監督作品。米露全面核戦争の危機を描いた政治アクション映画。ベン・アフレックが二大国の大統領を説得して阻止しようと孤軍奮闘する若きCIAアナリストを好演していて、緊迫感溢れるサスペンスが見所。しかし、それ以外の俳優が役柄に合っていない。カメラワークもアップサイズが多すぎて客観的な視点が少なく演出にメリハリがない。トム・クランシー原作のストーリーの面白さのみ印象に残るという事は、この題材にして映画化は失敗している。小説の世界で終わっている。
核の脅威の二段仕込み
アメリカを狙ったテロ映画は多いが本当に爆発したのは「トゥルーライズ(1994)」くらい、ウォール街を狙った「ピース・メーカー(1997)」も間一髪、起爆薬だけで済んでいる、「ブラック・サンデー(1977)」もスーパーボールを狙ったテロ映画の話題作だったが、なんと本作ではついに一線を越えてしまった。
その過激さぶりにはぞっとするがプロット自体はテロリストも早々に露見するし、敵を追い詰めるサスペンスでもなく、ライアンも文官なので派手なアクションも希薄、とすれば見せ場は核の脅威の二段仕込みなのだろう。タイトルにも在るようにテロによってけしかけられた核戦争勃発の恐怖の連鎖が主題なのだろう、欲を言えば心理戦なのですからキューバ危機を描いた「サーティーン・デイズ(2000)」くらいの知的な葛藤描写がほしかった。
他のライアンは知的で説得力があったが本作のライアンはどうみても普通の青年、あまりにも説明ベタなので単なるロシアびいきにしか見られない。命を救った大統領からも嫌われなんとロシア側に信任を得ると言う、皮肉にしてはきつ過ぎるキャラ設定も訝しい。
人物描写はともかく、原作では首謀者はアラブ系、書かれたのは1991年で9.11(2001)を予見していたかのようなトム・クランシーの慧眼には恐れ入る。
後から考えれば難点はあるが緊迫感あるCIAもの、エンターテインメントとしては見応えがありました。
まあ面白いけど。。。
攻撃機が撃墜されて核弾頭落っことしたら、 落とされた位置は正確にわかるのだからどう考えても必死になってすぐに回収するわな。。。 小説が元らしいけど、ほんとアメリカ映画って漫画だよなぁ~って。 話の根本が説得力無いからアタマ空っぽで見ると良いです。
長年【誤解】され続けた映画
緻密な取材により【軍事シュミレーション小説】に
定評があり『レッドオクトーバーを追え!』などを
書いたトム・クランシーのベストセラー小説『恐怖の総和』
(The Sum of All Fears)の映画化
007から ボーンシリーズや M:Iシリーズまで
こういったタイプのストーリーが大好きで
コレも昔からかなり【大好きな作品】です
しかし公開当時は賛否分かれてた
批判的意見の大多数のポイントは・・・
アメリカ国内で【核爆発】が起き 主要人物たちが
巻き込まれる場面があるにもかかわらず
その後誰も【被爆】していないという点
(ウィキペディアにも否定的な指摘が書いてある)
もちろん爆心地にいた多くの市民は被爆し
亡くなっているという設定で描写もある
僕も公開当時は その多数の意見を聞いて
【そう言われたらそうかも・・・】と漠然と思って
いたが どちらかというと(根拠は無いが)肯定的な
立場だった
しかしそのモヤモヤが ついに晴れた!
DVDの特典に監督とトム・クランシーによる【オーディオコメンタリー】が
収録されているので 鑑賞後にオープニングからラストまで
【コメンタリーON】で改めて観直してみた
原作者のトム・クランシーは軍事関係に非常に詳しく
非常にマニアックで専門的な事情にかなり精通していることが
改めて判明して感心した
そのトム・クランシー自身が核爆発の場面で【非常に現実的だ】と
言っている
大統領やベンアフレックが浴びた【死の灰】だと思われていた
モノもそうではなく 核爆発の規模自体も非常に小さく
【半径1㌔】くらいの地域しか被害を受けていない事も
判明した しかも風向きによって主要人物たちは
被害を受けなかったという事だった
主要人物たちは爆風に吹き飛ばされただけだという事が
緻密に計算され 現実的な理論で設定されていた
しかもソレは全て劇中に【セリフ】として語られている
トム・クランシーがそういった【軍事兵器】や事情に
かなり詳しい事はモチロン 監督も【核兵器】について
リサーチを徹底して撮影に挑んでいた事も分かった
やはり【核爆発の描写が不自然】という意見は
日本の評論家たちや マスコミが過剰に騒ぎ立てて
いただけであった
日本は世界で唯一の被爆国という事もあり
こういった話題に非常に敏感だし 過剰に反応
してしまったという事だろうか
もちろん劇中での【説明不足】が誤解を招いた
という理由もあるだろうが
とにかく これから新たに鑑賞した人が誤解しない
為にも 【ウィキペディアの間違った記述】を一刻も早く
修正してもらいたい
「無能」より「悪人」と思われた方がマシだ
映画「トータル・フィアーズ」
(フィル・アルデン・ロビンソン監督)から。
テロ組織が、アメリカ・ロシアを騙し、
お互いが攻撃したようにみせかけて、戦争直前までいく、
というちょっとありえそうなストーリーを
ハラハラドキドキで観終えた。
そんな映画の中に、こんな台詞があったのでメモをした。
「『無能』より『悪人』と思われた方がマシだ」
人間として「お前も悪人だなぁ」と言われるより
「お前、つかえねぇ。無能だな」と言われる方が、
本人のプライドを傷つけることを再確認したことになる。
ただし、周りの人は本人に直接言わないことの方が多い。
だから、本人はいつまでたってもそれに気がつかない。
「プライドって、傷つけられて初めてわかるもの」だから、
誰かが悪人になって、傷つけてあげないといけないのかな。
そういう私も、実は「無能」かもしれないから、
周りの反応を気にしながら生きていこう、と思う。(^^;;
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