「 まだ観ていないと思って借りたら、実は観たことがあったというこの映...」めぐりあう時間たち Misaさんの映画レビュー(感想・評価)
まだ観ていないと思って借りたら、実は観たことがあったというこの映...
まだ観ていないと思って借りたら、実は観たことがあったというこの映画でした。
「めぐりあう時間たち」とは、3つの時~作家ヴァージニア・ウルフ(by ニコール・キッドマン)と、大戦後のロスアンジェルスの主婦ローラ・ブラウン(by ジュリアン)と、そして現代のニューヨークの女クラリッサ ・ヴォーン(by メリル・ストリープ)。
そもそも3つの時が絡み合っているので、説明はなかなか難しいのですが、冒頭では特に切り貼り・コラージュのように3つの時の出来事やエレメントの「偶然」(シンクロニシティ的に捉えてもいいのでしょうか)が映像で語られます。
全編を通じて、花を買うこと・飾ること、本や書くこと、家や他人の世話をすること、パーティをやる、まどろみ・・・などに女性の人生や女性性(フェミニニティ)が象徴されているように思います。それらはすでに冒頭で暗示されています。
物語は絡み合い、特にそれぞれの女性の生き方の難しさ、苦悩のようなものが暗示されたり、語られたりします。ヴァージニア・ウルフは自殺を図り、ローラ・ブラウンも子どもを預けた上自殺を考えますが、思いとどまり、妊娠中だった子どもを産んだ直後に家族を捨てて家を出る決心をします。その代わりというか、数十年後のニューヨークで、彼女の上の子リチャード(リッチー)が、エイズに苦しんだ挙げ句手にした詩人の賞の祝賀パーティに出ることなく、自殺を遂げてしまいます。
3人目のクラリッサは、編集者として働きつつも、エイズで自暴自棄になった才能溢れるリチャードのアパートに通い、面倒を見つづけます。
3人の女性はそのリチャードの自殺後にクラリッサのアパートで「逢う」ことになります。クラリッサとローラと、ヴァージニア・ウルフは『ダロウェイ夫人』の本(の著者)として・・・
補足ですが、アメリカでもゲイ・カルチャーにオープンであったNYやサンフランシスコなど、都市部を中心にエイズは席巻したという感じでした。特に知識人や芸術家に多かったこともあり、そのコミュニティ内では多くの人が冒され、亡くなり大変な喪失を味わいました。その後、「治る」わけではないですが発症を食い止める特効薬は開発され、以前ほどには「怖い」ものではなくなったものの、ある種のコミュニティのある世代にとってはトラウマとなっていると思えます。(短い間ですがエイズ・HIV関連の仕事をしていたことがあります。)
実は、冒頭に書いた通り観たことがいいと思ったら観たことがあったのですが(家人には機内で観たんでは? と言われましたが、記憶のあいまいさから見てそれはあるかも)、あれ? と思ったのは子どもであるリッチーがママの知り合い?に預けられるとき、なにか子どもならではの嫌な予感がしたのか必死に抵抗して、去りゆくママの背中に叫ぶシーン。この辺りで、あれ、既視感があるぞ・・・とやっと思い始めたのでした(笑)。
さらに個人的には、NYに長いこと住んでいたので、アパート内の様子にとても惹かれました。生活感とインテリアのスタイルを上手く組み合わせたような、映画の中のインテリアは、近年の映画では登場人物の生活状況や性格を表すものとして、またスタイルやファッション性でもとても興味を惹かれます。NYの生活空間が大好きなのですが、また訪れる云々は別として(現在コロナですが)、やはり自分の身の周りでできるインテリアの改善をしなければ、と思わされた映画でした(笑)。
ファッション面でも参考になることが多かったです。女性目線ですね。
3人の女優の共演(競演)というところも見所。豪華というほかありません。個人的には、ニコール・キッドマンとメリル・ストリープは以前から好きではありますが、なんとなく「人」が前面に出てしまっているように見えたメリル・ストリープ(現代の役だからでしょうか)よりは、見事「役」の中に沈潜したニコール・キッドマンにやはり軍配が上がるでしょうか。エキセントリックでメンタルを病んだ(と言われた)女性を見事に演じきっています(アカデミー賞取ったんですよね?)。
ジュリアン・ムーアについては申し訳ない、あまり知識がなく・・・が、惹かれました。というのも、彼女の苦悩はほとんど会話やセリフに表れていない形だったからです。表面上は幸せな女性を演じつつ、内面では追い詰められているという「二重の演技」だったかと思います。
惜しむらくはヴァージニア・ウルフのことをもうちょっと知っていれば、楽しめたのでしょう。『ダロウェイ夫人』、読みたくはなりましたが。英語圏ではヴァージニア・ウルフのことはよく知られているので、あちらでの方が評価は高かったのではないかと思います。