めぐりあう時間たちのレビュー・感想・評価
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難し過ぎ
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女性小説家がうつ病で病んで自殺未遂、夫と共に田舎へ。
そこで紆余曲折あって、結局自殺。
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心の世界、おれの割と好きなテーマなのに、難しくて分からんかった。
現実世界と、小説の中の世界(ニコール領域、メリル領域)が並行して進み、
どれが何で何がどれなんかさっぱり分からんかったわ。
その主な理由がオバちゃん達が多数出過ぎなこと。しかもみんなそっくり。
だから誰が誰なんかもよう分からんままについてけんくなった。
また見る機会があれば高得点つけれるかも知れんが、今は☆2つで。
時間の不思議
「長い一日」ってあるものだ。何気なくすごした一日はあっさり過ぎてしまうんだけど、自分にとってとても意味のあった日、大事なことがあった日っていうのは、とても長かったって、感じる。
この映画の中にでてくる時間は、3人それぞれの「長い1日」だ。
「運命のいたずら」という言葉がある。この作品では、ウルフに「あの人を殺さなかったから代わりにあの人に死んでもらう」といわせていたが、何かがこうでなければ・・・という可能性はいくらでもある。誰かの気がちょっと変わっただけで、他の誰かの運命が大きく変わることもある。信じられない奇跡的な時のめぐりあいを経て、私たちは今自分の周りにいる人たちと一緒にいるといえるかも。
それにしても~今回は3人の女優、配置が絶妙!
ニコールは’20年代の英国、J・ムーア、フィフティーズのLA、そして現代のNYはやはりM・ストリープ。ぴったりでしたね~
時間と記憶を巡る複雑にして稀有な作品
とても複雑な構成。冒頭で描かれるのはダロウェイ夫人を書いた作家のヴァージニア・ウルフが死を選ぶシーン、そして彼女の遺書。そして詩人のリチャードが父母と過ごす場面、母のローラはダロウェイ夫人を読んでいる。そしてリチャードと以前つきあっていたクラリッサは、その名からダロウェイ夫人とからかわれ、彼女は編集者としてリチャードとつながりを持っている。リチャードは病み、希死念慮を抱きつつ生きている状態…。時間も場所もさまざまな彼らは、希死念慮という共通点をもつといってもいいだろう、クラリッサはそれを抱くリチャードと向き合いつつ、その状況にもう耐えられないと感じている。
ローラは、夫にこの暮らしが幸せの理想形だと強調されますます苦しみに囚われる。違う、これじゃないと感じつつそこに居続けるもどかしさ、自由がないと感じる息苦しさ、そして本当に欲しい愛はこれじゃないという疑念、そこから彼女が何を選択するか。詩人リチャードは母やクラリッサを自分の本にどう描いたか、また彼には何が見えていたのか、何が彼を苦しめ、そして支え、どの瞬間が彼にとっての最愛の貴重な時間だったのか。現代を生きるクラリッサにとっても同様に。時間と記憶を巡るストーリーはかなりぶっ刺さるので、思い入れが強くなる。
現代を生きるメリル・ストリープが演じるクラリッサの周囲の人物は、恋人のサリーに元恋人のリチャードと、ダロウェイ夫人をなぞらえているかのよう。でもリチャードというよりピーターでは?と思うので、あえてなのかな、なぞらえすぎないように。彼はピーターでもありセプティマスでもあるわけだし。
ヴァージニア・ウルフの遺書は世界一美しい遺書と言われているけど、彼女の遺書には愛の言葉はない。幸せだったことと優しさへの感謝とはあるけれど。クラリッサはサリーと暮らすがそこに愛はあるのだろうか、傷を舐め合い時間を共有しても、愛は過去にしかないのかもしれない。そこを突き詰めナーバスに捉えることには苦しみもあるけれど、鈍感が正しいとも思わない。
観客を選ぶ映画だ。好きな人にはたまらないだろう。
METで上演された同名オペラの口(目?)直しに、DVDを借りてきて鑑賞した。やはり、名作だ。
作家ヴァージニア・ウルフやその代表作「ダロウェイ夫人」が好きな方にとってはたまらない作品だろう。また、予備知識なしにこの映画を鑑賞しても何を言おうとしているか分からないと思う。私も元ネタの「ダロウェイ夫人」を読んでいるとき、よくわからなかった。人間の心の動き(メンタル疾患を含む)を味わう映画で、根底には死への誘惑と生の渇望がある。おまけにバイセクシュアルも絡んでくるからややこしい。改めてみて、挿入される音楽が素晴らしい。現代音楽作曲家のフィリップ・グラスが担当している。R・シュトラウス辞世の歌が使われ効果的だった。やはり、原作者の原作本「めぐり合う時間たち」を読んでみなければと感じた。
今回は鑑賞しながら、レビュー書いたので、めちゃくちゃ。すみません。
2回見ているが、なんだか分からない。
2001年のカップルの関係とか、リチャードの事とかは分かるのだが、最初のカップルがヴァージニア・ウルフなのか?。
二回目終了まで1時間37分。さて。
内容は理解出来だ。しかし、所詮、躁鬱と言う病気を克復出来ないままの結末、故に納得できない。
原作者は、日本で言えば、太宰治見たいな作家なんだろうと思った。
文学的って言うだろうが、それならば、小説を読んだ方が良い。しかし、彼女の話は少し敷居が高い。分かりもしないのに分かった気になりたくない。しかし、仕事がら読まなければと、今は考えている。
二回目見終わったが、何だか分からない。スジは分かったが、何を言いたいのか分からない。少なくとも、ヴァージニア・ウルフの時代にLGBTの事やフェミニストの事なんか影も見せていない。彼女は鬱で亡くなったのだろうから。それを美化してはならない。
ニコール・キッドマンってどの役?僕はニコール・キッドマンを知らない。ヴァージニア・ウルフのお姉さんかなぁ?ヴァージニア・ウルフ本人なんだ。
『誰の為に生きるか?』がテーマなのか?
人類の為、社会の為、家族の為、そんな事決まっている。僕はフジコさんと一緒。だから、この映画肌に合わないのか?兎に角、たとえ、親や子供であっても、そっ先して自ら死を選ぶなんてしない。死んでしまったら、楽しい事ばかりになって、悲しむ事も出来ないんだから。フジコさんのドキュメンタリーと逆のイデオロギーかなぁ?
アンジェリカ?が最後までローラだと思っているが。
ローラの様だが、それが重大なテーマでは無いとオペラを見て分かった。
さて、明日はこのドラマがオペラでどう表現されるか?それが期待大だし不安。
オペラのテーマは『心のままに生きよう』だった。
作品の真価は原作にあるのだろうが、オペラのテーマは『生きる』だった。原作は?この映画のどこにオペラと同じテーマが隠されているのか?
オペラの演出家は原作と映画を参考にした旨の話をしていた。だから。
ダロウェイ夫人〜心の渇き
ニコール・キッドマン演じる女流作家ヴァージニア・ウルフの心が、不安定に揺れ苦悩し続ける姿から目が離せなかった。その美しい瞳とスレンダーな肢体のみニコール・キッドマンでした。
精神が不安定な母( ジュリアン・ムーア )の顔色ばかり伺う幼い少年リチャード( ジャック・ロヴェロ )。大好きな美しい母を見つめるその瞳が切ない。
ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ、エド・ハリスの競演の見応えある作品。
ー凍てつくような疎外感
ー後悔すら出来ないものよ…他に道がないと
ー選んだの…生きることを
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (吹替版)
自分で解釈したい人向き
大正のLON、終戦後のLA、現代のNY、三つの時代の無関係な三人の女性の生活が同時進行で進みます。
三人にどういうつながりがあるのか、関係がありそうにもなさそうにも思えますし、様々な設定が何故必要なのか?どこにどう話としてつながるのか?知恵袋に質問多く、回答も様々です。
つまり、それぞれ独立した三つの話の関係性や、何のためかよくわからない設定なんかに、理屈つければ説明できるかも?というタイプの作品なので、「自分で想像するのが好き派」の人は自分なりに解釈して面白いと感じるんでしょう。一方、「はっきりしてくれよ派」の人は、「その解釈こじつけじゃねえ?」ってなります。
換言すれば、よくも悪くも普通の人には「何いいたいのかよくわからないの」作品なので、好き嫌いがハッキリ別れます。評論家なんかにはウケるんでしょうが、一般受けはしません。
話の展開が早いのでそこそこ面白いですけどね。
まだ観ていないと思って借りたら、実は観たことがあったというこの映...
まだ観ていないと思って借りたら、実は観たことがあったというこの映画でした。
「めぐりあう時間たち」とは、3つの時~作家ヴァージニア・ウルフ(by ニコール・キッドマン)と、大戦後のロスアンジェルスの主婦ローラ・ブラウン(by ジュリアン)と、そして現代のニューヨークの女クラリッサ ・ヴォーン(by メリル・ストリープ)。
そもそも3つの時が絡み合っているので、説明はなかなか難しいのですが、冒頭では特に切り貼り・コラージュのように3つの時の出来事やエレメントの「偶然」(シンクロニシティ的に捉えてもいいのでしょうか)が映像で語られます。
全編を通じて、花を買うこと・飾ること、本や書くこと、家や他人の世話をすること、パーティをやる、まどろみ・・・などに女性の人生や女性性(フェミニニティ)が象徴されているように思います。それらはすでに冒頭で暗示されています。
物語は絡み合い、特にそれぞれの女性の生き方の難しさ、苦悩のようなものが暗示されたり、語られたりします。ヴァージニア・ウルフは自殺を図り、ローラ・ブラウンも子どもを預けた上自殺を考えますが、思いとどまり、妊娠中だった子どもを産んだ直後に家族を捨てて家を出る決心をします。その代わりというか、数十年後のニューヨークで、彼女の上の子リチャード(リッチー)が、エイズに苦しんだ挙げ句手にした詩人の賞の祝賀パーティに出ることなく、自殺を遂げてしまいます。
3人目のクラリッサは、編集者として働きつつも、エイズで自暴自棄になった才能溢れるリチャードのアパートに通い、面倒を見つづけます。
3人の女性はそのリチャードの自殺後にクラリッサのアパートで「逢う」ことになります。クラリッサとローラと、ヴァージニア・ウルフは『ダロウェイ夫人』の本(の著者)として・・・
補足ですが、アメリカでもゲイ・カルチャーにオープンであったNYやサンフランシスコなど、都市部を中心にエイズは席巻したという感じでした。特に知識人や芸術家に多かったこともあり、そのコミュニティ内では多くの人が冒され、亡くなり大変な喪失を味わいました。その後、「治る」わけではないですが発症を食い止める特効薬は開発され、以前ほどには「怖い」ものではなくなったものの、ある種のコミュニティのある世代にとってはトラウマとなっていると思えます。(短い間ですがエイズ・HIV関連の仕事をしていたことがあります。)
実は、冒頭に書いた通り観たことがいいと思ったら観たことがあったのですが(家人には機内で観たんでは? と言われましたが、記憶のあいまいさから見てそれはあるかも)、あれ? と思ったのは子どもであるリッチーがママの知り合い?に預けられるとき、なにか子どもならではの嫌な予感がしたのか必死に抵抗して、去りゆくママの背中に叫ぶシーン。この辺りで、あれ、既視感があるぞ・・・とやっと思い始めたのでした(笑)。
さらに個人的には、NYに長いこと住んでいたので、アパート内の様子にとても惹かれました。生活感とインテリアのスタイルを上手く組み合わせたような、映画の中のインテリアは、近年の映画では登場人物の生活状況や性格を表すものとして、またスタイルやファッション性でもとても興味を惹かれます。NYの生活空間が大好きなのですが、また訪れる云々は別として(現在コロナですが)、やはり自分の身の周りでできるインテリアの改善をしなければ、と思わされた映画でした(笑)。
ファッション面でも参考になることが多かったです。女性目線ですね。
3人の女優の共演(競演)というところも見所。豪華というほかありません。個人的には、ニコール・キッドマンとメリル・ストリープは以前から好きではありますが、なんとなく「人」が前面に出てしまっているように見えたメリル・ストリープ(現代の役だからでしょうか)よりは、見事「役」の中に沈潜したニコール・キッドマンにやはり軍配が上がるでしょうか。エキセントリックでメンタルを病んだ(と言われた)女性を見事に演じきっています(アカデミー賞取ったんですよね?)。
ジュリアン・ムーアについては申し訳ない、あまり知識がなく・・・が、惹かれました。というのも、彼女の苦悩はほとんど会話やセリフに表れていない形だったからです。表面上は幸せな女性を演じつつ、内面では追い詰められているという「二重の演技」だったかと思います。
惜しむらくはヴァージニア・ウルフのことをもうちょっと知っていれば、楽しめたのでしょう。『ダロウェイ夫人』、読みたくはなりましたが。英語圏ではヴァージニア・ウルフのことはよく知られているので、あちらでの方が評価は高かったのではないかと思います。
女も死にたい。女たちの紡ぐ物語。
男性です。
男はみんな死にたいと思っています。
「死にたいと思ったことは一度もない」と言った男には、僕は今まで1人にしか会ったことがない。
この映画を観て初めて知ったのは
「女も死にたいと思っている」ということ。
知らなかった。
女はそんなことは考えないんだと思っていた。
世界が180度回転した、記念碑的な映画体験となりました。
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3大女優が、3時代の3つエピソードを担当するのが良い。
成功している。
3人を同時に登場させてお互いに絡ませる等の無駄遣いをしないシナリオは良く考えられている。
1941年の女流作家ニコール・キッドマンは姪に魂を引き継ぐ
(一緒に小鳥を弔った姪子)
姪は
1951年にこの小説にはまり生死を行き来する。そして
姪が産んだ娘が
2001年エピソードのメリル・ストリープその人だ。
メリルは同性のパートナーと暮らし、また娘を生んでいる。
命を生み出す女たちが、こんなに身近に死を想い、生死分け目の尾根に生きていたとは、僕にとって驚きの体験でした。
男においては命は単発。継承はされない。
ところが本作品、女たちは時代を隔ててばらばらなようで、こんなに有機的に死と命と、そして一冊の「女の生涯」で繋がっている。
本当に僕にとっては初めて覗いた新しい世界だったのですよ。
原作を読んでいませんが、原著をググるとその筋書きが、3人それぞれ、その日1日のプロットになっていることが判明します。
このレビューも鑑賞してから1年かかりました。
僕の母親の死生観について、あれこれ彼女の生きざまのエピソードを、いま大切に思い出しているところです。
オスカー俳優の競演
映画館ではリピート割引という企画があった。そのくらい何度も観なきゃこの映画の良さがわからないよ!と挑戦状を叩きつけられているような気がしてムカついた。ニコール・キッドマン演ずる作家ヴァージニア・ウルフが入水自殺を図るシーンからスタートするが、自殺を中心とした「死」をテーマにするのなら、自殺が美しいという結論に達するものと受け止められる。ジュリアン・ムーアのストーリーもエイズ患者と向き合ったメリル・ストリープのストーリーも素晴らしいものであるから、このサンドイッチの構成には疑問を抱いてしまいます。
3つのストーリーがラストで有機的に結びつくのだと予想していたのだが、そうしたファンタジーの要素が全くない硬派の映画という印象でした。役者の演技は素晴らしいが、オスカーを獲得したのがキッドマンだけというのも納得いかない。エド・ハリスやジョン・C・ライリーの影で支える演技が好きだった。
【映画館にて】
設定は面白いもののよく理解できず。
異なる時代の女性たちの1日を描く
全く関係ないように見えてヴァージニアウルフの小説によって時代を超えた影響のようなものがあり
面白い設定だったけれど
特にジュリアンムーア演じる女性の心は全く理解できず、、、
リッチーには怪物扱いされてたようですがその辺も伝わらない。
ヴァージニアは、入水シーンが二度出てくるので時間の流れがいまいちわからなくなるけどロンドンに行かず自殺したの??
タイトルなし
ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」がダロウェイ夫人の一日を描いていたと同じく、三人の女性のそれぞれの特別な一日を描く。ヴァージニア・ウルフその人が自らの命を絶つ一日、1950年代のアメリカの一主婦が家を(子供を)捨てる一日、レズビアンの女性がかっての夫であったゲイの男友達を失う一日。そして全編に漂う水のイメージ、レズビアンのモチーフだろうか。満足度はもう一つだが、三人の主演女優はみんな好演。でも、最もしどころのない(派手な見せ場のない)役である主婦役を説得力を持って演じ上げたたジュリアン・ムーアが一番か。
理想の女性像を追い求め
時代の変化を感じさせる見事なストーリー構成。3つの異なる時代だが、次第に女性の権利や自由が認められるようになっていくという流れはとても良かった。女優も三人ともオスカー受賞の名演技出し、死というものを通じて女性が自分らしさを追い求めるとてもいい濃厚ないい映画やた。
最高に好きな作品
日常の小さな出来事が、心を傷つける。でも明るく前向きに、自分の人生を見つめる。
3人の女性の人生を描き、繋げる演出は芸術的。
沢山の選択があるからこそ、自分で選び進まないといけない、そう覚悟させてくれる映画です。
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