「異性愛者にはわかりづらいはずなのに」めぐりあう時間たち Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
異性愛者にはわかりづらいはずなのに
3つの時代が交錯するわかりづらい映画で、監督がバイセクシャルで原作者が同性愛者(ゲイ)であるのが影響しているとしか思えないが、物語中にも同性愛者またはバイセクシャルが数人出ている。そこからしても私というフィルターをを通してからはこの映画は良くわからない映画として評価はできなくなる。善悪というよりわからないとするしかないだろう。複雑である。交錯しているうちに3つの時代が収斂していくが、同性愛やバイセクシャルの複雑さとともに、死の願望やノイローゼというような、不安定な心理が加味されて、同性愛者またはバイセクシャルが、悲劇を伴うところ、哀しみを抱いているところが、評価は私としては出来ないとしても、軽薄ではない。未亡人になった女は死んだ同性愛者の夫人であり、夫が死病の感染症になっても揺らがずに沿う。だがその夫人も同性愛者であったようだ。死後に訪ねてくるのは、同性愛を夫に隠してきた老婦人である。老婦人は同性愛の複雑さから自殺を企てるが生きる事を選ぶ。その子である男も同性愛になるが、それがもとなのかエイズが隠喩的に語られているのか、エイズで衰弱したことがもとで、投身自殺する。そして、その男を介して出会った二人の女が向かい合う。私にはこの映画がどうしてアカデミー賞などをいくつも受賞した作品になったのかはわからない。同性愛者やバイセクシャルにとっては、そうした人たちを美化するような意味合いを持つのだが、異性愛者が大勢なはずの社会の中でこの映画をどうしてトップに置いたのか。ヴァージニア・ウルフに至っては、普通に誠実で良い夫を持ちながら、入水自殺をしてしまうという精神不安定を抱えた人である。やはりどうしてこの映画が賞を数々受賞したのか、何を言いたかったかを、何事かを理屈づけて語ってはいたが、私には良くわからない。ただ、生き残る者もあれば、悲劇に終えるものもあるというのは、関係者たちは救われようとしているのだと感じさせる。ふざけて同性愛者やバイセクシャルをしているわけではないのか。だが私としては異性愛が人間の基本なのだと付け加えるしかない。単純に開き直りも通り越したような明るい映画にしていなかったところが気にかからせる。