ターミナル(2004) : 特集
「ターミナル」という作品は、トム・ハンクス扮する主人公がニューヨークのJFK空港に「とある理由」から滞在しなければならなくなるストーリー。そして本作には、実際にモデルとなった男性が存在しする。この男性はフランスのシャルル・ド・ゴール空港に16年間に渡って滞在し続けている。ということで、eiga.comでは本作のモデルとなった人物の足跡と、日本にもいたという「空港男」について調べてみた。
フランスにいた、そして日本にもいた「空港男」
編集部
シャルル・ド・ゴールの元祖「空港男」
■Case1 メーラン・カリミ・ナセリ aka アルフレッド・メーラン@シャルル・ド・ゴール空港
本作のモデルとなったメーラン・カリミ・ナセリさんは本作以前に「パリ空港の人々」(93)でもモデルとなっており、世界一有名な「空港男」である。彼は88年8月8日から12月現在までシャルル・ド・ゴール空港に住み続け、最近その生活を綴った日記を自叙伝として編集し直し、「The Terminal Man」として出版した。
メーランさんは現在59歳で、元々はイラン国籍である。その彼が、なぜフランスのシャルル・ド・ゴール空港に留まっているのか?
話は75年8月に遡る。73年9月からイギリスに留学していたメーランさんは74年、イギリスでの反イラン政府デモに参加。それがイラン当局の知るところとなり、国から出されていた奨学金が止められてしまい、75年8月、半強制的に帰国させられる。だが、そこで彼を待っていたのはイランの秘密警察で、テヘランの空港に着くなり投獄させられたという。そして4カ月の収監生活の後、国外追放という形で釈放された。
祖国を追われたメーランさんは西ドイツ、オランダ、フランス、イギリスの各国へ亡命申請するが、いずれも却下。その後80年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)よりベルギーへの亡命が許され、86年までベルギーに在住したという。
だが、その後メーランさんはどういうわけか、再びイギリスへの亡命を試みようと思い立ち、パリのシャルル・ド・ゴール空港へ向かうが、途中、パリの地下鉄で唯一の身分証明書である亡命許可証を含む亡命に必要な書類が入ったバッグを盗まれてしまう。何とかイギリス行きの飛行機に乗ることは出来たが、当然のことながらイギリス政府は入国審査で彼を拒絶し、フランスに強制送還、再びシャルル・ド・ゴール空港へ舞い戻ったのである。だが、フランスの入国審査においても彼の難民としての身元がはっきりしなかったために空港内の待合室のようなところに連れて行かれる。そのときから、彼は空港に16年住むことになったのである。
そんなメーランさんだが、空港から出るチャンスが全くなかったというわけではない。95年にはフランスの人権派の弁護士が彼をベルギーに再び入国できるよう取り計らってくれたが、「私が住みたいのはイギリスであって、ベルギーではない」と断った。99年にはフランス政府がフランス国内に住む権利を与えたが、書類に書かれていた名前が本名のメーラン・カリミ・ナセリでというイランでの名前であったため、「今はアルフレッド・メーラン卿と名乗っている」と語り、署名を拒否。彼は自身がイラン人であることを否定、イランの共通言語であるペルシア語も話すことが出来ないと主張し、これまた、空港から出る話は流れた。
だが、「ターミナル」の製作に際してドリームワークスから原案料として約30万ドル(約3100万円)を受け取ったとされるメーランさんは、本作の全米公開後、ついに空港を出ることを決意したという。彼の行き先は? 仕事のあてはあるのか? 本作のトム・ハンクスのように、人知れず秘密の約束を果たしたいのか? 真実は本人にしか分からない。