劇場公開日 2002年5月11日

「節操の無いアメコミヒーロー映画では無い、傑作。」スパイダーマン ヒロさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0節操の無いアメコミヒーロー映画では無い、傑作。

2018年5月8日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

楽しい

興奮

面白かった!昨今のシリーズ全部見なければついて行けない節操の無いアメコミヒーロー映画では無い。この映画を鑑賞した2時間、とても楽しかった。

私が素晴らしいと思ったのは、
①テンポ
②主人公の負
③ヒロイン
である。

①テンポ
この映画は主人公が大学の研究室に社会科見学に来る所から始まる。施設の前に集合する場面で憧れの女の子、いじめっ子、親友とその家族(親友が金持ちであること)、主人公のクラス内での立ち位置や性格がものの5分で提示される。5分!手際が良すぎる!
よくある脚本だとまず朝寝坊させて叔父さん、叔母さんと慌てて朝食食べて、高校の冴えない日常(からかわれる、親友見せる、ヒロイン登場、ちょっと大学の研究室に見学に行くことも匂わせる)、帰り道にアメコミ買ってヒーローに憧れる描写を見せて…と、主人公を示すために20分はつぎ込む。
正直、ダルいしつまらない。これをたった5分で見せて、主人公は開始10分でクモに噛まれスーパーパワーを手に入れる。ここで時間短縮が出来た為になぜ主人公はなぜ人助けをするのか?敵の動機は何か?主人公、ヒロイン、親友は何を考えているのかまで描写できている。神業のような素晴らしい物語の始め方だと感心した。

②主人公の負
これは原作のコミックに通ずるものだが主人公に背負わせる負のうまさ。
物語で主人公が乗り越えるべき負として設定されているものはスーパーパワーそのものである。
もしも主人公がスーパーパワーを持たないまま強盗を逃がし、それが引き金となって叔父さんが殺されていたとしたら、おそらく銃を携帯している犯罪者に対峙するという選択肢がなく、憎しみや自分が代わりに死ねばといった思いで主人公が叔父の死の責任を背負う気持ちは少なかったかもしれない。
しかし主人公がスーパーパワーを持った上で犯罪を見過ごし、それが引き金となり叔父さんを殺されてしまうと、止める力を持ちながら使わなかった、力があるのに責任を行使しなかった時の最悪の現実が主人公に襲いかかる。
主人公がなぜヒーローになるのか、なぜ人の為に戦うのか、という理由を力を持った人間の責任と叔父の死への贖罪という形で示されている。
本作のスーパーパワーを不治の病と置き換えても良いかもしれない。これをどう捉えるのか、どう付き合っていくのかが主人公が背負った負で他の作品と比較してもヒーローが戦う動機として最も納得がいった。

③ヒロイン
本作のヒロインは男性が女性を嫌悪する面をうまく突いていると感じた。男って女の「こういう所」を嫌と思って見てるよな、というのがうまい。
本作のヒロインは高校時代の彼氏、親友、ヒーロー時の主人公、主人公自身とたった1作の中で好きな男を都合4人も変えているのである!(ヒロインは家庭環境が荒れているので男に依存してしまうタイプなのだが…)
好きな女性が他の男と居るのを見ることで女性を妖精のような汚れないものから性的な「女」として認識した時の嫌悪感、だが女性自身はそんなことを微塵も思っていないことに対するやりきれなさ。しかも自分からは彼女にアプローチできない。なぜなら自分を拒絶された時の心の崩壊が怖いから。そんな自己完結な恋愛を主人公は物語中ずっとヒロインに対して続けている。この女性の捉え方が奥手思春期男子の女性の見方の的を射ていると思った。

ラスト、主人公はある選択をする。また危険な目に合わせてしまうかもという懸念からの選択とも取れる。
ただ私は主人公がヒーローとして生きた経験を通じ自己肯定出来るようになり、コンプレックスから来る相手への執着心が無くなったからではないかと思う。それは相手抜きの自己完結していた恋愛からの卒業であり、一人の男になっていく一歩と感じた。

ヒロ