絞死刑のレビュー・感想・評価
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敗戦から23年も経っているのに
と今なら思うかもしれないが世の中の雰囲気はまだ敗戦、戦争体験から23年しか経っておらずその経験を生々しく誰しもが自分のこととして持っていたのだということにあある意味ぶちのめされる、2024年4月早稲田松竹にて本作が上映されスクリーンで見ることができた幸運というのか、興奮というのか。
ネタバレすると大島渚は国家という見えざるものを可視化し、国家に服従する我々を暴き曝け出してペロリと舌を出している。
このタイミングであるから不謹慎ながら、前半は不適切にもほどがあるドタバタコメディと軽い親父ギャグ的な劇を、一流の役者とさん流の素人が入り混じって面白おかしいのだ。ブラックコメディブラックジョークにぐふふと小さく笑い、名優たちの完璧な演技にひれふし、足立正生らのわきまえた体当たり演技にほくそ笑み、フテほどだなと不謹慎に思い、演劇の舞台のような切り取られた空間での不条理劇がスクリーンの中で展開し、やがて、その世界は壁の外へ飛び出しいよいよ面白おかしく、刑務所の中の死刑執行のための小さな小屋で小松川事件をさかのぼるふうに、日本の植民政策と戦争犯罪を辿り、町に、空がある世界に飛び出しさらに国家の名の下の暴力を辿り、切り取られるフレームは日の丸のバックが突如としてごく当たり前にフレーム内に収まり、戦争、戦争犯罪、植民と占領と暴力、宗教、朝鮮半島、朝鮮戦争、在日朝鮮人、女性差別、儒教的差別、死刑制度、司法、警察の問題、様々に真実を語りながら事なかれ主義に組織の奴隷組織の犬として暮らす自称良識ある日本人な制服を着た人々。死刑執行室で繰り広げられる10人ほどのドタバタ悲喜劇はまさに当時のそして今はさらに酷い日本社会全体のドタバタ群集劇である。
大島渚とその仲間たちはいともたやすく、わずかな、権力は持つが市井の人の姿をもって日本社会を描き、このスクリーンの中のフレーム、窓枠、そして小さな扉を持って、みえないはずの国家を完全に可視化し、力無く戦前も戦後も差別され収奪され搾取され虐殺される人々の歴史的構造的な内面をも可視化する。すごい作品である。
この頃には、世論は死刑反対が過半数で、図らずも制服組でさえ死刑制度には反対と言い、本作のプロットそのものが殺人の結果起こる死刑はまた殺人である、また起こってない犯罪、冤罪による死刑の大いなる可能性その現実を表している。
現実とはなにか。
Rが全編にわたり形而上的にクールに冷静に自らの存在を、現実とは何か、朝鮮人として日本社会に存在することの多面的困難を演じきり美しい小山明子がわかりやすく日本の罪を切り出し民族自決を語り、芸達者な名優たちが自らの矛盾に自らのカッコつかない人生を喜劇化し自嘲していく。
不適切にほどがないほどここまでやりきれて右の人も左のは人も普通の人もみなこのようなことを少なくとも身体的に具体的に若い人は観念的にかもしれないがほぼ誰しもわかる、知ってる、わたくしの事として身に覚えがありわかる事だった、、今はそんな符牒、記号、印としても何もわからない世の中になっておるという絶望感を味わう。
上映中満席になるべき作品だと思う。
国家を超越した存在“R”
しかし、大島渚(監督・脚本)が作り出す世界は、自分の常識のはるか彼方をいくので、初見時には驚くしかない。本作もそうだが、久しぶりに観ると「大島渚という映画作家は、いくつものテーマを盛り込んで映画づくりをする」のが伝わってくる。
本作の場合は、最初は「絞死刑するには心神喪失ではダメで…」などが頭に残ってしまったが、今回は「国家が人殺しを正当と認めているのは“死刑”と“戦争”である。そうした国家に抗議するには、国家を超越する思想の高みから論じる必要があるため、一度は死刑執行されたRという男が死にきれず『Rという身体を持っている人間だが、Rの思想は天に召された』という人間を超越した存在」を生み出した大島渚。
これは凄すぎる。
本作は、「小松川女子高校生殺人事件」という実際の事件を題材にしたそうだが、事件は1958年に起こったとのこと。(自分の生まれる前)
そして、この映画の冒頭では、「あなたは死刑場を見たことがあるか?」というテロップが出て、死刑制度問題や在日朝鮮人問題などを描いている。
そうした社会問題を描いていると思っていると、ブラックユーモアたっぷりの寸劇(のような場面)も描かれる。
ちょっと朝鮮人を小馬鹿にしたような表現が多々あるのは、この映画製作の時代によるものであろうか?
それにしても、大島渚監督は凄すぎる。
<映倫No.15220>
大島渚の映画で一番好きかもしれない
今「戦場のメリークリスマス」をやっているから、大島渚に思いを馳せて。
大島渚の映画を全部見た訳ではありません。見た中で、この映画はとても強烈でした。まず、絞首刑の前、場面、その後が描かれること。そして刑を受けるのが在日朝鮮人であること。重苦しいテーマなのに、刑が失敗することで、いきなりブラックでもあるようなユーモアの世界に入り、てんてこ舞い状態になります。
大島渚映画の常連俳優はこの映画にも勢揃いで皆さん芸達者です。そして監督の妻でやはり常連の小山明子。真っ白なチマチョゴリを着た、この上なく美しい小山明子は語ります。内容は難しい。小山明子もわかってなかったと思います。でも、悪い意味ではありません。それが大島渚の映画の特徴の一つだからです。他の映画でも、とにかく語る。芸達者な男女の役者が、室内で、屋外で、海岸で、複数で、一人で、具体的に抽象的に語る、語る。
すごく不思議な映画だけれど、脳裏に焼き付けられました。他にもありますが、テーマのこともあって、この映画が一番記憶に残っています。1990年代後半あたり、自転車で通ってたミニシアターの大島渚特集で見ました。その映画館もなくなってしまいました。
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