サイドウェイ : 映画評論・批評
2005年2月15日更新
2005年3月5日よりヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズほかにてロードショー
この小ささこそが、アメリカの核でもあるだろう
元アイドルで今はCMくらいしか仕事がない俳優と小説家の卵であるバツイチの教師が、俳優の結婚式を前にワイン農場巡りの旅に出る。独身最後の気ままな時間を楽しもうというわけだ。しかし俳優と教師では性格が全然違う。無垢な悪魔である俳優と、憂鬱な天使である教師。当然悪魔の出来心に天使が巻き込まれ、散々な目に遭う。
といっても悪魔はどこまでも無垢だから、天使としては自ら鬱を脱却するしか生きる道はない。そして悪魔も無垢なまま、自分の居場所を見つけていく。もはや若くはない2人がかろうじて残る若さの名残をそれぞれの形で発酵させ、成熟への道を歩み始めるのである。そんなふたりの成熟への過程をワイン作りに喩えて物語は語られる。小さな小さな心温まる物語なのだが、これがアカデミー作品賞ノミネートと聞くと、少し驚く。
だがこの小ささこそが、アメリカの核でもあるだろう。37代大統領リチャード・ニクソンが「サイレント・マジョリティ」と名付けた名もなき多数のアメリカ人たちのエッセンスが、この映画には詰まっている。声なき大衆はブドウの一粒一粒である。尊大で傲慢でその一方で自由の象徴であるアメリカ合衆国は、無垢で憂鬱な悪魔と天使の混合体によって作られている。誰がその深い味わいを知るのか? この映画はそんな問いかけを、合衆国にしているようにも思える。
(樋口泰人)