レッツ・ロック・アゲイン! : 特集
A Young Person's Guide to ROCK'N ROLL MOVIES
(樋口泰人)
10年ほど続いたスクリーンの向こう側の生活からステージへと、復活したキング・エルビスのステージをとらえた「エルヴィス・オン・ステージ」がリバイバル公開された04年。エルビスのデビューからちょうど60年が経ち、若者たちの音楽であったロックンロールも十分に大人になった。そのためなのか、ロックを題材にした映画もまた、かつてのようにライブ映像をメインにしたものばかりでなく、インタビューを中心にすえてバンドの軌跡を振り返るドキュメンタリーや、自らの歌を映像化したフィクション、あるいは、ロックンロールが生まれたさらにその先のルーツを見つめようとする考古学的視線を持つものなど、さまざまなパターンの映画が作られ始めた。
この夏から来年にかけて、多くの音楽映画が公開され始めている。「フェスティバル・エクスプレス」「END OF THE CENTURY」「レッツ・ロック・アゲイン!」「グリーンデイル」「THE BLUES Movie Project」といった作品群がそれぞれどのパターンに当てはまるかは一目瞭然だが、そのどれもに共通して言えるのは、「ロックの成熟」ということだ。言葉にならない音楽の熱や力をいかに語るかが、あるいは、音楽の持つ力がいかに世界を変えるかといった、音楽を単に音楽としてだけではなくその広がり全体としてとらえようという意思が、それらの映画には見られるのだ。逆に言えば、それらの広がりこそが音楽を作り出しているという認識が、その前提にある。つまり、60年を経たロックの歴史とともにロックを語り、そのことによってさらにその歴史を未来へと繋ごうという意思が、そこには見られるように思う。
例えば、既にメンバーの3人がこの世を去ったラモーンズのメンバーへのインタビュー(彼らがまだ生きていた時代の記録映像)によって構成される「END OF THE CENTURY」が描くバンド内の確執や権力闘争は、いわゆる荒くれたロック・バンドの典型的な物語でもある。だがその典型的な物語が、バンドのリーダーでもあったジョニー・ラモーンによって語られる「誰がドラマーになってもラモーンズの音は変わらない」という言葉とリンクするとき、ラモーンズの目指していた音楽の核が、突如そこに姿を現す。つまり、徹底して典型的なロック・バンドとなり誰がやっても変わらない音を作ることこそが、ラモーンズのオリジナルであることが。そのことによって、私たちは一気に、ラモーンズの音の世界を駆け抜けることになる。
あるいは、ニール・ヤングが監督した「グリーンデイル」では、全編、ニール・ヤングの曲だけが流れ、俳優たちはその歌に合わせて口を動かすだけだ。そこに登場するすべての人がニール・ヤングの代理となって、音楽の持つメッセージを私たちに伝えようとしているようでもある。だが、物語が進むうちに、彼らは同じように歌に合わせて口を動かしているだけなのにもかかわらず、その歌は彼ら自身が歌う歌であり言葉であるように見えてくるのである。何かが引き継がれていくというのはどういうことかが、そこではっきりと示されるのだ。そのためには何よりもまず、ニール・ヤングではない肉体が必要だった。その映像とともに歌が歌われることの意味を、ニール・ヤングは強く確信しているはずだ。ロックの成熟とは、このような個体を超えた感覚とともに現れるのではないか。だからこそ、映像や言葉といった「音」ではない要素が、今、求められているのだと思う。