ロード・トゥ・パーディション : 特集
撮影監督がオモシロイ!
コンラッド・ホール以外にも名カメラマンはいっぱい。とても全員は紹介できないので、現役で活躍するカメラマンの中から6人の注目人物をピックアップ。ホールと同時代から活躍する大御所から、90年代に活動開始したカメラマンまでざっくりチェックだ。
パート2:当代の名撮影監督をチェック!
【大御所系】
■ビットリオ・ストラーロ
Vittorio Straro
昨年、「特別完全版」が劇場公開されて話題を集めた「地獄の黙示録」を撮影したストラーロは、40年、イタリアのローマ生まれ。アルフォンソ・アラウ監督の「Zapata」(02)、ポール・シュレーダー監督が「エクソシスト」以前を描く「Exorcist Prequel」(03)と新作が続く。
11歳でカメラを持ち、国立映画学校で創立以来の才能を評され、撮影監督になってすぐにベルナルド・ベルトルッチ監督の「暗殺の森」(70)、「ラストタンゴ・イン・パリ」(73)などで注目を集め、フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(79)でハリウッド映画に進出。本作とウォーレン・ビーティ監督「レッズ」(81)、ベルトルッチの「ラストエンペラー」(87)で3度のオスカー撮影賞に輝いた。
「地獄の黙示録/特別完全版」で嬉しかったのは、フィルムの色彩が復元できたことだと言う。
「色彩はフィルムのパワーの一部だからね。フィルムの色彩が失われていくのは本当に悲しい。この作品では、すべてのシーンを日没の中に影像化しようと試みた。ひとつの時代の終わりを象徴として。登場人物はみなディナーをしながらしゃべっていて、その間に太陽が沈んでいく。そして闇がやってくる。と、そこは煉獄だ」
<代表作>
「ラストタンゴ・イン・パリ」(73)
「地獄の黙示録」(79)
「ラストエンペラー」(87)
■ミヒャエル・バルハウス
Michal Ballhaus
マーティン・スコセッシ監督の正月映画「ギャング・オブ・ニューヨーク」で撮影を担当するバルハウスは、35年、ドイツのベルリン生まれのベテラン。舞台写真家、TVカメラマンを経て映画に進出、「マリア・ブラウンの結婚」などの名匠ライナー・ベルナー・ファスビンダー監督作を15本撮影、ジョン・セイルズの「ベイビー・イッツ・ユー」(83)でハリウッドに進出。公開は87年だが84年に撮影された「最後の誘惑」以来、スコセッシ監督の盟友に。ロバート・レッドフォード監督とは「クイズ・ショウ」(94)、「バガー・ヴァンスの伝説」(00)で組む。
「重要なのは撮影開始前の準備だ。シーンごとの俳優の動き、照明、カメラの配置と動き、すべてプランして、テストして、自分がほんとうに欲しいショットを決めておく。何種類も撮影して編集室で使うカットを決めるカメラマンもいるが、僕は必要なものだけ撮る。大切なのは、映画全体のリズムなんだ。カメラをあちこちに動かしすぎると、そのリズムを律することができなくなる」
<代表作>
「マリア・ブラウンの結婚」(79)
「恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」(89)
「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」(93)
■ロビー・ミューラー
Robby Muller
80年代マンチェスターの若者たちを描いて「トレインスポッティング」のアービン・ウェルシュも大絶賛の「24アワー・パーティ・ピープル」が来春日本公開予定。
ミューラーが、ずっと仕事を続ける3人の監督は個性の強い作風の持ち主たち。まずビム・ベンダースとは助監督時代に出会い70年代から「都会のアリス」(73)、「さすらい」(75)や「パリ、テキサス」(84)などを撮影、80年代はジム・ジャームッシュ監督と出会い「ダウン・バイ・ロー」(86)から「デッドマン」(95)、「ゴースト・ドッグ」(99)とつき合い、90年代にはラース・フォン・トリアー監督と出会って「奇跡の海」(96)、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(00)を撮影した。三者三様の作風だが、3人並べるとミューラーの個性が見えてきそうだ。
生まれは40年、オランダだがインドネシア育ち。オランダに帰国してフィルム学校を卒業、ドイツに渡って初めてカメラマン助手を務めた作品でベンダースと出会う。
「映画で重要なのはストーリーだ。最悪なカメラマンでもいいストーリーは壊せないし、優秀なカメラマンでもダメなストーリーは救えない」
「もっとモノクロ映画があってもいいと思う。色彩には、不必要な情報が大量にありすぎるから」
<代表作>
「都会のアリス」(73)
「ダウン・バイ・ロー」(86)
「奇跡の海」(96)