NANA : 特集
女子高生はもちろん、一部では大人の男性にも人気が波及し、メジャーアーティストが集ってトリビュートアルバムを発売するなど、話題がつきないベストセラー少女コミック「NANA」がいよいよ映画化される。それを受けてか、敬遠されがちだった少女漫画の映画化企画も続々登場。何故これまで少女漫画は映画化されにくかったのか? そしてこれから映画化される作品はどうなのか? そんな少女漫画の映画化事情を紐解いてみた。
少女漫画の映画化事情
文・構成:赤尾美香
当たり前のことだけれど、少女漫画には絵がついている。この当たり前のことが、映画化を阻んで来たと考えるのは、いささか乱暴だろうか。少女漫画のファンは、そのストーリーや登場人物のキャラに共感するのはもちろん、描かれた容姿も重要なポイントにしている。時にそれは「絵が好き」というレベルを超え、漫画の中の登場人物があたかも実際に存在しているかのような惚れ込み方にもなるから、ちょっと怖い。けれど、実写で映画化されるにあたっては生身の俳優が演じないことには始まらない。そこで、ファンは一喜一憂することになるのだが、テレビ・ドラマ化された数多の少女漫画原作モノを例に挙げるまでもなく、大抵の場合は「憂」の方が勝る。そして「喜」に至る壁は、世の中に浸透した作品になればなるほど、高く厚くなっていく。大ヒットしている作品を映画化したのに、読者を失望させたり、反感を抱かせたりしては、何の意味もなかろう。だから、そうやすやすとは手を出せないのが少女漫画だった。
もちろん、そればかりが少女漫画が映画になりにくい理由ではないはずだ。そもそも少年漫画を読む女性は多くいても、少女漫画を好んで読む男性は少ない。そして、少年が青年を経て男性となっても少年漫画を読み続ける割合に比べたら、少女が女性となって少女漫画を読み続ける割合は圧倒的に低い。少女漫画を読む「大人」自体が少ないなんて、映画化以前の問題だ。少女漫画を読みもせず、知りもせずでは、映画化しようたってできるわけがない。また、背景に薔薇の花を背負っているからとか、目の中に星があるからとか、ご都合主義のハッピーエンドだとか、まぁ、ひとことで言ってしまえば、リアリティに欠けるという理由で映画にならない、と考えられていたフシもある。
が、こうした状況は変わりつつある。近年、少女漫画の世界でも、リアリティを重んじる作家は増え、その傾向は王道路線にもサブカル(カルト)路線にも共通している。テーマにも幅が出てきたし、大人の読者を納得させるだけのクオリティを持った作品もどんどん増えているし、そうした作品が過去の作品を見直すきっかけも与えてくれる。2000年代に入って、少女漫画の映画化が相次いでいるのも、この状況変化と無縁ではなかろう。大島弓子の「金髪の草原」(00)、魚喃キリコの「blue」(01)、矢沢あいの「下弦の月」(04)、ジョージ朝倉の「恋文日和」(04)。そして、話題の「NANA」(05)がこれらに続く。
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