ミスティック・リバーのレビュー・感想・評価
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後悔先に立たず
誰かの選択肢が違っていたらこんな結末にはならなかったのかもね。
特にデイブの妻。夫に対する不信感をよりによってジミーに話すかよ。その後に何が起こるかなんて容易に想像できるだろうに。
それと警察。通報テープをもっと早く聞いてればな。
ショーンにデイブの事を聞かれて『25年前に……』と車を見送ってジミーが歩いて去っていくシーンだけど、あそこで終わっておけば良かったのに。
正直パレードのくだりはいらなかったと思う。っていうかジミーが妻の慰めで開き直ってる感じなのが腹立つ。
それとショーンの妻だけど、あの人必要だったかな?無言電話の意味もわからなかったし。謝罪するまで喋らないよってやつ?
ラストは三者三様の夫婦の姿を写したかったとかかな?
それとジミー妻の慰めの長台詞。イラク誤爆の正当化の意図があるとか聞いたけど、そういう情報があると見方がまた違ってくるよな。正直聞かなきゃ良かった。
永久保存版🙆♂️
クリント・イーストウッド監督の代表作の1つ。脚本も素晴らしいが、俳優陣の演技がとにかく素晴らしい。最初のシーンから完全に引き込まれた。バラバラの点が、徐々に繋がり一本の線となり、ラストに向かって急激に加速して行く感じが最高だ。重厚な感じも良い。間違いなく歴史的名作の1つに挙げられる作品だ。
タイトルが「?」
冒頭、11歳の幼なじみの少年3人がホッケーで遊んでいるのだが、ボールを下水口に落としてしまう。慌てて手を入れて取ろうとするんだけど、ダメー、危ない、ペニーワイズに噛みちぎられちゃうよー😱とまず思ってしまった😬映画違うし💦
3人で悪戯していた時にニセ警官に注意され、デイブだけが連れ去られ、暴行を受ける。何故自分だったのか、その過去を引きずり、35年後に同じ様に少年に悪戯をしている男に逆上して殺してしまう。偶然同じ日に幼なじみジミーの娘が殺される事件が起きて、、、。
デイブの奥さんは血を流して帰って来たベイブを疑い、ジミーに「あなたの娘を殺したのはデイブかも」と打ち明けるが、ジミーの過去の仕事や犯罪歴を知っているのに、そんなことを言ったら夫が危ないとは思わなかったのか?
予想通りにジミーはデイブを問い詰め、デイブが否定しても信じず、殺してしまう。
デイブはなんて気の毒なんだろう。11歳で辛い体験をして、トラウマを抱え続け、奥さんに信じてもらえず、友達にも信じてもらえず殺されて。
ジミーの奥さんの言葉も理解しかねる。おそらくデイブを殺したのではと知りながら、「あなたはこの街の王様。私や娘を愛していて優しい」優しい人間が人を殺すか?過去にも人を殺している。自分達に優しければ、他人に対してどうであろうと関係ないということか?うーん😔
最後が街のパレードで終わる。妙に平和な雰囲気で終わるのがしっくり来ない。何故ジミーが逮捕されない?デイブを殺したと、もう1人の幼なじみの刑事もわかっているのに。
所々で川が映る。デイブも殺されて川に捨てられるのだけどタイトルに使われる程、重要に思えなかった。原作ではもっと何か関わりがあるのかな?
デイブが殺されるまでは面白かったけど、ラストに向かって一気に下がった。個人的な感想ですが。
観た後で思い出した。映画館に観に行ったんだ、忘れていた😅
難解でした…
ストーリーだけを追って評価出来るような単純な映画ではないような気がしました。多分、文化や宗教的な背景、アメリカに根付く社会的な問題…等々を理解していないと分からないことが多いんじゃないかな。
大きなクライマックスもなくセリフや俳優人の表情で暗喩的に語らせる。イーストウッドの作品、豪華俳優人。当時、映画館で観たときは、それだけで無条件にいい映画だなーなんて思っていたような気がするけど、いま改めて観ると、録画したものを何度も行ったりきたりしながら、理解しようとしたけど、まあ単純に語れる作品ではないですよ。
イーストウッドの作品はつい深読みしたくなる。
だけど、当時のチラシにあったもうひとつのスタンドバイミーはちょっと違う気がしますよ。
タイトルなし
デニス・ルへイン の同名小説を
クリント・イーストウッド が映画化
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1つの殺人事件を通して
四半世紀ぶりに再会した幼なじみの3人
消せない過去・嘘・疑い
やるせなさが残る結末ですが
何度でも観てしまいます
.
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アカデミー賞ノミネート作品
ショーン・ペン 主演男優賞受賞
ティム・ロビンス 助演男優賞受賞
救いがないと思った
観終わって、デイブ夫婦可愛そうだなと感じ、悲しいラストだと思った。
子供の時のトラウマを引きずって生きるデイブが死ではない方法で、救いのある展開があったらなと思った。
セレステは夫が犯人なのではないかと疑い、結果として信じることができず後悔するという役だけど、演者がちょっとイマイチだった。
子供の頃の幸せと
まだコロナウイルスがおさまらない平日の昼間
どこかの家犬か朝から延々と吠え続けるそんな時に観る映画なのかも
出だしからドンよりと湿っぽく暗い感じで、それは終わることがなかった
1人は表の世界へ 1人は裏の世界へ
もう1人は闇の世界へ
私の妻は度々後ろ向きに生きているのかと思う時があります
不安でたまらずいろいろ悩み石橋を叩いてもなおかつその橋を渡らない、そして後ろを振り返っては後悔をする難儀な性格なのだ
どれだけ考えても答えは出ずどうしたら良いかも分からなければサイの目で決めてしまうのも一つの手じゃないかな
考えることは悪くないし何も考えないのはむしろ良くない、だからといって考えすぎるのはどうだろう
どうにもめんどくさく身動きが取れないしね
たとえどんなに後悔しても僅か1秒でも戻ることは不可能なのだから考えるなら今から先をどうするかが重要だとそう思うんです
有り余る怒りが滾った時はどうすればいいのだろう
それが正しいと誰が言えるのだろう
表と裏と闇にはそれぞれに向かう方向があって交わる部分よりもそうでないことの方が多いだろう
子供の時はそんなもの何も関係なしにただただ楽しく遊んでいたのに歳を重ねただけで何が変わっていくのか
学んで経験すればするほど悩みが増えるのかな
あぁ、まだ犬が吠え続けてる
幼馴染の数奇な運命
小児性犯罪事件や少年の犯罪など病的な米国のリアルをモチーフにした社会派サスペンス。少年時代に受けた暴行に苛まされ一生引きずるPTSD、幼馴染の数奇な運命・・。
後の「チェンジリング」や「グラントリノ」にも通じる青少年の絡む犯罪へのクリント・イーストウッドの強い憎悪、問題意識が伺える。
ただ映画としては捜査も進まずひたすら陰鬱、所詮アメリカの闇なのだからと興醒めしかかるし観ているのが苦痛だった。
さすがオスカー監督でした。
少女惨殺事件を背景に、少女の父親、捜査する刑事、彼等の幼馴染の男性が繰り広げる群像劇。
クリントイーストウッドが監督を務める秀作です。サスペンスとしても、人間ドラマとしても評価できる作品でした。
「娘を失った父親」、「恋人を失った少年」、「過去のトラウマから抜け出せず苦しむ男性」、そして「彼等の家族」。彼等の怒り、悲嘆、苦しみと愛情。それらの感情を、映画全体から感じることが出来ました。
サスペンスとしても秀でていると感じました。無理なトリックや設定はなく、でも意外性もあり、そして悲しい結末。
正直、私はクリントイーストウッドは俳優としては余り好きな俳優ではなかったので、監督作品も避けていたように思います。
ただ、この作品はもちろん、「15時17分、パリ行き」等を鑑賞すると「流石オスカー監督」だと感じざるを得ませんでした。
救いのない世界
少年時代のある経験から疎遠となった3人の人間の悲しい物語。
その経験がそれぞれの人生に影を落とし数十年の経験がその性格と行動に影響をあたえる。
ある悲劇を切っ掛けに、ボタンのかけ違いがなければ、起こらなかった悲劇。
ひとりは刑事として犯人を追い。
ひとりは被害者の肉親として犯人を捜す。
ひとりは被害者の最後の目撃者として(また少年時代のトラウマによる)罪の意識に悩まされる。
神の視点にいる私たちはは本当にじれったく感じてしまう。
といった、イーストウッドの映画に共通の「退屈な」「黙示的な」映画です。私は好きですが。
BS12字幕版鑑賞。 イーストウッド得意の後味悪い系ということで大...
BS12字幕版鑑賞。
イーストウッド得意の後味悪い系ということで大いに期待した…が、これは私には今一つだった。
これはないわ、の嵐。
・信じたれよ、嫁!しかも絶対言ってはならない相手に言う?
・ジミー、お前もちょっと考えたら、デイブの話が信じられるのわかるやろ。
・ショーンの無言電話はなんなん、最後に顔出しされても何の感慨もなし。
・犯人分かってもこれまた何の驚きもなし。
これは、後味悪いというより理不尽に過ぎる。エンディングもそう。ショーン、アホなポーズ決めるより捕まえんかい!
ことに進展も遅いので中盤はほんと寝そうになりました
引き込まれるペンさんの演技
再鑑賞。キャストの演技が素晴らしい作品。ジミーの娘が殺害された事は気の毒ですが、警官ショーンの「〜へも..」の一言から推測すると巡り巡って自然に報いを受けるかたちになってしまったんだと思います。そうするとやはりデイブ1人が不憫に思うのです。また将来巡り巡って今度はジミーの次女がなんてこともあるかもしれませんね。そしてジミーの奥さんは1番恐ろしい本当のボスだな。口の聞けない弟レイが父親と同じ名前で少々ややこしいです。
救いのない話しで現実的だった。 終盤ジミー手下のバルとニックが大人...
救いのない話しで現実的だった。
終盤ジミー手下のバルとニックが大人デイヴに酒を誘う場面。車に乗り込み助手席の男が振り返るのは冒頭シーンの子供デイヴが車に乗り込み助手席の男が振り返るシーンと被ってる。
これは死んだな、とすぐ思った。
妻役のマーシャゲイハーディンの疑惑・怯え・嘘・後悔、ブレンダン役のトムグイリーの怒り・暴力の演技がリアルだった。
この腐った世界を告発する残酷な映画
クリントイーストウッドはグラントリノがまったく自分に合わず、苦手で食わず嫌いをしていた監督。
彼は愛国者でありリベラルな思想の持ち主との評判である。
映画をみるものとしても避けては通れない監督でもあり、見る必要があった。
そしてミスティックリバーである。
評判は良いが前情報はトレーラーのみで挑んだ。キャッチコピーは大人のスタンドバイミー。
さて、確かにいままで見たこともない映画を見せてくれるがなんともどういった感想を抱くのが正解なのか、非常に悩む映画体験となった。
これが自由の国、民主主義の国、キリスト教の国、銃の国、白人の国、犯罪大国アメリカ。
親友の3人組のうち偶然に1人が不幸にも性犯罪の犠牲者となり、他の2人も簡単に割り切れるものでもなく、それぞれ深いトラウマを背負うことになる。
事件をきっかけに3人の人生はもう交わることなく、トラウマを乗り越える機会を失った。
事件はそれぞれの生き方へ影響し、犠牲者は魂のないゾンビ、1人は犯罪の世界で生き、1人は町を離れ警察官となった。
過去の友人の肉親の死は、内在していた相互の感情を強く揺さぶりトラウマを再度眼前に呼び覚ます。
「もし自分が犠牲者だったなら」「もし自分でないものが犠牲者だったなら」、言いようのない感情が親友であったはずの友人への疑心暗鬼となる。
それぞれの生き方が不幸にも事件をきっかけに折り重なり、癒せなかったトラウマを強く呼び覚まし、過去の犠牲者の友人による殺害で幕を閉じる。
逃げられない「もし自分が犠牲者だったなら」「なぜ親友が犠牲者であったのか」という自責の混じった強迫的反芻により、人生を生きることができない友人2人の、河の底に流れていた「もし犠牲となった友人が死んでいたら」という悪魔的妄想がついに表出し、ある意味2人の共犯関係によって殺害されてしまう。友人の1人、しかも事件の被害者は殺そうとしている友人の前で、最後に「青春をみたから」と言った。それは残されることになる2人にも共通の妄想であったことだろう。
友人がさらわれた通りで残った2人が清々しい表情をして人生を歩み始める描写は、3人の救いようのない無意識なレベルまで到達する深く根ざした心的トラウマが、犠牲者が「最初からいなかったことにした」ことでしか癒されないものであったのだろう。
それぞれの妻の役割と男の関係も残酷である。
犠牲者は復讐の悪魔となり、妻に裏切られ悪魔に売られ、殺害者は悪魔である妻に許される。
警察官の妻ははたして悪魔かマリアか。
警察官は自らの生き方を選び「共犯者」を捕まえるのか。それとも悪魔の道を行くのか。自ら妻に謝った意味、口を聞かなかった妻が戻った意味は果たして。
この複雑な世界において犯罪者は犠牲者であり犠牲者は犯罪者である。
人が人を裁くとは本質的に悪魔的行為であるのか。
ただ遊んでいただけの子供たちの人生を、犯罪しかもそれが教会によると作中示唆させるほどの残酷さにより、修正不可能なまでに破壊させた、なんとも言い表せない社会の不条理、やるせなさ、切なさ、腐った世界。その子供たちは大人になったら悪魔であった。
最後のシーンでは警察官の生まれたばかりの子供だけが白く輝いていて希望を示唆する。
なんとも残酷な設定でこの腐った世界に生きる大人たちへの告発に満ちた映画である。
人生の残酷さ
逆らうことのできない運命という河に流されて、必死にもがきながらある者はトラウマから抜け出せず、ある者は罪を犯し、ある者には光が差す。その運命の分かれ道が、ごくありふれた少年たちの悪ふざけから生じたものであることが悲しい。
その悲しみの符号が、犯人の指輪にあり、ジミーの背中にあった十字架なのでしょうか。
しかし私たちは同じように抗いがたい運命の河に流されながら生きている。
目の前に突きつけられる人生の不条理と悲哀が胸に刺さる素晴らしい作品。
自分には釈然としない内容
アメリカでは、各登場人物の行動に一定の理解が出来る人が多いのだろう。理解があれば悲劇として観られる。教訓にもなる。
しかし自分からみると、偏見の塊のような連中が馬鹿な行動を重ねて酷い結末に帰結しただけに見える。
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