ミスティック・リバーのレビュー・感想・評価
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重くて良い、、
ずっと気になっていたが中々見る機会がなかったやつ。
結構重くて悲しい、、
娘を亡くす親の話とか、私は絶対泣いてしまう。
ショーン・ペンの演技が良い。こういう役ハマる。ショーン・ペンには毎回泣かされてるかも。
割と自業自得な話ではある。
ティム・ロビンスはずっと可哀想な人生。
なんで自分が殺したって言ってしまったのか、、。
ショーン・ペンからしても意味わからないだろうな。
警察役のケビン・ベーコン良かった。
ティム・ロビンスが死んだこと勘づいているけど、そういうことよりやっぱり自分(妻)のことが大事なのか。
2人にとってもいい思い出じゃ無かったから、死んでくれてちょっとは荷が降りた感じなのかなぁ。
大人になってからの3人の関係性もそこそこ良かった。
ショーン・ペンの奥さん強い、、!かっこいい。
殺された女の子の彼氏はとことん可哀想。まさか弟が、、。
私は結構好きな映画。見応えがあった。
試験勉強で1ヶ月以上映画見れなかったからか??
全ての謎と罪を川が呑み込んでいく…
今から20年の前に、ベストセラー小説を名優クイント・イーストウッドがメガホンを撮り、映画化したミステリ―・サスペンスの名作。少年時代にある事件に巻き込まれた幼馴染の3人の男達。その男達の運命が、25年後に起きた少女殺人事件によって再び交錯し、翻弄されていく物語。巧みなミスリードによって、最後まで飽きさせない展開は、流石にイーストウッドの作品と言える。
そして、本作の面白さと価値は、やはり名優たちの共演にもある。ジミー、ショーン、デイブの3人の幼馴染には、ショーン・ペン、ケビン・ベーコン、そしてティム・ロビンソンという名優達が、それぞれに異なった立ち位置で、個性ある役柄を凄味のある演技でみせている。特に、ショーン・ペンは娘を殺された父のジミーを、鬼気迫る演技でアカデミー主演男優賞にも輝き、ティム・ロビンソンも少年時代のトラウマに囚われた哀れな男・デイブを演じ、助演男優賞を受賞している。それだけでも本作の高い評価が垣間見れる。
また、ショーンの先輩刑事には、こうしたサスペンスでは名脇役を務めるローレンス・フィッシュバーンが、堅物な刑事役を演じ、デイブの妻には、こちらもミステリ―には欠かせないマーシャ・ゲイ・ハーゲンが演じている。そんな豪華な顔ぶれが、それぞれに個性が光る演技で、ミステリ―の世界観を高めている。。
少年時代、幼馴染の3人が遊んでいる所に、警察を名乗る見知らぬ男が現れ、その内の1人のデイブが連れ去られ、誘拐監禁される事件が起きる。何とか逃げ出したデイブだったが、その事件を契機に、3人の中は疎遠となり、25年の年月が経過する。そして再び事件は起こる。ジミーの娘・ケイティが惨殺死体で発見された。警官になったショーンは、先輩刑事と共に事件の捜査に関わる中で、犯人としてデイブへの容疑が高まっていく。三人の幼馴染が、被害者の遺族・刑事、容疑者となって、それぞれの思いや恨みが複雑に絡み合って物語は展開していく。
そして、最後に真実にたどり着いた時、それはあまりにもイヤミスな結末を迎えることになる。あの2時間の差が、交互に映し出されるシーンは、何とも言えない悲哀と愚かさを感じた。エンドロール前のパレードのシーンで、タイトルの『ミスティック・リバー』の本当の意味も。複雑な思い共にスッと落ちてくる。全ての謎と罪は、大河の中へと呑み込まれていったのだった。
男の世界
少年の頃のトラウマを抱えた彼の言動は、妻から見てもおかしかった。
自分の言動を本人すら理解できていなかったから、妻にも説明出来なかった。
娘を殺害され、犯人逮捕を待つよりも、自分で復讐する彼は、『アイ・アム・サム』で知的障害者を演じたショーン・ペン。今作のキャラクターは、ちょい悪オヤジで格好良い。
警察になった彼は、慎重に犯人を見つけようとする。友人同士の間にあった何かを深堀りしないところが今作の良いポイント。
3人それぞれの妻も、つい比較して観てしまう。
後味の悪さが好みの分かれそうな映画
少年時代の旧友である3人を中心に、ほとんどの登場人物が地元の人間という、狭い世界でストーリーが展開していく。登場人物は被害者の父親の友人であったり、かつての共犯者の息子であったりと、顔見知りばかり。そのため互いの人となりを知っている。だからこそ刑事も彼らに疑いの目を向けやすい。そして視聴者は登場人物の人間関係を知った上で、誰が真犯人なのか、先の展開が気になる構成になっているのが秀逸。
しかし真相は意外とあっけなく、後味の悪さが残るのが、好みの分かれそうな映画。
見応えはあったが
終わってみれば変な映画だった。 うまくいかなかった脚本を無理やり名作劇場 風に仕上げたみたいな。終わってみれば ネタもまたありきたりだったし。実は町のボスでしたってか・・はぁ~とため息が出るな・・イーストウッドの中途半端な名作劇場はもう見んでいい。
キャスト3人が素晴らしい
事前情報全くなしで観始めたら、ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコン、ローレンス・フィッシュバーンまで何と豪華な!と思ったら監督がクリント・イーストウッド、とっても贅沢な作品でした
それだけあって、最初からラストまで全然中だるみもなく、クライマックスは緊張感がいっぱいでした
ストーリーは流れが悪い方にしかいかず、ハッピーな人が誰もいないというあのラストは後味が悪すぎました
全てがハッピーエンドじゃなくても、いつも救いのあるイーストウッド作品が今作では全くの救いなし
でもそれぞれの俳優さん達の演技が素晴らしかったので、あんな後味の悪いラストでも観て良かったと思えました
その川は全てを隠してしまう。過去も、罪も、命でさえも…。 俳優陣のアンサンブルに震える極上のサスペンス✝️
ミスティック川沿いの近郊都市で起きた殺人事件を契機に、疎遠になっていた幼なじみ3人の運命が交わり合う様を描いたミステリー。
監督/製作/音楽は『ダーティーハリー』シリーズや『パーフェクト ワールド』の、巨匠クリント・イーストウッド。
雑貨屋の主人、ジミー・マーカムを演じるのは『ゲーム』『I am Sam アイ・アム・サム』の、名優ショーン・ペン。本作でオスカーを獲得!
心に傷を負う男、デイヴ・ボイルを演じるのは『トップガン』『ショーシャンクの空に』の、レジェンド俳優ティム・ロビンス。本作でオスカーを獲得!
殺人事件を捜査する刑事、ショーン・ディバインを演じるのは『アポロ13』『インビジブル』の、名優ケヴィン・ベーコン。
ショーンの相棒である刑事、ホワイティ・パワーズを演じるのは『地獄の黙示録』『マトリックス』シリーズの、名優ローレンス・フィッシュバーン。
👑受賞歴👑
第76回 アカデミー賞…主演男優賞/助演男優賞!✨
第61回 ゴールデングローブ賞…主演男優賞(ドラマ部門)/助演男優賞!✨
第9回 放送映画批評家協会賞…主演男優賞/助演男優賞!✨
第29回 セザール賞…外国映画賞!
第47回 ブルーリボン賞…外国映画賞!
うぉ…!お、面白えぇぇ…。
クリント・イーストウッドが名監督であることはもちろん知っていたが、ここまで凄い本格派ミステリーを撮ることが出来るのか…。
しかも本作では音楽まで手掛けてるって、この人マジでなんなんだ。映画の神に愛されすぎている。
これまでイーストウッド作品では『パーフェクト ワールド』(1993)が一番だと思っていたけど、この作品はそれを上回るかも。いやとにかく凄いもん見させていただきました👏
派手なCGやエフェクトは一切無し。ある殺人事件の顛末を被害者遺族、容疑者、刑事という三者三様の立場から描き出す。
シンプルな映画ではあるのだが、この3人が幼なじみであり、幼少期の痛ましい事件がその友情を引き裂いたということが冒頭で提示されているので、とにかく興味の持続力が落ちない。この物語がどういう方向へ向かうのか、そしてどう着地するのかが気になりすぎて一分一秒も退屈している暇が無かった。
陳腐な虚仮威しや中身のないアクションで茶を濁すことなく、一つ一つ丁寧に人物描写を積み上げていく。それが生み出す圧倒的なリアリティが強靭な骨子となってこの物語を支えている。
無骨であり流麗。寡黙にして雄弁。一で十を語るかのような豊かさを持つ、まさにこれこそジ・映画!こういうのが観たかった♪
本作の登場人物には赤い血が確かに通っている。人物描写の細やかさもさることながら、俳優陣の熱演が本作のリアリティを格段に高めていた。
ショーン・ペン/ティム・ロビンス/ケヴィン・ベーコンというハリウッドきっての演技派である大物3人がグイグイ物語を引っ張っていく。この3人は年齢が近く、技量も拮抗している。同レベルの俳優が集うことで生まれるグルーヴ感が映画に満ちており、各人の持つ本来の力が増幅されたかのような迫力が演技に込められていた。
押しの演技で攻めるショーンを引きの演技で受けるティム。オスカーを獲得したことからも分かる通り、やはりこの2人の演技は目立つ。特に今回のショーン・ペンは鬼気迫るというか、こんなに上手い役者だったのかと改めて思い知らされた。顔ではなく肩。肩の演技で自分がヤクザ者であることを観客に分からせる。こんな演技普通出来ん。凄すぎる…😨
ただ、個人的にMVPはケヴィン・ベーコンに与えたい。
今回のベーコンは他の2人と比べるとどうしても目立たないポジションの役を演じている。そのため印象には残りづらいものの、職人的とも言える堅実な演技で主軸となる2人をしっかりとサポートしていた。
ショーンをガンガン攻めるストライカー、ティムをガッシリとゴールを守るキーパーと例えるのなら、ベーコンは他の役者を活かすためにボールを送るパサーと言ったところだろうか。地味な役回りだが、彼がいたからこそこの映画の役者陣のアンサンブルは生み出されていたのだと思う。
早撮りで有名なイーストウッド。この映画でも1テイク主義は健在だったようで、それが生み出す緊張感もまた役者の力を120%引き出すことに一役買っていたのだろう。
面白いのは、演技上でのアクシデントをそのまま映画内に組み込んでしまっていること。
例えば安置所でのショーンとベーコンのやり取り。過去を掘り起こされたことに激昂したショーンがテーブルを叩き、その拍子にベーコンが手元のコーヒーをこぼしてしまうというシーンがあるがここは意図した演出ではない。ベーコンは本当にコーヒーをこぼしてしまったのである。しかし、このシーンがあることでベーコンの動揺が観客にも伝わってきたし、この2人の関係性のようなものも浮き彫りになっていたように思う。
ポーチでタバコを吸うティムとショーンのシーンにもアクシデントがある。
タバコに火をつけようとするティムは、背後からのショーンの声かけに驚きマッチで指先を焼いてしまう。ここも実はミス。火を確実につけるためマッチを3本同時に擦ったことで起こったアクシデントだったのだが、これもまたティムの常に何かに怯えているかのような性格を表わしているかのように観客の目には映る。
事程左様に、本作にはイーストウッドの1テイク主義が生んだ怪我の功名が散見される。この役者のナマの姿がキャラクターたちの血肉となっており、ひいてはそれがこの映画の持つ圧倒的な説得力に繋がっているのである。
物語自体はシンプルなのだが、この映画が一筋縄でいかないのは表層的ではない部分に数多くのテーマやメタファーが隠されているから。描かれたディテールをひとつひとつ考えていったら頭がパンクしそうになるくらい、数多くの含みがこの映画には仕込まれている。正直言って全然読み解くことができなかったので、プロの批評家が書いたこの映画のしっかりとした論文を読んでみたい。
ただ、この映画が宗教的な要素を多分に含んでいるというのはなんとなく分かる。
まず気になるのは冒頭、誘拐犯の1人の指に十字架の指輪が嵌っているということ。
カトリック司祭による児童への性的虐待をボストン・グローブ紙がすっぱ抜いたのが2002年。この一連の出来事は『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)というタイトルで映画化もされている。
この記事が掲載されたのは2002年の初頭。本作の撮影時期が2002年の9〜11月、場所はボストンであったことを考えると、この誘拐犯はカトリック協会のメタファーとして描かれていると考えてまず間違いないだろう。
そしてこの映画のクライマックス。
服を脱いだジミーの背中に彫られていたのは大きな十字架。この映画は十字架で始まり十字架で終わるのである。
DVD特典のオーディオコメンタリーでも触れられていたが、ジミーと妻のやり取りはおそらく「マクベス」からのリファレンス。この場面は、物語の後に訪れるであろうジミーの破滅を予感させるものになっている。
中盤、デイヴは吸血鬼や狼男について言及する。「死して今とは全く違うものに生まれ変わりたい」と。
反キリスト的な存在を十字架を背負ったものが殺す、という描写には中世の魔女狩りや十字軍遠征を連想させられる。「汝殺す勿れ」と説いておきながら、その実態は血みどろの歴史に彩られているキリスト教。ジミーはそのメタファーであり、戒めを自ら破るこの宗教の行末には破滅しかない、ということを彼の存在は表しているのかも知れない。
内に秘められたテーマやメッセージだけでなく、構造的にもこの映画には目を見張るものがある。
十字架の件だけではなく、この映画では象徴的な前半の描写が後半でまたリフレインされる。
例えば、前半に描かれたショーンの娘の初聖体のシーンと対応するように、デイヴの息子が参加する街のパレードがエンディングに描かれているし、人を殺したと告白したデイヴが妻と接吻する場面と対応するように、デイヴ殺しを告白したショーンを妻が愛撫する場面が描かれている。
特に印象的なのは「車」の描き方。冒頭、少年時代のデイヴは刑事と偽る者の車に乗りんでしまい悲劇的な”死”を迎える訳だが、ショーンがデイヴをバーまで誘き出した手口はこの時の犯人のそれに酷似している。車に乗り込んでしまった時点で、デイヴの末路はもう決まってしまっていたのである。
このように、本作ではデイヴとショーンそれぞれに対応するようなシーンが存在しており、それが前半と後半に配置されている。このことが、物語に一冊のアルバムをパタンと畳んだ時のようなまとまりの良さ、収まりの良さを生み出している。
この構造的な美しさが、本作と凡百の映画を隔てる最大の違いなのではないだろうか。
これほど見事な映画には久しぶりに出会った!!
ミステリー映画という枠においては、オールタイムベスト級の一作になりました。観て良かった♪
嘘をついても真実を話しても殺される。後味は良くないが、人生とはそういう遣る方ないものなのかも知れませんねぇ🌀
【”愛する娘を殺された犯人を見つけるの為には、何でもする!”幼馴染み3人の歯車を狂わせる展開に魅入られる作品。今作は、クリント・イーストウッドが描く重厚なミステリードラマである。】
■ボストンで育った幼馴染みのジミー(ショーン・ペン)、デイブ(ティム・ロビンス)、ショーン(ケヴィン・ベーコン)は、デイブが誘拐・監禁された事件を境に疎遠となる。
それから25年、ジミーの娘が死体で発見され、刑事となったショーンが捜査を担当。ジミーが激しい怒りに駆られる中、捜査線上にデイブが浮上する。
◆感想
・痛切なる物語である。
・幼少期に誘拐されたデイブ(ティム・ロビンス)が、受けたPDSDが惹き起こした事件。
・ジミーにとっては親友だった男が、被疑者であり、操作する男ショーンも幼き時からの友人である。
<観ていて、非常にキツイ作品であるが、クイント・イーストウッド監督のメッセージは強く伝わって来る作品である>
アメリカ自体を描いているのかも
この映画は確か2度目だったかと思います。一度見では、なかなかわかりづらいと思いました。イーストウッドの他の映画や彼のこれまでの経験などから判断して、アメリカ社会を描いているのではないかと思いました。いくつかの感想、評論等を参考にさせていただきましたが、自分にはしっくり来ませんでした。
3人の主な登場人物が、階層化されていることからも、アメリカ社会の縮図を描いているのだと思います。ジミーは、政治、暴力、権力の象徴。ショーンは、アメリカの中産階級、知的な存在、一般市民。デイブは下層階級。ジミー、ショーンは、少年期、嘘をついたことで犯罪から逃れる。デイブは、本当のことを言って犯罪に巻き込まれる。現在のアメリカも、上層階級が、マスコミを使ったりして情報操作をして、自分たちの利益が最大になるようにコントロールしています。娘が殺され、ジミーは、あらゆる手を使って復讐をしようとする。それはアメリカの国家、政治の姿とも繋がるように見えます。9.11以降の動き然り。大量破壊兵器はなかったわけですし。愛するものが殺されたりすると、アメリカは国家として敵国にそれ以上の報復を行ってきました。ショーンは、ジミーの嘘に気づきながらも、自分たちの幸福を守るために、積極的に行動しない。つまり、国家の嘘に気づきながら、自分の利益を守るために行動しない。デイブは、下層階級で、病んでいるうえに自らも犯罪を犯し、更には殺されてしまう。(アメリカでは、貧しいが故に、犯罪に手を染めてしまう人が多い。と同時に戦争に行かされるのは、カラードや貧しい階層)後で、間違いだったとしても、上層の人間は、自らの罪を反省することなく、愛する者を守るために仕方なかったのだと正当化する。女性もそれを支持する。
ジミーは、二つの殺人を侵しながらも、罪を悔やみ謝ることなく、自ら十字架を背負って生きていこうとしている。ショーンは、妻からの無言電話に、「俺が悪かった、すまなかった」と自分の至らなさを認めることによってハッピーエンドに導かれていく。実に好対照だなと思った。
それぞれの人生、社会には、皆、見えない部分、秘密の部分がある。その見えない部分によって、現在が条件づけられていることはままある。それと向き合うことが大切なんだよと言っているように思えた。
※イーストウッドのインタビューでは、現代アメリカ的なシェークスピア劇だと言っているようだ。オセロに見られるように、登場人物の設定や一言一言が、悪い方に悪い方に転がっていく悲劇を描いたとも思える。
(グラントリノでは、自らの戦争体験を客観視し、現在のアメリカの姿に反旗を示し、自らがその盾となろうとしているように見えた。その流れから類推して、上記のような意味が隠されているのではないかと思った。)
※三度目に見て、ただのレイは、ジミーを売って、刑務所暮らしを逃れ、雲隠れしたものの、後でジミーに殺されていたこと。そして、そのレイの拳銃が、ジミーが嫌っていた口を聞かないレイの息子に使われて、娘を殺すことになったこと。デイブは、昔の誘拐、性的暴行のトラウマがあって、事件の晩、少年を犯していた暴漢を殴って死に至らせていたこと、その罪悪感から、おかしくなって、疑われてジミーの殺されるきっかけを作ったこと。 この二つの流れが通底に流れているのが、三つの殺人に繋がるっていうのが、改めて因果だなあと思った。
※三度目を見て、アメリカ社会に多い小児性愛者が出てくることに震撼した。デイブを連れ去った二人組は、逆さ十字のリングをしていた。小児性愛者の餌食にあって、その後、病んでしまって、人生を転落させてしまう人も多いことを知った。さり気なく登場させているところにも、客観的に扱おうという意図を感じた。ピザゲート、アドレナクロムなども、イーストウッドは、知っているのかもしれない。
イーストウッド監督独特の重厚感あふれるサスペンス
クリント・イーストウッド監督独特の暗さと重さ溢れる作品。アカデミー賞主演男優賞(ショーン・ペン)、助演男優賞(ティム・ロビンス)を受賞。
ずっと前にたぶん1回観たけどあまり覚えていなかったので再度鑑賞。この物語の展開は、なんとなく「プリズナーズ」を思い出させるし、ジミーとその妻は、「ハウス・オブ・カード」のフランクとクレアを思い出させる。なんか、どっかで見たような…と思いながら見る場面が多かったかな。
でも最後のどんでん返しは、予想できなかった(見るの2回目なのに完全に忘れていた)。一体誰が犯人なのか、登場人物みんなが怪しく思えてくる、このハラハラドキドキ感。
子供のころのトラウマを背負って生きるデイヴの影や混乱を見事に表現しているティム・ロビンスの演技が光っていた。
重厚なサスペンスが観たいときにおすすめの映画。
ルヘインの原作をヘルゲランドが脚色
劇場公開時鑑賞、原作既読。
少年時代と今、刑事、容疑者、被害者の父という立場に別れた3人の描き方、真相の見せ方、対照的な容疑者家族と被害者家族、メインの事件に隠されていたことなど中々ポイントも多くて、映画化を知った時はまとめるの大変じゃないかと思った。それほど長いわけではないのに、あのずっしりとした読後感を映画で再現…はまず無理だから少しでも近づけるのか、と。
再度観てみたが、デイブだけ書きかけとか、過去をなぞるように車に乗るデイブとか、見上げる2人と下されるブラインドのシーンとか、旨味滲み出てる。ああ、好きー。そしてストーリーを混乱させることなく整理しつつ見せていく、脚本の手際が素晴らしい。アレかね、高いハードルであるほど素晴らしい結果出しちゃうタイプなのかね、ヘルゲランド先生は。
3人の好演に目が行きがちだが、対照的な行動にでるマーシャ・ゲイ・ハーデンとローラ・リニーも素晴らしかった。奥さん役より女房感あるローレンス・フィッシュバーンも。
もしもあの車に乗ったのがデイブ(だけ)じゃなかったら。
劇中何度か出てくるフレーズは、無意味な問いかけだろうか。
ショーンは捜査を続けると思う。そしていつか真相が明らかにされてほしい。そう願わずにはいられなかった。
イーストウッド監督の描く『罪と罰』
2003年。クリント・イーストウッド監督作品。原作・デニス・ルヘイン。
ジミー(ショーン・ペン)ショーン(ケビン・ベーコン)
デイブ(ティム・ロビンス)の3人は幼なじみ。
その3人がデイブの誘拐事件から25年後、ある事件をキッカケに再会します。
ジミーの19歳の長女ケイティが殺されたのです。
ジミーは繁盛する食料品を経営する子煩悩で敬虔な父親です。
しかし犯罪歴があり2年間の服役経験がある男です。
背中に黒い十字架のタトゥーを背負っています。
娘のケイティの恋人ブランドンを毛嫌いしています。
恋人の父親ロイは遠い昔の不良仲間で、ロイは行方不明。
ケイティの殺人事件をキッカケにして、パンドラの箱は大きく開くことに・・・。
ジミーの娘が殺された、その夜デイブは血だらけで帰宅したのです。
そしてケイティの事件を担当するのは、殺人課の刑事になった幼なじみのショーン。
恋人ブランドンの父親ロイとジミーの深い関係。
ロイはジミーの犯罪を警察に密告した相手。
ジミーの2年間の服役後、ロイは忽然と姿を消しているのです。
ジミーがどんな男か、薄っすらと浮かんで来ます。
ジミーはモンスター。怪物なのです。
背中の十字架のタトゥーは凶々しい。
(とても神を信じる者の印には見えない)
そしてひとりの不幸な少年。
25年前に警官を装う男の車に乗せられて、4日間の虐待を受けたデイブ。
デイブはこの事件を忘れることも、乗り越えることも出来ずに大人になった。
見た目だけは大男だけれど中身は吸血鬼に怯える少年。
映画のラストに驚きます。
ノー天気にパレードの喧騒と、見物するジミーと妻。
デイブを探すデイブの妻。
車からジミーに指で射殺の真似をして笑うショーン。
『罪と罰』
まるで神になった気で、自ら邪魔者を裁く男ジミーの『罪と罰』
神に愛され過ぎて『罰+罰+罰』の幸薄き男デイブ。
世の中は絶対的に不公平だ。
罪なきか弱者に不平等な災厄が課せられる。
それが「原罪」なら、デイブは可哀想過ぎる。
デニス・レヘインの原作で、ジミーは雑貨店のオーナーではなく、
ギャング、として描かれている。
罪が償われないラストが重くて切ない。
2020年。天災が全世界を覆いました。
神が存在するなら、そしてこれが人類への「罪への罰」だとしたら、
その「罰」はあまりにも過酷で容赦ない。
それぞれの人生が最後まで噛み合わない重い内容。映像のせいか、重い内...
それぞれの人生が最後まで噛み合わない重い内容。映像のせいか、重い内容でも重すぎないように観れる。
ラストは曖昧で微妙なまま終わってしまった。考えさせるためか、演出か、そうとはいえモヤモヤが残りました。
松本清張風社会派ミステリー
それぞれの過去を持つ三人の幼なじみが、家族や周囲の人との様々の関係に影響を受けながら事件に巻き込まれてゆく。ほとんど松本清張の世界です。
イースト選手は、こういう少し時代遅れの価値観を持った庶民たちが図らずも事件や環境に振り回されて困惑するような脚本を淡々と重厚に撮るのが得意です。あまりユーモアはないところも清張風。
でも、あえて観客を困惑させたり、哲学チックな評価を求めるようなわざとらしい演出ではなく、わかり易く仕上げるところが大変好感持てます。
しかし、三人とも芸達者ですね。
アメリカにも『親の因果が子に報い』ということわざがあるのだろうか。イーストウッドは俳優としては如何にもアメリカ的なのに監督作品は非アメリカ的なものが多いのは興味深い。
①closed circle 内での愛憎劇・悲劇という点ではギリシャ神話を思わせるところはあるが、ミステリーということもあり私はどちらかというと横溝正史作品を思い浮かべてしまった。②イーストウッドの冷徹で抑えた演出は題材に良く合っている。この段階では物凄く上手いとは言えないまでも。③ショーン・ペンはある意味タイプキャストであり如何にもアカデミー賞好みの演技と言える。この映画で内面演技が最も難しい役はデイヴとシレスト。シレストにマーシャル・ゲイ・ハーディンを配したのは当然とも言える。演技陣で上手さが際立っているから。ティム・ロビンスもこの話の中で最も悲劇的な人物(勿論、殺されたケィティは別として)であるデイヴの造型に成功している。
残酷な、やり直すことのできないそれぞれの人生
3人の幼なじみが成長して、3組の夫婦が登場する。理不尽な運命の果てに殺される者、殺す者、それと知りながら見逃す者。ある者には残酷な、やり直すことのできないそれぞれの人生が描かれる。
ショーン・ペンが演じる荒っぽいジミー、ティム・ロビンスが演じる挙動不審なデイブ、どちらもはまっている。
なんだかなあ。
エンディングの描写から察すると、デイヴの遺体は発見されないようらしい。また、ショーンはジミーがデイヴを殺したと気づいているが、捜査や逮捕をするつもりはないらしい。さらに、ジミーは真相を知ってデイヴ殺害を後悔するが、自分の家族の為に自首はしないらしい。
まるで作者がジミーを守っているかのように感じて釈然としない。
河の底に流れる、静かなる鎮魂歌
静かにかつ無慈悲に語られる悲劇に、ただ息を呑むばかりでしたね。目障りなカット割りや興醒めなCGもない。ストーリーと役者の演技で真正面から描き切ったイーストウッド監督、神がかってますね。アカデミーこそ逃しましたが、監督作品としてはベストではないでしょうか。
出演陣の巧さは言うまでも無いですが、個人的にはケビンベーコンの抑えた演技が頭一つ出てた印象です。役柄もあるのでしょうが。作品としてはほぼ満点ですが、ラスト近くのショーンペンとローラリニーの会話がイマイチよく分からなかったのでマイナス。イーライウォラックの出演にはニヤリとしてしまいましたね。
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