ミュンヘンのレビュー・感想・評価
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暗殺の裏にある二つの心情。
◯作品全体
「祖国のため」という職務上の責務と「妻子のため」という家族への想いに揺れるジレンマが印象に残る作品だった。
殺された祖国選手団の報復という大役を任された、主人公・アヴナー。当初は誇りと栄誉をもって暗殺任務を進めていたが、上司との対立や仲間の離脱があって徐々に孤立していく。暗殺任務がアヴナーにとって慣れない任務というのもあって、序盤は作戦の不安定さが緊張感を作り出していたが、だんだんと無事に元の生活に戻ることができるのか、という危機感が緊張感を生み出す中心になる。一人ずつ暗殺していく序盤の時点では「暗殺という事象自体に焦点を当て続けるのか」と思いながら見ていたけれど、危機感の元凶が少しずつ変わっていくことで、アヴナーの心情に焦点を変えていたのが巧いと感じた。
さらに巧いと思ったのは、アヴナーの心情を職務上の責務から家族への想いへと簡単に移さなかったことだ。アヴナーの心にとどまっている「祖国のため」という心情は、ミュンヘンでの襲撃シーンを随所に挿入することで表現されている。理不尽に暴力を振るわれ、最後は後ろ手で縛られ銃殺されていく選手たち。イスラエル国民に焼き付いた彼らの無念さとパレスチナへの敵対心の象徴でもあるこのシーンは、単なる作品の導入シーンではない。アヴナーたちの暗殺を肯定する「正義心」でもあり、簡単に任務から降りられない「呪縛」としてミュンヘンの出来事は存在している…そう思わせる演出が巧かった。
自身を育ててくれた「過去」を象徴する「祖国」と、これからの「未来」を印象付ける「妻子」の存在。「正義心」も「呪縛」も感じられなくなったアヴナーは「未来」を選択したはずだが、祖国でない土地でかつての上司と話すアヴナーからは、心の空白という傷が痛々しく残って見えた。
〇カメラワークとか
・駅で玩具職人がチームから抜けるシーンをシルエットで見せていたのが印象的。ベンチで殺された仲間のシーンとか自身の暗殺におびえるアヴナーのシーンもシルエット調だったけど、正義心に溢れていた心が空っぽになったというような印象を受けた。
◯その他
・アヴナーの心情の変化に必要だったからというのはわかるけど、ちょっと長い気がしないでもない。パレスチナ側を「血の通ってないテロリスト」にしないために割かれる時間が多かったような。
実に優れたサスペンスであり、大いなる挑戦だと思う。
史実を基にしたサスペンス・ドラマだが、鑑賞前に、イスラエル・パレスチナ問題の基礎知識や、当時の時代背景を知ったほうが良いと思う。オランダ人女性ジャネット役は、マリ=ジョゼ・クローズやね。
黒い九月事件から、標的を1人づつ暗殺する報復作戦の過程は、実にスリリングで、見ごたえがある。しかし、一般人が巻き添えになる一方、更なる報復から、暗殺メンバーも、1人づつ殺される。
物語の軸は、暴力の連鎖だ。暴力は更なる暴力を招き、関係の無い人まで巻き込む。主人公は、疑問や葛藤を抱く。観客も、もどかしさを感じずにはいられない。
本作は、イスラエル・パレスチナ問題の余波を取り上げ、繰り返される暴力の無意味さを投げかけている。1つの映画で答えが出る問題では無いが、スピルバーグが観客に問いかけたこと自体が、大いなる挑戦だと評価したい。
難しい…
テロや暗殺を国家レベルで起こすことの理解は今作でもできなかった
永遠に理解不可能とは思うけども…
始まりの頃の実行時は主人公に躊躇の気持ちが表情で見て取れていたのが、仲間のカールの仇討ちではすっかり無くなっていた
こんな仕事やっていたら誰も信じられなくなるに決まってる
子供が生まれるというのによくやるなと思った
主人公の実在人物はその後も生き延びたらしいけれど…死ぬまで生きた心地しなさそうです
復讐すればまた復讐されるのは容易く想像できるのに、彼らを突き動かすものはいったい何なんだろうな
現在もある各地の戦争のニュースも思い出し、神様はこのような殺伐とした世の中でよく考えなさいと言ってるのかも
しかし毎回料理が豪華で大量で美味しそうでしたので、みていてお腹が空きました
オリンピック開催時に、実際に起こった大惨事を元にして作られた作品。...
オリンピック開催時に、実際に起こった大惨事を元にして作られた作品。復讐の先に平和な世界はないというメッセージが込められていました。『フルメタルジャケット』を彷彿とさせるような、極度のストレスで人が激変する様が表現されていて、とてもリアル。
ラストの最後の一言が重くのしかかる名作
血濡られた国家のために、己の全てを犠牲にしていく男たちの話。
実話が基になっているだけに内容は辛くあまりに現実的。
スピルバーグは大人から子供まで楽しめる大ヒット大作を作れるのに、こういう興行収入よりメッセージ性を重視した作品も繰り出してくるので大好きです。
ラストに主人公に向けられたたった一言のセリフが重くのしかかります。
ミュンヘンでの出来事を知っている人
は、もう案外少ないのかもしれない。
ミュンヘンオリンピックでイスラエルの選手、関係者11名が殺された事件だ。世界に衝撃を与えた。
この映画は事件そのものの話ではなく、その復讐の話である。
テロの犯人も、復讐する人たちも、普通の人であることに驚く。
先日のフェスティバルで殺されたシャニ・ニコル・ルークさんの写真を見たばかりだったので、今、起こっている出来事とも重なって見えた。
ダニエル・クレイグが若いのにビックリした。
追記
血塗られた手で子を抱く者は、いつか誰かに殺される。そして、その子はまた復讐者となるのだろう。憎しみの連鎖は永遠に終わらない。どちらかが死に絶えるまで。
ということですね。
スピルバーグ凄いです。
聖戦という名の狂気
2023年9月6日
映画 #ミュンヘン (2005年)鑑賞
1972年に起きたイスラエルのアスリート11人が殺されたミュンヘンオリンピック事件と、その後のイスラエル諜報特務庁(モサッド)によるパレスチナ武装組織(黒い九月)に対する報復作戦を描く
負の連鎖は今も止まっていないのが悲しい
実話とは思いたくないほど重すぎる
題材が題材だけに覚悟して鑑賞したが、それでも観終えてかなり落ち込んだ。まさに「こんなことの先に平和はない それが真実だ」だ。
とても創り込んだ作品だというのは随所随所で感じるのだが、なにしろグロテスクなシーンが多くてげんなりしてしまう。終始かすれた感じの暗めの映像も本作にはバッチリはまっているのだが、やはり観ていてどんどん気が滅入ってくる。
個人的には2度は観れない。
映画を評価するって本当に難しいと感じさせる1本だ。
難しい問題
祖国の存続など、多くの人には思いもよらない事態であり、複数の国レベルの思想や思惑が交錯する凄まじい話だった。多分、どちらが悪いのか?などは個人レベルでは語れないし、実話として、当時巻き込まれていった若者の描写はショッキングだった。
個人的には未だ解決を見ない国際問題を扱う非常に良い作品だった。
この作品はイスラエル/パレスチナ問題の概要を調べてから観る事を強くお勧めします。
事実とはいつも残酷なものばかり
日本は平和で住みやすく安心して暮らせる国だと思う
何故かなんて詳しく考えたこともない
しかし何故なんだろう
ミッション:インポッシブルように水際ギリギリのところで誰かが防いでくれているのだろうか
そうでもなきゃこの日本は直ぐにテロにあってもよさそうなものなのだから
テロの被害にあったとしたらやはり報復するのだろうか
何をどう言い訳したら合法的に人を殺す事ができるのだろう
そこらへんはとても曖昧で子供に「なんで?」と聞かれても正しく答えてあげられない気がする
とても難しい映画を見てしまった
スピルバーグさんも大変だったでしょうね
若者の義憤を利用して暗殺者に仕立て上げ、金以外は全く援助しない「無かった者」
今なお際限なく続くテロの残虐。生きて来た者が一瞬にして死体となる空しさ。報復が報復を呼び殺戮の成果を誇示するテロ。空爆だって同じだ。
目線を下げたカメラ、モノトーンのドキュメンタリータッチで鮮やかに描いたサスペンス・アクション。陰鬱な暗殺者を好演するエリック・バナに感情移入するほど気分が滅入ってくる。
親の功労をヨイショし、若者の義憤を利用して暗殺者に仕立て上げ、金以外は全く援助しない「無かった者」にされたあげく切り捨てられるのは国家優先のスパイと同じ。親の敵を求めて全国行脚、死んでいった武家時代もあった。
そして家族を持つテロリストはいつ襲ってくるか分からない恐怖に心を病んでゆく。第一次大戦のガスと塹壕、ベトナムのジャングル、アフガン・イラクの近代兵器と自爆テロ。劣化ウラン。ロシアの侵攻。戦場から帰った兵士に平穏な日常はおとずれない。
とはいえ平和であるべきミュンヘンオリンピックの選手村で、11人もの自国の若者の命が無惨に奪われて「ああそうですか」ではすまないだろう。だからこんな長くて短い映画ができた。
今回のワンシーンは、小部隊でテロ3人が女としけ込むアパートに踏み込み、撤退時に相手ガード部隊ともみくちゃになるまでの、夜の市街戦だろう。
ハッと顔が合い「パン!」と短銃の乾いた音がする絶妙な間と、空気を切り裂く鉛の滑空音。スピルバーグならではの熟練した手腕が緊張した場面の臨場感を盛り上げるベストシーンだった。
憎しみの連鎖
テロの報復を行うことで、自らもテロリストとして命を狙われるという報復の無限ループ。こうした憎しみの連鎖がパレスチナ問題の解決を難しくしている。
報復行為は憎しみの連鎖を生むだけであるというのは今のアメリカに対してのメッセージでもあるように感じた。
スピルバーグらしくない米国政府に異議を唱える野心作
スティーブン・スピルバーグ監督による2005年製作のアメリカ映画。
原題:Munich、配給:アスミック・エース。
アメリカ同時多発テロ事件が2001年なので、その4年後に製作された映画。プライベート・ライアン(1998年製作)で敵を殺せることを成長の様に描いたスピルバーグが何か開眼したのか、暴力の連鎖は何も生み出さないという強いメッセージを発していて驚かされた。
最後は、9.11ターゲットとなったニューヨーク世界貿易センタービルの遠景で終わるので、イスラエルではなく寧ろ米国社会・政府に向けての主張なのだろう。日本人的には暗殺はダメというのは当たり前であるが、米国映画の世界では西部劇からトップガン・マーヴェリックに至るまで、敵は先制攻撃も厭わず破壊すべき存在。リベラルと目されるオバマ大統領がビン・ラディン殺害を成果として誇る社会。スピルバーグ製作総指揮のバック・トゥ・ザ・フューチャーでも、ガキ大将をぶん殴ることで未来が良くなるという暴力を肯定する様な描写がなされていた。
そういう社会の中で、対テロの暴力的闘いに異議を唱える姿勢には、敬意を覚えた。9.11テロとイスラエル政府主導の暗殺と一緒にするなとの批判も数多く受けたらしい。その回答が、プロジュース作品で戦争映画の大傑作「父親たちの星条旗・硫黄島からの手紙」二部作(2006年製作)とすると、スピルバーグが意外な硬骨漢にも思えてきた。
ただ、主人公たち(エリック・バナ、ダニエル・クレイグ等)が敵を殺すが、そのやり方がかなりリアル且つ克明に描かれ、驚かされた。そして、暗殺グループの一員(キアラン・ハインズ)を色仕掛けで殺害したマリ=ジョゼ・クローズへの復讐的殺し方が何ともえげつない。彼女の美しい裸体に特殊な銃で小さな穴が幾つか開けられ、少し時間経てそこから真っ赤な血が溢れ出す。CG画像だと思うが、未だかつて見たことがない惨虐な映像で、オリンピック村でのイスラエル選手の死亡映像も含めて、本当のところ、スピルバーグはこの斬新な殺害される映像が撮りたかったのかとも少し勘繰ってしまった。
ボロボロ状態で休暇で家庭に帰ってきたエリック・バナは愛妻(イスラエル女優のアイェレット・ゾラー)とセックスしながら、ミュンヘン・オリンピック事件の襲撃犯及び人質となったイスラエル選手の惨死の映像を想い浮かべている。イスラエル側だけでなく、長い苦悩故か独警察・軍に騙されたパレスチナ襲撃犯達の悲劇も、彼は感じ取れている。そんな彼を妻は愛していると抱擁する。まるで聖母の様なアイェレット・ゾラー。こんな妻現実には皆無だし、射精描写が露骨で自分好みの表現では無いが、彼の罪と魂は救われた様である。まあスピルバーグが映像的に大胆にチャレンジしているのは感じ取れた。
主人達の殺しのターゲットに関する情報をもたらしてくれたフランスの組織、その長であり情報提供者ルイ(マチュー・アマルリック)のパパ、マイケル・ロンズデールの演技は随分と印象に残った。レジスタンスでドイツ軍と闘ったらしいが、今は大家族と共に緑に囲まれた豊かな環境で暮らす。入手困難な情報を種々の人間に売ることで生計をたてている様だが、国家組織は大嫌いの独立的なファミリー。主人公達のバックにモサドがいることは知っている様であるが、イスラエル民族の苦難には比較的理解を抱いている様で、幾つかの貴重な情報を売ってくれたし、命が狙われていると警告も発してくれた。原作にも登場するらしいが、米国映画的な白黒とは割り切れない存在で、欧州世界の奥深さを教えてくれる様な存在で、映画に随分と深みを与えていた。
製作スティーブン・スピルバーグ、キャスリーン・ケネディ、バリー・メンデル、 コリン・ウィルソン。
原作ジョージ・ジョナス『標的は11人 モサド暗殺チームの記録』、脚本トニー・クシュナー、 エリック・ロス、撮影ヤヌス・カミンスキー、美術リック・カーター、衣装ジョアンナ・ジョンストン、編集マイケル・カーン、音楽ジョン・ウィリアムズ。
出演、エリック・バナ、ダニエル・クレイグ、キアラン・ハインズ、マチュー・カソビッツ、ハンス・ジシュラー、ジェフリー・ラッシュ、アイェレット・ゾラー、マチュー・アマルリック、モーリッツ・ブライブトロイ、バレリア・ブルーニ・テデスキ、イバン・アタル、マリ=ジョゼ・クローズ、マイケル・ロンズデール。
国民の存在を抹消して殺人者に仕立てあげる国家
西ドイツオリンピックでイスラエル選手団がテロによって殺害されたことは当時はあまりに子どもで全くわかっていなかった。その後パレスチナとイスラエル問題であることは知ったが報復が続いたことはこの映画で初めて知った。「シンドラーのリスト」は見ていないがこの映画ではどちらかに肩入れするということもなく、CIAやKGBも絡んでいるとかモサドは絶対入っているのに実働構成員は存在のない立場にさせられる。諜報機関の冷酷さと胡散臭さにぞっとした。
ドイツはイスラエルに優しすぎる、という言葉があったけれど、それは本当に仕方ないと思う。70年代頃だろうか、ドイツの若者(高校生?大学生?)が数週間か数カ月イスラエルのキブツに滞在して、という話はよく聞いた。農家に滞在して農作業をしたりなど。それがドイツのalternativeな生活様式にも影響与えたと思う。その「キブツ」もセリフの中にあってリアルさを感じた。
一方でヨーロッパ各地の多様な個性が映像によく出ていた。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、アラビア語、ヘブライ語(もあったかな?)、そして国や街の特性。フランス郊外は太陽光が柔らかく穏やかな自然、一方街ではジャン=ポール・ベルモンドの顔のポスターが円柱広告塔(リットファス・ゾイレ)に貼ってあった。オランダでは運河、移動は自転車。ロンドンでは雨降る夜の街。人を殺す男達は特に子どもや女性には注意するが、だんだん鈍感にならざるを得なくなる。そんな自分に絶望して自死を選ぶ仲間達を見て苦しむ。
バナが適役でとても良かった。静かで冷静な彼がだんだんと大胆に冷徹になり更に疑心暗鬼になり自分自身がベッドでなくクローゼットの中に寝るようになる。料理が上手でテーブルいっぱいの食事場面、自分の子どもが話せるようになってその声を電話で聞いて泣くバナ。若くて声も若々しい金髪ダニエル・クレイグ、青い瞳の美しいこと!そしてほんの少しだけれどブライプトロイ、テデスキとドイツ、イタリアの俳優も出ていて嬉しかった。ジョン・ウィリアムスの音楽に派手さはなくエンドロールに流れる音楽は悩みと苦しみと辛さと優しさが溢れていた。
永遠に解決しない
パレスチナ 、イスラエル問題に、私としてはイーブンな目線で全体が貫かれておりその他の勢力や権力含め、どこにも与しない、映画の中でいうと、象徴的でカリスマ的なパパに近いだろうか、そんな立場と目線を感じた。そしてそれゆえか、自分の立場を問わず顧みずというか、自分の立場信条に関わらず冷静に鑑賞できた。いろいろ物議を醸し双方から批判や抗議があっだとのことだが、当事者にはそれなりの立場や大義があるだろうが一般の鑑賞者については、非常にイーブンに観られるだろう点そしてこのような、大衆ウケしなさそうな、アンタッチャブルな内容を、スピルバーグというbig name が、エンディングには堂々たるジョンウィリアムズの音楽というところがまたすごい。作品自体に意義があり公開されただけで、スピルバーグは目的を達していると思う。
主人公アブナーの心の揺れ、変化。
アブナーたちも、また、ブラックセプテンバーやその他のいわゆるテロリストたちもみな葛藤の中で自分が大義のためには正しいとおもうことを、そこに付随する正しくなさに悩み立ち止まりつつも進めていくのだ。
国がなかったものたちが国を手に入れあらゆる手段で守る、国、というより土地という方がしっくりするが、土地があったものたちがそこを追われまたあらゆる手段で取り戻そうとする。
その過程での殺戮やさまざまな暴力。
アブナーは1人リーダーを殺しても次の人が来る、その繰り返し。彼自身や作戦が殲滅されても同じ、この繰り返しの先には何もないということを悟り強く守るべきであった国を捨てる。
子どもが、娘が生まれる。
パレスチナ 側のリーダーの家にはピアノが上手な娘がいる、危うく娘も爆弾で吹き飛ばしそうになる場面の臨場感。
情報提供者ルイがおそらくわざと二重に提供した汚い隠れ家、セーフハウス。そこで鉢合わせるイスラエルとパレスチナ 。互いを守。互いの作戦継続のため、双方咄嗟の判断で銃を下ろし、互いにセーフだと協定して一夜を共に過ごす、緊張の中、ラジオの音楽取り合い争うが、双方納得の、アルグリーンのlet’s stay together に思わずクスッと笑いが漏れる、このような人間的、普通に生きる人としての当たり前の感情、小さな喜びやユーモアや子どもへの愛情など、と、実際行わねばならない凄惨な殺人行為の対比が常に現れ、
1人の個人としてどうすべきを常に問うてくる。
問題は永遠に解決しない、
パパが手作りの腸詰やチーズを2回もオファーする。そこには多くの子どもがいて大家族が自然の中に暮らしている。
パレスチナ の人々も失い
イスラエルの人々も失っているものなのかもしれない。
ラストのニューヨークのシーン、事件の時にはあったが撮影時にらないはずのツインタワー。暗く曇天のざらついた映像。奇しくも鑑賞した今日は911だった。
プライベート・ライアンとは違い過ぎる
映像に迫力が全くない。本当にプライベート・ライアンのスピルバーグが監督なのだろうか?正直言ってつまらなかったです。マジでつまらなかったからスピルバーグのイントロダクションとかがあったのかもしれない。二度見たいとは全く思わない。あまりにもつまらないので5点にしておきました。
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