イノセンス : 特集
本作には実在する人形たちのイメージで溢れている。そのイメージのあまりの膨大さにその全貌は何度も見なくては把握できそうにないが、一度見ただけでも印象に残る人形たちのイメージをチェックしてみた。(文:編集部)
Part2「人形」編:「イノセンス」の人形たち
■ハンス・ベルメール/球体関節人形
押井守監督が本作の製作にあたって意識したのがこれ。球体関節人形は、西洋に古くからある、身体の関節部分を球で接合して可動性を持たせた仕様の人形のこと。1902年生まれの人形作家、画家、写真家ベルメールがこの様式で作った人形は人体と機械の融合物の趣を持ち、シュールレアリストたちに絶賛された。押井監督によれば球体関節人形の魅力は、それぞれのパーツを接合する球体にある。「その本質は人間の体、肉体、身体の中に眠る論理――幾何学にあるのです」(オフィシャルサイトより)。
■ラ・スペコラ
17世紀後半からイタリアで作成された人体模型ラ・スペコラは、実際の人体から型取りした蝋細工に彩色を施したもので、毛細血管までリアルに再現されている。フィレンツェの動物解剖博物館に展示されている「解体されたビーナス」と呼ばれる蝋人形が有名。押井監督は本作のロケハンで、この博物館も訪れた。映画で美少女型愛玩用アンドロイドが自壊する際の造形にはこのイメージがある。
■アジアの人形劇
ロクス・ソルス社近くで繰り広げられるカーニバルの御輿に乗せられた巨大な人形たちはみなアジアのデザイン。南インドの影絵人形劇、インドネシアの木偶人形劇、ベトナムの水人形戯、台湾の布袋戯など、アジア各地には古くから伝統人形劇があり、人形劇はアジアから始まったという説もある。なぜ人間ではなく人形なのか、という問いの根は深い。
■京劇
そのカーニバルでは京劇の舞台も催されている。これは京劇の登場人物が人形に近い性質を持っているからではないだろうか。京劇の舞台衣装の形や色彩はみな固有の意味を持ち、登場人物の装束だけで、その人物の身分、年齢から性格までもが表現される。また、舞台上に並ぶ登場人物を変えるだけで場面の変化を示すこともある。京劇の衣装を着た人間は、世界を示す書き割りの役目も担うのだ。
■からくり人形
天才ハッカー、キムは壮大な洋館の形をしたオルゴールの中に住み、自分は人形であるふりをしているが、彼の部屋でバトーらにお茶を運ぶのは、江戸時代の「機巧図彙」にも書かれた茶運び人形。ロボットの原点であるからくり人形の歴史は古く、日本では平安時代に書かれた「今昔物語」に水によるからくり人形の記述がある。また、からくり人形は見せ物だけでなく、神事にも用いられたことも踏まえておきたい。
■ロクス・ソルス
義体製造会社の名称として登場する「ロクス・ソルス」はフランスの作家レーモン・ルーセルが1913年に刊行した小説の題名。ルーセルの作品はダダやシュールレアリスムの作家たちに賞賛されたが、本人はそれらの思想とは無縁な偏執的な規則マニアでいわば機械になりたい人間。死後に発表するよう指定された著作「私はいかにしてある種の本を書いたか」で、彼の作品が彼の作った詳細な規則に沿って書かれたことを明かした。人形になりたいハッカー、キムの設定は、押井監督によれば四谷シモンの自画像人形に触発されたとのことだが、この奇人作家ルーセルの面影も感じさせる。