「映像と引用と哲学の暴力」イノセンス てんぞーさんの映画レビュー(感想・評価)
映像と引用と哲学の暴力
分かりにくい方の攻殻機動隊。
3Dと手描きセルを駆使した映像クオリティは20年以上経った今でも見劣りしていない。どころか、今これをやれと言われても不可能では?と思えるほどの圧倒的な描き込みと作画をしている。
特に、常軌を逸した映り込み描写は芸術の域。車やガラス、隙を見せれば何処かに何かが映り込んでいて、作品テーマである肉体と精神⇒実態と虚像を映像の上でも象徴している・・・のか?
それは分からないが、とにかく全編に渡って押井監督のフェティッシュがさく裂している作品であることに間違いはない。
作品構成的には、前作「GHOST IN THE SHELL」から会話の比重がぐっと上がって、会話劇的な側面が目立つようになった。
誰かが口を開けば格言の引用が始まり、その流れで哲学論になだれ込むことが多く、引用と引用で会話し出す場面もチラホラ。初見では結局なんの話だったんだ?と困惑する。
あまり哲学的でないトグサなどは「それなんの話?」「そろそろ仕事の話しよ?」など、押井的な会話に巻き込まれてずっと困惑していて非常に共感できる。
今作のトグサで好きなのは、荒巻に「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない」などと言われるシーン。上司に開口一番こんなことを言われるのは嫌だし、その後で相棒に「そりゃそうだ」と返されるのも嫌だしで、トグサの苦労が偲ばれる。
そんな感じで序盤から十分に押井的な会話が続くが、物語が進むにつれ徐々に押井のパワーが増していき、スーパーハッカーのキム(竹中直人)が登場するとついに押井もフルパワーで論を展開。押井作品は竹中直人が出てくるとステージが一段階上がる傾向があるが、この作品はそれが特に顕著。
物語部分では、事件の謎を追っていくと大規模な犯罪組織に行きつくという、刑事物としては割と王道ストーリー。凄惨な事件の真相は子供の悲痛な叫びだったという救いの無いハードボイルド展開はなかなかキャッチーで面白い。
人形が壊される事を考えなかったのか!とバトーが怒る所はバトーの感情移入が実態から虚像(ゴースト=少佐)へと移りつつあるという表現としてなかなか秀逸。でも被害者の子供には優しくして?
そういう描写があるので、終盤の少佐とバトーの共闘は素直に熱い。
前作では「また会おう」と言って消えてしまい、ずっと寂しそうにしていたバトーもこの時ばかりは少し楽しそう。またしてもネットの海に消えていく少佐だが、今作は「ずっと傍にいるよ」と言葉を残してくれたので、少しはバトーも安心しただろうか。
あと、分かりやすい押井フェティッシュとしてはバトーと飼い犬との暮らし描写が精緻でとても良い。犬が太ももに顔を乗せてくる所など可愛すぎて最高。もっと犬を見せろと思うが、犬が哲学を喋りだしたら嫌なのでこれくらいで満足しておく。
総じて、映像に酔いしれながら押井節を撃ち込まれる、威力の高い映画だった。
押井監督本人も会話部分を全て理解しなくていいと言ってくれているので、格の高いオシイスト以外はある程度受け流して見ればいいと思う。
