ハンニバルのレビュー・感想・評価
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愛と喪失の物語
『羊たちの沈黙』(1991年)から10年後が舞台。今作の公開が、前作から10年後なのでリアルな感じがします。
原作小説とはラストが違うとか、クラリス役が代わってしまったとか、氣になることはありますが、おおすじは原作と一緒だし、クラリスとレクターの肉体関係については、劇中にはないからといって全く無かったとは言い切れない(映画って、そういう見せないけどヤッてるってことがよくある)し、キスシーンがあるし、ジュリアン・ムーアも嫌いではないので個人的にはオッケーです。
クラリスが今後レクターのようにカニバリズムになるかどうか、二人はプラトニックの関係を続けるのか、或いは再会して愛し合うのか、それは観る人が想像することなので、これはこれで終わり方としては良かったと思います。
後に公開された『レッド・ドラゴン』(2002年)は、クラリスと出会う前のレクターの話だし、『ハンニバル・ライジング』(2007年)はレクターの子ども時代の話なので、今作でクラリス登場がラストになるのが、なんだか寂しいです。
散文の共同墓地‼️
リドリー・スコット監督は私が敬愛する監督なのですが、今作には失望させられました‼️一作目の「羊たちの沈黙」で、あんなにミステリアスでクールな "人格者" であったレクター博士が、今作ではただ単なる空腹な豚としてしか描かれてない‼️ "脳みそ" ディナーなんて、醜悪の極致‼️一作目でジョディ・フォスター紛するクラリスを助け、同時にギリギリまで追い詰めもしたゾクゾクするようなレクター博士の一問一答だったのに、今作では妙に面白くもない皮肉にしかなってない‼️ジュリアン・ムーア演じるクラリスも、今作では個性のかけらもない退屈な氷の女王としてしか描かれていない‼️ジョディ・フォスターが今作をパスしたわけがよくわかる‼️
羊たちの沈黙は、グロテスクさの中に美しさがあったのに、、、、ハンニ...
羊たちの沈黙は、グロテスクさの中に美しさがあったのに、、、、ハンニバルは、微妙だな。リドスコ…
クラリスへの男性達の目線が羊たちの沈黙と比較してねちっこいし、レクター博士とのキス(?)があるのも嫌。接触なしが良い。
(なんか色々あったのは把握!)
グロすぎて、、
羊たちの沈黙は大丈夫だったしいけるかな、と思って観始めたら大誤算。
前作よりグロさ30倍くらいにパワーアップしてます。後半はほとんどまともに鑑賞できず...おええ。
食事会のシーンで夏油傑を思い出した。
イタ気持ち悪い
ジュリアン・ムーアとしては、なんの瑕疵もない演技を披露しているのだけど、もしこれがジョディ・フォスターでちゃんと製作されていたとしたらどうなったんだろうと思う。
クラリス・スターリング捜査官のその後を追っかけてさらなる続編が製作されたのか。シリーズは、レクターの生い立ちや、生き方を掘り下げてテレビシリーズの方向にかじを切る。
とにかく、「羊たちの沈黙」は、サイコスリラーというジャンルを立ち上げたと言っていい成功を収めたものの、この映画はおどろおどろしさと、レクター博士のキャラ立ちを確立させようとして、うまくいかなかった印象が強い。やっぱりジョディ・フォスターの存在は大きかったんだと思う。
未観のレッドドラゴン以降を観る前のオサライとして再観賞。猪の辺りを...
未観のレッドドラゴン以降を観る前のオサライとして再観賞。猪の辺りをフンワリ覚えていた程度だったけれど終盤になってくると強烈な結末の流れを一気に思い出した。よくコノ内容を忘れていたなと思うほどの強烈な結末。
全般良くできているがスリがレクター博士の指紋を採ろうとするシーンはスリル満点に描こうとして失敗している感じがする。せっかくスリに仕事を依頼してるのに刑事も一緒に成って近くをウロウロしたり人が腹を刺されてるのに当人も周りも関心が薄すぎる。
午後ロードにて視聴
しかしながら、テレビでは晩餐の場面は大幅にカット。
いきなりキッチンでクラリスが長い髪を冷蔵庫の扉で挟まれて動けない。
ビデオ借りないとダメだな。
午後ロード録画視聴にて
2024年10年3日再視聴
何度見てもグロさ強烈っ!
この映画でいちばん印象に残っているのは、生きたままの頭蓋骨オープン。ひぇ〜😱なのにそこからの前頭葉切り取りステーキ。今見てもかなりグロい。でもレクター博士はあの警察が来るかも、という緊迫感の中で、密かに逃走する機内に持ち込む弁当用に彼の脳みそステーキ焼いていたのね😮💨
イタリアでの刑事の首吊りお腹パックリ腸ぶちまけもかなり強烈。彼の奥さんは結局どうなったのかな?食べられちゃったのだろうか?
そもそも、イタリア行ったり、アメリカに戻ったりと、凶悪犯の逃亡犯、飛行機に乗れることが不思議ではあるが、、、それを言ったらダメですね🙅♂️
新たなクラリス、ジュリアン・ムーアも知的で美しく、イメージ通りだが、ジョディー・フォスターはオファーがなかったのか、断ったのか、何故だろうと当時からの疑問だった。
人間だけでなく、犬や猪も従わせるレクター博士、やはりモンスター。
なかなかシュールですね
メイソンの顔とか豚に食べられるシーンとかは昔、見た時は寝られなくなるくらい衝撃だったが、この前U-NEXTで見たら、年のせいか以前ほどの衝撃はなかったです。むしろあの最後の食事シーンに笑ってしまった。普通にギャグ漫画に出てきそうな絵。脳みそパッカーンで中身取り出されてソテーされて「おいしい」って、、。それも流血しながら。
サイコパスに愛されてもなぁ。
ハンニバル・レクターの魅力
薄暗い美しい映像と華麗なサウンド
残忍なサイコパスだが、自信と美意識、創造性に優れたハンニバルに釘付けになる。
彼の行動はドン引きではあるが、彼の中から滲み出る本質的な魅力を余すことなく伝える映画。
リドリースコットの腕にただただ魅了される2時間。
ジョーカーに魅力を感じた人には是非見てほしい作品
レクターはスルーするブタちゃん達。
『羊たちの沈黙』はレクター博士そんなに登場せず、残虐描写もそこまでなかったのでちょっとガッカリしたんだけど、今作でだいぶ満足したし、前作は前作でそれがなくてもあれだけ怖いことの凄さをこっち見て感じた。
かなりエグい残虐描写をリドリーっぽい綺麗な映像で見せるもんだからエグいけど美しいという不気味な感情に襲われる。でも綺麗なのはレクターの殺人行為だけでヴァージャーの方はきったねぇのよ(笑)あんなきったねえブタ初めて見た(笑)なぜかレクターはスルーしておデブの方目掛けて猪突猛進していくし。
あとはGUCCIとかDEAN&DELUCAなどスポンサーの匂いがプンプンするものの、たぶん世界で1番嬉しくないGUCCIのプレゼントだったし、DEAN&DELUCAに関してはとんでもないもの中に入れられてたからな。今度の『ハウス・オブ・グッチ』より楽しみ。
【”自分の脳みそを食べたくはない!”ハンニバル・レクター博士と、FBI捜査官クラリスとの第二章を残虐描写を交えて描き出したサイコサスペンス映画。レクター博士のクラリスへの倒錯愛が描かれた作品。】
ー 今作は初めて鑑賞したが、(前作で十二分に満足していたので・・。)リドリー・スコット監督を持ってしても、傑作の前作は越えられなかったかな・・、と言うのが正直な感想である。
それでも、サイコサスペンス映画作品のレベルとしては、充分にクリアーしているとは思う。
前作が、凄すぎるのである。-
◆感想
・レクター博士(アンソニー・ホプキンス)の元、患者で唯一の生き残りメイスン・ヴァージャー(ゲイリー・オールドマン:顔の皮膚をレクター博士に剥ぎ取られているため、誰だが分からず・・。彼が、今作から数年後「ウィンストン・チャーチル」で、日本人特殊メイクの力量にもより、念願のオスカーを獲得したのは、記憶に新しい。今作から、特殊メイク役をやっていたんですね・・。)は、レクター博士への復習心に執念を掛けていた。
・レクター博士はイタリア・フィレンツェに潜伏していたが、常にクラリス(ジュリアン・ムーア)の動向は気に掛けていた。今や、ベテランの域に達したクラリスだが、麻薬捜査に置いて多くの犠牲を出した事から、窮地に立たされていた。
- ここまでの流れが、可なり粗く描かれている。メイスンの復讐心は分かるが・・。ー
・フィレンツェの捜査官、パッツィはレクター博士に掛けられた300万$の懸賞金の存在を知り、捕らえようとするが・・。
- もう!格が違うんのだから止めなさいって!-
予想通り、内臓を引き裂かれ、逆さづりに・・。
・そして、メイスンに拉致されたレクター博士は、コレマタ格の違いを見せつけ、メイスンを豚の餌として屠る。
・メイスンに買収された、司法省のクレンドラーとクラリスをレクター博士がクレンドラー宅で、夕食に招くシーンは、怖いが今作の見所であろう。
クスリを盛られた、クレンドラーの頭蓋骨の半分をレクター博士が、手慣れたメス裁きで切り、露わになったクレンドラーの前頭葉の脳みそをソテーするシーン。
- イキナリ、映画レビューから離れるが、中国の上海では生きた猿の脳みそを食べる。
私は、数年前、仕事で中国に言った際、(商談はこじれていた・・。)相手のお偉いさんに、豪華な店で、蛇肉と併せて”オイシイですよ・・”と振舞って貰った。
こじゃれた器に、少量乗せられて供されたが、濃厚な甘みと複雑な味わいであった。スプーンですくって食べた。後日、意地悪そうな顔で、”アレは、生きた猿の脳みそです。とても高価な何ですよ・・”と言われた事は、忘れ難い。-
<レクター博士の、クラリスに対する屈折した愛が、描かれた作品。
面白いのであるが、「羊たちの沈黙」と比較すると、どうしても見劣りしてしまうのである・・。>
暴走する美意識が残忍さを昇華させる快感!
リドリー・スコットはファッション系のCM出身だから、映像美に拘りがある。中には舞台設定やプロットと齟齬を来しても美的イメージを優先させる結果、驚くような成果を得ることも、それが暴走して失笑を買うケースもあった。
本作は彼の美意識が、暴走しながらも成功した傑作と言えるだろう。
冒頭からエンディングまで、一分の隙もないほど美しいシーンに埋め尽くされたこの映画は、全編が快感の連続である。
例えば、映画の冒頭、フィレンツェの広場でハトが群がるシーンのバックに流れるのは、グールド「ゴールドベルク変奏曲」だ。「羊たちの沈黙」でも同じ曲が流れていたが、それは流麗な55年録音盤だった。リドリーは81年盤のラストの不安を醸し出す美しいアリアを選択し、その不安感の中でハトがレクターの顔の輪郭を描く。
また、パッツィの手先のスリがレクターの指紋を獲ろうと、フィレンツェの怪しげな街並を付け狙い、逆に下腹部に致命傷を負わされ、夥しい出血の中で死んでいくシーン。あんな人混みの中で大出血して人が死んでいくのに、パッツィが誰にも怪しまれず、指紋付きの腕輪を入手できるはずもないし、血塗れの手を公衆水道で堂々と洗うというのも不自然極まりないのだが、あまりの美しさに見とれて文句など忘れてしまう。
そしてストーリー展開からは脇役なのに、あまりに力を注ぎ過ぎるほど注いだことが一目瞭然の、映像も音楽も見事なオペラシーンには、映画を忘れてうっとりさせられる。
さらにいえばレクターが司法省・クレンドラーの脳髄を切除し調理するシーンや、レクターが自分の手を切断するシーンだって、工夫された構図にライティング、計算されつくしたセリフによって美しいではないか。
この感触は、美で恐怖を昇華させてしまったキューブリック「シャイニング」に似ている。リドリーもまた残忍さを美で昇華させてしまったのだと思う。
俳優陣もジュリアン・ムーアはスタイルがよく、ジョディ・フォスターより適役だし、ゲイリー・オールドマン、レイ・リオッタの怪演は申し分ない。ただ一つ美しくないのは、短足で腹の突き出た不格好なアンソニー・ホプキンスだろうか。こちらも代役を検討すべきだった。
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