『ジョイを探して――吹雪の森で見つけたもの』
ジョイという名前は、皮肉にも「喜び」を意味する。
しかし、彼女の人生は喜びとは程遠い。
仕事も恋愛も失敗続き、畳み掛けるような理不尽な不幸の連鎖。
その底で彼女が信じていたのは、「悲しみの後には喜びがやってくる」という希望だった。
だが、神はサイコロしか振らない。
人生に仕込まれた意味などなく、人はただ、そこに意味を見つけようと足掻く。
絶体絶命のピンチに瀕したジョイをリッジが救う。
しかしそこはスマホもテレビもない世界。
沈黙だけが支配する空間で、二人は互いの本心を吐露する。
母の死、父の再婚、許せない自分。
リッジの悲しみは、ジョイのそれと重なり合う。
人は誰しも、自分自身に対する嘘を抱え、誤魔化しながら生きている。
だが、吹雪の孤立はその嘘を剥ぎ取る。
沈黙は、核心に触れた後に訪れるものだ。
「逃避」という言葉が、リッジの心を突き刺した。
森での孤独は、彼にとって必要な静寂だった。
だが、ジョイはそれを指摘する。
人は他人の逃避を裁く資格があるのだろうか?
それとも、逃避こそが生き延びる術なのだろうか?
ジョイ自身もまた、夢という名の原動力に縛られ、ストレスと喧騒に押し潰されていた。
やがて吹雪が晴れ、別れの時が来る。
一週間の沈黙と対話が、二人に何を残したのか。
それは、人生の意味を探すことではなく、意味を与える勇気だった。
ジョイは夢を叶える。
だが、その選択は、リッジの言葉と、親友たちの行動がなければ成り立たなかった。
偶然か、必然か――それを「天使のいたずら」と呼ぶのは、信心深いリッジの優しさだろう。
森には何もなかった。
だが、何もない中にこそ、すべて必要なものがあった。
沈黙と喧騒、逃避と夢。人間とは、その二面性を抱えて生きる存在だ。
私自身も問わずにはいられない――「私は何から逃げているのだろう?」