ザ・プレジデンツ・ケーキのレビュー・感想・評価
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映画祭の最大の魅力は「未知の世界」と出会えること
「カンヌ監督週間 in Tokio 2025」でオープニング上映されたこの映画は、1990年代のイラクが舞台。
サダム・フセイン大統領の独裁政権のもと、街中の商店、学校など至るところに大統領の肖像画が掲げられ、人々が行き交う道々に兵士が闊歩する光景が当たり前となっていた。
しかし、大統領就任後に立て続けに起こした国際軍事行為によって、経済制裁を受けたイラクに暮らす国民は困窮していた。
そんな中、大統領の誕生日には国中で祝典用ケーキを作って祝わなければならないという決まりを遂行するため、その役目を決めるくじ引きが学校で行われる。
運悪く、祖母と2人で貧しい生活をしていた少女がその役目に指名され、仕方なく街の市場まで買い物に出かけるところから、物語は予想外の展開に進み始める……。
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90年代のイラクの印象は、日本に住んでいる普通の日本人にとっては、のちにブッシュ大統領が「悪の枢軸」と名指しした軍部が支配する交戦的な中東の国という印象で、その象徴がフセイン大統領という程度の認識だった。
当時マスメディアはアメリカ寄りの偏ったメッセージを垂れ流していて、その頃は国際的なニュース情報はテレビや新聞からしか手にいれることができなかった私たちは「フセイン大統領は悪い奴で、それを支持しているイラク国民もきっと悪い人たちなんだろう」という短絡的な印象だけで納得していた。
この映画の中に登場する主人公である少女と、その周囲の人たちは、川のそばに藁葺きのような簡素な掘立て小屋を建て、その中で電気のない暮らしをしていた。
用事があると家の目の前の川を手漕ぎの船で往来し、買い物に出たり、学校に通ったり。
幼い少女がひとりで手漕ぎボートを操作するのは大変な様子だけれど、どこか牧歌的で長閑で、ちょっと羨ましくさえ見えた。
学校や街中は普通のコンクリート作りの建物だったから、風が吹けば飛ぶような粗末な家に住んでいるこの映画の主人公たちはおそらく特に貧しい環境なのだろう。
そんな少女が、学校のくじ引きで運悪くフセイン大統領の誕生日を祝うためのケーキを作って持参する担当に指名されてしまう。
日々の生活さえギリギリなところに、経済制裁のために物資が不足し、ケーキの材料となる砂糖や小麦、卵などを調達するのは非常に大きな負担となる。
仕方なく、祖母は少女を連れて街に買い物に出かける。
早々に祖母とはぐれてしまうが、幼馴染の学校のクラスメートの男の子が買い物のお供となり、2人の冒険が始まる。
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猥雑な街の中で、幼い二人が健気にケーキの材料を探し求める中で出会うさまざまな大人たちは、きっと当時のイラクの風俗を象徴するような存在なのだろう。
モスクで礼拝する人たちや街を闊歩する兵士たち。
荷台にフセイン大統領の肖像画を掲げて誕生日を祝うトラックが、未舗装の道路を土煙を上げながら走りゆく。
街中で少女と離れ離れになった祖母が警察署で救いを求めるも、田舎者扱いして「忙しい」と取り合わない暇そうな警察官たち。
受付と診察と入院患者が同じ空間に混在する、人だかりの不衛生極まりない病院で忙しく働く医者や看護師たちと、治療を受ける傷ついた兵士たち。
買い求める長蛇の列の客が押しかける業者の店の奥には、貴重な小麦が入った袋が山のように積まれている。
常に文句を言っている足の不自由な老人が、廃墟のような建物の中で卵などを無造作に並べて売っている。
鶏を絞めて食用にする食鳥処理業者のおじさんは、貴重な砂糖を「タダであげる」と主人公の少女に優しくしながら暗がりに連れ込もうと画策する。
「砂糖と小麦粉がほしい」と願い出る少女たちの存在を忘れ、昼間から妊婦を店内に連れ込む雑貨屋の店主。
経済制裁で景気は悪く、軍が統制する物々しい空気の中、それでもイラクの人たちは生き生きと「目の前の今」を生きている。
それは「まだ何者でもない」少女の澄んだ目から見た、自分が生まれた国のリアルな光景なのかもしれない。
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映画のエンディング、無事ケーキを提出できたことで役目を果たした少女が安堵する中、爆音が響き渡り、教室でも爆弾が炸裂する。
爆音と土煙が舞う教室の中、ともに大冒険を潜り抜けた男の子と見つめ合う少女の目には果たして何が映っていたのだろう。
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この映画上映後、「カンヌ監督週間 in Tokio 2025」のアーティスティック・ディレクターのジュリアン・レジさんが登壇し、この映画について、そして「カンヌ監督週間 in Tokio 2025」について語ってくれた。
この映画は、まだ無名だったハサン・ハディ監督のデビュー作で、第78回カンヌ国際映画祭で「カメラドール(新人監督賞)」を受賞したことで大きな注目を集めているとのこと。
イラク人の映画監督がまだまだ少ない中、イラクのリアルな姿を捉えるハディ監督の今後に、カンヌも大きな期待を寄せているということでした。
この映画は決して「イラク人監督のデビュー作」だからという「下駄を履かせた」評価ではなく、本当に面白く、鑑賞後の満足感も高い優れた作品だと思います。
レジさん曰く、日本での上映も決定したとのことなので、もし上映が決まった際は、改めてぜひ鑑賞したいと思える作品でした。
ケーキの材料はどこ?
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