チャップリンのレビュー・感想・評価
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チャップリン家とロマの血筋:子供たちの奇妙な執着
正直に要約して邦題をつけるならこんな感じだろうか。もちろん率直に内容を伝えることが集客につながるとは限らないわけで、それゆえ配給元は興味を持ってもらえるキャッチ―な邦題をつけようと知恵を絞るのだけれど。ちなみに原題は「Chaplin: Spirit of the Tramp」(チャップリン:放浪者の精神)で、Trampとはチャップリンが多数の映画で繰り返し演じた放浪者のキャラクターのこと(念のため、カードゲームはtrump、米大統領はTrumpで綴り違い)。1915年公開作「チャップリンの失恋」の原題はずばり「The Tramp」、翌1916年公開の「The Vagabond」の邦題は「チャップリンの放浪者」なのでちょっと紛らわしい。
チャップリン家が全面的に協力し公認した初のドキュメンタリー作品ということなのだけれど、チャップリンのことをあまり、あるいはほとんど知らない初心者向けの入門編として適切とは言い難い。かの喜劇王の代表作を一通り観ている中級者や、ほぼ全作品を観ており彼の生涯もだいたい知っている上級者なら、本作の「ロマの血筋」にこだわった編集方針で新たな視点を得られるかもしれないが。
チャーリーは36歳の時(1925年頃か)、母ハンナからそれまで隠していたロマのルーツを打ち明けられ、自らの人生と自作映画に新たな視点がもたらされたという。チャーリーの孫娘で本作を監督したカルメン・チャップリンいわく、家族のルーツがロマにあることはあまり知られていなかったそうで、それゆえ公認ドキュメンタリーの切り口にする意図もまあわかる。
ただ、メインの語り手であるチャーリーの息子マイケルをはじめ、家族やジョニー・デップなど出演者の多くがあまりにロマの血筋とチャップリンの映画や生き方を結びつけて語るため、チャップリン映画の魅力のごく一面しか強調されないもどかしさも感じてしまう。
そんなわけで、バランスは良くないのだが、本作鑑賞後にロマの文化的要素に注目しながらチャップリンの映画を観直すと、新たな気づきがあるのかもしれない。
いつか何処かへ
私の誕生日は4月16日である
そう、彼と一緒なのだ
知ったのは小学生の低学年の頃だったか
夏休みや冬休みの頃にNHKで『チャップリン小劇場』という番組をやっていてよく見ていた
ある時彼のことを知りたくなり学校の図書室で調べたら誕生日が一緒だったことを知った
とても嬉しかった
子供の頃から自分の居場所が分からなかった
いつも「ここじゃない」と思ってた
田舎を出て他の土地で暮らしても見つからなかった
歳もとり長く一つの場所で働き暮らしてはいるがその思いは変わらない
いずれは何処か他の地へ、そんな思いが消えることはない
この作品を見て「同じだ」と感じてしまった
ものすごく貧乏をしたこともない
かと言って大金を手にしたこともない
ごくごく平穏な生活をしている
「幸せってこんなことなのだろうな」とも思う
しかし頭の隅では「いずれは何処かへ」とも思っているのだ
家族は薄々感じているだろうが本気だとは思っていない
身体が動くうちに、命が尽きる前に何処かへ
諦めきれないことは確かだ
『イントゥザワイルド』を見た時に強く思った
『ノマドランド』を見た時も
この先の人生が楽しみだ
ロマとノマドはどう違うのだろう?
チャップリンのルーツはロマである
喜劇王のルーツは ロマ
チャップリンの素顔を 家族が語らう映画
監督は チャップリンの孫
語り部は チャップリンの子供たち…特に 長男
恥ずかしながら【ロマ】という言葉が
【ジプシー】ということを 初めて知りました
またチャップリンの作品を
全て観たことがないし ルーツを殆ど知らない
【チャップリンのことを 深掘りできる】
と 思うて観てたけど
【先祖が ロマである】ことしか 解らなかった
チャップリン家の 貴重な映像…
カラーのホームビデオと
突然出てきたジョニーデップの
プライベート姿には 驚きましたゎ(笑)
ジョニーデップも【ロマ】の血を引いてるのかな?
喜劇王チャーリー・チャップリンらしく
ネガティブな表現ではなく
勇姿を語って欲しかったなぁ
チャップリン一族のお話
喜劇王チャーリー・チャップリンのドキュメンタリーと言うよりは、その息子のマイケル・チャップリンとの親子関係、子供たちから見たチャップリンの姿、さらには、チャップリンのルーツにロマ(ジプシー)がいるということから、ロマという民族に関する話に時間が割かれている。
私が小学生の頃にチャーリー・チャップリンは亡くなっていて(1977年)白黒のサイレント映画の人、というイメージだったので、存命だったとは思っていなかった。その後に遺体が墓地から掘り出されて持ち去られたというニュースにも驚いたものだった。そのことはこのドキュメンタリーで息子がちょっと語っている。
老境に差し掛かった自分の人生を見つめ直し、偉大な父と、そのルーツに関して振りかえってまとめ上げたという感じで、チャーリー・チャップリンというより息子のマイケル・チャップリンのドキュメンタリーという感じ。タイトルは「チャップリン」なので間違いではないけど。
ロマにやたらとこだわるのはどういう心境からだろうか。アイルランドの血も入っているらしいがそこにはこだわりはないようだ。
なんだか、一般のヨーロッパの人々とは違うということにこだわっているように見えた。
原題は、『Chaplin: Spirit of the Tramp』で、”チャップリン:放浪者の魂”とでもなるのか。放浪者≒ロマ、という感じでこのドキュメンタリーでは話を進めていた。
ずいぶんとロマを称揚するプロパガンダ的な映画にも見えてしまうが、どういう意図があるんだろうか。
単純に「喜劇王チャーリー・チャップリンのドキュメンタリー」と思っているとだいぶ肩透かしを食らう感じのドキュメンタリーなので、レビューの点が渋いのもそれを反映しているんだろう。
新年一発目なので点数はこんなところで。
誇り高きロマ、外呼称の「再領有」
チャップリン家の⼈々が⾃らのルーツであるロマの⾎を、どれほど深く、強く誇りに思っているかが伝わってきた。
「芸術は政治から独立し、自由であるべきだ」
とされるが、芸術は政治にとって“脅威”にもなりうる。
「排除」の対象になることも恐れず、表現し続けたチャップリンは、勇気ある知的な静的革命家だと思う。
ロマが誇り高き人々なのは知っていた。
字幕の「ロマ」という”正しい”言葉と、耳に飛び込んでくる「ジプシー」という誇らしげな声に妙な乖離を感じた。
ちょうど1カ月前に訪れたロマ文化博物館で学んだ「外呼称」という知識がよみがえり、強い違和感と同時に興味が湧いた。
家族があえてこの言葉を使っているのは、自分たちの物語を語るための言葉として、その呼称の中に宿るプライドを保持しようとしている「再領有」からなのだろう。
家族にとっては「誇り」として語り継がれてきた言葉が、現代のロマの人々にとっては傷つける言葉になっている。
このギャップは、不適切な呼称の問題がどれだけ複雑で、世代や地域によって認識が違うかを象徴しているようにも感じる。
日本語字幕で「ロマ」と訳されていたのは、日本でロマの歴史が広く知られていないことを考慮し、倫理的配慮などが働いた意図的な結果だろう。
しかし、家族が抱いていたはずの「誇り(再領有のニュアンス)」が、言葉の置き換えで消えてしまった可能性も否めない。
翻訳における倫理的選択という側面を突きつけられた。
noteでは YouKhy名義で、もう少し長い感想を書きました。
周辺から輪郭を浮かび上がらせるBringing an outline into view from the periphery
チャップリンの長男
マイケルを中心に
チャーリーの生涯を浮かび上がらせる。
よくあるのは
家族を含めた関係者が
チャーリーの【行った事】の証言者
として語る事だが
この映画はチャーリーとの【関係】
に重点を置いているように感じた。
特にあまりに巨大な父を持った
長男マイケルの苦悩は
この令和の現代では想像するのは
非常に困難だし、おそらく
誰も理解できないだろう。
世界中の人が知っている
知らない人を数える方が早いレベルの
文字通りスーパースター。
その存在、作品が
世界史を動かした。
そんな人が父親で、
名前にある
【チャップリン】
から逃れられない。
インターネットもSNSもなかった時代に
そのパズるレベルを
遥かに凌駕していた。
亡くなって48年経った、
この令和の世でも
彼を知る人が多いのだ。
その彼を
家族、仕事関係者が
彼との関係を語る。
そしてそのルーツも。
ロマの血が流れていたことは
個人的にも初耳だった。
そのことを彼が誇りにしていたことも。
今まで折を見て目にした
彼がやったこと、語ったことを中心とした
伝記的なドキュメンタリーとは違って
家族を中心にして、
チャーリーの輪郭を浮かび上がらせる試みは
個人的には新鮮に映ったし、
もう一度、その作品を観てみようと思わせてくれた。
By centering on Chaplin’s eldest son, Michael,
the film brings Charlie’s life into focus.
In many documentaries,
family members and associates appear as witnesses
to what Charlie did.
But this film feels different—
it places emphasis on their relationships with Charlie.
In particular, the anguish of Michael,
the eldest son who had an overwhelmingly great father,
is almost impossible to imagine from the perspective
of today’s Reiwa-era society,
and probably impossible for anyone to fully understand.
A man known by people all over the world—
to the extent that it would be faster to count
those who don’t know him.
A literal superstar whose very existence
and body of work influenced world history.
To have such a man as one’s father,
and to be unable to escape the name
“Chaplin.”
In an era without the internet or social media,
his level of fame far surpassed
anything we would today call “going viral.”
Even now, 48 years after his death,
in this Reiwa era,
there are still countless people who know him.
The film has family members
and professional associates speak
about their relationships with him—
and about his roots.
That Chaplin had Romani blood
was something I personally learned for the first time.
And so was the fact that he took pride in it.
Unlike the biographical documentaries I had encountered before,
which focused mainly on what he did or said,
this film’s attempt to bring Charlie’s outline into view
by placing family at the center
felt fresh and distinctive.
It also made me want to revisit his works once again.
【"ロマ的自由がチャップリン映画に齎した事。”今作はチャップリンの中にロマの血が1/8流れていた故に、彼の作品の多くが弱者の視点で優しく強く描かれたかを家族が語るドキュメンタリー映画である。】
ー ご存じの通り、チャップリンの多くの映画では、貧しきチャーリーがヒョコヒョコ歩きながら、更に弱き者を助け、強く愚かしきものを揶揄し、打ち負かすストーリーが多い。
例えば、今作のドキュメンタリーでも登場するや「キッド」「街の灯」少し色合いは違うが「独裁者」などがそうであろう。
今まで、それはチャップリン独自の人道主義が成した技であると思っていたが、今作はそこにチャップリンの生い立ちを辿る事で分かったロマとの繋がりも関係しているであろう事が、彼の息子、娘達により語られるのである。
繋がりとは、チャップリンが、ノマドであり且つ非差別民族であったロマの血を1/8引いているために、彼の作品世界に影響を与えている事である。
確かにロマの民と同様に、チャップリンは子沢山であり、息子マイケルを始め子供達の多くが芸能や作家になっているのも合点が行くのである。
この視点は今まで公に語られる事は無かったと思うし、それを彼の子孫が語っている事や、息子マイケルが父との確執の思い出を懐かしそうに語る姿が印象的である。
特に、今作の語り部であるチャップリンと確執があった息子マイケルが、それをジョニー・デップやエミール・クストリッツァ監督等と語らう中で、心の中の確執を解いていく過程が良いのである。
<今作はチャップリンの中にロマの血が1/8流れていた為に、彼の作品の多くが弱者の視点で優しく強き映画だったのかを家族が語るドキュメンタリー映画である。>
マイケル・チャップリン
評伝ドキュメンタリーというよりも、家族による父親としてのチャップリン像を掘り下げた一作
世界で一番有名な喜劇俳優、チャーリー・チャップリンについて、彼の家族の手によって、家族の視点で描いたドキュメンタリー作品です(一部創作映像あり)。
チャップリンの人生を網羅的に掘り下げていくというよりも、チャップリンの家族、特に息子、マイケル・チャップリンから見たチャップリン像を中心に描いていきます。監督はマイケルの娘、カルメン・チャップリンが努めており、娘から見た父親の物語ともなっています。
マイケルはあまりにも偉大過ぎる父親の姿に悩み苦しんできた過去があり、そんな苦しむ父親に寄り添うカルメンの視点は、どことなく『aftersun/アフターサン』(2022)を連想させるものがありました。
父親となかなか向き合えなかった男性が、自分の生い立ちを認め、現在の自分を取り戻していく過程を捉えたドキュメンタリーとして、非常に優れている作品でした。
チャップリンは生前、自分にはロマ(ジプシー)の血が流れており、彼が演じる「放浪紳士」はそのルーツを色濃く反映していると述べていました。この、「ロマにルーツがある」ということが、家族にとってかなり大きな意味を持っている、ということを、本作を通じて初めて理解することができました。
作中で数多くのチャップリンの家族のお顔を拝見して、チャップリン家の特徴は何を置いてもまず、「目」であることを実感した次第!
タイトルなし(ネタバレ)
監督は、カルメン・チャップリン。
チャールズ・チャップリンの孫にあたる。
マイケル・チャップリンが父チャップリンのことを語る。
彼は、チャールズの最後の妻ウーナとの間に生まれた長男で、少年時代に『ニューヨークの王様』に重要な役で出演した経験もある。
長じてからは、父とは反りが合わなかった。
マイケルが語るには、「父チャールズは、ロマ(ジプシー)の血が流れていることに誇りを感じており、芸の根底をなしていた」・・・
といったところからはじまる物語。
謳い文句にあるとおり「ロマ(ジプシー)」の血脈を通してチャップリン映画/チャップリンの家族を語る映画。
または、その逆、チャップリン映画を通してロマ(ジプシー)を語る映画。
マイケルをはじめ、ジェラルディン・チャップリンなど、チャールズの子どもたちが数多く登場し証言する。
この部分が、「チャップリンの家族を語る」部分。
また、マイケルがロマ(ジプシー)の文化圏の人々/近い人々/憧れを抱いている人々へインタビューすることで、「チャップリン映画を通してロマ(ジプシー)を語る」部分を形成している。
インタビュー相手は、エミール・クストリッツァやジョニー・デップなど。
チャップリン映画の面白い素晴らしい部分のダイジェストを期待した向きには少々残念かもしれないが、それでも『サーカス』『独裁者』『ニューヨークの王様』の名場面は観れる。
挿入される、妻ウーナと並んだチャーリーの後ろ姿のプライベート映像は『放浪紳士チャーリー』でも使われていたなぁ、と深い感慨を覚えました。
縦糸と横糸が上手く撚り合わさっていない
チャップリンの人生を単に辿るのではなく彼の子供から見たチャップリンの姿を縦糸に、ロマ(ジプシー)の血を引きその影響を強く受けたとされるチャップリン作品の分析を横糸にしたドキュメンタリーです。
まず、世界有数の有名人である父親を持った子供らは、父を尊敬はしながらも鬱陶しく感じたり、重荷に思ったりと距離を置いていたらしい事が分かります。ま、チャップリンは女性関係も複雑で子供も多いからという事情もあるのかも知れませんが、実の子供にすら隔たりを感じられるのですから彼が如何に孤独であったかが窺い知れます。
また、彼がロマの血を引いていたと言うのはこれまで知りませんでした。
でも、そうした縦糸と横糸がうまく撚り合わさっておらず、どこに焦点があるのか掴めぬまま奇妙な織物になってしまいました。それに、ロマ文化の影響を強調するあまり、何だか牽強付会的なこじつけに感じる点があったのも勿体なかったです。
予想とは違う内容に若干肩透かし、邦題とポスターはわざと?
チャールズ・チャップリンの過去作品と共に家族が今だから言える、みたいな事を語るノンフィクションかと思って鑑賞したが、違っていた。
チャップリン家の先祖はジプシー、作品の原題は放浪者の精神、とされている。邦題と作品のポスターは本作と合ってないのでは?
チャップリン家のルーツ、チャールズの子供たちが自分たちのルーツを巡り語る話だった。引用されるチャップリンの作品映像は単にこじつけ的解釈…最後のショットを見ながら何故にこのショットを見せられているのかな…と思った次第。マイケル・チャップリンのファミリーヒストリー、というのが本題でしょう。
チャップリン家のファミリーヒストリー
1977年12月25日、クリスマスの朝に天に昇って行ったチャップリンを偲んでこちらのドキュメンタリー作品をクリスマス・イブに鑑賞。
本作は自分がロマ(ジプシー)の血を1/8引いていることを誇りに思っていたというチャップリンの足跡を、家族が持つ写真やフィルムを挟み込みながら、チャーリーの息子マイケル・チャップリンが辿る様子を孫のカルメン・チャップリンが監督して撮っている一家の「ファミリーヒストリー」だ。
観ながら、半世紀前の1975年に制作された『放浪紳士 チャーリー (The Gentleman Tramp)』という作品が日本で1977年12月17日から日本公開されていたところにチャップリン逝去の知らせが入り、上映後に追悼のアナウンスが流れたという記憶が(公開館も限られていてわざわざ日比谷まで観に行ったんだよなという記憶と共に)蘇ってきた。
今回、子どもたちの証言からチャーリー自身はクリスマスが好きではなかったという意外な事実を知った。子どもたちには山ほどオモチャなどのプレゼントを与えていた一方、極貧の自分自身の子ども時代には、もらった中で一番贅沢なプレゼントがオレンジ一個だったという悲しい気持ちを思い起こされるからという理由。なるほど、やはりそんな子ども時代の悲しみがThe Kidをはじめとする彼の作品には滲み出ているんだな、と納得。そこに被差別集団としてのロマの視点が加わることで様々な作品中の弱者や少数派への温かな眼差しが生まれてきたのであろう。
若い頃にはチャップリンという名前の持つ重みから逃げ出し父親との関係もギクシャクしていたマイケルを中心に、チャップリン一家に流れるロマの血の痕跡(あるいは、原語の副題にある「放浪者の精神」と言ってもいいかも知れない)を求めてインタビューを重ねていく。
ことの真偽は大きな問題ではない。一つの場所に留まらない根無草の放浪者であるからこそ、「ロマ」というルーツ(根っこ)を精神的な拠り所としたいと切望しているのかも知れない。
チャップリンと家族に敬意を表して
それなりに興味深いテーマと内容ではあるけれど
文句なし❗️チャップリンのルーツを知る最適な作品
文句なし❗️素晴らしいドキュメント作品だった。チャップリンのルーツがメインの作品だったが、チャップリンの人物像を知る上で貴重な作品。チャップリンには必ずロマの血がキーワードとして出てくるが、ロマとは何かこの作品で知る事が出来た。この作品を知った上で、もう一度チャップリンの作品を観たくなった。おすすめのドキュメントです。この作品を観ればチャップリンの作品を観る楽しみが増えます。
ジプシー・ジョーもNGなのか
言わずと知れた喜劇王の実子たちが実名で登場して振り返る、父チャーリー・チャップリンの実像を描くドキュメンタリー。
中盤から彼のルーツに関わる考察が繰り広げられるが、ちょっとこじつけ味が強く正直なところ乗れなかった。
ここからちょっとネタバレ。
チャーリー・チャップリンは8分の1でロマの血統を継いでいると自認していたそうだ。
作中では息子たちがみんな「ジプシー」と発語しているのだが、字幕は全て「ロマ」になっていた。人権的には正しいかも知れないが、発言のニュアンスを変えてしまうのはどうなのだろう。
全23件中、1~20件目を表示












