星と月は天の穴のレビュー・感想・評価
全70件中、1~20件目を表示
衰えゆく文芸映画の残り火
原作は吉行淳之介が1966年に発表した小説、時代設定は1969年(昭和44年)、主人公は恋愛小説を執筆している作家、映像はモノクロ基調(口紅や糸など赤系の色が要所でパートカラーになる)とくれば、昭和レトロな文芸映画の薫りが自然と漂う。主人公・矢添(綾野剛)の執筆シーンでは、原稿用紙に文字を綴る姿に合わせて文章を音読する綾野の声が流れ、さらに白文字の縦書きテロップを映像に重ねる念の入れよう。3人の女性たちとの関りから、作家が何を思考し、それをどう創作物に転換していくのか、その内面の動きが物語の軸の一つになる。
吉行淳之介作品の愛読者や、かつて文芸映画が人気の一ジャンルだった時代を知るシニアの映画好きなら、本作を懐かしさとともに楽しめるだろうか。ただまあ、このジャンルが衰退傾向にあるのも確かで、キャストの顔ぶれや映像の作りからも予算の少なさが伝わるのが切ない。ヌードで濡れ場を演じるのはメインの女優3人のうち比較的マイナーな2人。モノクロ映像も、フルカラーで60年代を再現することに比べて製作費の節約につながったはずだ。
振り返ると、テレビの普及に押されつつも映画がまだ娯楽の王様とみなされていた頃、文芸大作がそれなりに作られ、メジャーな女優がヌードで情愛の場面を熱演して話題になることもあった。例を挙げるなら、五社英雄監督作「鬼龍院花子の生涯」(1982)の夏目雅子、吉田喜重監督作「嵐が丘」 (1988)の田中裕子、森田芳光監督作「失楽園」(1997)の黒木瞳など。
文学的に描写された男女の情愛を映像化する際、必然性があればヌードも辞さないという女優は、従来から欧米に比べ日本では少なかった。さらに言えば、成人向けコンテンツも多様化している昨今、エロティックなものも含めた好奇心の対象を劇場公開映画に求める層は確実に減っているはず。文芸映画に限らないが、邦画界においてヌードはキャリアのある女優にとってメリットよりもリスク、配給元や製作委員会にとっても客層を限定する点でやはりリスクととらえる傾向がさらに強まっているのだろう。
「火口のふたり」「花腐し」などでも監督・脚本を務めた荒井晴彦は、情愛を描く文芸映画のそうした衰退傾向に抗い、火を絶やさぬよう奮闘しているようにも思える。
ポリデントがなかった時代
「恋愛の最終段階は性愛にいたる」
皆さんは数の多さは別にして、恋愛をしている、恋愛をしていたと思います。きっかけは何ですか。相手が可愛い、恰好いいという人もいれば、お互いの話が、波長が合うという人もいるでしょう。そして付合いを経て最終的に「性愛」にたどりつくのではないでしょうか。お互いが愛しくなると抱きしめたいという気持ちは「本能」だと思います。
恋愛を経験した人、していない人はこの映画を見てどのように思うのか興味深いです。映画の半分くらいは「性愛」の行為が描写されます。それが自然の成り行きと思うか単なるエロ映画と見るか、どちらかではないでしょうか。
脚本・監督は荒井晴彦です。「火口のふたり」や「花腐し」でもかなりきわどい「性愛」を描いていました。「火口のふたり」は従妹という血のつながりが気持ちも肉体もフィットする映画でした。「花腐し」はお互いを好きになった女性と男性が「性愛」につながる映画でした。
今回の映画は面白い構成になっています。作家の矢添は小説の主人公Aを「精神的に愛する男」というベースで書いていきます。作家自身の矢添は「女を見るとやりたくなる」男です。小説と自分自身がまったく乖離していますが、年齢はともに43歳というのも肝です。
矢添は小説家ですが妻に逃げられてからずっと一人でいます。彼の心には妻に逃げられたことがショックでどこか女を信じられないというコンプレックスを持っているのです。それゆえ女への不信感から「女を見るとやりたくなる」という、女を「物」としか見られなくなっているのです。
小説のAはバーでアルバイトしている大学生B子に好意を抱きますが、あくまで紳士的にふるまいます。一方、矢添が朝食をとるときに赤い鮭を見て欲情すると、すぐ売春宿に電話してなじみの娼婦・千栄子を抱きます。この鮮明な赤色はのちに3度出てきます。娼婦・千栄子は彼にとって「物」です。彼女が矢添へ好意を持っていてモーションをかけますが矢添はまったく無視します。
矢添はふらっと入った画廊で大学生の紀子と出会います。彼女を車に乗せて家まで送るときあることがおき、二人は連れ込み旅館に入ります。裸にして「性愛」をしようとしても欲情しません。ただ部屋の隅に数えきれない男と女の毛を見た瞬間欲情するのです。それ以降何度も何度も矢添と紀子は「性愛」をかさねます。
あるとき矢添と紀子が「性愛」にいたったとき、紀子の体に赤い傷が鮮明に映し出されます。赤い傷。紀子の「性愛」に対する欲情です。体は正直なのです。矢添がいつもの売春宿から電話を受けて16歳の子がいると聞き、そそくさと出かけます。裸になったその子の唇に真っ赤な口紅がひかれている。この赤い口紅は後のB子につながるのです。
AはB子に紳士的でしたが、あるとき突然部屋へ行こうと言い「性愛」に及びます。なぜか。B子がつけていた真っ赤な口紅がB子らしくなかったからです。Aは純情そうに見えていたB子に悪意を持つ、そして強引に「性愛」におよんだのです。
紀子と二人車に乗っているとき事故を起こします。レントゲンを撮るふたり。そこで矢添の秘密が明らかになったのに、紀子の一言によって矢添は紀子を以前より愛おしくなっていくのです。ここにおいて女を「物」としてしか見てこなかった矢添は紀子に陥落するのです。そしてB子と紀子、Aと矢添がだんだんとリンクしていき、彼の小説は完成します。
恋愛というものは、「お互いがありのままの自分を愛してくれる人を愛する」に尽きるのではないでしょうか。娼婦・千栄子は矢添にとっては恋愛の対象ではなく、女という「物」でしかなかった。彼女が遠くを見る目つきで諦めたようにブランコをこぐ姿に「性行為」だけではどうしようもないことがあることを見事に描写していました。
滑稽で切なさがつのりますが、この映画はまさにラブストーリーです。愛する者同士の世界は面白い。お互いが高齢になったとき「性愛」がなくなっても愛は残るからです。
昭和はエロスが溢れていた
1969年。昭和で言うと44年は、ブルーボーイ事件の判決、連続射殺事件の永山則夫逮捕、アポロ11号月面着陸、ウッドストック開催、ビートルズ最後の制作アルバム「アビーロード」の発売、世界各地の紛争と日本の学生運動の高まりも含め、映画やドキュメンタリーの題材が溢れるほど起こった激動の年である。吉行淳之介原作の小説は1966年に上梓したのでこれらの出来事は後に起こったことであるが、月と星をアポロと絡めたかったのだろう、。
荒井晴彦監督作品は「火口のふたり」「花腐し」で男と女の性の営みを沢山見せつけていたので既に免疫はできていたが今回の綾野剛と咲耶の絡みは又別の種類のエロスを感じさせてくれた。
助監督時代からピンク映画で鍛えられ商業映画に進出し有名になった監督は沢山いらっしゃいますが皆さん随分とお年となってきました。荒井監督のこのような作風を継承する方がいるのかどうかわかりませんが、令和になっても日本には必要な映画のジャンルではないのか?と勝手に思っています。しかし、邦画も大作映画が上映するスクリーンの大半を制するような時代になってきたので、性愛をメインに据えるような作品は(今日、私が観た映画館では観客は3人のみだったし)興行的には厳しいのではないかと少し心配してしまいます、。
是非、この映画も高い評価を得て有名になってもらいたいです。
荒井監督だから、恐る恐る
私の偏見であるが、荒井監督というとロマンポルノ時代のにっかつがベースにあって、日本映画について常に厳しい論評をされる方、と思う あれだけの論評をするのであれば、本人の作品を是非観たい、と思っていた
私は60代前半の男性であるが、本作の時代背景(革命に対する憧れ)、こじれながらも捨てきれない恋愛観、歯がゆさを感じる一方で、あまりにも情けない自分勝手な思慮に大いに共感を覚えた 原作の吉行氏も「そういった」感を作品から感じる方ではあるし、あまりにも多い濡れ場シーンも、ある意味「原作に忠実」とも言えるのかもしれない
原一男さんの名前をみてびっくり、また主人公の自分勝手さも綾野さんはよく演じられていたと思う 宮下順子さんもあの時代からずっと活躍されていて嬉しい
ロマンポルノからロッポニカ(一般映画路線)に移行した1988年の第一弾が荒井氏脚本の「噛む女」で、情事中に「噛む」行為が描かれ、本作と重なった
それでも長いキャリアで物言う存在感を持つ荒井氏の本作、濡れ場シーンは多いが意味のある描き方だったと思う(2025年12月31日 テアトル梅田にて鑑賞)
他人を愛せない昭和の男
『火口のふたり』や『花腐し』の荒井晴彦監督による、綾野剛主演の映画で、他人を愛せない、めんどくさい昭和の小説家の話です。吉行淳之介の原作を映画化したものですが、観ていくとだんだん主人公の矢添克二が吉行淳之介に見えてきました。
令和の世に、こういう男はもういないと思いましたし、診察室で医者がたばこを吸うなど、今ではありえないシーンの連続で、昭和の設定でないとこの映画は成り立たないでしょう。
前の日に観た『マディソン郡の橋』を思い出し、少しはこれでも観て頭を冷やせと、矢添克二に言いたくなりました。
『花腐し』で綾野剛と共演していた柄本佑も出演するというので期待していたのですが、少し期待外れでした。
それにしても紀子役の咲耶は素晴らしい。何と言っても声が艶っぽいです。
とにかくセックスシーンが多い映画
主人公の矢添は軍国教育は受けたけど戦争には行かなかった世代? 女子大生(?)紀子は「団塊の世代」? 老いを意識し始めた矢添には若さへの憧憬がある?
この映画の時代設定は1969年(昭和44年)です。一方、吉行淳之介による原作小説は1966年に発表されています。映画を観て気になったので以下の点、各種の公的機関のサイトで調べてみました(5年おきのデータなので ‘69年の前後の ‘65年と ‘70年が示してあります)。
平均寿命
1965年 男 67.74歳 女 72.92歳
1970年 男 69.31歳 女 74.61歳
ちなみに最新データ(2024年)では
男 81.09歳 女 87.13歳
大学進学率
1965年 男 20.7% 女 4.6%
1970年 男 27.3% 女 6.5%
ちなみに最新データ(2023年)では
男 60.7% 女 54.5%
ということで、平均寿命のほうは諸々の統計上のマジックが働いているのかもしれませんが、私が子供の頃には同学年を探せばひとりやふたりはどちらかの親と死別している子がいましたし、何よりも1960年代の頃の中年の人たちは今よりずっと老けていたような実感があります。この映画では主人公の作家 矢添克二を綾野剛が演じています。十数年前に亡くなった私の父がまさに1969年に今の綾野剛と同じ43歳だったのですが、今の綾野剛よりずっと老けていたような記憶があります。それでも父は同世代の中では若く見えるほうで、事実、80代後半まで長生きできたのですが。
確かに1969年は1964年の東京オリンピックを経て、1970年の大阪万博の1年前の年で日本は高度成長の只中にあったのですが、成熟した今の日本と比べると隔世の感があります。私は1975年に大学に進学したのですが、両親及び父方、母方双方の親戚にそれまで大学に進学した者がおらず、一族郎党で最初の学士になりました。女子の場合はさらに隔世の感があり、1970年代頃は娘が「四大」(死語に近い? 四年制大学のこと)に進学したいと言い出すと親は「嫁の貰い手がなくなる」と今聞いたら噴飯ものの言い草で反対したものでした。妥協点としてあったのが短大で、女子の短大進学率は ‘65年: 6.7% ‘70年: 11.2%で、その後、’75年から’95年までは20%台の前半で推移するのですが、世紀が変わったぐらいから減り始め、最新データの2023年では6.1%です。
さて、この映画では、矢添と男女の仲になる「女子大生」瀬川紀子(演: 咲耶)が登場します。女子大生のところをカギカッコ付きにしたのは、この紀子というのがどうも背景が怪しげで、女子大生と騙っているだけかもしれないと感じたからです。彼女には学生運動をしている「革命戦士」の恋人がいるようですが、それも本当かどうかわかりません。かなり年上の矢添に接近する彼女は見かけは幼い感じなのですが、老成を装って背伸びしている風にも見え、若さの脆さ、危うさを体現しているよう。1969年にあの年齢ですから、彼女はいわゆる「団塊の世代」に属していると思われ、あの世代が大人の世界に足を踏み入れたときの一例として、けっこう興味深かったです。
これに対して矢添のほうは恐らくは昭和の初め頃の生まれ、戦時中の軍国教育を受けたけど、ぎりぎりで戦争に行っていない世代になるのでしょうか(原作者の吉行淳之介は1924年(大正13年)生まれで、1944年に徴兵検査を受けて甲種合格、20歳で召集されますが、入営直後に気管支喘息と診断され、そのまま帰郷、結局、再召集されずに終戦を迎えたそうです)。恐らく矢添はバツイチのまま40代に突入し(平均寿命が今より10年以上 短かった当時の40代は今の50代みたいな感じ?)、総入れ歯にしているという秘密(?)も抱え(当時は「口腔衛生」なんて概念もなかったでしょうから、今のように定期的に歯医者に行ってクリーニングしてもらうこともなく、総入れ歯までは行かなくても、入れ歯の人、けっこういたのでは?)、老いと孤独を感じていたのでしょう。
彼は思春期や青春時代が戦時中や戦後の混乱期と重なっています。その後、結婚もうまくいかず、作家という自由業でそこそこ成功したので、持ち前のミソジニスト気質が少し歪んで、いっぱしの猟色家になっておりました。一般に猟色家には「カサノヴァ型」と「ドンファン型」のふたつのタイプがあると言われています。常に理想の女性を追い求める光源氏のようなドンファン型に対し、女なら何でも手当たり次第というのがカサノヴァ型なのですが、なんとなく女性をモノ扱いして蔑視している感じの矢添はカサノヴァ型だったのではないかと思われます。その老いと孤独を感じ始めた和製カサノヴァ(まあかなりトホホな状態ですね)の前に現れたのが1969年当時の「新人類」である団塊の世代の紀子だったということなのでしょう。で、結局、矢添は紀子に救われたとも言えますし、振り回されたとも言えると思われます。
この作品、映画としては、なんか矢添の狭い世界の中でうだうだやってる感じに少々うんざりしてしまってあんまり感心できませんでした。この後の現実に直面しながらも交際してゆくふたりを描いたほうが映画としては面白くなったのではないかと思います。あと、1969年という時代をうまく捉えきれていなかったなという印象もあります。なんか令和の地続きで昭和44年の世界を構築してしまったような感じ。私は思わず、こんなに違うんだぞとレビュー冒頭に統計数字まで挙げてしまいましたが。収穫としては、荒井晴彦監督が自分とは相性が悪いことを再確認できたことと、咲耶という存在感のあるいい女優を知ることができたことかな。
作家というものは
昭和のノスタルジー感がたまらない
何もないようで深い作品
煙草が心の拠り所
吉行淳之介の小説を荒井晴彦が映像作品化。
近年、荒井晴彦が自らの監督作品としてR18指定で連作しているのは、日活ロマンポルノへの思い入れもあるだろうが、昨今のポリコレによって漂白された巷の表現に対する異議申し立てがあるのだろう。
主人公にやたらと煙草を吸わせるのも、世の趨勢に対する反発が感じられる。まるで心の拠り所であるかのように、主人公が少しでも動揺すると、必ず煙草を口にくわえさせる。主人公のコンプレックスに掛けて、口にある意味を込めているのかもしれない。
メタフィクションの構成で、文章そのものの字幕と語りを大胆に使って文学を映像化する試みは、結構うまくいったのではないか。原作の持つ諧謔味も加わって、面白味がある。ただ、1969年という時代にこだわることで、ノスタルジー色が強くなり、今この作品を受け取る意義といったものは見出しにくい。
主人公役の綾野剛は、まだ格好良すぎる。もっと中年の枯れた感じがあってもよいのでは。相手役の咲耶は、姿態が子供っぽくてミスキャストのように思ったが、だんだんと無邪気で無頓着な感じが好ましく見えてきた。田中麗奈がすっかり大人の女性になりきっていて、見違えるほど。
前作の時には、荒井晴彦の遺言を見せられたようなある種の寂しさを感じたが、まだ彼自身の創作意欲は枯れていないようだ。
吉行淳之介だねぇ~
原作を読みたくなる。
2025年。荒井晴彦監督。1969年、40代の小説家は妻に逃げられて一人暮らし。関係を深めない範囲で女性と肉体的な交際を続けているが、その反動(補償?)として精神的な恋愛を追究する小説を書き始める。そんなとき、知り合った女子大生と深い関係になっていき、、、という話。
①セリフがいいので原作を読みたくなる。他人も自分も突き放したところから、しかし、決して関係を断ち切ろうとはせず、あたかも実験のように関係を続けようとする主人公の立ち位置がおもしろい。淡々としたセリフが一定のリズムをもたらしている。それが心地よい。
②1969年に大きな比重を置いている。男尊女卑的なジェンダー配置はもちろん、学生運動と月面着陸。
リベラルの人達はどう思うの?
文学は苦手です。
日活ロマンポルノ・オマージュ?
吉行淳之介が1966年に発表した同タイトルの小説の映画化作品。結婚に失敗した40代の作家が固定的な関係を築くことには臆病なくせに若い女との関係が深まっていく様を描く。
舞台の始まりは1969年の春の東京。ちょうど私が小学校に入学した頃と重なるので、壁に貼ってある看板やポスト、建物などの風景や店で流れるBGMを含めた空気感は懐かしくもある。それ故に、現代の若者には違和感があるかも知れない登場人物の話し方やタバコの吸い方(例えば、医者が診察中に喫煙する)なども、あの時代だと思うと自分にはまったく気にならない。
ただ、全般的にノスタルジーを押し出すのはいいのだが、全編白黒画面なのに、差し色として「赤」だけがカラーにすることで官能的な演出を狙ったりするなど、いかんせん感性が古めかしいとしか思えない。
原作小説は読んでいないのでどのくらい忠実に映像化しているのかは分からないのだが、性と愛を人間の本質として文学作品が描くことはよくある。だが、本作を鑑賞しながら感じていたのは昭和の時代へのノスタルジーというより、あの当時に隆盛を極めていた日活ロマンポルノへのノスタルジーなのではないか、ということだ。
日活ロマンポルノといえば、10分に一度程度「裸」あるいは「濡れ場」のシーンを入れさえすれば、純文学だろうがコメディだろうがSFだろうが題材やテーマは何でもありで、低予算で実験的な作品群を次々と作りながら若手監督たちが場数を踏むことができ、後の大物監督を何人も輩出してきたと言われている。
荒井晴彦監督自身、若い頃は若松組の助監督で、日活でいくつもの作品制作に関わってきた。宮下順子が本作でフィーチャーされているのも当時への想いからであろう。
1969年の最大のイベントといえばアポロ11号の月着陸。そして、翌年の1970年には「人類の進歩と調和」を謳う大阪万博が開催され、時代の潮流が大きく変わる。そんなアポロ以前へのノスタルジーで終わらせてしまうのは何かもったいないような気がするのは私だけだろうか?
美しい言葉のやり取りに、男女の心の機微を感じとる。
全70件中、1~20件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。













