ダンサー・イン・ザ・ダークのレビュー・感想・評価
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上手く出来た映画
この映画を見た最初の感想は「なんだよこのクソ映画!」でした。全部悪い方向に進んでいく…といえば聞こえはいいもの、ビルに金を取られてから殺すまでのくだり以外全部自業自得じゃねーか!というか諸悪の根源は見栄のためにリンダに本当の事言わなかったビルじゃねーか!って怒りが止まりませんでした。
でも、客観的に物語としてこの話を見てみると彼女に降りかかる不幸にはセルマのジーンへの愛を際立たせる役割があるんじゃないかと気が付きました。信仰のために殉教する聖人の伝説とかと同じで、自分がいかな不遇、苦痛に遭おうとも息子の為に健気にその境遇に甘んじ死ぬ母の美談というのがこの映画の本筋だと私は感じました。ただこの映画のミソはその重要な本筋である「母であるセルマ」が全体を通して霞みやすいところにあるのではと思います。セルマとジーンが直接会話するシーンって冒頭に集中してる上にかなり少ないんです。しかも大体の場面でセルマはジーンを叱ったり注意したりしている。息子への愛あればこそ厳しく接するのでしょうが、セルマが息子を愛していると周囲に話すシーンは結構あるのに実際に息子と話すシーンでは愛情表現をする描写が殆ど無い。ゆえに見ている我々にはいまいちセルマのジーンへの愛に実感が持てない。その上描写が序盤に偏ってるので、セルマが絞首台に向かう頃にはジーンの顔を思い出せないぐらい印象が薄まってくる。親子愛の美談なのに肝心のセルマのジーンへの愛情を感じられないのは致命的です。だからセルマの献身的な愛よりも社会的弱者が踏みにじられている状況が心に強く残り結末に救いを見いだせなくなる。これがこの映画を見た時の胸糞悪さの原因だと思いました。で、この親子愛の描写の少なさ、恐らくですが意図的に作られたものだと思います。だって終盤明らかにジーンの登場が減るじゃないですか?キャシーが面会に連れてくるとか絞首台にキャシーが来るシーンでワンシーンだけ外にいるジーンを映すとかで観客側にジーンの事を意識させる事はできるわけですよ。それをしなかったのは見た人の大半には単なる美談だと腑に落ちないで欲しかったからじゃないかと思うんです。単に美談で終わらせるなら別に主人公はチェコからの移民じゃなくていいし盲目じゃなくていいし、なんならシングルマザーじゃなくてもいい訳です。移民だからと裁判では冷ややかな目で裁かれ、目が見えないと働き口が見つからないから盲目であることを隠している。セルマは無実だが死刑執行後誰一人真実を知ることは出来ず、親に先立たれたジーンはこれから1人で生きていかなければならない。セルマが社会的弱者だからこそ、救いの無い結末を見終えた観客に移民差別や障害者雇用、死刑制度での冤罪といった問題を意識させることが出来る。この作品は、子への愛の美談を大筋に据えながらあえてその要素を薄くする事で社会問題について我々に問い掛けている、というのが私の見解です。
作品の狙いについて一通り考察したのでミュージカル要素についても軽く触れますが、ミュージカル映画では珍しくミュージカルパートが主人公の想像な訳ですが、この空想によるミュージカルパートが「頼れる親に類もおらず辛い境遇にありながらも息子の為だけに働いている」という想像、共感しにくい存在なセルマと私達観客を繋いでくれています。工場でのミュージカルの時点ではミュージカル好きなセルマの空想、といった感じでしたがビル殺害後からは現状が耐え難いセルマの現実逃避としての側面が強まり、明るく楽しいミュージカルとは裏腹に無情にも好転せず悪くなっていくばかりの現実に絶望するセルマの感情が私達観客にひしひしと伝わってくるいい表現だと感じました。
総評すると、上手く作られていて一枚岩とはいかないよく出来た作品なのですがやっぱりもう二度と見たくないです。特にビルからお金を盗まれるシーンは被害者なのに盗人のように扱われ泣き出すセルマが本当に痛ましいし自己保身しか考えないビルもビルの言う事しか聞かないリンダも腹立たしくて見てられないです。思い出しても嫌な気分になります。でも嫌な気分になるからこそ沢山考えさせられる作品だと思います。
この映画勧めてきた友人に一言
なんでこれ勧めたの?
鬱じゃん、こんなの
どんな気持ちで勧めたの。よく嬉しそうに作品名言えたねぇ。鬱映画勧めるノリじゃ無いでしょ。
セルマの友人が「死刑の時見送りに行く」って言って、セルマが「(死刑執行の様子に)耐えられるなら見に来て」とか言ってたけど、観客からしたら拒否権無いんだよ。見るしかないんだよ。最後まで。
ちょっと期待してたんだよ死刑流れてなんとかなるでしょって、ならないじゃん。これからチャペル風の音楽聞くたびセルマのこと思い出すよ。結婚式で歌が流れてお嫁さん幸せそうだな〜って思いながら、けどセルマは監獄で死ぬ前同じの聴いてたんだよな…って悲しくなるよ。
それにしても警官なんでセルマに撃たせたんだ?最初の一発だけなら生きられるレベルでは?裁判の具合から言ってセルマの負けが確定してるし、セルマに自分を撃たせず、セルマが自分から撃ったことにすれば良いのに…そうすれば命も助かってお金も手に入って win winだったのに…よく分からない…
そりゃ凄いですよ!
なんというべきか…凄まじい映画ですね、この映画を観た方はその点では全員一致すると思います。
こんなに独特な映像なのにとても自然に鑑賞できるというのは、もはやどういうことなんでしょう?カメラワークはドキュメント風とでも言いましょうか、監視カメラの映像もリズムを持っていかれるアクセントになっていました。何というか、我々鑑賞者の意識と、カメラの向こう側の演技の意識と、あとそのカメラを構えている撮影側の意識が存在する様に感じます。普通なら撮影側の意識は感じない、感じさせない様にする物だと思いますが、最初からまさにドキュメンタリーの様にハッキリとそれを感じました。もちろんすぐ慣れていきますが、その意識がある事によって本当に起きた事実の様に感じてくる様な物凄くリアリティのある映画でした。
そう、普通に考えれば全然リアルな設定ではないし、全然リアルな展開でもありませんね。アメリカの司法に詳しい訳ではありませんが、いくら警官殺しの強盗殺人だって、一発死刑は考えにくいものです。その説得力がウルトラC級の飛び道具的な撮影手法で、空前絶後の大仕事をしています。
そしてビョークの演技が凄すぎて震えました。観賞後にこの女優さんが噂に聞くビョークなのかと調べて初めて知ったのですが、とにかく半端じゃなかったです。他の出演者の方たちも凄かったです。特に看守役の方とビル役の方は胸が熱くなる演技でした。
音楽も良かったです!世界観そのまま、この鬼鬱ミュージカルを引き立てています。トムヨークとビョーク?そりゃあ 凄いに決まってるでしょうが!
工場のミュージカルシーンはいやいや頼むから集中してくれと、めちゃくちゃドキドキしながら祈る様な気持ちで観てしまいました。
セルマは愚かです。それは否定できないでしょう。しかしその愚かさには些かの悪意もありません。心から他者を思い、ただ誠実にあろうとするなかで、災を招いてしまったのです。おそらく意図的でしょうが、彼女の宗教的な描写はほとんどありませんでした。まあおそらくはキリスト教系であろうかと思われます。描写しない事によって際立って彼女の聖性が強調されている様に感じました。おそらくこの映画の鑑賞者は、彼女の周りにいる人たちに感情移入する様に作られているのではないのでしょうか。だってセルマに感情移入出来ないでしょう。余りに尊いし、余りに愚かです。彼女を取り巻く我々と同じ価値観を持つ人たちの感情と葛藤がこの映画の小さくない鑑賞点だと思います。
こうならないでくれ…!と願う鑑賞者をバカにするかの様にどんどん最悪に向かってストーリーは進みます。セルマが最後に最低限生きた意味を感じ、救われたとあのラストで解釈しました。そういう点では彼女にとってはギリギリハッピーエンド?と言っても過言ではないでしょうか(過言か?)。少なくとも私はあのラストに救われました。納得できました。寝付きもそんなに悪くなかったです。
映画館以外での鑑賞を一切考慮せずに作られた作品のように感じました。願わくばいつか劇場でこの作品をまた観れたらと、心から思います。
ラース・フォン・トリアーの映画を好きな自分が嫌い!
ダンサー・イン・ザ・ダークは衝撃的なラストが印象に残りがちですが、リトマス試験紙のように(もしくはロールシャッハの様に)、どんな感想を持ったかでその人柄がわかる気がして好きです。
救いがないラストで鬱映画…とだけ思う人、セルマ(ビョーク)は無責任な母親と感じる人、セルマはただただ純粋な女性だと思う人などなど…。
私は、セルマを何とかできたのに!と自己嫌悪のような、罪悪感のような気持ちを持って具合が悪くなります。そして、同じ監督のドックヴィルとそのラストを観ると、自分って人間を観てしまった様で具合が悪くなるという…。本当、この監督の映画が好きな自分が嫌だと思う瞬間。
この映画の撮影中にビョークが起こした奇行(数日間行方不明になる、服を食べだすなど)が当時ネタにされてました。しかし、その数十年後♯METOO運動の最中の2017年、ビョークがブチ切れたかのようにフェイスブックでラース・フォン・トリアにこの映画の撮影中に性的嫌がらせをされたと告発(少し遠回し?)しました。当時、その誘いを断った仕返し(罰)として奇行という作り話を流されたと。
ラース・フォン・トリアーが描いているものは、この人の人間性あってのものだと確信した瞬間でした。興味のある方はぜひ調べてみてください。
無垢は罪なのか
まじめに働いてコツコツとお金を貯めるセルマは、遺伝による病気で近々失明する。
セルマの息子ジーンにも、失明の遺伝は残っている。
息子の失明を避ける手術のために内職をして夜勤をしてお金を貯める母。
目は急速に見えなくなって働けなくなっていく。
それでも友人の助けも借りながらどうにか働くけれど、目が見えないことでミスをしてクビになってしまう。
クビになってしまったけれど、手術をお願いするという希望を持った途端に、
良くしてくれていた隣人にお金を盗まれる。
最初から不遇の主人公と当て書きされているだけに、まだか、まだ不幸の足音が忍び寄ってきていないのかと思っていたので、きたか、という気持ちに。
お金を返して欲しいと頼みに行ったセルマに対し、銃を向け、このお金はうちからお前が盗んだもの、と主張される。
さらに銃が暴発し、秘密裏にはもう出来ない。
お金がないと息子に手術を受けさせられない、でもこのお金は渡さない殺していけという隣人に、泣きながら銃を向ける。
セルマは何も悪くないのに、お金を盗み、殺人を犯したとして逮捕され、裁判にかけられる。
ここでもセルマは隣人との約束を守り、自分が悪くないことを主張しきれない。
死刑を宣告され、独房で日を過ごすセルマに裁判のやり直しができる!となるも、そのお金は息子の手術費用。
結局は絞首台へ…セルマは死ぬ。
空想がちな主人公は、ミュージカルが好きで、事あるごとに夢見がちな舞台に変貌する。
ミュージカルは優しい世界で、ひどいことは起こらないけれど、現実との違和感があり過ぎて、主人公の不幸感がより強く押し出されていると思った。
まじめであるがゆえに、不幸になった母に、息子はどう思ったんだろう。
ラストのメガネのシーンで希望を持って死んでいったけれど、真相はどうだかわからない。
どうして遺伝するのがわかっていて産んだのか?という問いに対して、赤ちゃんを抱いてみたかった、という答えが、当たり前なのになぜこんなにエゴとして聞こえるのか。
素晴らしい映画だと思うけれど、見る側のエネルギーを奪い、気持ちを持っていかれる映画。
明るい気持ちにはなかなかなれない。
観なきゃよかったと思うのに、いつかまた観ると思う
明るく唄う、美しい曲で楽しいダンスシーン。
実際には真逆のストーリー。
観ていられなくて、何度も再生を止めようかと思いました。
最後は救いようが無さすぎて、大きなあの音で終わる衝撃。
これは大分ひきずった。ひきずりすぎて、周りにとにかく観て!とオススメしてしまったくらいのショック。
でも最初の工場の曲なども良かったので曲をダウンロードしたり。
絶対二度と観ない!!と思っていたのに、また怖いもの見たさが疼く自分がいる。
ただの死刑反対映画
死刑反対映画ですね
主人公が嘘を言い続ける理由も動機が薄すぎる
主人公を死刑に追いやるために純粋な主人公を書いて同情を引いているのがみえみえで冷めました
これで号泣も感動もしないですよ
ただミュージカルシーンは良い
胸を掻き乱す、言い知れぬ不安と悲惨
第53回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作。
Blu-rayで鑑賞(字幕)。
「ニンフォマニアック」二部作が大変面白く、ラース・フォン・トリアー監督の他の作品を観てみたくなりました。
本作のあらすじを読んで、ストーリーに何か惹かれるものを感じ、ブルーレイを購入して鑑賞することにしました。
物語の持つ圧倒的なパワーに呆然とし、深く考えずに気安く手にするんじゃなかったと思いました。主人公に待ち受けているものが悲劇しか無いのが目に見えていたので、不安と悲しみに胸を掻き乱され、体が捩れそうになり、中盤で観るのを止めてしまいました。心の冷却期間が必要でした。続きを観る気になるまで1ヶ月掛かりました(笑)。
ドキュメンタリー・タッチで、主人公とその周囲の人々が織り成す出来事を淡々と映し出していました。ところが、突然現実世界を離れて主人公の心象風景、もしくは妄想と言えそうなミュージカル・シーンが始まり、カオスに脳が揺さぶられる。現実と心象の要素のどことなくアンバランスでちぐはぐな感じが、そう云った印象を抱かせている気がしました。
純粋な心を持ち、息子を心から愛するセルマを見事体現していたビョークの、凄まじい歌声と演技に魅了されました。
往年の名女優、カトリーヌ・ドヌーヴの安定感抜群な存在感も、物語にメリハリをもたらしているように感じました。
演技はバランスが取れているのに、時折挟まれるアンバランスとのギャップが激しくて、本当に頭が痛かったです(笑)。
運命とはつくづく残酷だと思いました。一生懸命働いてコツコツ貯めた息子の手術費用を、視力が弱いことを利用され、信頼を寄せていた人物に盗まれてしまう。鬼畜の所業に「なんでそこまで出来るんだてめぇ!」と声を荒げたくなりました。
まるで純粋なことが悪であるかのように主人公は徹底的に追い詰められ、衝撃的で悲惨な末路を辿って行きました。
思わず目を覆いたくなる陰惨な展開の連続に、だんだん心に重しを載せられていくような錯覚を覚えました。ツラい。
苦痛に耐えながら鑑賞した末に、とてつもない解放感が得られると云うわけでもない。鬱屈した想いに苛まれました。
心が痛いほどに締めつけられ、そして掻き乱され、そのまま無情に突き放されると云う感覚にさせられた作品でした。
でも不思議と、ふとした瞬間にもう一度観返そうかな、なんて思ってしまう魅力にも溢れているように思えました。
なんとも不思議。
※修正(2023/12/03)
3度目の鑑賞
試写会で何の予備知識も無いまま仕事帰りに観たのが最初。あれから17年が過ぎた。
揺れる映像に始めは酔い、工場作業中や線路を歩きながらのミュージカル、はたまた法廷や死刑執行に向かう107歩までがミュージカル…
シリアスなシーンはセルマの現実逃避のミュージカルシーン。
移民のセルマ親子は警官のビル夫妻の敷地内にあるトレーラーハウスに暮らしている。
遺伝性の目の病でセルマはやがて失明する。
セルマは息子ジーンの目の手術費を内職をしながらコツコツ貯めていた。
工場では友人キャシーに助けられ何とか働けていたがやがてクビを言い渡される。
ビルは遺産を相続し、裕福な暮らしをしていると思っていたが妻のリンダが浪費家で借金返済も儘なら無い状況だった。
セルマにその秘密を打ち明け金策を頼んでみたがセルマは息子の為のお金だと言い断った。
ビルはセルマが失明した事を知り、セルマのお金を盗んだ。セルマが取り返しに行くとリンダはセルマに夫をそそのかしトレーラーハウスに誘い込んだと怒鳴る。全ての罪をセルマに押し付けるビルの一人芝居に腹がたつ。
ビルはセルマにお金を取り返したければ殺してくれと言う。
目が見えないセルマは無我夢中でお金を取り返した。
そのお金でジーンの手術を頼みに病院へ行った。
セルマは殺人罪で死刑を宣告された。
友人キャシーは弁護士に刑減出来るよう弁護の再依頼をしたがその費用がジーンの手術費だと知りセルマは自らの死刑を選んだ。
ジーンには母親が必要だとキャシーは言うが、セルマは目が必要だと言い張る。
遺伝すると知りながら何故子供を産んだかと聞かれたセルマは、赤ちゃんを抱いてみたかった…この腕で…
だからこそジーンの目の手術にこだわるセルマ、自分の命に代えても我が子の未来をと願う親心。
刑執行の時が来た。
狼狽えるセルマ。
刑務官がセルマを支え励ます。
靴音を立てセルマに現実逃避させる。
絞首刑…
黒い袋…ベルトが付いた板…泣き叫ぶセルマ…
底板が歌の途中でいきなり外れた…
カーテンが閉められた。
衝撃のラスト!
何度見てもショッキング。
確か、あの日も椅子から立ち上がることがしばらく出来ずに呆然としていた。
全てはビルの心の弱さが招いた不幸だ。
誰も救われない最悪なストーリー。
素晴らしい映画。美しく芸術的な作品。
この映画を絶望的、救いがないと断じるのは浅はかだ。
主人公が死を目前にして歌ったのは「最後から2番目の歌」。劇中でも主人公が語ったように、ミュージカルは最後から2番目の歌で劇場を出てしまえば、終わることはない。彼女の人生は終わったのではない。愛する息子の未来に託されたのである。
主人公の弱々しさや自己中心さに共感できないとの感想もあるが、それも読み違いである。
主人公はひたすらに優しく純粋である。だからこそ、身を賭して彼女を守ろうとする友人が存在するのだ。彼女が法廷で大事なことに口を閉ざすのも、友人との約束を純粋なまでに守ろうとし、そして息子の未来を守り抜こうとするからである。主人公はむしろ強い女性である。
遺伝するのが分かっていながら子どもを産んだのは、ただ自分の子をこの腕に抱きたいという女性としての当たり前の願望からである。それを自己中心的だとする考えには、障害者は子どもを産んではならないという危険な発想が隠れている。主人公は自己中心的ではなく、人として当たり前とも言える感情に身を任せただけなのである。
ミュージカルシーンに違和感を覚える人もいるかも知れないが、このシーンの必要性についても劇中での主人公のセリフによって説明されている。
この明るく楽しいミュージカルシーンは、容赦なく主人公を襲う悲しい現実を、大好きなミュージカルを妄想することによって克服しようとする主人公の心情表現である。この悲しい現実と明るく楽しい妄想のコントラストに、この映画の芸術性が強く表れている。
そして、ホームビデオのような映像表現は、リアリティと緊張感を高め、観る者を物語の中に引き込んでいく。
主人公の美しく、純粋な強さと愛情。
類い稀な芸術的映像表現。
素晴らしい映画だ。
決して、後味の悪い作品ではない。
もう一度と言わず、何度観てもいいと思える作品。
私にはもう見るものは何もない
セルマは正当防衛だと言うのは分かるが、もう少し要領よく出来なかったのだろうか?大事なことを言わなすぎて、結局最後はジーンが辛い思いをすることになる。ミュージカルなら少し救いも欲しかった。モヤモヤする映画だった。
もう二度と観たくない
社会的弱者をこれほど痛めつける映画があるだろうか
社会の片隅で社会的弱者を食い物にする悪人のニュースが流れるが、、
普通の人がちょっとしたエゴの為に社会的弱者を痛めつける
なんてつらい映画だ
社会の暗部で痛めつけられる弱者が暗闇で遠くの方に小さく小さく光る希望の為に命をおとすなんてつらすぎる
名作だけどもう二度と観たくない
悲惨すぎる…沈黙守るなよ!!
超有名作なのに、今まで見れていなかったダンサーインザダーク。京都シネマ名画リレーにて観てきました。会員500円。
観たいとは思いつつも、悲惨であるとの声にびびっていたわけですが、確かに悲惨で、この悲惨さをポジディブに(美しさとか感動として)捉えることができませんでした。
セルマは殆ど目が見えてなくて、最後は完全に失明しているっぽい。
遺伝性の目の病気だから、息子に手術を受けさせたくて必死で倹約・貯金。
だけど隣人で大家で警官のビルがそのお金を盗んだ。返してといったら、ひどいうそをつく。セルマに誘惑されて、さらにセルマがビルのお金を盗んだ事にされた。ビルが拳銃でセルマを脅しているのに、セルマが拳銃で脅した事になった。
それでもお金を返してくれというと、自分を撃て、殺せとビルは言う。
セルマはお金を返してもらわなくてはいけなくて、わけもわからなくなって、ビルの言葉通りに殺してしまう。
そして、セルマはビルのやった事は沈黙する約束だからといわずに、自分の言える事だけをいって(息子に目のことを知られたくなくて必死というのもある)絞首刑にされる。
セルマはミュージカルが生きがいで、市民ミュージカルみたいなのに参加していて、サウンドオブミュージックのマリア役を得ている。
セルマは、考えが浅く正直者がバカを見る系で私は苦手な人だ。
秘密には秘密を、とか、約束したから沈黙を、とか。牧歌的すぎる。世界はもっと激烈で入り組んでいて、きれいごとは通用しない。でもそんな世界は見ていない。そこが苦々しい。自分も一歩違えばセルマになりそうな共通点を感じるからか、とても苦々しい。
ミュージカルは、つらい現実を一時離れるための装置。だからつらければつらいほど、ミュージカルに没頭するような感じがして、哀れだった。
私もミュージカルは好きだし、つらい現実を忘れるための空想とか、現実をやり過ごす糧としての物語を欲している。だけど。
一方で、世渡りも如才なさも必要だと知っている。自分を守るために人を欺く事を覚えたりもしている。自己主張もするし、卑怯を糾弾もする。
セルマはそういうことをしない人で、他人の行いを責められない。それは優しさでもあるかもしれないけど、私には弱さとしか受け止められず、彼女を肯定できなかった。
遺伝すると知っていても、赤子が抱きたかったのは、わかる。とても自己中心的で大事な動機。それはいい。なんでその強さが他に広がらんかね。泣き叫ぶ以外にできることあったでしょうよって思っちゃう。
わたしが傲慢なのかな。
何よりいかんのはビルなんだけどね。ビルがさ、ほんっとに、ゲスでゲスで。眠れないとかゆってトレーラーにやってきた時からセルマから金を引き出そうとしてた訳でしょ。許せん許せん。自分が機嫌を損ねずに妻の浪費を止めるすべが無いからって、店子の母子家庭から金をせびるって発想がもうどうにもならへん。それを人に罪をなすりつけて自分は無実のふりして死んで逃げるなんて。
世界一嫌いな人かもしらん。
映像は結構ザラザラしていて、いいカメラじゃない感があります。8ミリ感というか。
類を見ないタイプのミュージカルではあるんよね。ビョークの妖精感とボサボサヘアーがかもす俗世感とのミックス具合とか、くすんだ色合いのミュージカルシーンとか他にない。でも感情が傑作という評を拒む感じがしちゃう。
そんなダンサーインザダークでした。
暗闇の中にいる踊り子。
セルマのことでしょう、多分。
おそらく物理的にみえないことと、世界を知らなすぎるという二重の意味で暗闇を生きた踊り子っていう意味があるんちゃうかな。
苦しい
不器用で頑固で自立心が強い
誰よりも人の幸せを願える人
自分が失明することよりも
息子が失明することを恐れ
力強く、時に脆く生きる姿
自身の死をもって誰かの道を開く
彼女の全てだったんだと思い知る
救いがない?嘘でしょ?
ビョークの歌声、最高でした。
でもこれ、報われない話なのかと思うとそうじゃない。彼女は生涯の目標であった、赤ん坊を腕に抱き上げることと、息子の目を治すことをやり遂げて、しんでいったのだから。
ただ、周りの彼女を本気で愛していた人にとって、報われないのはそうかもしれない。
悲しくて辛い
母親が私の勧めで観て、
「あまりにも悲しくて辛くて見たくない」と言ったのが印象的。
当時は高校生で母親の気持ちがわからなかったから、
その話題性だけですごい映画なんだろうなと思って観ていた。
そのため、内容があんまりわからなかった。
今は、年齢を重ねた分、
愛情をもって慎ましく日常を送ることが奇跡であると思うようになり、
この物語はあまりにも悲しくて辛くて見たくない。
衝撃のラスト なんだろ、後味はマジで悪い なんとも言えない気分にな...
衝撃のラスト
なんだろ、後味はマジで悪い
なんとも言えない気分になる
独特な雰囲気を味わいたい人にはオススメ
ただただ長く暗いだけの映画だった。 悲劇としてここまで評価される理...
ただただ長く暗いだけの映画だった。
悲劇としてここまで評価される理由は理解できるが、自分の中ではあまり腑に落ちない。
主人公セルマだが、どう考えても他にやりようがあったと思える。どの展開にも救いの手はあったはずである。これは、セルマには病気のことや、息子の手術代を貯金しているという、話すことのできない秘密があったことを理解した上で、である。
救いのない物語では無かったと思える。どうしようもなく救いのない悲劇であったとは、私は思えない。
セルマの周りには頼ることのできる友人がいたはずである。
また、物語の描き方として、周りの友人達の描写、セルマの心情を中の描写とするなら、外の描写があまりなかったことが、わかりにくさを出しているように感じた。
基本、セルマしか映さないカメラだが、セルマの選択、行動に対して周りはどう動くのかは映す必要がないと監督は判断したのかな。
それにしても、あまり、セルマの描写も不十分だったように感じる。
ミュージカルのシーンはとても良かったが、
ミュージカル以外での描写も欲しかった。
全体的に暗いだけで、特徴的なシーンはミュージカルの部分だけ。盛り上がる映画では無いにしろ、オチに惹きつけるための、一つグッと盛り上がるような、感情の爆発した描写が欲しかった。
ただただ暗いだけで、退屈な映画だった。
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