楓のレビュー・感想・評価
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感性
は、人それぞれだ。
「君の声を抱いて歩いていく」
「僕は僕のままでどこまで届くのだろう」
「さよなら」
この辺の詩を膨らますとああなるのだろうか?
正直「楓」という歌はサビしか知らない。
歌から着想を得た映画というあまり聞いた事のないコンセプトに惹かれて観にきた。
監督なり脚本家のフィルターを通したらああなるのだろう。…俺にはあまり共感できる話ではなかった。
ただ創造力や想像力は旺盛だったなぁ。
あの詩から
双子が生まれ、天体観測が生まれ、複視が生まれ、ドラマが紡がれる。大した料理人である。
ラストにご本人の「楓」が流れた時にグッとくるものが無かったのが、この解釈に共鳴できない証明なのだろう。
最後の「やっと見つけた」は技ありだなぁとは思ってて、「楓」へのアンサーのようにも思う。
本編はというと匂わせの箇所が多くて…座り心地悪し。
正直、気持ち悪いレベルのシチュエーションでもある。
どのくらいの期間、2人で過ごしてたのだろう。
季節をだいぶ跨いだようにも思うし、短くても半年以上はやってそうだ。
その間の2人の心中を想像すると、どうにも。だって屈託なく笑うんだぜ?お互い。記憶喪失だったならまだしも、初めから知ってたって…えええ。
そしてキスまでしちゃう。
お互いが交わす初めてのキスなんじゃなかろうかと後になって思うのだけど、初めから気づいてたって設定が明かされるとどう解釈していいのやら。
あんなにこやかに近づいて、なんら不自然な素振りも躊躇もなく出来ちゃうなんて1月やそこらでは出来ないようにも思う。
なんていうか、時間がもたらす異物感を誤魔化そうと言うか、有耶無耶にしようとしてる節がある感じで萎えたりもする。
あの後、2人はどうなるのだろうか?
友人にはなれると思う。
恋人ってゴールは無理だろう…と思う。
どうにも落とし所に戸惑う物語であった。
サビの部分に帰結はするものの、この解釈なのか感性は俺には合わなかった。
恵の生、涼の生
他人のフリをして寄り添うことは優しさじゃないと思ってるので、元々合わないとは思ってたが…
まず、二重生活で着替える意味が分からん。
翌日の着替えを考えると1日3回ロッカー行かなきゃだし、涼の服の保管場所は?
せめてトランクルームにすべきだと思うが、終盤に涼のまま会いに行くならやっぱり不要かと。
(何故か病院知ってたけど、一軒しかないのかな)
亜子にバレない(バレてたけど)のは正常性バイアスで納得できる。
個人レベルの事故なら大々的なニュースにならず、周りが知らなくてもおかしくはない。
でも、同棲のタイミングはどうなんだろ。
事故前からなら別々に空港行くのは変、事故後ならバレるリスク増すだけなのだが。
出会いも面識ないこと考えるとキモいし、下心で後から?(でも性的接触は不自然なほどない)
野良猫をあんな必死に探すのもちょっと異常。
高校も下駄箱あるのに土足だったり、色々と雑。
『楓』の擦り倒しには変な笑いが出た。
特に最初の渋谷龍太ver.はクセが強いし場面にも合ってないしで、会話が入ってこない。
合唱とエンディングだけでよかった気がする。
日和は仕事中にグイグイいくし、事情も聞かずに亜子に直凸するしで普通に不快。
雄介も頭ごなしに浮気と決めつけ声を掛ける。
亜子に到っては、散々振り回した挙句あの状況で一方的に「さよなら」って自己中すぎないか。
しかも同棲中なんですが、あの後どうしたの?
「3年後」からが長いなぁ、と冷めた目で見てしまう自分にはやはりこのジャンルは不向きかも。
福士蒼汰主演で「複視」はギャグかな。
高校時代の配役はよかったし、福原遥はかわいい。
83点/3.5点
スピッツの名曲『楓』を原案に、大切な人を失った二人がつく優しい嘘が切なさを生む物語。
福士蒼汰が一人二役に挑み、ヒロインに福原遥を迎えたビジュアル最強の二人が、物語を鮮やかに彩る。
落ち葉が積もり、秋の終わりと冬の訪れを予感させる夜気の透き通るような映像美。スクリーンから溢れ出す圧倒的な多幸感。そこには、ただ眺めているだけで心が浄化されていくような、至福の時が待っている。
主人公・須永涼は、双子の弟である恵を事故で失う。彼は弟の恋人だった亜子のために、恵のふりをして二重生活を送ることに。しかし、次第に明るく純粋な亜子に惹かれていく自分に気づく。想いを重ねていくほどに、向き合わなければならない「嘘」が二人を引き裂いていく。
本作を支えているのは、主演二人の極めてナチュラルな佇まい。 ドラマチックすぎる設定の中でも、彼らの演技は驚くほど等身大で、感情の機微を丁寧に掬い上げていく。誇張を排した自然体な温度感こそが、観客を物語の深部へと誘い、運命の糸を「この二人にしか起こり得ない真実」へと変えていく。
特筆すべきは、楽曲の世界観と見事にマリアージュする映像のスケール感。夜空を仰ぐシーンでは、満天の星が煌めくムードと切ない二人の想いが、至高のラブロマンスとして心に降り注ぎ、 視覚と聴覚が重なり合い、音楽が風景の一部と化した瞬間、頬を濡らす。
次第に物語は音を立てて加速し、冬の星座が持つ冷たくも温かい光のように、観客の心も熱を帯びていく。
植物学において、モミジとカエデは同じ分類。葉の切れ込みが深いものをモミジ、浅いものをカエデ(蛙の手が語源)と呼び分けるように、同種でありながら決定的な差異を持つ。
「似ているけれど、どこか違う」という繊細なニュアンスが、双子それぞれの想いや、涼と亜子のすれ違いの切なさをより一層際立たせる。
楽曲『楓』の演出については、あえて言うと、ラストまで秘めておいても良かったかもしれない。「待ってました!」という爆発力を期待してしまうのは、この曲を愛しているからこその、贅沢な悩みかもしれない。
物語が終盤に向かうにつれ、二人の運命に隠された嘘と、リアリティを超えたドラマチックな展開が畳みかける。
整合性や緻密さだけでは語れないのがラブストーリー。
多少の強引さはロマンティシズムで超え、おもんばかった嘘が機能した時、再び二人が星空の下で結ばれるための試練として夜空が煌めく。
ラスト、優しさのベールに包まれた「見つけた」が放たれた時の圧倒的な解放感。
それは、積み上げてきた切なすぎる感情が報われる特別な瞬間。
エンドロールが流れ始める頃、心は「楓」と星空の余韻で満ちている。
そっとマフラーを巻いてくれるような暖かく優しい想いに、大切な人とぜひ一緒に包まれてみてください。
心にそっと寄り添うラブストーリー
双子を愛した?ヒロインの稀有な人生!
ヒロインの亜子(福原遥)は双子のどちらをより愛していたのだろうか?そんな疑問でモヤモヤするけれども、ラストでやはり出会いのきっかけとなった涼(福士蒼汰)のもとに、3年の歳月をかけて愛が醸成されて駆け寄っていくというハッピーエンドに涙しました。ストーリーとしては、亜子が合唱でソロを担当するのでプレッシャーを感じていた時に、王子様のように激励したことがきっかけで恋に落ちます。しかし、その時に頭を撫でて激励したのは双子の兄の涼でした。にもかかわらず福原の中では弟の恵(福士蒼汰)と認識しています。その事に亜子は気づくことなく恋人となり、その後星座を見るためにニュージーランドの出かけます(行定勲監督の「世界の中心で愛を叫ぶ」の作品もオーストラリアで近い笑)。そこで事故に遭遇。恵だけ亡くなります。その身代わりとして涼が亜子のそばで生活するという不思議な展開です。私は何故彼がトイレで着替えてカメラマンとして仕事に行くのか、最初理解できませんでした(家を出る時は恵になりきっていたのです)。そして淡い幸せな日々が続くわけですが、結局身代わり生活は決裂(亜子はその時初めて頭を撫でて激励してくれたのは涼だと知らされますが、偽の恵との生活は続けられなかった)。そして、3年の月日が流れます。その月日が色々なモヤモヤした感情を洗い流したのでしょうか。ニュージーランドでカメラマンの仕事をしている涼に亜子は会いに行きます。「やっと見つけた」と囁く亜子の濾過された愛情に号泣しかなかったです。
追記 恋愛とは不可思議で幻のようでありながら、宇宙に身をまかせれば、幸せの方向に必ず向かうような気がしてなりません。そんな作品でした。感謝!ありがとう!
映画の予告を見すぎると
いつも映画を観るときに難しいなと思うんだよね。どこまで前情報を知るか。知っていると知らないでは、作品の印象が違う。
双子の兄弟である前提を知っている(CMや前あらすじ)方、一切見ない(映画館の予告程度、映画館の広告くらい)で観る方。
僕の持論は、後者です。「キミスイ」、「今夜世界からこの恋が消えても」はその方がよかった。
逆に、「夏の砂の上」「平場の月」などは前提を知ってた方がよかったと思う。しょうがないなあと思いつつ、ショービジネスで、ここまでやったら、観る意味あるの?ってのもあります。(ドラマでもこの後の展開はこう!とか、CM前で「死んだのか?」で終わってるのに、生き生きと走り回ってる)。この何と言うか、作品を大切にしてないという感じ。
あ、感想です。テンプレ感とどなたが書かれていましたが、丁寧にかかれて分かりやすいのですが、最後のオチが、途中で分かってしまうところはもったいない、印象。ラストはすっぱり終わるところは好感。
映像関係者からすると、ラストのニュージーランドの主人公のアコさんの下げた頭に緑かぶりの反射光が1秒程度映っていたのが、意図なのか消し忘れなのか、雑さを感じた、どなたか気付かれました。気付いていないのであれば、職業病ですねwww
大好きだった彼はもう永遠の彼方に・・・初まりの愛を探しに行く心の旅!
愛らしい笑顔が全編を包み込む!福原遥さんにどっぷりハマっちゃう120分
今日は「楓」 観に行きましたよ。
スピッツ~の歌が優しく本編を 福原さんの涙と共に包んじゃってますね。
そこが一番良かった!!
場内 女性やカップルが多めですね。
後半 すすり泣く声多し。そんなに?泣いちゃう?って位でしょうか。
最後まで観て、この愛の変遷に納得。
誰が誰を最初に愛したのか・・・。
最後の もう一度 彼を探した時の彼女の心(涙)が
最初の 好きになった時の思いに重なっていく姿をみて
この愛が真実で在れば良いのにと・・・そう感じました。
監督:行定勲氏
----MC----
須永涼、恵(双子)役:福士蒼汰さん
木下亜子役:福原遥さん
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彼の替えで 楓(かえで)??
そんな 安易なのか このタイトルは。 んな訳ねぇなww
(思った事)
・ニュ-ジ-ランドでの事故場面。 あの昼間の直線道で、あの急なハンドル曲がって正面衝突ってあり得んよ。
こっち止まってるし、向こうもキャンピングカ-?時速60キロくらいだったか。
エアバッグにて二人軽傷で済むと思うのだが。
ここ 不自然に想う。運転者 死ぬかな?
車体も下に潜るだろうし、大型同士じゃないしね。
・流星観測について。かなり詳しく観測してるけど ちょっとやり過ぎな気がします。名前を付けようと必死に探索するんですが 短期間ではそうそう見つけられないと思います。
・付き合った時に 双子兄弟の話とか、紹介とかすると思うのだけど。
LINE既読があった事で驚きと 生きているんじゃって言う思いは分かるが、普通は携帯を管理している家族が観たと感じるのが常かな。
・兄弟の違いは 分からないものだろうか。
そこが かなり引っかかる。
・最初から 違うって人って分かってた・・・この思いは涙した。
一人手術の病院の場面。ココが一番良かったかな。
・最後に彼を探しに ニュ-ジ-ランドへ。
湖にボ-ト出して星空眺める所。 凄く素敵ですね。
この場面は 秒速5センチ~ よりもロマンス有ったと思いますね。
この冬に 彼と彼女と友達等と
心を暖めに
是非 劇場へどうぞ!!
伏線に感動
予告を見て、リョウが記憶喪失のアコを騙し続けることに葛藤する物語だと思い込んでいた。だからこそ、葛藤を続けていたのは両者であったことに意外性を感じ、事実が明らかになる頃には物語に夢中になっていた。物語にはそれを感じさせる伏線が散りばめられており、ラストシーンには、「あのシーンにはあんな意味があったんだ」と腹落ちする場面が多々あった。
大きなストーリーの転換点は複視の術後である。術前にはケイがダブって見えていた=ケイの事故死を受け入れられずにいる表現だと思うが、術後はダブりが一つに重なるように事故死を受け入れていく模様を描いたのは良い表現方法だと思った。
人を想う気持ちが胸を打つ感動作
ただただ純粋に人を想う気持ちが画面いっぱいに溢れていて胸を打たれました。
途中まで涙をこらえて画面に集中しようとしていたのですが、こらえきれずに泣いてしまいました。
福士蒼汰さんと福原遥さんのお芝居はとても静かで穏やかなのですが、心の様子が掴めるようなとても繊細な表現をされていたと思います。
特にラストシーンの福士蒼汰さんの表情が凄かったです。
太陽光も効果的で力のある撮影監督だと思いました。
予告を見て双子であることは分かったうえで鑑賞しましたが、分かっていて良かったと思いました。
分かっていたからこそ涼と亜子の感情が向く先を想像できて2人の感情がストレートに伝わってきました。
帰り道にスピッツの「楓」を聴きながら歩いていて思い出し泣きをする程に感動いたしました。
エンドロールで流れる「楓」を聴きながら涼と亜子の未来に一抹の希望が訪れることを願いました。
タイトルなし(ネタバレ)
あのニュージーランドの風景は映画館にマッチする 高校のセキュリティとか突っ込み所はいくつもあるけど、それらを見つけて「あり得ない」と評価するのも人それぞれ 亜子との出会いを掴んだのは涼、マジナイを信じて救われた亜子はそれをキッカケに付き合い始めるのは恵、そのことに葛藤していた恵の心情も涼の複雑な心情も理解できる 涼がカメラマンとして生きていく起点も亜子の写真を撮ったからだろうし…総合的にホッコリできる映画だった 福士君、良かったよ 関係ないかもしれないけど、加藤雅也さんはイケメン俳優からずいぶん芸風が変わってきたね 「爆弾」の時もアレッ、あれ加藤雅也だよな?と思ったけど、これから色んな脇役のオファーが来そうな気がした
泣くつもりで観に行った訳ではないのに、気が付いたら目から溶かしバターがこぼれていました。福原遥って悲恋のヒロイン役が凄く上手いんですよね。
行定勲監督がメガホンを取った作品なので、「監督の気まぐれ、世界の中心のバターソテー、愛をさけぶ風」的な展開になるんだろうなというのは予想していたのですが、セカチューで長澤まさみ様のタヒ亡シーンを観ても泣かなかったので、どんな展開になるのか楽しみにして観に行きました。
ところがどすこい、アバンの段階で早々と予告動画のタヒ亡フラグが回収されてしまい、「これどうするの?」状態に。直後に始まった恵と亜子の普通の生活の描写が、涼のなりすましだと分かってからは、「これっていつかバレるよね」状態になってハラハラドキドキが続きます。
仕事場ではちゃんと涼として仕事をしていて、後輩の日和から熱烈アタックを受けても華麗にスルーしているのは、恵の影武者をしているうちに亜子の事が本当に好きになってしまったか、梶野との関係がガチホモかのどちらかですが、後者であるわけがなく「じゃあどこで恋愛感情が芽生えたの?」という伏線が発生します。
で、その伏線の回収が梶野の机に飾ってある、事故前にニュージーランドから恵が送った絵葉書っていう、そこにしびれるあこがれる展開がまさにスピッツ魂全開ですよ奥さん。最後は王道のハッピーエンドに収束して、めでたしめでたしだったのが良かったです。
追伸 実は自分も9年前に労災でマンションの5階から転落して頭を強打したので、亜子と同じく複視に苦しんでます。症状が安定していないので手術にも踏み切れず、月一で診察を受けています。
【"一卵性双生児の兄が弟が亡くなった後に彼の恋人の傍に”兄として”寄り添っていた訳。”今作はある悲劇の後に優しい嘘をつき続ける男女を描きながら、ラストでは未来への希望を感じさせる恋物語である。】
ー 一卵性双生児の弟、ケイ(福士蒼汰)と恋人アコ(福原遥)は、天体観測に出掛けたニュージーランドで事故に遭い、ケイは帰らぬ人になる。
だが、暫くして二人は仲良さそうに一つ屋根の下に暮らし、一緒に家を出る。だが、”ケイ”はバスには乗らずに、近くの公園のコインロッカーに入れてある服に着替えて、少し悲しそうな顔でWCの鏡で自分の顔を見て髪型を直し、伊達眼鏡を外しカメラマンとして職場に出掛けるのである。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤は、”ケイ”の代わりをしている一卵性双生児の兄、リョウ(福士蒼汰)が弟の残されたた恋人アコを心配して、代わりを務めているのかな、アコの事故による複視が治ったら別れるのかなと思いながら観ていたのであるが、アコが”ケイ”ではなくリョウである事に気付きながら、彼の優しく哀しい嘘を受け入れている事が分かるシーンが、まず沁みるのである。
だが、彼女は複視が治ったタイミングで、リョウに別れを告げるのである。このままでは二人の未来が開けないと判断したからだと思う。
■今作が一番琴線に響くのは、高校時代に合唱で独唱をするプレッシャーの為に屋上にいたアコの姿をカメラに収め、彼女の頭に手を置いて、
”バターが溶けて流れ込んで行く。”
というプレッシャーを除くオマジナイを掛けたのがリョウであった事が分かる、二人が別れ三年後にアコがケイの部屋で母(大塚寧々)に、ケイの姿をしたリョウの写真を見つけるシーンである。
【リョウは、心配と同情心ではなく初めてアコと会った時から、彼女に惹かれていた事】が分かるシーンだからである。
だが、リョウはアコのケイへの想いを知っているので、その想いをずっと封印していたのである。故に彼はケイ亡き後に、アコの傍に”ケイ”として居続け、彼女を見守っていたのである。
・そして、アコは世界を写真家として飛び回るリョウを探すのである。
或る日、ケイと話していた新星の彗星を見つけたアコは、国立天文台にその事を届ける。すると、後日天文台から電話ががありそれは、既に見つけられている彗星であるが、直前にある若者から同じ電話があったことを知り、彼が居るニュージーランドに行くのである。
そこでは、リョウが星空を眺める人達の姿をカメラに収めているのである。
リョウはアコの姿に気付く。
そして、リョウとアコは初めてお互いを確認し見つめ合いながら、満天の星空の元、湖に浮かべた舟で、共に星空を見上げるのである。
<今作は優しく哀しい嘘をつく男女の姿を描く、切なく哀しくも、ラストシーンで、微かなる未来への希望を感じさせる恋物語なのである。>
なんか微妙?
物語の二重構造と双子のメタファーThe Film’s Dual Structure and the Twin Metaphor
紅葉に似た楓を拾い幸せに笑っていた二人、
直後に起こる残酷な現実から
一転、白日夢のような幸せへ。
この日常がなぜ成り立っているのか
観るものに、その理由(わけ)を考えさせる。
劇中、スピッツではなく
他のアーティストによる
【楓】のカバーが流れる。
その日常に語ることのできない
嘘を象徴する様に。
福原遥さん演じる亜子の
今の状況も少しずつ明らかになり
少し非現実を含んだ日常に
リアルが忍び込んでくる。
福士蒼汰さん演じる、恵(けい)の代わりをする
涼(りょう)の視点からの今の日常、
亜子の視点からの日常、
そして亜子、恵、涼の過去、
少しずつ詳(つまび)らかになり、
物語は進んでいく。
悲劇だけではない
人間の弱さ狡さ、優しさが
妙にリアルに感じた。
大変な思いをした中で、
誰かに寄り添ってほしい、
それがたとえ狡くても、
一人で立てない時はある。
その部分の人間臭さが
物語の軸になっていることに
個人的には有り得るリアルさを感じた。
スピッツの歌詞は
様々な解釈が可能なことで有名だけど、
こんな物語を見せてくれた事に
映画好きとしては喜びを感じる。
Two people laugh happily as they pick up kaede leaves that resemble autumn foliage.
Then, immediately after, a cruel reality strikes—
and the film turns, in an instant, toward a dreamlike happiness, as if in a waking dream.
Why is this everyday life able to exist at all?
The film asks the viewer to think about the reason behind it.
In the film, it is not Spitz themselves,
but a cover of “Kaede” by another artist that is played.
It feels as though this choice symbolizes
a lie within that everyday life—something that cannot be spoken aloud.
The current situation of Ako, played by Haruka Fukuhara,
is gradually revealed,
and reality slowly seeps into a daily life
that already contains a touch of the unreal.
We are shown the present day from Ryo’s perspective—
Ryo, who takes the place of Kei, played by Sota Fukushi—
then the present from Ako’s point of view,
and gradually, the pasts of Ako, Kei, and Ryo.
As these pieces are revealed in increasing detail,
the story moves forward.
What comes across as strikingly real
is not tragedy alone,
but human weakness, cunning, and kindness.
After enduring something unbearable,
there are times when one wants someone to stay close—
even if that desire is, in some sense, selfish.
There are moments when a person simply cannot stand on their own.
That raw, very human quality forms the core of the story,
and personally, I felt a convincing sense of reality in it.
Spitz’s lyrics are famous for allowing many interpretations,
and as a lover of cinema,
I found real joy in seeing such a story
emerge from them.
ガチ勢なので
おかえりなさい。
楓だから観に行きました。
全107件中、21~40件目を表示
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