「「成りすまし」を描くのであれば、それなりの説得力が必要だったのではないだろうか?」楓 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
「成りすまし」を描くのであれば、それなりの説得力が必要だったのではないだろうか?
ニュージーランドでカップルが事故に遭う冒頭のエピソードの後、彼氏の方が、別の誰かの「成りすまし」であることはすぐに分かるのだが、その経緯が中々説明されないので、少しイライラしてしまう。こういう展開にするのであれば、予告編などで、「双子の兄弟の1人が、死んでしまったもう1人のフリをして、その彼女と付き合う」という物語であることを、大々的に宣伝しない方が良かったのではないだろうか?
彼女が、事故の後遺症の手術をすることになって、ようやくと、彼が「成りすまし」た時の様子が明らかになるのだが、そこには、そうせざるを得なかった「やむにやまれぬ理由」があったのだろうと予想していたにも関わらず、「成り行き」でそうしただけだったということが分かって、何だか拍子抜けしてしまった。
仮に、「成りすまし」に、それなりの理由があったのだとしても、彼女が、事故の直後に、同乗者がどうなったのかを知らされていないのは非現実的だし、いくら双子だとは言っても、自分の彼氏が別人であることに気が付かないのは、余りにも鈍感すぎるのではないかとも思えてしまう。
この点に関しては、彼女が、最初から、「成りすまし」に気付いていたということが分かって、一応、納得することができるのだが、その一方で、彼氏の方は、本当に、自分の「成りすまし」がバレていないと信じていたのだろうかという疑問が湧いてくる。
そもそも、高校生の頃から付き合っていたのであれば、自分が双子であることを、彼が彼女に知らせないのは不自然だし、終盤に明らかになる2人の出逢いにまつわる「真実」が、双子であることを隠し通す理由になったとも思えない。
この、「真実」にしても、彼が、その時に撮った写真を見つめていたり、高校の屋上で、その時の状況を思い出したりしている様子から、容易に、そのカラクリが想像できてしまい、サプライズと言えるほどの驚きは感じられなかった。
もしかしたら、彼の方も、彼女に「成りすまし」がバレていると気付いていて、その上で彼氏を演じ続けていたのではないかとも思ったのだが、どうやら、そういう話でもなく、2人がそのまま別れてしまった理由も、彼女が、3年後に、再び彼に会いに行った理由も、今一つ分からなかった。
どうせなら、お互いの「嘘」を知っていながら、相手を「おもんぱかる」気持ちからそれに気付かないフリをし続けて、最後にそのことを理解し合って一層の絆を深めるといった物語にした方が、よほど説得力のあるラブストーリーになったのではないかと思えてならない。
バージョンや歌い手を変えて度々挿入される「楓」の楽曲にしても、実際の「楓」の葉っぱにしても、それほど効果を上げているようには感じられず、どうして、これが映画のタイトルになっているのかもよく分からなかった。
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