「それぞれの「ふり」の先にある本当の自分って何なのだろうか」楓 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
それぞれの「ふり」の先にある本当の自分って何なのだろうか
2025.12.19 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(120分、G)
原案はスピッツの楽曲「楓」
大切な人の喪失を抱えた男女の「ふり」を描いた恋愛映画
監督は行定勲
脚本は高橋泉
物語の舞台は、ニュージーランドのテカポ湖に向かう恵(福士蒼汰、高校時代:北島岬)と彼の恋人・亜子(福原遥、高校時代:森有乃)が描かれて始まる
目的地に向かう途中である人物(後に親友の梶野(宮沢氷魚)と判明)に絵葉書を送った恵は、その後の道中にて「あること」を亜子に伝えたいと考えていた
だが、それを伝えようとする直前、二人の乗った車は事故に空き込まれてしまい、恵は帰らぬ人となってしまった
亜子は奇跡的に一命を取り留め帰国することになったが、恵の死を受け入れることができなかった
だが、ある出来事をきっかけとして、亜子はまだ恵が生きていると思い込んでしまう
そして、そんな彼女の前に、双子の兄の涼(福士蒼汰、高校時代:北島岬)が現れる
亜子は恵が帰ってきたと思い、涼は彼女に真実を告げることなく、恵として彼女と過ごすことになったのである
映画では、渋谷龍介と十明の「楓」のカバーが流れるのだが、男性ボーカル版は「亜子がダイニングバーで辻(宮近海斗)に高校時代の出会いを語るシーン」で流れ、その箇所は「1番の歌詞」となっていた
映画を最後まで観るとわかる引用となっていて、亜子と恵の気持ちのリンクというものが描かれていた
この引用が男性の声なのは、亜子の思い出に対する「そうであってほしい」という想いを表現していると思う
対する女性ボーカル版は「涼が亜子のために自分の人生を犠牲にしていることを知るシーン」で流れ、その箇所は男性ボーカル版と同じ「1番の歌詞」となっていた
この部分が女性ボーカルとなっているのは、その時点の亜子の心情が載っていて、彼女は前に進むために、その想い出から旅立つことを決意した瞬間を表現しているのだと思う
また、歌詞の中に「かわるがわるのぞいた穴」という表現があり、ここから望遠鏡を覗き込んだ二人というイメージを想起させていく
楽曲自体は、すでに別れてしまっている男女がベースとなっていて、彼女を失った男性目線で描かれている
彼女の存在が自分自身を取り戻す結果となっていて、自分自身でいられることへの感謝と、彼の元を去ってしまった恋人への想いというものが綴られている
イメージとしては、男女の別れではなく死別の印象があるので、映画のコンセプトはしっくり来ると思う
それでも、「なぜこの楽曲の名前が楓なのか」を理解した上で鑑賞した方が良いのは確かなのだろう
楽曲自体は「楓の花言葉がベース」となっていて、その意味は「大切な思い出」と「美しい変化」である
思い出を捨てることなく、次のステップを踏み出そうとする心情を描いていて、それが映画のラストにもつながっていると言えるのだろう
それを踏まえると、原曲を聴き込んだ方が良い作品であり、それぞれが抱えている想いをどのように消化されているのではないだろうか
いずれにせよ、楽曲のイメージを綺麗に表現している作品なのだが、双子であってもふりをするというのは無理だと思う
なので、双方がわかっているのに続けているのだろうなという想像がなされ、その理由というものがメインテーマとなってくる
亜子は「喪失を受け入れられないから頼った」ということになっていたが、一緒に過ごすうちに「恵ではなことを悟りつつ、自分の人生に巻き込んでしまっていることを後悔している」という帰結があった
対する涼は「かつて恋をした人が兄に奪われた」という現実があって、そこで生まれたものを引きずってきたのだと思う
そんな彼の元に「恋人のふりをする」という機会が生まれていて、代理であったとしても、こうしたかったという願望が込められていた
この強烈過ぎる想いの出発点を知るというのが物語の根幹であり、その気持ちに対して亜子はどうするのかというのがラストシーンに繋がっている
この再会によって二人がどうなるのかは描かれないものの、そこに幸せな恋愛があるのかは何とも言えない部分がある
元々、亜子が恋したのは涼だったという部分があって、そこから奇妙なねじれが生まれたのだが、ある意味、恵も涼を演じていた部分があったのだと思う
それを思うと、これまで思い出を大切にしつつ、美しい変化を起こせるのかは微妙なのかな、と感じた
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。
