“壁”とは、イスラエル政府がヨルダン川西岸からパレスチナ人によるイスラエルへの「テロ防止」を目的に挙げ2002年に建設を始め、現在は700Kmにも及ぶコンクリート壁(地域によっては有刺鉄線ほか形態はさまざま)が立ちはだかり両者を分断している。中東ジャーナリストの川上泰徳監督は、2024年7月から8月にかけて約1か月間ヨルダン川西岸の分離壁の「外側」(パレスチナ側)と「内側」(イスラエル側)を取材。この“分離壁”によるイスラエルとパレスチナの分断が、いかに人々の暮らしを傷つけ、和解を遠ざけてきたかを克明に示しつつ、同時に「隣人を愛する」ことこそ唯一の突破口であることを示唆している。
分離されたパレスチナ住民
その暮らしと進む生活破壊
23年10月7日、分離壁で封鎖されたガザ地区からイスラム組織・ハマスが、イスラエルに越境攻撃を行った。それに対してイスラエル軍による「壁の向こう側」へのすさまじい報復攻撃が展開され死者は5万人超、そのうち1万8千人以上が子どもという惨状が伝えられ停戦が見えないなか、その数はいまも増え続けている。
外国人ジャーナリストがガザに入ることが困難になり川上監督は24年7月、同じく「壁」で分離されているパレスチナ・ヨルダン川西岸地区のマサーフェル・ヤッタに入いる。山がちの荒涼とした大地は、まさに羊飼いの世界で点在する19の村に1000人が住んでいる。19ある村のうち12の村がイスラエルの軍亊施設の中に在りミサイルや戦車などによる大規模な軍事演習が行われている。パレスチナ人のムハンマド・ムハーレムさんは、イスラエル軍が残した地雷に触れて右手を失った。それでも危険と貧しさの中で130頭の羊を飼い妻と二人の子ども、父、4人の妹を養っている。軍によって家を破壊され修復できないように小さなコンクリートミキサーを没収された村長や、完成した小学校を違法建築として1年後に取り壊された村もある。軍だけではない。近隣のイスラエル人入植者たちがパレスチナ人テントや住居を襲撃し、暴力と羊の強奪などを起こし危機感を煽る。目的はパレスチナ人の排除。だが、ここで生まれ育ったパレスチナ人の多くは、この土地しか居る場所がない。
パレスチナ自治区に位置するヘブロンは、アブラハムの墓所がありユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地で世界遺産の都市。礼拝所に向かうのにはいくつもの検問所がある。イスラエル人の青年は、川上監督に「パレスチナとの和平はあり得ない」と語り、パレスチナ人の商店主は「共存は不可能。イスラエルは平和を望んでいない」と川上監督に答える。
見えない「隣人」を切り捨てる
分離壁を越えて赦しと正義求める
長年、中東を取材してきた川上監督は、イスラエルのジャーナリストたちにガザで起きている惨状をイスラエルの人たちはどのように思っているのかを問う。だが、主要マスメディアは、テロ攻撃するハマス撃滅のための戦闘として報道し、パレスチナ市民の犠牲に関してほとんど報じないため関心は薄いという。ガザの惨状は、世界に報じられる。だがマサーフェル・ヤッタの村々で起きている分断とパレスチナ住民の生活破壊は、知らされていない出来事。こうした報道の現実は日本でも起こり得ることだろう。
エルサレムでの取材では、イスラエル市民が数千人規模のデモ行進を行っていた。ガザで捕らわれている人質解放を目的とした停戦合意を求めるもので、戦争反対の声を挙げるデモではなかった。一方、兵役を拒否する3人の若者たちと出会う。兵役招集の日に兵役拒否と平和を誓う信念を確かにした者、軍の在り方に疑念を抱いた者、シオニズムが占領によって支えられている暴力に反対する者。逮捕・懲役が待っていても、それぞれの“正義”と“信念”にまだ生きられる。また人知れず、生活に苦しむパレスチナ人家庭に食糧品などを提供するイスラエル人ボランティア団体とも出会う。
本作は、単にドキュメンタリーを超えて、人間の尊厳と隣人愛が何かを、根本から問い直させてくれる。聖書の福音は、神への信頼と隣人への愛を両輪として、憎しみを神の御心に委ねて憎悪の連鎖を断ち切る「赦し」の実践を指し示す。本作は、壁の外側と内側で出会った人たちが求める「正義」「和解」「隣人愛」の光のもと、分断に風穴を開ける希望の一歩を共に考えよう、と観客を誘っているように思える。