シナリオ

劇場公開日:2025年9月5日

解説・あらすじ

フランスの巨匠ジャン=リュック・ゴダールが、2022年に居住していたスイスで安楽死する前日に撮影した遺作。

2022年9月13日、ゴダールは自身が書いたシナリオに従い自発的な死を遂げた。彼はその2年前から「シナリオ」と題した最後の長編映画企画に取り組んでおり、モンタージュの構想を記した手帳やノートを何冊も作成していた。しかし、ゴダールは死の数日前になってこの企画を仕切り直し、2部構成の映画として仕上げるよう指示を出す。それに従って制作されたのが本作「シナリオ」で、コラージュ技法による18分間の映像を収め、死の前日のゴダールの姿も映し出す。

ゴダール自身が本作の制作ビジョンを語ったドキュメンタリー「シナリオ 予告篇の構想」も制作され、2本でひとつの作品として構成される。2024年・第77回カンヌ国際映画祭クラシック部門でワールドプレミア上映された後、第49回トロント国際映画祭、第37回東京国際映画祭でも上映された。

2024年製作/18分/G/フランス・日本合作
原題または英題:Scénarios
配給:ねこじゃらし
劇場公開日:2025年9月5日

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映画レビュー

4.0 ゴダールの死の前日

2025年9月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

ゴダール最後の映画であり、彼の死の前日の様子も映されている貴重な作品だ。前半は自身の過去作などを引用しながらの難しいことを描く内容と、後半のゴダールが最後の映画の構想をカメラの前で説明するドキュメンタリーのような場面(これが死の前日)で構成されている。
死ぬ
前日まで映画の構想を考えているということに驚く。本当にこの人の人生は映画なのだ。その後半、自分の人生の反芻みたいなものはなくて、ひたすらに映画の構想の話しかしていない。
前半にはゴダールの過去作『はなればなれに』から、拳銃で撃ち合うシーンが引用されているのだが、ゴダール監督の長年の制作パートナーだったファブリス・アラーニョ氏と黒沢清のトークショーで、このシーンはゴダールの死の前日に挿入するようにという指示があったらしい。この映画でアンナ・カリーナが演じた「オディール」はゴダール監督の母親の名前だという言及もあった。
自らの人生と死をも作品にしてしまうこの異様な手つき。正体不明の迫力を持った作品だった。

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杉本穂高

3.0 R.I.P. J.L.G.

2025年10月16日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

う〜ん…
これが遺作かあ…
まさにオープニングからして、ゴダールにしか撮れようがない(マネしても絶対に失敗する)ゴダールならではの完璧なショットから始まるのだが…
う〜ん…
やっぱり最初のプラン通りで作って欲しかったかなあ…
その最初のプランは本編の後に続き併映される『シナリオ:予告篇の構想』においてゴダール本人によって語られるのだが、本編の後半で続け様にインサートされることになる死のイメージは、そこには無い。
やはり、リアルに死を間近に控え、あの構成にしたくなったのは、わからんでもないが…

今回も複数の異なるイメージや音や言葉を組み合わせ、それら各要素を対比・衝突させて、観る側の思考を紋切り型の短絡な道筋ではなく、オリジナルな映像言語として詩的にダイレクトにイメージさせる表現となっている。
結果、異なる要素が関連し合い編集されることによって、思考が自由にドライブしていく。
なぜ?そんなゴダール独自の手法が、未だ本人でないと出来ないのか?やはり謎だ。

よって今回も様々なコラージュとなるのだが、過去の映画のシーンの断片が幾つもインサートされるので、下記の作品は事前に観ておいた方がいいかもしれない。

▼ゴダール
右側に気をつけろ
新ドイツ零年
はなればなれに
軽蔑
ウイークエンド

▼ロベルト・ロッセリーニ
戦火のかなた
無防備都市

▼オーソン・ウェルズ
上海から来た女

▼ハワード・ホークス
コンドル

▼エイゼンシュテイン
イワン雷帝

などなど…
まあ、必須って訳ではないが、ロッセリーニの作品や『軽蔑』『はなればなれに』に関しては、決定的なシーンが使用されているので、先に本編を観るに越したことはないだろう。

特に冒頭でコラージュされていた『右側に気をつけろ』に関しては、序盤において引用されてたマルローの言葉(本作では引用されてない)が、あまりに重要だ。

当然といえば当然だが、己の死を前提に作られているため、引用される要素はヘヴィな部分もあるのだが、ラストで登場する本人は、あまりに滑稽で軽妙だ。まるで道化師のように。
というか、翌日に迫る死が、引用された映画と地続きになり、何処かフィクションにしか過ぎないようにも見えてくる。
あまりにあっけらかんとして、生々しい悲壮感など微塵も無い。
本当に最後の最後まで徹底してユーモアの人だ。

そして、そこで引用されるサルトルの「指と指ならざるもの」というヴォルス論に関しては、メタ的な視点の有効性を見出しているとは思うのだが…
なぜ「指」と「馬」なのか?未だに謎だ。
謎は謎のままの方がいいのかもしれないが…

なお、日本語にもなっている「OK」は南北戦争の頃「Zero Killed」つまり、戦場での「死者はゼロ」の略語だったと『愛の世紀』で語られていた。
戦場から「死者ゼロ」で帰還したことは、勝利の報告だったはずだが、それは「殺戮の現実」や「実際に生じたはずの大量の死」を覆い隠し死者の不在を軽薄な「OK」サインという記号に変換してしまった。
あの場面を通じて、暴力と殺戮が繰り返されてきた歴史を、容易に「全て問題なし(All Correct > Oll Korrect )」としてしまうことを痛烈に批判していたのかもしれない。

そして「OK」という言葉の無邪気な普遍性と、歴史の残虐性を対比させて、現代社会における「殺戮の歴史」に対する記憶の喪失と無関心を改めて皮肉っていたのかもしれない。

この言葉を発した翌日、ゴダールは医師の幇助によって自ら永眠を実行した。

R.I.P. J.L.G.

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osmt

4.0 巨星。

2025年9月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

最後までインパクトある作品を作った。
ゴダールは唯一だった。

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ドラゴンミズホ