「愛という業火と、理性の崩壊について」ローズ家 崖っぷちの夫婦 こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
愛という業火と、理性の崩壊について
「夫婦関係とは、いかにして崩壊するのか」。本作は、その問いに対して、実に英国的で冷笑的な答えを提示してみせた。監督ジェイ・ローチ、脚本トニー・マクナマラ、主演はベネディクト・カンバーバッチとオリヴィア・コールマン。この顔ぶれだけで、観客はある程度の知的な痛みを覚悟すべきだろう。
物語の骨格はシンプル。成功した建築家テオと料理研究家アイヴィ。裕福で、魅力的で、家庭も社会的地位も手に入れた完璧な夫婦が、夫であるテオの失敗をきっかけに互いを蝕み、最終的に破滅する。いわば“現代版ローズ家の戦争”。しかし1989年の原作映画が露骨な戦闘劇としての「破滅の喜劇」だったのに対し、2025年版はもっと内側から崩れていく。冷え切った関係ではない。むしろ、まだ愛があり、会話があり、夜の営みすらある状態から崩れる。この点に、本作の恐ろしいまでの現実味がある。
つまり、夫婦の間に「終わりの兆候」が見えても、当人たちはまだ理性と体裁で取り繕える。共働きの時代、互いに自立していて対等。だからこそ「関係を維持できている」という錯覚が生まれる。実際には、積み重なった小さな不満や比較意識が、心理的なガスのように部屋の隅々に充満していく。そして最後、ふとしたきっかけで火がつく。それがこの作品における“爆発”の本質である。
終盤、二人が常軌を逸した嫌がらせを繰り返す展開は、一見コメディのようでいて、実は夫婦心理の臨界点を象徴する。相手を壊そうとする行為は、完全な憎悪ではなく、「まだ相手の存在を必要としている」証でもある。無関心ならば嫌がらせすらしない。つまり、愛情が残っているからこそ、互いを破壊せずにいられない。“嫌悪の中に未練がある”という人間の複雑さを、見事に描いている。
そして本当に爆発するラスト。あの白い閃光は、ただの悲劇的演出ではない。燃え上がる家は、彼らの関係そのもののメタファーだ。愛と執着、理性と感情、家と心──そのすべてが一度に崩れ去る瞬間。観客は静寂の中で、自らの関係性を見つめ返すほかない。愛は、理性という薄皮を一枚剥がせば、すぐに暴力と隣り合わせにある。 現代人の「理性への過信」こそ、この映画が突きつける最大の皮肉だろう。
本作は、ブラックコメディの装いを借りた心理ホラーである。恐ろしいのは、テオとアイヴィが特別な異常者ではないという点だ。誰もがこの二人になり得る。キャリアも家も子どもも整った完璧な家庭が、一夜にして崩れる。しかも、互いに愛しているがゆえに。そこにこそ、現代の“幸福”が抱えるリスクがある。
笑いながら背筋が寒くなる。ローズ家の崖っぷちは、他人事ではない。理性と愛の間に積もったガスは、私たちのどの家庭にも、静かに満ちている。
お互い鎮火に向かおうとした矢先、過去が着火させてしまう皮肉なエンディングでしたね。二人にとってはもう争わなくていいハッピーエンドにも見えます、元凶の家も多分もう無くなってるし。

