トリツカレ男 : 映画評論・批評
2025年11月4日更新
2025年11月7日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー
いしいしんじの楽しく恐ろしい原作を佐野晶哉+上白石萌歌でミュージカル・アニメ化
小説「ぶらんこ乗り」「麦ふみクーツェ」や、「ごはん日記」などのエッセイでも知られる物語作家いしいしんじの代表作を、「クレヨンしんちゃん」シリーズの髙橋渉が監督した恋愛ミュージカル・アニメ。声の出演はジュゼッペ役にAぇ! groupの佐野晶哉、ペチカ役に上白石萌歌、喋るネズミのシエロに柿澤勇人。音楽はAwesome City Clubのatagiが担当している。
オペラ、サングラス収集、三段跳び、語学習得など、一度その趣味に取り憑かれたら、とことん追求せずにはいられない青年ジュゼッペ。そんな彼が風船売りの少女ペチカに恋をした。シエロの後押しもあり2人は友だちになったものの、ペチカには人に言えない秘密があった。ジュゼッペは身につけたスキルの数々を総動員して、彼女のトラブルを秘密裡に解決するが…。

(C)2001 いしいしんじ/新潮社 (C)2025映画「トリツカレ男」製作委員会
幻想的・寓話的な作風で知られるいしいの代表作をアニメ化する計画は2008年からあったが、「アナと雪の女王」「君の名は。」など音楽が印象的な作品のヒットを受けて18年から本格的に動き出したという。最初に感じるのは荒川眞嗣によるクセの強い独特なキャラ造形に対する違和感だが、欧米の童話のような語り口と、躍動的なミュージカル演出によって、すぐに馴染むことができた。
浮かび上がるのは「トリツカレ」ることの楽しさと恐ろしさ。没入すると周囲を顧みないほど熱中し、次々に能力を獲得する(時には瞳の色さえ変えられる)ジュゼッペは、社会から逸脱することなく受容される。終盤、詳細は省くがジュゼッペはその才能を総動員して、シラノ・ド・ベルジュラックよろしく愛する人を裏から支える。しかし、その情熱の代償として過酷な運命が待っている。
取り憑かれることの悲劇を描くことが本作の特色だが、その悲哀を補っているのが、ミュージカル・シーンだ。ダンスはリズム感とイマジネーションに溢れ、ジュゼッペとペチカの歌声はのびやかで思わず聞き入ってしまうほど魅力的だ。歌詞ははっきりと明快、スムーズに頭に入ってきて聞きやすい。歌唱力に定評のある佐野の声によってジュゼッペは生き生きと動き出し、歌手としても活躍する上白石はペチカが持つ陰影を歌と台詞でうまく表現している。
ヨーロッパの古い街並みを思わせる背景も魅力的だ。抜けるような青空と雲、セピア調の夕景、凍てついた厳寒の雪景色。精密な色彩設計で、季節とキャラクターの心理をシンクロさせる演出も引き込まれる。ペチカを移民に設定したことで、異国情緒に多様性も取り込んだ豊かな物語に仕上がっている。日本のアニメには珍しく、国際色豊かな作品。映画が気に入ったならば、ぜひ原作も、そして他のいしいしんじ作品も楽しんで欲しい。
(本田敬)



