また逢いましょうのレビュー・感想・評価
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介護を通じた人々の在り方と関わり方を考えさせられる
主にデイケア施設を舞台に物語が進行する、やや地味めな映画ではある。とはいえ、老父の大けがをきっかけに帰省した娘の視点で、介護が必要な人たちの心情や、施設職員らが抱えるさまざまな思いも描きつつ、すべての人にいずれ訪れる老いや障害による衰えや死について考えさせる内容は貴重だ。
プロデューサーや自主映画監督として実績のある西田宣善の劇場映画監督デビュー作だそう。単館系の小品の趣ではあるが、主演の大西礼芳をはじめ、中島ひろ子、カトウシンスケ、田山涼成ら主要キャストの演技は安定感があり、短い出演ではあるが筒井真理子、田中要次らも華を添える。大西は劇中の漫画やピアノ演奏も自ら手がけたといい、その多才ぶりにも驚かされる。
診療所所長でデイケア施設も運営する伊藤芳宏氏の著書が原案で、台詞や作文などの中に出てくる生死や哲学についての言葉が、おそらく元のテキストの影響で観念的になったり、説明調になったりしたきらいはあるかもしれない。ともあれ、生きるとは、死ぬとは、そして人が支えたり支えられたりして共生することについて、改めて考えるきっかけをもたらす意欲作であり、作り手たちの高い志を尊敬する。
介護問題を温かく描いた作品
いま必要なこと、大事なこと、明るく駆け抜けること
核家族という言葉が死語になるほど少子化が進んだ昨今、「介護」を描く映画は我々すべてに現実を突きつけ、他人事ではないと思わせる。
それもそのはず、映画の原案となった本『生の希望 死の輝き 人間の在り方をひも解く』の著者・伊藤芳宏は、ずっと医療に関わり、個人診療所に、大規模デイケア施設を併設し、運営している。根底がリアルなのである。その人生哲学ともども、作中の院長・武藤雅治(田山涼成)のモデルであろう。施設に通う/住む人たちひとりひとりに聞き取りを続け、その半生を物語として互いに共有することで、周りや次代に伝える意味が浮かび上がり、自然と生きる活力にもつながっていく。
同時に介護士の報酬が、仕事の大変さに比べてつり合いがとれていないことや、絶対に避けて通れない下の世話の現実も描かれる。
タイトルが「会」ではなく「逢」であることにも、制作陣の意志が込められている。前者はあらかじめスケジュールを決めて実行する会合を意味するが、後者は偶然や運命による意味のある出逢いをあらわす。日々これを意識して過ごすことで、素通りが出逢いに変わる。さらにはクライマックスの「みんなしぬ」という、真面目とおふざけが半々でペーソスに満ちた歌に、死との出逢いや、死後や来世までをも含むニュアンスがあり、悲しさを突き抜けた悟りの世界へいざなう。
そんな社会派作品であるにもかかわらず、エンタテインメントの輝きを失っていないところは、脚本の梶原阿貴や、本作が劇場映画デビュー作となった西田宣善監督の手腕が大きい。そしてちょっと世間の常識からは外れているかもしれないけれど、確実に「ああ、いるいる、こういう人!」と思わせるキャラクターを、それぞれ演じる見事なキャスティング。みなどこか社会不適合で、コミュ障で、ひねくれてて、でも心の奥底では理解してもらいたかったり、自分も気づいていない本心を吐露したかったりで、愛すべき面々である。
東京でスランプに陥っている漫画家・夏川優希(大西礼芳)の元に、いきなりの連絡が入る。父・宏司(伊藤洋三郎)が転落事故で頸椎損傷したというのだ。
親ひとり子ひとり。優希は太秦に近い京都の故郷に戻り、半身不随の父の介護をせざるを得なくなる。
しかし父もまた、そんな自分に不甲斐なさ情けなさを感じ、会話もない進展しないぎこちない二人暮らしが始まる。
そんな状況が、父のデイケア通いとともに徐々に打破されていく。この「徐々に」というのがポイント。
施設のベテラン職員・向田洋子(中島ひろ子)は、常に明るく率先してレクリエーションを考えていくが、どこか意識高い系の空回り感がある。
洋子の別れた夫は、脇役を地味にこなす俳優(田中要次)。
このふたりの高校生の娘ルイ(神村美⽉)は、母とは反りが合わないが、優希には興味を示して異なる一面を見せてくれる。
主に宏司のケアマネジャーを担当する野村隼⼈(カトウシンスケ)は、仕事以外はなかなか不器用で異性とのおつきあい経験もあまりない。
施設の利用者のひとり東田梅子(梅沢昌代)は、若い頃の栄光が邪魔して時々言動が鼻につく。
若くして車椅子生活になった加納ゆかり(田川恵美子)は、人を寄せ付けず自分の殻にこもっている。
そんな人々の関係が、出逢いと少しの関わり合いによって、新たな地平へと向かっていく……
しかし主演の大西礼芳には存在感がある。そこにいるだけで惹きこまれる。
鋭い頬骨の線。通った鼻筋。大きな口。
妖精を思わせるアーモンド型の大きな目の奥に、底知れぬ感情が宿る。怒り、悲しみ、悲しみ、嫉妬?
表情を見ているとなぜか胸が苦しくなる。
今回は漫画家役ということで、作中の漫画も販促ポスターのイラストも大西自身が手掛けた。
レクリエーションで歌う場面もあるため、ピアノ演奏も歌唱も吹き替えナシ。何という才能だろう。
そんな大西が、すべてのしがらみを振りきった笑顔で、飛ぶように駆けるメインビジュアルは、我々の行くべき先への道しるべとなっている。
いま見るべき映画である。
「夜明けまでバス停で好き」
めざせ掬いの共同体
ケガで歩行困難になった父親が通い始めた介護施設に、一緒に行く様になった娘の変化の話。
釣りに出かけて崖から滑落し病院に担ぎ込まれた父親のもとへ、東京で売れないマンガ家をする娘がやって来て巻き起こっていく。
3日が山と言われた父親が回復したけれど、右手は動かず歩行は困難という状況下、娘が暫く実家に残るという条件で退院が許可されるという流れだけれど、なかなかな老害っぷりをみせますね。
何て思っていたら、父親のことは結構どうでも良い感じで、ケアマネジャーや介護施設の職員たちと接する娘をみせるばかり。
彼女が主人公だから、それはそれでも良いけれど、ラスト15分ぐらいで急に主張がドーン。
某コラムニスト噛んでます?
障害者の権利が当たり前だーとか、そういう世の中にーとかそれが言いたかっただけですか?という、それ以外のドラマは全て中途半端な状態での終了でビックリした。
後半になってなかなかのトンデモ展開になるのだが、大西礼芳さんは多才だなあと思った
2025.7.22 アップリンク京都
2025年の日本映画(91分、G)
原案は伊藤芳宏のノンフィクション『生の希望 死の輝き 人間の在り方をひも解く』
父の怪我によって介護施設と関わることになった漫画家を描いたヒューマンドラマ
監督は西田宣善
脚本は梶原阿貴
物語の舞台は、京都市右京区宇多野近辺
父・宏司(伊藤洋三郎)の大怪我を聞きつけて東京から舞い戻った漫画家の夏川優希(大西礼芳)は、主治医(安部朋子)からこの3日がヤマだと言われてしまう
脊椎損傷の怪我を負った父は、何とか命を取り留めるものの、右半身に麻痺が残ってしまう
一人暮らしは難しいものの、優希が同居するならという条件付きで帰宅が許可された
その後、ケアマネージャーの野村(カトウシンスケ)とともに今後の生活についての話し合いをした結果、ハイデガー哲学をケアプランに取り入れている「介護施設ハレルヤ」に通所することになった
所長の武藤(田山涼成)は「ハレルヤ通信」という利用者の過去を取り扱う冊子を作っていて、それをきっかけに利用者同士の交流が進めば良いと考えていた
また、自分の過去を文字にすることで、自分自身と見つめ合い、自分の言動によって他人にどんな影響を与えてきたかを考えるきっかけにもなる
そう言った趣旨でケアプランを考案し、チーフの向田洋子(中島ひろ子)を筆頭に数名の介護士が利用者のケアにあたっていたのである
物語は、ハレルヤに通う父と優希が描かれ、さまざまな利用者と交流を持っていく様子が描かれていく
ダンスが得意な梅子(梅沢昌代)や、若くして病気で下半身不随になったゆかり(田川恵美子)たちと過ごす中で、洋子ともプライベートで仲良くなっていく
彼女の娘ルイ(神村美月)の勉強を見てあげたり、洋子のケアプランを一緒に考えていく中で、野村との仲も徐々に縮まってくる
そして、二人きりでデートに出かける時間などが増えていった
だが、ある日のこと、梅子が自宅で倒れてしまい、そのまま息を引き取ったことを知らされたみんなは、ショックを受けてしまうのである
映画では、ハイデガー哲学が引用され、自己の存在理由と時間(経験)の相関性などが描かれていく
ハイデガーはドイツの哲学者で、劇中に登場する『存在と時間』という書籍を残している
「存在の哲学」を思考し、人間の存在や世界との関わり方を根本的に問い直して、実存主義哲学に大きな影響を与えたとされている
彼は人間のことを「現存在」と呼び、「人間は世界に投げ込まれた存在として、世界と切り離せない関係にある」と言う
また、劇中で言及されるように「死を運命として自覚的に受け入れ、そこから自分の人生を捉え直すこと」を思考の骨格として、「死への先駆(Vorlaufen)」を提唱している
映画内でも、「死を乗り越えた人に見えるもの」ということで、利用者はそういった経験がある人が多く、彼らが語る自分史によって、人間同士の理解が深まると考えられていた
そして、優希の父もライフストーリーを手がけることになり、口下手で寡黙な父が饒舌に内面を吐露している様子が描かれていく
父の知らない一面を知り、それによって自分の人生を見つめ直すことになった優希は、東京で戻ることをやめて、実家に帰ってくることを選択するのである
映画では描かれないが、父と距離を置くことが上京の一つの理由になっていると考えられ、そうした内面の変化というものが現れているのだろう
とは言え、その源泉となっているのは野村の存在であり、その理由についても、父はなんとなく察しているのかな、と感じた
いずれにせよ、かなり変わった作品で、洋子が手がけるケアプランでは3部構成の劇を行おうとしていた
そこには急逝した梅子や、障害者と健常者の関係性に違和感を持つゆかりなどのライフストーリーを組み込んでいくのだが、そこに「みんなしぬ」というインパクトが強すぎる歌も登場する
特攻服姿で天誅を下しに行ったり、大声でこの歌を歌ったりするのだが、このあたりの何とも言えない感じはハマる人にはハマるのかもしれない
個人的には無茶な映画だなあと思っていたが、死を自覚してこそ見えてくる世界というものには興味があったので、そう言った観念とか、ハイデガーの哲学に興味がある人にとっては、良いきっかけになるのかな、と感じた
🎶みんな死ぬ〜みんな死ぬ〜🎶
明るくほんわかと生死を描く
クロネコ・ポンチ先生
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