劇場公開日 2025年6月20日

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「吸血鬼というモチーフで描かれる差別の歴史。素晴らしき闇鍋映画」罪人たち 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 吸血鬼というモチーフで描かれる差別の歴史。素晴らしき闇鍋映画

2025年6月23日
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鑑賞方法:映画館

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【イントロダクション】
禁酒法時代のミシシッピ州クラークスデールを舞台に、双子の兄弟がオープンしたバーに吸血鬼が襲い来る。主演のマイケル・B・ジョーダンは1人2役で双子役を務める。
監督・脚本は『クリード チャンプを継ぐ男』(2015)、『ブラックパンサー』(2018)のライアン・クーグラー。

【ストーリー】
1932年。1人の若者が、牧師の説教中の教会に入って来た。血だらけのボロボロ姿で壊れたギターのネックを持つその姿に、教会内は壮絶とするが、牧師のジェディディアは彼を受け入れる。牧師は若者の父であり、彼に何が起きたのか問う。若者の脳裏には、昨夜に起きた惨劇の様子がフラッシュバックしていた。

1日前。双子のイライジャ・ムーアとイライアス・ムーアの通称“スモーク&スタック”兄弟(マイケル・B・ジョーダン)が、故郷であるミシシッピ州クラークスデールに戻って来た。彼らは第一次世界大戦の退役軍人であり、シカゴで大物ギャングのアル・カポネの組織で働いていたが、かねてよりの夢であったジュークジョイント(黒人労働者たちが集まり、バーや音楽の演奏、ギャンブル等をする娯楽施設)を開業する為、ギャングの金や酒類を盗んできていた。
2人は白人の地主ホグウッドから製材所を買い取ると、店のオープンに向けて準備を開始した。

2人は従兄弟でありブルース・ミュージシャン志望のサミー(マイルズ・ケイトン)を迎えに行く。「ブルース・ミュージックは悪魔と繋がる超自然的なもの」だというジェディディアの警告にも拘らず、サミーは兄弟の仲に加わる。

スタックはサミーと共に駅に向かい、ハーモニカやピアニストのデルタ・スリム(デルロイ・リンドー)を勧誘する。スタックはそこで、かつての恋人であったメアリー(ヘイリー・スタインフェルド)と再会する。メアリーは勝手な判断で自分を捨ててシカゴに向かったスタックを恨んでいたが、彼に対する愛を捨て切れていなかった。
スタックは更に、店の用心棒として綿畑の小作人コーンブレッド(オマー・ベンソン・ミラー)を引き込む。

一方、スモークは街で中国人店主のグレース(リー・ジュン・リー)とボー(ヤオ)夫妻に店の看板や食材の手配を頼み、亡き娘の墓参りをする。彼は妻でありフードゥー教の修行者のアニー(ウンミ・モサク)と再会し、彼女をバーのコックとして雇う。

時を同じくして、アイルランド移民の吸血鬼レミック(ジャック・オコンネル)は、チョクトー族の吸血鬼ハンターに追われ、KKK団員のバート(ピーター・ドライマニス)とジョーン(ローラ・カーク)夫妻の保護を受ける。レミックはバートとジョーンを吸血鬼に変え、行動を共にする。

開店初日の夜、店は大賑わいを見せ、サミーやスリム、サミーが想いを寄せる歌手のピアライン(ジェイミー・ローソン)がステージを盛り上げる。中でもサミーの歌うブルースは超常的で、過去や未来から様々な黒人ミュージシャンやダンサー、民族音楽家達を精霊として呼び寄せる。しかし、その歌声はレミック達吸血鬼といった邪悪な存在をも虜にし、呼び寄せてしまっていた。

レミック達は、旅をしている音楽家の一団だとして、店の前でスモーク達にブルースを披露し、「金ならあるから中に入れてくれ」と懇願する。しかし、スタックは黒人限定の店に彼らを迎え入れるわけにはいかず、追い返した。だが、スモークは店の売り上げがアメリカドルではない街での用途限定の金券による支払いが少なくない事から、店の採算が2ヶ月で破綻する事を悟っていた。店を訪れていたメアリーは、経営を破綻させまいとレミック達を呼び戻す事を提案し、彼らにコンタクトを取りに行くのだが……。

【感想】
まず、本作のレビューを執筆するにあたり、パンフレットが売り切れていた事が何よりも悔やまれる。

とはいえ、私は運良く鑑賞前にXにて本作の基礎知識をネタバレ抜きで解説している「シネマリン【映画・ドラマ】」さんのポストと、それらを纏めたnoteを閲覧する事が出来たので、作中の様々なワードや主人公達の立場を混乱する事なく楽しめた。ここに感謝の意を表したい。
また、鑑賞後に確認出来るネタバレ有りの解説noteも非常に面白いので、復習も兼ねて閲覧を推奨したい。

本作のプロットを聞いて真っ先に思い浮かぶのは、クエンティン・タランティーノ脚本、ロバート・ロドリゲス監督による異色の吸血鬼作『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996)だろう。それもそのはず、ライアン・クーグラー監督は同作の大ファンなのだそう。また、監督は同じくロバート・ロドリゲス監督による『パラサイト』(1998)にもオマージュを捧げており、作中で仲間や客が次々と吸血鬼に変えられていく様子や、「招き入れられないと家に入れない」という吸血鬼の特性からくる店の扉の前での問答に、その様子が伺える。

なので、私は最初、本作を「吸血鬼映画」と認識して鑑賞しに行った。しかし、吸血鬼はあくまで黒人差別や移民差別のメタファーとしての舞台装置に過ぎず、その実はかなり「音楽映画」としての特色が強いものだった。
そんなわけで、肝心の吸血鬼軍団との死闘が始まるのが映画も終盤に差し掛かってからだったり、戦闘そのものは短かったりと、純粋な吸血鬼映画に対する期待には若干の肩透かしを食らった。
しかし、クライマックスでのスモークによる白人至上主義者による組織、KKK(クー・クラックス・クラン)の大虐殺シーンの熱量と、60年後にミュージシャンとして成功したサミーを、吸血鬼として生き延びていたスタックとメアリーが訪れるシーンの味わい深さで、個人的にはかなりのプラス。このスモークによる大虐殺は、タランティーノ的な“フィクションによる暗い歴史へのカウンター”としても受け止められた。

また、音楽映画として捉えれば、本作はとにかく作中からエンドロールに至るまで、作品を彩る楽曲が悉く素晴らしい!特に主題歌のロッド・ウェイブによる『Sinners』がお気に入り。

映像面においても、サミーの歌によって民族音楽から最新のミュージシャンにクラブダンサーと、過去や未来という時間の枠を超えて様々なアーティストが一堂に会するシーンは本作の白眉。

更に、本作は“音”そのものの使い方も良い。スリムがサミーに白人による差別を語るシーンで、会話の後ろに騒動の音声を流すという演出が良かった。映像ではなく、音で過去回想をするというのは、音声を含める映像作品ならではの強味と言える。
皆でリズムを取って踊るシーンの地響きまで伝わってくる様子も印象的だった。

ストーリー展開については、序盤から丁寧に展開される店のオープンに向けた仲間集めのシーンが1番面白かったかもしれない。個性豊かなキャラクター達が、互いに利益や友情・愛情によって集っていく姿は、観ていて非常にワクワクさせられた。
クライマックスで、惨劇を生き延びたサミーが父の「ギターを捨てろ」という言葉を無視して、壊れたギターのネックを握りしめて車を走らせる姿も熱い。

意外と下ネタも多く、絡みシーンも多い。スタックの語る「女を喜ばせたければ、ボタンを探れ。アイスクリームを舐める時と同じ、“優しくゆっくりと味わう”のさ」という台詞には笑った。

【吸血鬼というモチーフを基に描かれる、差別する側・される側という構図】
この事件の元凶たるレミックが「アイルランド移民」というのがミソで、彼らもまた、かつては黒人と同じく差別されていた。しかし、白人としての権利を獲得した事で、差別側に回ったという歴史を持つ。だからこそ、レミックの言う「友愛と友情」という台詞、スタックら黒人を吸血鬼化して、不死の獲得と迫害からの解放を与えていくのは、彼にとっては本当に救済行為でもあるのだ。サミーの歌を使って失われたコミュニティの魂を呼び戻そうとする様子は、彼もまた「奪われた側」である事を示している。
しかし、そこには同時に、差別する側に回れたからこその“傲慢さ”も感じさせる。白人優位のアメリカ社会が、ブルースをはじめとした様々な黒人文化を簒奪してきたように。

あくまで舞台装置の1つに過ぎないが、それでも(だからこそか)吸血鬼の設定は基本に忠実である。
・太陽の光の中では生きられない
・招かれなければ建物に入れない
・ニンニクや聖水が弱点
・木の杭で心臓を穿たれれば死ぬ
このように、吸血鬼とは実はかなり不便な存在ではあるのだ。また、陽の光の下で生きられないというのは、まさに読んで字の如く“日陰者”として生活せねばならない。

更に、本作には独自の設定として、「痛みや意識、記憶を共有して一つになる」というものがある。
これは、アメリカ社会が様々な文化を吸収して、巨大に発展してきた歴史そのもののメタファーであるだろう。それが良いか悪いかは、個人的には判断しかねる。だが、本作が本国にて批評家と観客、双方から大絶賛で迎えられている事は、本作のテーマが彼らに多くの考えを呼び起こさせたという一つの回答と言えるだろう。また、“個”を失わせて“全体”に取り込もうとする様子は、カルト宗教も連想させる。
吸血鬼となった時点で、個としての真の“自由”は永劫失われてしまうのだ。それこそ、「好きな舐められ方」まで共有されてしまう程に。

ところで、この時代中国系移民は白人と黒人の中立に位置し、主に黒人居住区で食料品や日用品の店を経営して生計を立てていたそうだが、吸血鬼をバーに招き入れる役割を中国人のグレースに任せている点は少々引っ掛かった。家に残してきた娘の為に仕方なくはあるのだが、吸血鬼が差別のメタファーである以上、構図的にもやはりその役割は黒人でありリーダーであるスモークが果たすべきだったように思う。
アジア系の人間が損な役回りや無能なキャラとして機能させられているのは、それも一種の差別意識が潜在的に潜んでいるように感じてしまうのは、同じアジア人だからであろうか?

【ポストクレジットで結実する、本作のテーマ】
サミーが教会で歌う『This Little Light of Mine』の「この小さな光を輝かせよう」とは、限りある生を全うするという彼の決意と、人間讃歌なのだ。

自らの決意を胸にブルースを歌い続け、限りある人生を懸命に生きて成功した老サミーも、吸血鬼として永遠の若さと命を手に入れたスタックも、人生における最良の日として思い浮かべるのは、1932年のあの日。
たった1日、それも更に限定的な時間内でのみ、彼らは真の“自由”を獲得し、一つになっていたのだ。だからこそ、サミーはスタックの申し出を断るし、スタックはあの日を鮮明に記憶し、懐かしさを抱いている。

「自分の意思で、限りある命を生きる」
本作が提示するテーマは、普遍的で揺るぎない価値観なのだ。ホラー映画でここまで真摯に人生について考えさせられるとは思わなかった。

【総評】
吸血鬼というモチーフを通じて描かれる、アメリカ社会と黒人差別の歴史。ブルースをはじめとした音楽の魅力。その他下ネタからアクションに至るまで、映画の面白味を存分に詰め込んだ、何とも贅沢な「闇鍋映画」だった。

本国でのスマッシュヒットを受けての緊急日本公開故仕方ないとはいえ、こんなに面白い作品が約30館という小規模公開なんて、あまりにも勿体ない。

余談だが、本作はIMAXシアターでの鑑賞がベストな作品ではあるが、あくまで本作は“SHOT WITH IMAX FILM CAMERAS(部分的にIMAX 65mmカメラで撮影された作品)”である。その為、グランドシネマサンシャインのスクリーンでは、縦長のアスペクト比と通常シアターでの画角とが上映中にコロコロと切り替わる仕様となっている。これについては、私は『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021)で経験済みなのだが、やはり画角がコロコロ変わるのは気にはなる。なので、鑑賞予定のある人は、余程の拘りがない限りは、現在日本で最も普及している4Kレーザー上映のIMAXシアターでの鑑賞でも問題ないとは思う。

緋里阿 純
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