エディントンへようこそのレビュー・感想・評価
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アリ・アスターが広げたハイコンテクストな風呂敷
アリ・アスターにしてはコメディタッチなのが意外だったが、後味はやっぱりアリ・アスター……エンドロールで胸の中が薄灰色の雲に覆われた。
中盤まではコロナ禍のアメリカの田舎町の様子が淡々と描かれる。マスクについてのやり取りなど、日本もアメリカも大差ない。周囲の人間の描写が断片的になされるが、点と点が繋がらない段階なのでやや冗長に感じる。ホアキン演じるジョーの家庭環境には同情するが、主人公なのに今ひとつ感情移入出来ない。なんか適当に市長選に立候補して、部下に選挙活動手伝わせたりするし。
ジョーがホームレスを撃ち殺してから、ようやく気持ちが物語の波に乗った。
この物語では、現実に存在するいくつかの対立軸が描写される。コロナ禍におけるマスク。陰謀論。人種間の対立。
社会問題を映画のテーマにする場合、大抵はいずれか片方の主張に正義の色付けがなされる。ところが本作ではそういった偏りがほぼないように見えた。
監督がやりたいのはいずれかの主張に軍配を挙げたり解決策を提示したりすることではなく、対立そのものを俯瞰して滑稽なものとしてこき下ろすこと、分断を深めてゆくアメリカ社会の愚かさを浮かび上がらせ、馬鹿らしいこととして嗤うことなのかもしれないと思った。
「お約束」を避けた展開が、意外性を生むと同時にこちらをモニョらせる。
主人公のジョーは「この町にコロナはない」と言ってノーマスクを主張するが、結局感染してしまう(途中から咳をしたりコーヒーの味がわからなくなって吐き出していたりした)。殺人を犯し、その罪を部下になすりつけようとした後は、正体不明の暗殺者に追い回され瀕死の重傷を負わされる。こうした彼の受難は因果応報として描かれているのかと思いきや、ジョーは半身不随とはなるが生還し、思惑通りエディントンの市長になる(ここで、取って付けたような解決ムードの感動的な音楽が流れたのは笑った)。
彼の殺人行為は裁かれない。プエブロの捜査官がアルファベットの書き癖から彼が犯人だと見破り、ジョーの卑劣な行為への裁きを期待させるが、彼はジョーと暗殺者の撃ち合いに巻き込まれて死んでしまう。
ジョーを襲った暗殺者たちは、あまりにプロ集団過ぎてアンティファと言うには違和感を覚えたが、その正体についての明確な説明はないままだ。
唯一まともで善良な人間だったプエブロの捜査官(次点はジョーの部下2人、それ以外の登場人物は皆どこかおかしい。でもアメリカに実際いそうだから怖い)の死。ジョーは妻ルイーズをカルト教祖ヴァーノンに寝取られ、自分とのセックスを拒んでいた彼女がヴァーノンの子を宿すという屈辱を目の当たりにした。
爆発から生還したかつての部下のマイケルは暗い荒野で射撃の練習をする。もしかしたらジョーによって濡れ衣を着せられたことに勘づき、復讐の準備をしているのかもしれない。
正義が葬られ、最も身近な人間関係にさえ繕えない分断が残ったまま物語は終わる。
正直、風呂敷が畳まれていない感がある。ラストに未解決の事項を残したり顛末をボカしたりして観客に考えさせる、という手法はよくあるが、それが効果を発揮するのは匙加減次第だ。観る側の好みとの相性もあるだろうが、私にとって本作はとっ散らかったまま終わったという印象が拭えない。
人種差別、アンティファ、BLMなどアメリカの社会問題が羅列されるが、それらの要素について監督なりに紐解くことなく絡まったまま差し出されたような気分だ。このとっ散らかって何も解決してない感が近年のアメリカなんですよと言われてもそれは報道など現実の情報からわかることで、監督がその現実をどう咀嚼したかをもう少し踏み込んで見たかった。作品で描かれた社会の空気を体感しているアメリカ国民なら、また違った感想になるのかもしれないが。
俳優陣は皆素晴らしくて、ホアキンの必死な中に微かにコミカルさの漂う演技などは人間味にあふれていてとてもよかった(人を殺し出してからは全く共感出来なかったが)。演技面での満足感と脚本面での消化不良のアンバランスが悩ましい。
価値観の相対化が分断をあおる現代のノワール西部劇
アリ・アスター監督が娯楽性を保ちつつ、現代の問題へのチューニング精度を一気に高めたことは嬉しい驚きだ。監督の過去3作は、謎の呪いで家族が崩壊する「ヘレディタリー 継承」、北欧の楽園のような村を訪れた若者たちが地獄を見る「ミッドサマー」、不安症の中年男が母の葬儀に向かう途上で災難に見舞われる「ボーはおそれている」。これらはいくらかの現代性を含みつつも、オカルト、カルト宗教、不条理な展開といった要素により、大半の観客から自分には直接関係のないフィクション、娯楽作として鑑賞されただろう。
だが最新作「エディントンへようこそ」を観て揺さぶられる感覚と感情の切実さは、アスター監督の過去作とは大きく異なる。本作を端的に形容するなら、パンデミック期のノワール西部劇。主人公の保安官ジョーは喘息持ちのため厳格なマスク着用ルールに反対し、情緒不安定な妻ルイーズと陰謀論者の義母にも悩まされている。ロックダウンを実施しマスク着用を義務付けた市長テッドと反目し、ジョーが次期市長選出馬を決めてからは、SNS動画のフェイクニュースで中傷するなど対立が激化。市長の息子が加わるブラック・ライブズ・マター(BLM)の抗議デモ、ルイーズに接近するカルト教祖、遠くから来た武装テロリスト集団などもからみ、かつての静かな田舎町エディントンに混乱と暴力と破壊の嵐が吹き荒れる。
往年の西部劇と言えば、町の住民と秩序を守る保安官は絶対的な善、住民の生命や財産を脅かす無法者や“蛮族インディアン”が絶対的な悪だった。だが、“世界の警察”を自認していたアメリカがベトナム戦争で失敗し、ニクソン大統領が違法行為で辞任し、CIAによる反共イスラム勢力への支援が中東や西アジアの問題を一層複雑化して911テロの遠因にもなり、自分に不都合な情報をフェイクニュースと言い放つトランプが2度大統領に選ばれたこの半世紀ほどを経て、もはや絶対善のリーダーなど誰も信じなくなった。誰かにとっての正義は、別の誰かにとっての悪。つまり善悪などの価値観は相対的なものだということを、大勢が受け入れるようになった。また価値観の相対化には、「自分の考えが正しく、異論はみな間違い」という偏ったメンタリティを助長する負の面があり、それが分断をあおる現状もある。
脚本も担うアリ・アスターは、考え方や利害が相容れないキャラクター(または勢力)たちの間で緊張が高まり、やがて対決を迎えるという往年の西部劇のフォーマットを下敷きにしつつ、コロナ禍、陰謀論、フェイクニュース、カルト、テロリスト、BLM、社会の分断などなど、あまたの現代的な題材をごった煮のごとくぶち込み、怒涛のストーリーテリングで観客を圧倒する。エディントンで巻き起こる騒動の多くは、マスク論争を筆頭に、私たち自身や身近に起きたこと、昨今の報道で見聞きしたことと重なる。だからこそ、ジェットコースターに自ら乗り込んで体験するかのごとく、不安、恐怖、衝撃、余韻がよりリアルに、切実に感じられるのだろう。
Eが確かに変だ。
かなり変な映画だったので、レビューを書く気になかなかなれない、。
怪作ばかりのアリ・アスター監督だがアメリカは皆んなが皆んな自分勝手で救いのない国であることを、小さな街の小さな出来事の連鎖(最後は大きな事件)に全部詰め込んでとてつもない混沌の世界を作り上げてしまった。って感じでしょうか?
監督は「銃をスマホに持ち替えた西部劇」であると表現してるように、全編にわたって象徴的にスマホのスクリーンが登場する。もはやスマホは現代人の身体の一部になりそこから媒介するものが日常を作り出し、世の中をも動かしてしまう(それはよく分かる)。
保安官のジョーはコロナ禍で虐げられた人の味方で正義感から市長選に出たと思いきや自分の妻の秘密を暴露してまで選挙を有利にしようとしたり、怒りからライバルの現市長と息子を殺害する暴挙に出て更には部下に罪をなすりつけようとする。妻も義母も街の人々も登場人物の誰にも共感出来るとこなど何もない。おまけに後半は謎のテロ集団?との銃撃戦に突入してしまいぐちゃぐちゃの展開に、。ラストの終わり方は意味深だが伝えたかったのは何なのか?普通の人の私には理解が追いつかなかった。
評価はどうしていいかわからないので並にしておきます、。
No Peace
アリ・アスター監督最新作はコロナ禍を舞台にした市長選がメインの作品で、1対1の構図からどんどん広がっていき銃撃戦や爆破まで起こってるのでさぁどうなると意気込みながら鑑賞。
コロナ禍初期の頃にあったマスクをするかしないかの押し問答が今作は最初から展開されていき、深夜での飲食店問題なんかも取り上げられており、懐かし〜と思いましたが、こんだけ町がマスクしてくれ〜って言ってるのになんでマスクしないんだろうと思いましたが、喘息持ちの設定を加える事によって確かにマスクするの辛いよなともなったりするバランスが妙でした。
そこからSNSのバズりでの拡散や、BLM問題、日本ではやはり馴染みのない銃の扱い、身近な人々との関わり合いなんかもたくさん含まれているので、ごっちゃごちゃしている感じは否めないんですが、とりあえず詰め込みつつのストーリー展開なのでジャンル変化しまくるところは良かったと思います。
しかしまぁ口論がメインなのでどうしても乗り切れない場面が多く、人と人との憎しみ合いばかり疲れてしまったのは確かです。
ジャンルが急変する中盤から終盤はもうハチャメチャになっていき、ガトリング含めた銃撃戦は突飛すぎましたが面白かったです。
エゲツないくらいの弾数で襲っていき、バンバン死んでいき、頭をぶち抜かれちゃったりもするので、ギリギリPG-12、R指定でもまぁ良いんじゃない?ってくらいのグロさではありました。
アリ・アスターにこのバトルを求めていたかと言われると悩ましいところですが、停滞していた雰囲気を打破してくれたところは良かったと思います。
ラストにかけてはよりカオスになっていき、正直どう取って良いのか分からずでモヤモヤした結果、ホアキンのち○ちんしか印象に残ってないです。
アリ・アスターとはどこか相性の悪さを感じてしまうんですが、次回作では逆転劇が起こるのか、そういうところにも期待して次回作を待とうと思います。
鑑賞日 12/16
鑑賞時間 9:30〜12:00
後半が
コロナ禍のあのわけのわからない不安感を思い出されるスタートから終始モヤモヤ感。
ホアキンフェニックスの暴走ぶりがすごい。
最初の殺人の衝動からバタバタします。
後半は誰に狙われてるかもよく分からずで。
足の吹っ飛ぶシーンはアリアスターっ感じです。
ホアキンのポコもでてるし。
つまんなくはないが、スッキリしません。
嫌いではないです。
コロナ禍に浮き彫りとなる疑心暗鬼
コロナ禍のロックダウン中、SNS炎上、陰謀論、そして暴動とあらゆる混沌が渦巻き、社会の分断と細分化が進みつつありました。それを全てエディントンという町に持ち込んでブラックコメディとしたのが本作。
物語の前半は、基本的な主人公ジョー。この男のこじらせまくった暴走がメインでずっと描かれます。アメリカの保守的な男性で、マスクをつけないのは自分の自由だと持論があります。しかし、勧善懲悪保安官である彼は、マスクをつけずに入店拒否された店を責めることなく、拒否された人のぶんまで買い物をしてあげます。その時撮影した写真が大反響。彼の承認欲求に火が付きます。ジョーは自分が大衆に必要とされていると自覚し、市長選にでると動画をネットにあげます。こうして現市長との選挙対立が激化します。
スマホやパソコンで、SNS、YouTubeを眺め、さまざまな情報に流され政治的アジェンダや政府の陰謀といった特殊な世界観を裏打ちする情報にどんどん引き込まれていく人々の滑稽を描いていきます。しかし後半からはそういった風刺がなくなります。ネタが尽きた感があります。
「Grand Theft Auto」この言葉がキーワード。
AIでは、不具合を引き起こす特殊な文字列だそうです。
エデイントンの町は「Grand Theft Auto」つまり無法地帯と言いたかったと思います。
アリ・アスター監督の独特の世界観はありますが、万人うけはされないでしょう。
タイトルは楽し気だけど💦
そう言えばマスク警察とか電車内でマスク無着の人に怒鳴ってるおじさんとかいたなぁ
そんなコロナ禍アメリカの小さな町で巻き起こった奇怪なスリラー
「何でそうなる💦」痛烈過ぎる爆発的なストーリーについて行くのに苦痛さえ感じたが
雄大な景色やどこか西部劇を彷彿させる町並み
ホアンキン・フェニックスの徐々に暴発していく鬼気迫る怪演には目も精神も引きずり込まれたけど…
アメリカ社会が抱える人種や銃問題
ストーリーの鍵にもなるソーシャルメディア
誰もが不安や不満を抱えながら自己愛や
自己正義に縛られ自身をコントロール出来なくなっている人が増えている現社会
現実の歪みをアリ・アスター監督が自ら炎上させた野心作にも感じたが
「なんで?」「あれは?」?なばかりな結末も腑に落ちなかったし人にはオススメは出来そうにないですねぇ
たまたまにしてもクリスマスシーズンに似合わないしね💦
病んだ妻役エマ・ストーンの登場シーンがもう少し欲しかったなぁ
もはやアメリカに「西部劇」は存在しない。
本作は、もはや現代アメリカには「正義としての暴力」を支える物語が存在しないという冷酷な事実を、西部劇文法をというアメリカ映画の古典的文法をあえて用い、それをことごとく意図的に解体して主張していく。
保安官、辺境の町、無法者、決闘、街は救われる、という西部劇の典型的記号を配置しつつ、現代が舞台の本作では善悪の対立も、正義の決闘も、救済のカタルシスも成立させない。ことごとく裏切ることで現代アメリカの問題点を浮かび上がらせる。
主人公は秩序を守ろうとするが、理念を語らず、敵を名指しせず、自らを物語化しない。その沈黙は倫理的ではあるが、分断と過激化が進む社会においては致命的な弱さとなってしまう。語らない者は中立ではなく「怪しい存在」と見なされ、やがて主張ある者たち――過激派、扇動者、物語を操る者――ここでは義母であり、妻であり、妻の相手、に利用され排除されていく。
後半の展開は、確かに理解不能な面がある。ただこの理不尽な暴力は欠落ではなく意図のように感じる。誰が敵で、なぜ狙われるのかが最後まで曖昧にされることで、観客自身が「理由なき敵意」に理不尽に晒される感覚を追体験させられる。
あえて答えを与えないことで現代社会における暴力と正義の空洞、その中で沈黙する者の敗北を身体感覚に刻ませる。理解できないのではなく、理解不能であること自体がこの映画の正解であり完成形なのだと思う。
エディントンへようこそ(映画の記憶2025/12/16)
アリ・アスター×A24ということで、観に行くと。ストーリー的にはまとまってはいるが、ハッピーエンドしか受け付けない方にはオススメしない。いつものアリ・アスターと認識して行くことをオススメ。
この話事態がスリラーなのだが、それを演出し、さらなるホラー仕立てにするのは流石。
ボーの時のホアキン・フェニックスも良かったが、引き続きダメおじキャラ炸裂。
あの頃のエマ・ストーンはいないがお姉様になった今のエマ・ストーンもなかなかお綺麗。
最初から最後まで音演出にこだわってたな。なんか80年代スリラーとかホラーっぽい(もうちょい前かも)
ボーみたいな詰め込みはない感じだったが、テンポがゆったり感あったから話に入り込めない人は退屈かもね。
(個人的評価6点/10点中)
アイテムは現代でも根底にあるのは昔ながら
え?いつの時代の話し?ってくらい根底にある問題って昔ながらの物だよね。それだけ、根深いのかもしれないけど。コロナじゃなくてもちょっとしたきっかけで不満が爆発する「危険な状態」なのかもね、アメリカって。
これが「アリアスター節だ!」と言われればそれまでだけど、ちょっと今作は、色々詰め込みすぎかな?ミスディレクションのための伏線が投げっぱなしだったりして消化不良は否めないなあ。デモ参加の女の子と周りの男性陣の絡みも本筋にはあまりコミットしないし、そもそも保安官が市長撃ち殺すのも、なんと言うか、個人的なストレスの発散だよね?隠蔽工作も杜撰だしね。
保安官がコロナにかかってるっぽい描写も意味ないというか、あんなやられ方で生き残るのもむりくりというか。生き残らせて皮肉を効かせたかったのかもしれないけどね。
「ミッドサマー」の衝撃を超えることはできなかったのが個人的な感想。
ホアキンは前回の「ボー」といい、全裸曝け出すね、、、でもそろそろ「ジョーカー」のイメージから卒業でいいかもね。
エマストーンはあまり出番ないけど、存在感あるなあ。いい感じ。
あと「ようこそ」って邦題はどうなのかな?正直センスよくないと、思った。コメディ路線に傾きたいのか、サスペンス、スリラー系の的外ししたいのか。うーん。
どうでもいいけど、ペドロパスカルって、往年のバートレイノルズにちょっと似てる気がする笑
2025年度劇場鑑賞52作品目(54回鑑賞)
アリはホアキンいたぶりがち
改めてコロナ禍の異常性を認識できた、
また、陰謀論者は勝手に1人でやってくれと思う、特に家族を巻き込まないでほしいし、スピーカーにならないでほしい。
色々な問題を提起していたが、アリアスターさんはホアキンさんをいたぶるのにハマったのかなと思った。
次はどんな奇怪な話が見られるのかワクワクする。
アリ・アスター監督らしい
お前、ただホアキンを酷い目に遭わせたいだけだろ!と突っ込みたいぐらい因果応報なラスト。
予告では新型コロナウィルス禍、小さな田舎町でパンデミックを信じる派、マスク至上主義と陰謀論者、マスク否定派が対立する狂想曲なドタバタシニカルコメディかと思えばホアキンが市長親子を暗殺し仲間の黒人保安官まで陥れる様から?が。
あんな小さな町の市長になりびっくりするぐらいくたびれたエマ・ストーンの奥さんとよりを戻したかったのかと。
パンデミックにBLMも重なりカオスとなり、なぜかアンティファのテロリストまで乗り込み、めちゃくちゃに…。
アンティファなんか実体がない自然発生的なアナーキストなのにトランプのデッチ上げみたいにしたらダメだろと。
何かアメリカの銃社会や陰謀論者にリベラルをまとめて馬鹿にしながらスベって寒いぞ!
消化不良とは言え、ハナからわかって観に来たので不快感は無し。
良くも悪くも、ひねくれもんのアリ・アスターらしく楽しんだ。
ホアキンが出てるからだけでなく 良くも悪くも異様なこの質は覚えがあ...
エマ・ストーンに精彩なし
現代進行形のホラー
この人の作品を見ていると人間は害悪でしかないと言われてるような気がする。
今作は特にそんな感じで、何を守り何と戦っているのかさえ疑問で、かつ滑稽に思えてくる。
分断の後の対立からなる結果を描いてるようだった。
人と人、コミュニティを崩壊させる分断には色々とある。コロナのような外的要因が生み出す強制的なもの。そこから生まれる疑心暗鬼。ルールへの依存。各々の価値観による分断。嫉妬、妬み、羨望に妄執する比較。自慢、嘲り、罵詈雑言。社会的地位の喪失とか、自己否定とか。噂や風評、他者からの批判。
極端に利己的な思考、権力、同調圧力。
数え上げたらキリがない。
それら全てが引き金となり得る不安定な現代。
正気を保てているのが奇跡のようにも思えてくる。
陰謀論を主張する老婆なんか最たる者で…つくづく思うけど、その説を広め賛同が得られたらどうだと言うのだろうか?情報弱者の馬鹿共を救ってやってる気にでもなるんだろうか?
「56の符号」みたいなエピソードがあって、後付けもこじ付けもいいとこで、あんな馬鹿馬鹿しい主張を本気で信じてしまう状態が理解できない。
信仰宗教だか団体の演説もそう。最もらしい事を言ってはいるが内容が全くない。その場の雰囲気で絆されそうに感じるが、映画という圧倒的な第三者目線で見ると冷静な判断もできる。反面教師ではないが学べたようにも思う。
人間には思考がある。
耳から入って脳内で変換される。
良い方にも悪い方にも。
SNSで拡散される全てのものには発信者の思惑が含まれる。善意のみで拡散されるものなどありはしない。
善意であったとしても受信者の解釈は立場や状況によって変わる。「頑張れ」って文言がいつからか応援ではなく突き放した言い方に変換されたのが良い例だ。
そもそも他者を応援する気持ちが無いと使わない言葉だと思うのだ。
頑張れと言うからには、何かして欲しい。何もしてくれないならそれは突き放してるのと同じではないか?
受信者側にこんな思考があったとして、現状が生まれてるのだとしたら勘違いしてはいけない。頑張るのは貴方だ。元々、貴方以外の人は貴方の頑張りに干渉できない存在なのだ。元々何もできない。だけど、言葉だけでも伝えたい。貴方の頑張りを見守り応援してる人がここに居るよと。どんなに頑張っても貴方の指一本動かす事はできない。貴方を動かすのは貴方自身でしかないのだから。
話が逸れた。
今作のギミックは主人公が異分子なとこにある。
彼を追うから彼目線で見るけれど、彼の行動は乱す者に他ならない。
だけど観客は彼の思考を追う。
彼には彼を肯定する理由があって、それが澱みなく繋がってもいる。この摩訶不思議さ。
人が分かり合えない根拠を示すかのようだ。
銃撃戦が始まって面食らうけど、この街自体を不当に支配する悪徳警官のようにSNSで拡散されたようだ。
それが大国の全土を席巻する人種差別や警官の不祥事、暴力などと相まって、不正を正そうとする正義の輩が襲撃にきたらしい。
まぁ、この辺はいくら何でもと思いもするが、思い込み+過度な正義+銃社会なんてものが複合的に生み出す可能性でもあるのだろう。
劇中ではテロなんて言葉でまとめられてもいた。
主人公のラストは何故か裕福になっていて…それでも幸福ではない描写が続き、全身麻痺だわ、最愛の人が寝取られて妊娠してる様を強制的に見せられ拒否権すらないし、介護はされるも孤独でしかなく、最大の不幸はそれでも死ねないって事かしら。生きてる意味も意義もないのに生かせられている。…なんか日本語変だな。
結局のところ、何を見せられてんだと困惑もするが、こうやってレビューなんかを書いてるとよく出来た脚本だったなぁなんて事も思う。
空想上の事など一つもなくて、全て現代にあるものでホラーに仕立てあげたし、ホラーだなぁと思えたので。
ラストの引き絵も意味深だったなぁ。
点在する街の明かりだったのだけど、それぞれの街で異なる阿鼻叫喚が渦巻いているような印象だった。
「NO PEACE」…まさになぁ。
アリアスター監督の正体が現世を混沌に陥れる悪魔だったとしても納得しかしないなぁ。
…そんな作品。
何見せられてんだオブ・ザ・イヤー
いい意味でも悪い意味でも「何見せられてんだ」状態。
なんとなく言いたいことは伝わってくるものの、そこは流石のアリ・アスター。全方位に皮肉や嫌味を効かせ過ぎて、もはや、何が何だかww
現代アメリカの社会の闇というか、膿を出し切る感じのパワフルさ。
ハッキリ言って訳わからないし、gdgdな展開も多いし、至る所で理解できてないんだけど、最後まで魅せる剛腕ぶりもまた楽しいし、すんなり終わらない不穏なラストもいい。
少し時間を空けてもう一度映画館で楽しみたいなぁ
私だけじゃなかったかぁ〜
中盤は睡魔との戦い、起きてても寝ててもよく分からないというか、どうでもいいというか。。。
展開がスローテンポな上に、マスクだけでなくあーだこーだぐちゃぐちゃう個人的地域的人種的なアメリカの諸問題を片田舎で繰り広げ。。。銃ぶっ放したり、集会、暴動で目が覚めるが、で、そっから先が中々進まないというか宙ぶらりんいうか。。。後半は一気にランボーになりました。
アメリカを皮肉った映画でした。
意味が分からないと不快感しか残らない作品
この映画には共感も、救いも、カタルシスもない。
だが、当時のアメリカの空気感、登場人物が実際に起こしそうな行動、そしてカウボーイ映画という枠組み。そのすべてが一つの射程に収まっている、極めて珍しい作品だ。おそらく、この三要素のどれか一つにでも興味が持てない瞬間、この映画は退屈になってしまうだろう。
監督は『ミッドサマー』のアリ・アスターで、「この物語には本物の悪党が登場する」と語っている。本作には多様な価値観を持つ人物が多数登場し、誰か一人を単純に悪と断定できない構造になっているが、私はその中でも自己肥大に注目したい。情報源の真偽を確認しないまま、自分の判断こそが正しいと信じ切ってしまう現代の病だ。ネタバレは避けるが、ある主人公の決定的な判断は、まさにそれと重なって見えた。それこそが「本当の悪」なのではないか、監督からそう問いかけられている感覚が鑑賞中ずっと消えなかった。
だからこそ、物語をどう着地させるのかが気になり、途中から一瞬も目を離せなかった。この感覚を共有できる人には強く刺さるが、そうでない人には、そもそも何を巡って争っている映画なのかすら分かりにくいだろう。万人向けではない。本心では、自分は尖った感性を持っていると思っている人に勧めたい作品だ。
補足として、ジョージ・フロイド事件以降、暴動とともに、公園の中で小さな銃撃・射殺が多発した。この事件は間違いなく本作に影響を与えていると思う。
よくわからなかった
・前半時折うとうとしてしまったせいもあってか、よくわからないまま終わった感じだった。保安官と市長がコロナへの態度でもめていく所を軸に進んでいくのかと思ったら市長が気に入らないみたいな話になっていったのが残念だった。コロナ患者が町にあふれてしまって保安官が困惑するとか全然でない町エディントンの謎とかなのかと思ったら人種差別?の話にいって、奥さんが宗教家?みたいな人の所へ行ったり、市長を射殺した後に誰に保安官は襲われてたのかがよくわからなかったりした。アリアスター監督のコロナへの解釈や展開が観たかったのでとても残念だった。ラストはデータセンターを誘致していた。保安官を襲った男を射殺した青年が何やら出世していたようだったけど最後のシーンにはおらず、義理の母親と体が不自由な保安官の二人と介護士の三人で豊かな生活をしているようだった。それも何でだろうとかわからず、よくわからなかった。
全159件中、1~20件目を表示
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