「難解さと快楽の境界線」ザ・ザ・コルダのフェニキア計画 こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
難解さと快楽の境界線
ウェス・アンダーソン監督の新作から、まず強烈に感じるのはその“レトロ感”。舞台は架空のフェニキアだが、スクリーンに広がるのは1950年代のヨーロッパを想起させる街並み、古い電話機やタイプライター、模型のように作り込まれた建物群である。映像フォーマットも横長のシネスコではなく往年のアスペクト比を選び、パンやズームといった昔のニュース映像じみたカメラワークを多用する。さらに音楽はシンセや低音重視のモダンなスコアではなく、室内楽的な弦が響く。これらの積み重ねが観客に「昔の映画を観ている」錯覚を呼び、作品世界をノスタルジーに包み込む。つまりこの映画は、単なるストーリーではなく「過去の映画を現在に蘇らせたかのような体験」が提供される。
その一方で、物語はきわめて断片的で難解。大富豪ザ・ザ・コルダが巨大インフラ計画を進めるが、暗殺未遂が繰り返され、娘との断絶、母の死の影、宗教的儀式が折り重なる。しかし背景説明はほとんどなく、観客は「なぜ暗殺されるのか」「なぜ娘は父を信用しないのか」を断片的な台詞や象徴的な映像から読み取るしかない。まるで何ページか抜け落ちた小説を読んでいるような感覚で、筋を追いたい人には不親切極まりない。だがアンダーソンは、わざとそうしている。観客に迷子感を与え、その不安や混乱自体を映画体験の一部として組み込んでいる。
絵画の使い方も象徴的。マグリットやルノワールといった実在の作品が壁に掛かる一方、宗教画はほとんどが架空の創作で、「どこかで見たようで、実際には存在しない」不思議な既視感を与える。これによって現実と虚構の境界がさらに曖昧になり、観客は歴史映画を観ているのか寓話を観ているのか判断を保留せざるを得なくなる。宗教画が母子像や受難図を思わせるのは偶然ではなく、父と娘の断絶や贖罪を視覚的に補強する仕掛けと理解した。
こうした仕掛けを“美術館的体験”として楽しめる人には向いている作品と言える。絵画の額縁ごと左右対称に配置された構図を堪能し、模型セットや色彩の退色感に「これは古いフィルムの再現だ」とニヤリとできる人たち。逆に、ストーリーの一貫性やキャラクターの心理描写を重視する観客には、唐突さや冷たさとして跳ね返ってくる。つまり、この映画は「わかる人だけわかればいい」作品であり、そこに割り切りがある。
興行的には大衆的ヒットは望めないが、ウェス・アンダーソンというブランドは世界的に確立している。過去作の『グランド・ブダペスト・ホテル』がインディペンデント映画としては異例のヒットを飛ばしたように、都市部のアートシネコンや映画祭を中心に十分な収益を確保できる。製作費も大作級ではないため、商業的には成立するし、むしろ難解さやレトロ感こそがSNSや批評家の話題を呼ぶ。わからない観客を置き去りにする冷たさを「芸術性」として売りにできるのが、この監督の強みとも言える。
総じて、『フェニキア計画』は「レトロに作られた難解な寓話」である。豪奢な美術と古風な演出を堪能するか、あるいは筋が飛んだと首をかしげるか。どちらの反応も作品の内に織り込まれており、理解不能さすら快楽に転化する。映画館を出て「よくわからなかった」と呟く観客もまた、この映画が描く“わからなさ”を体現している。そういう意味で、これは単なる物語ではなく、「映画とは何か」という問いをレトロな衣装をまとって投げかける実験なのだろうと解釈した。
イイねコメントありがとうございます。
確かに 美術館的体験 として 楽しめる人の勝ちですね
宗教画が架空とは気付きませんでした 勉強になり📚ます。
確かに 昔の映画 的ですね。
最近若干 ウェスさんの作風に慣れてきました。
『グランド・ブタペスト・・』は映画館で複数回観て感動して
当時は 配信イマイチ普及してなかったので DVD📀購入しました。今は配信があるので DVD📀すっかりご無沙汰です。失礼します。

