「「亡くなってからその人がわかるから家族の歴史になる」」兄を持ち運べるサイズに かなさんの映画レビュー(感想・評価)
「亡くなってからその人がわかるから家族の歴史になる」
近親者が亡くなるとお葬式に行き、身辺整理をする機会があります。亡くなった人のお葬式は誰のためにあるかと言えば、亡くなった人のためではなく、生きている近親者の方がその人をもう一度想い出すためにあるのだと経験上考えています。
まさにこの映画は、兄が亡くなってから葬儀、身辺整理の四日間を描いたものです。妹と前妻、長女と兄のもとにいた長男を軸にストーリーは展開します。妹は兄のことを毛嫌いしています。亡くなったと一報が入ってもまったく悲しむ素振りもありません。兄を嘘つきの厄介者と思っているのです。葬儀があるのに喪服も持たないでお葬式にのぞむ姿勢そのものが兄への想いを的確に描写しています。
前妻はしっかりと喪服を着て葬儀に出ます。妹は兄のことを「嘘つき」呼ばわりしますが、前妻は「彼は嘘つきではない。結果的にうまくいかなかっただけ」ときっぱり言います。兄と暮していた長男も離れて暮らす長女も父の悪口を何も言いません。
妹、前妻、長女は兄の荒れ果てた部屋を三日がかりで掃除します。その時からです。妹の前に兄が出てきて二人は会話をするのです。何回も何回も。妹は気付くのです。兄の本来の姿を。前妻も妹の不可解な言動から前夫が見えるのと問い、前妻も前夫と再会し言葉を交わし、ニッコリして妹に報告します。そして前妻と長女、長男は一緒に暮らすようになります。兄が死と引き換えに家族をまとめ妹の想いも変えていきます。
亡くなった者を送る。その期間は亡くなった人と対話できる唯一の時間なのです。兄のおかげで残った近親者たちは幸せな想いを抱くようになります。さすが中野量太監督の映画です。宮沢りえ、杉咲花、オダギリジョーの末期がんの母親を描いた「湯を沸かすほどの熱い愛」山崎努、蒼井優、竹内結子の父の痴呆症と介護を描いた「長いお別れ」二宮和也が写真家として東日本大震災の被災者と向き合った「浅田家」など、家族と死という一貫したテーマを描いてきた監督の真骨頂発揮と言えましょう。
妹役の柴咲コウ、前妻役の満島ひかり、二人とも感情の振幅の大きな演技を好演していました。オダギリジョーの演技は、この人でしかできないものでした。破天荒でいいかげんですが、生きることが不器用でも、決して嘘つきではないから、どこか憎めない役柄は彼しかできないと実感しました。兄が亡くなったという暗いストーリーだけではなく、ときにはコミカルに、またはっと息をのむような演出は見事でした。
この映画の原作は翻訳家・エッセイストの村井理子が実体験をまとめたエッセイ「兄の終い」を映画化したものです。中野量太監督はこの映画のタイトルを「兄を持ち運べるサイズ」に変更したのは、残った者たちが常に亡くなった兄と一緒にいれるというメッセージが込められていたと思います。亡くなってからわかる、理解できるということがあるのです。それが家族の歴史になるからです。
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