ブルーボーイ事件のレビュー・感想・評価
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幸せ
サントワミ〜♪
性転換手術をした男性を当時ブルーボーイと呼ばれてました。
検事を演じてる安井純平は最初誰か分かりませんでした。後で朝ドラ「ブギウギ」で支配人(だったかな?)役で熱い温和な演技とは真逆で同一人物とは思えませんでした。
煙草に火をつけてもらい考えこむ検察官そのときのチリチリとするわずかな効果音が結構効いています。わざわざ映画館で観る醍醐味ですね。TVだとかき消されそうな音です。
エンドロールで渋沢清彦の名前見つけて、
あっ、あのマスター役がそうだったのかと観てるときは気づきませんでした。
よく映画の感想で“泣いた”とありますが本当に泣いているわけではありません。ただこの映画はマジ泣きそうになりました。
最後の検事の主張とサチの証言は今の保守の心無い言葉とLGTBの対立
結局これは今を描いている映画です。
ブルーボーイであるメイ(中村中)やアー子(イズミ・セクシー)は最初はキワモノ的な登場されてるのですが話が進んで行くにつれ結構いい人だという事が分かります。ショーパブ店を開業するアー子が”私コーちゃん(越路吹雪の愛称)みたいになりたいのよ!”そこから事の顛末でショーパブの子たちがサン・トワミーを唄うシーンには思わずウルっとしました。
証言台に立った人もマスコミ(カストリ雑誌)が容赦なく追い詰める姿て今で言ったらSNSの暴力に似た感じです。文明の進化しても人間変わらないて、どうなのよ。
感情も社会も法律も、解きほぐしていきたいという願い
前情報は予告編のみで興味を惹かれたので観ました。
作り手の熱意によって、丁寧で純度の高いメッセージに昇華された、良作だと思いました。
当事者達の感情が想像され伝わってきて、同時に社会的に重要な視点を与えてくれました。
まず出演者の演技が素晴らしいと思い、鑑賞後に調べるまで知らなかったのですが、トランスジェンダー役の俳優は実際にトランスジェンダーの方々だったんですね。誇張や歪曲など、嫌味や過剰な演出が一切感じられなかった、この作品の魅力に納得がいきました。空想ではない実地の感性や精神性によって構築されていたからこその表現力だったのかと。
そして社会的な観点からは、「個人の人生の問題」「社会の認識の問題」「法律などの制度の問題」これらが絡み合っている問題の構造を示してくれています。
特に「男」「女」は論点によって定義が変わる言葉です。「生物学上の性別」「精神や社会通念」「法律上の定義」。この3つをごちゃ混ぜにした議論は、現代でもしばしば混迷の原因になりますが、作中の裁判のやり取りは、その構造を解きほぐす糸口を示しています。
描かれているのは過去の悲しい局所的な一事件ですが、それ以上の多くの心情や周辺情報が読み取れるほどに丁寧に作られていると思いました。それはマイノリティの苦難だけではなく、これは解決でき得る問題なのだというメッセージに感じられました。
日本人の100人に1人は自分の
性に違和感を感じているそうです。(0.96% 2022年)
とても考えさせられる作品だと思います。
中村中さんの強い女性らしさがステキでした。主演の中川未悠さんの演じるサチさんの葛藤や悲しくて悔しい気持ちがとても伝わりました。
ストーリー的にもみんな幸せになってねと思わせてくれる作品なので観て良かったと思えます。
このモデルとなった先生のお話は有名ですが、映画として観させて頂いてあらためて性とは生殖とはを考えさせられます。
今でこそ日本でも出来るオペですが、あの法律のせいで完全に出遅れの日本はちゃんと出来る医師が結果として少ない。だからみんな安くて上手いタイとかに行って取ってくる。
東京なら性的マイノリティがあってもなんとか生きていけるは今も変わらなさそうとも思いました。
女性だからとか男性だからというラベリングをして、ちゃんとその人を見ていない。現在もまだまだハラスメントな人たちがたくさんいる中で、たくましく生きている🏳️🌈LGBTQSの人たち、凄いなと思います。
ついでに言うと
まだまだ精神科に対しての偏見がある方も多い、そしてそれを逆手に精神疾患などを理由にして、インモラルになってしまう人も多々。
心に静かに刺さる、ブルーボーイ事件の真実
自戒をこめて。
私がこれから書くことには、おそらく偏見や誤解が含まれている。もちろん無自覚なものであるが、それが誰かを傷付けるかも知れない。
そんな「言い訳」じみたスタートになってしまうが、そのくらいこの作品に対するコメントは少なくとも私にとって、いろいろな見識を問われる…というか、自分で整理して話さなければ、作中のあの検事の様に、自らの思う正義が間違っていることに気付けない、なんてことになりかねない。
まず、演者の皆さん。
正直なところ、演技が上手…とは申し上げにくい。それは前半、観賞時のノイズではあった。
当初、私は彼女らが「俳優」として、「役」としてあくまでそういったLGBTQの人々の「代弁」をしていると思っていたから。
しかし、実は主人公のサチをはじめ、出演された皆さんの多く、また監督も性的マイノリティであることを観賞後に知って、あらためて感慨を覚えた。
ラストの法廷シーン。
気付いたら涙が流れていた。
これ、もし彼らが当事者だと知って観てたら大変なことになってたぞ。
ドラマのタッチは昭和風に仕上がっているので、「昭和コント」みたいなシーンも多く、演出はあえて現実味がなかったりする。
ただ、ある事件をきっかけに、物語は大きく動き出す。
そこで仲間たちが肩を寄せあって歌う「サントワマミー」
切なくて胸が締め付けられた。
昭和で育った我々は、「オカマ」と呼ばれた彼女たちの、あの姿や振る舞いだけを見て、性的マイノリティの人々をまとめてそこに閉じ込め、どこかで「蔑んでもいい、軽んじてもいい対象」と誤解してきた。
我々が「オカマ」と呼んでいた彼女たちは、自らの立場を世の中に成立させるためにあえて「道化」と「自虐」を演じていたんだ。
当然、同じ悩みを持っていても、そうはなれない、なりたくない人々もおそらく多くいたはず。
ちょっと考えれば分かったはずなのに。
史実として、ここでの判決は性的マイノリティの人々が社会的権利を手に入れる未来の到来を何十年も遅らせることになった。
この作品では性的マイノリティをメインにおいているが
「自分が自分であること」
性別の問題に関わらず、それは実は難しい課題ではある。それを、法が、社会が、人間同士が邪魔をするような世の中であってほしくはないし、自分がそこに加担することにならない様に生きていきたい。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 力作。60年前にこんな事件があったという驚きより60年経っても殆どのマジョリティー達の認識が当時と変わっていないことにもっと驚く。
①個人的には早く「LGBTQ+」なんてカテゴリー用語が使われなくなる世の中か来てくれれば良いと思っている。
②今まで観てきたLGBTQ+映画の中ではやはりヨーロッパ映画に秀作・佳作が多い。アメリカ映画にも佳作はあるが、やはりかの国は基本マッチョの国だしキリスト教福音派(原理主義者含む)が支配層に多いし。
素材としては大変良いものだと思うので、率直に云えば、ヨーロッパ映画界で作れば映画としてもっと練れて体裁の整ったものが出来ると思う。
正直最初の方は映画としてぎこちなさ物足りなさを感じた。
しかし、中盤から素材の秀逸さがいやまして感じられるとと共に画面に迫力が増してくる。
それは演出の巧拙を越えて実話の持つ重み及び演者をはじめ作り手の熱から来るものだと思う。
③『ミッドナイト・スワン』の様に男がトランスジェンダーを演じるのではなく(いくら好演であったとしても)、実際のトランスジェンダーがトランスジェンダーを演じることは、演技力云々を越えてまさしくリアルさが伴うことが分かる。
さかし、本作が単なるLGBTQ +映画の枠を越えて普遍性を持つに至ったのは、
私は私らしく
私は自分の性別を変えたいと思ったこともなく(そもそも自分が男か女かあまり考えたことがない気がする)、同性と結婚したいと思ったこともなく、夫婦別姓にしたいと思ったこともないが、そうしたいというひとびとがいるのなら、それが選べる世の中になってもいいんじゃない?とは思う。
声高に応援もしないけど、否定や拒絶をするつもりもない。
昨今はLGBT Qとかの定義もむずかしくて、なんかもうよくわからないけれど誰かに迷惑かけなければ、みんな「私らしく」生きていけばいいじゃないかと思う。
時代的にいろんなことに配慮がないことに驚きつつ(弁護士ですらいろいろひどい)、そういえば昭和ってこんな感じだったと少しなつかしく思いつつ、あれからずいぶん時代が変わって、昭和にはなかった「多様性」という言葉が大きくすべての前提にあろうとしていて、いま私たちはいろんなことに配慮を求めたり求められたりすることに必死だけれど、果たしてしあわせに自分らしくすこやかに生きられているのだろうか、と考えてしまった。
主演の中川さんの少しぎこちないけれど、ひかえめでたおやかな存在感が真に迫っていてとてもすばらしく、錦戸さんもいい俳優さんだなあと思った(七三分けがにあう)。
ただ、大きなターニングポイントとなるできごとについて、これは必要なものだったのか、感動のための装置になっていないか、これがなくても話をすすめることはできたのではないか、と少し考えてしまいました。
なぜ日本で性適合手術が出来なくなったのか
高度経済成長期の日本で実際に起きた「ブルーボーイ事件」を題材に、性適合手術の違法性を問う裁判を描いたドラマ。
1965年、オリンピック景気に沸く東京。警察は、1970年開催が決まった万博開催を控え、街の国際化に伴う売春の取り締まりを強化していた。しかし、性適合手術を受けたブルーボーイと呼ばれる者たちを取り締まる事が出来ず、警察は頭を悩ませていた。戸籍は男性のまま女性として売春を行なっていた彼女たち(彼たち?)は、現行の売春防止法では摘発対象にならなかったからだ。そこで警察は、生殖を不能にする手術が優生保護法に違反するとして、ブルーボーイたちに手術を施した医師・赤城を逮捕し裁判にかけた。一方、東京の喫茶店で働くサチは、恋人にプロポーズされ幸せの絶頂にいた。ある日、赤城の弁護を担当する弁護士・狩野がサチのもとを訪れ裁判での証人を依頼した。実はサチも赤城によって性適合手術を受けた過去が有った。サチは最初は拒否したが・・・さてどうなる、という事実に基づく話。
この事件がきっかけで性適合手術が日本で出来なくなったのか、と非常に勉強になった。
弁護士の方針として2件の容疑のうち片方は争わず本件だけを裁判で争った方針は結果的に良かったのだと思った。そしてほぼ裁判には勝ったが、裁判官から指針を出され、警察の思惑通りになったのは果たして良かったのかどうか、考えさせられた。
1969年の判決だから、1970年の万博前に裁判官の指針を引き出した警察の勝利、とも思えた。
そして実際に1998年まで日本では手術が行われなくなり、困った人たちはタイなど海外へ行って手術を受ける様になったんだと知れた。
主人公・サチ役はトランスジェンダーを集めたオーディションを開催し、中川未悠を選んだそうだが、全く元男性に見えず自然な外見と演技で良かった。
サチのかつての同僚たちをイズミ・セクシーや中村中などがリアルに演じていて面白かった。
1965年(昭和40年)から1969年(昭和44年)の日本の風景で、パトカーの古さ、アイスが10円だったり、約60年前の再現性が良かった。もう一度じっくり鑑賞したいと思える重いテーマの作品に感じた。
腰の据わった語り口
この監督の長編はずっと見てきて、確か最初はbunkamuraで上映された。それ自体が日本映画の新人では珍しいのでどんなもんじゃと思ってみると腰の据わった語り口がグッド。そこからずっと追いかけてるが、ホップ・ステップ・ジャンプのジャンプにあたるこの作品。製作もkddiと日活なのでメジャーとしてはバッチリ。しかも歴史を取り扱うと聞いて野心を受け取りました。結果、腰の据わり方はそのままに重厚な人の層を描くのに成功している。これと少し似て大作で社会課題を描いたのが宝島だが、宝島よりも説教成分は薄いのにちゃんと地に足ついている。当事者キャスティングもちゃんとハマって分厚い魅力になっている。アイデンティティを問い直す映画の中では、日本で一番いいかもしれない。当事者と歴史を完全に味方につけて、ちゃんとベタな上手い演出をしている。場内ではすすり泣く声も聞こえた。ガッツリしたオネエ言葉がどこか気持ちよく、今どきなかなか聞けない。小道具の歴史考証もとてもうまくいっている。
私はわたし
劇と「青年の主張」の中間
中川未悠 中村中
男でも女でもなく自分らしく生きる事
全74件中、1~20件目を表示
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