劇場公開日 2025年6月20日

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「謎のペド演出」ルノワール かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 謎のペド演出

2025年11月15日
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11歳の少女フキ(鈴木唯)が経験した一夏の思い出を描いた本作は、監督早川千絵自身の自伝的作品なのだろうか。単なる断片的なエピソードの羅列と受け取られても致し方ない繋がりのなさが特徴だ。一見少女の支離滅裂な妄想をツギハギしたような本作だが、冒頭からタイトルクレジットまでのシークエンスが夏休み後の出来事だとしたら辻褄が合う。何せ、主人公のフキ自らが“(これで)おしまい”と言っているのだから、ほぼそれで間違いないだろう。

つまり、自宅介護中のリリー父さんが血を吐いてぶっ倒れるシーンが最初で、後に石田ひかり母さんが担任に呼び出されたのは別の作文が原因だろう。文才はあるもののフキは普段から“死”に関するヤバい作文ばかり書いていたのではないだろうか。なぜかって?父さんの死をどうやって受け入れれば良いのか、11歳の少女が予め自分なりに心の準備をしていたように思えるからだ。

あの超能力ごっこもその一つで。あの世に旅立った父さんの霊と“離れたところでも”テレパシーで交信できるように鍛錬を繰り返していたのではないか。仕事と介護で忙しくコミュニケーションが途絶えがちだった母さんと通じ合いたいと願う気持ちもあったのだろう。フキが自転車の助手席で母の背中に触れようとして手を引っ込めるシーンや、移動列車のラストシーンにフキの気持ちがよく反映されているに思える。

本作ではまた“眠り”が重要な意味を持っている。河合優実がフキのなんちゃって催眠術で真実を吐露し精神的に楽になったように、ペドフィリア未遂事件や父親との死別というショッキングな出来事を乗り越えるために、少女は“眠り”につくのである。永遠の“眠り”についた父親に会うために“眠り”を貪る少女。寝る子は(精神的に)育つのである。

問題は、少女のビルディングスロマンには相応しくないペドフィリアに本作があえて触れている点である。幼児性愛者と思われる河合優実の事故死した旦那と伝言ダイヤルで知り合った大学生は、冒頭紹介される作文のおそらく元ネタだ。当然父さんが家からいなくなった寂しさをして、少女にあんなヤバい行動をとらせたに違いないのだろうが、別に無くてもいいだろうというのが正直な感想だ。泣いている赤ん坊の動画や栄養失調で腹が膨らんだ子供の写真と、抗がん剤の影響で腹が膨れ上がった父親そして親の愛情不足に哀しむフキの境遇を重ねた(わかりにくい)演出で誤魔化していたが...

さらにピンと来ないのが、映画タイトルの『ルノワール』である。オーギュスト・ルノワール作“イレーヌ”を背景に、フキが家で飼っていた🦜を籠から出してあげるシーンがある。籠の中で大切に育てられたであろう貴族娘イレーヌとフキをダブらせて少女の精神的自立を描いた、ということなのだろうか。個人的には、評論家荻野洋一が本作の評論で語っていた、オーギュストの次男で映画監督のジャンにまつわる“触ってはいけない神経過敏な箇所”に関係しているような気がしてならないのである。

本作の時代設定であるバブル時代、ルノワールの贋作が良く出回ったことに早川監督がインタヴュー内で触れてはいたが、『PLAN75』で老人の自殺幇助というタブーをテーマにした早川監督だけに、本作でも知っている人は知っている“映画業界のタブー”に切り込もうとしていたのではあるまいか。ガンに罹患している事実を自ら探り出したリリー父さんのように。確信犯かと問われると、もう完全にル・ノワール(黒)なのである。

もしかしたら本作は、バブル時代にピークを迎えた西洋文化への盲目的信仰からの“お引越し”を日本人に促そうとした壮大な映画だったのかもしれない。

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かなり悪いオヤジ
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