リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界のレビュー・感想・評価
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シュルレアリスム
リー・ミラーもポスターの写真も全く知らずに鑑賞しました。
この写真はまさにシュルレアリスム。リーはマン・レイの弟子かつ愛人でしたし、夫のローランドもシュルレアリスムの芸術家。他にも彼女の周りにはシュルレアリストが多数。
また、ファッションモデルや父のアマチュアヌード写真のモデルの経験もあり、あの異常な時・異常な空間で血が騒いだのだと解釈しています。
英語版Wikipediaによると、この写真を撮影した後、ヒトラーのベッドで眠り、妻のベッドでも写真を撮ったとあります。その感覚、とても異常かもしれないけれど理解できます。
怯える女の子へのリーの態度が印象的でした。街中でレイプされかけた女性を助けた時もそうですし、リーの行動は一貫していました。
その後は戦争や強制収容所を目の当たりにした経験から深刻なPTSDに苦しんだとのこと。幼少期のレイプについても長い間秘密にしなければならず、子供には戦時中の経験を語らなかったことから恐らく長く1人で抱えていたものと思います。映画の初めの自由奔放なイメージとは少し違った印象を受けました。緊迫した状況で薬やタバコに頼るあたりに弱さも垣間見えました。
「写真が世に出なければ意味がない」というリーにももちろん共感しましたが、個人的には、オードリーのジレンマに思いを巡らせました。オードリーも組織の制限がある中で、できる限りのことはしたと思います。アメリカ版とはいえ、雑誌に掲載されたことは大きな意味があります。ファッション誌のVOGUEというのも異例です。
息子のアンソニーはリーの死後に写真を発見するまでは、母からの愛情を感じられず複雑な母子関係だったとのこと。リーの残した写真のおかげで真実を知ることとなり、母を理解できたのは良かったです。
「タイタニック」の美しいケイト・ウィンスレットも良かったけれど、「愛を読む人」や今作も見ごたえのある演技で好きです。他の方のコメントにあるような「戦時中にあの体型…」というツッコミも理解できます。
型破り・・・まさしく彼女の瞳が映す世界
リー・ミラー
バスタブに浸かる女性のポスター画像
どういうものだろうと思っていたが、
そんな歴史的な1枚だったのか
ケイト・ウィンスレットの迫真の演技が凄まじい作品
リー・ミラーのモデルから報道写真家への転身
これは彼女の悲惨な過去が彼女を強くし、突き動かしたものか
第二次世界大戦の背景
ナチス・ドイツの残虐行為
それらを写真に収める気丈な彼女だが
その奥底に蓄積される怒り悲しみを全て写真が物語る
ヴォーグ誌に自分の写真が掲載されず
自ら出向いて自分の写真のネガをめちゃくちゃにするシーンには一緒に泣いた
彼女の悔しさ、怒り、世に知らしめるべき事実を収めたものが無意味だったと
彼女と一緒に泣いた
まさしく怒りの涙だった
エンドロールで流れる実際の彼女の写真の背景が、
かなり忠実に再現された作品だったように思う
忘れてはいけない、もしくは知るべき事実を
彼女の写真が物語る
圧巻!ケイト・ウインスレット!
ケイト・ウインスレットは以前、タイタニックで観た記憶がある。
久々に観たが、演技は圧巻だった。これぞハリウッド女優。
そんな彼女が、リー・ミラー役で出演した本作品は色々考えさせられた。
1939年フランスでリー・ミラーら女友達と男友達と休暇を過ごしていた矢先に
第二次世界大戦が近づく。一夜にして日常生活が一変した。今のウクライナ、ガザも
そうだが、昔も今も変わらない。写真家としてアメリカLife誌で活躍するが、戦中の様々な悲しい光景等を目にするとリー・ミラーは長く苦しむ。リー・ミラーの喜怒哀楽をケイト・ウインスレットは見事に演技で表現した。この表現の仕方が素晴らしかった。作品としては
色々考えさせられる内容だった。この作品を観れば、今のウクライナ・ガザの動きも冷静に観る事ができるだろう。改めて戦争の残酷さ、悲しさを痛感した作品だった。見事。
デイヴィッドはヘビの生殺し
マン・レイのモデルから戦場カメラマンに転身した女性の第二次世界大戦前後の行動をメインにした作品。
ケイト・ウィンスレットが主役のリー・ミラー役で製作総指揮も。セルフプロデュースですな。宛て書きとも言っていいような強〜い女性を演じています。
女優陣はトゥ·レスリーでの主役が記憶に新しいアンドレア・ライズボロー、フランスのエロおネェさんのノエミ·メルラン、そして、マリオン·コンティヤールと豪華でとても嬉しい共演作品。男性陣はケイトより若い俳優ばかり。なかでもジョシュ・オコナーはケイトがシアーシャ·ローナンと共演したアンモナイトの目覚めと同じフランシス·リー監督作品のLEGBT映画、ゴッズオウンカントリーの主役でした。とてもカワイイ。始まってすぐに、フランスの自由主義的な芸術家サークルでノエミ·メルランがおっぱい出しちゃって、ケイトも豊満なおっぱいをチラリズム。もうちょっとみたいと思うタイミングでカットを変える💢
ケイト·ウィスレット、ノエミ·メルランに喧嘩ふっかけてる?って思っちゃいました。
VOGUEってファッション雑誌のイメージしかないから、時事とか、ましてや戦争モノは無理でしょって思ってしまいました。
それにしても、ライフの記者のデイヴィッド(アンディ・サムバーグ)はお気の毒様。こちらのフラストレーションを体現したような役柄。モヤモヤ&ムラムラしました。
古いカメラを見ると、ライカ?とバカのひとつ覚えでしたが、あれはローライフレックスというカメラ。
ポスターにもあるヒトラーのマンションのバスルーム。
リー・ミラーの行動は初めてはいった泥棒が度胸試しにトイレでウンチするみたいな衝動に駆られたんだと思いました。面白い。
アウトローで反骨的なリー・ミラーの行動とケイト・ウィンスレットの強〜い女優魂がシンクロするいいシーンでした。デイヴィッドは所詮、助手オコナーでしたね😎
もう少し若いうちにこの作品を作ってくれたならなぁ〜 老けてきて分別盛りを超えてるのになぁと思ってしまいました。監督も女性で、撮影監督のキャリアは豊富のようですが、映画全体としては見せ方がまだまだでちょっと残念でした。しかし、女性視点のストーリー展開は評価したいと思います。
ケイト·ウィスレットは愛を読むひとの牢獄での老けメイクに追いついてきたとか、タイタニックのおばあちゃんに近づいてきたとか言っちゃ絶対だめですよ😎彼女は唯一無二なんですから。
ケイトウィンスレットが素晴らしい
"悪いことはすべて女の身に起こる"
身体を絞れなかったのか? Kateよ!?
ケイト・ウィンスレットは、私の好きな女優の1人である。他に媚びす、良い作品に出演してきた彼女の姿勢に好感を持っていた。
モデルでマン·ルイのミューズであったLeeが、ドイツ軍の戦火を浴びる現場に飛びこみ、戦場記者としてカメラシャッターをきり続けた記録。ヒトラーのバスタブに身を置きカメラに“事実よ!” と訴えるかのような視線を投げかける。
公開に期待を膨らまた。だが、彼女のfirst shotから『えっ!? 太くない??』Stylishな装いからも、ぽってりした肉付きが気になって仕方がない。戦争が始まり、生活は困窮、彼女が口にするのは、お酒とタバコだけ。仕事は肉体的に過酷極まりない。なのにずっーとポッテリ。
役作りの為に10kgや20kg、数カ月で増減する役者が幾らもいる中で、なんで減量出来なかったの?と言いたくなる。せめて7~8kg絞っていたら、この映画は何倍もLeeの功績に胸打たれるものになっていたでしょうに…
それが残念だ。
小さな痛みに向き合う
リー・ミラーが残した戦争の実相の記録が、
ケイト・ウィンスレットと、
監督エレン・クルス(『エターナル・サンシャイン』等ミッシェル・ゴンドリー作品のD.O.P.時代はなぜかクラスではなくクルス、馴染み深いので以降クルスで)
の卓越した手腕によって、
単なる伝記映画の枠を超え、
本作は多くの戦争映画とは一線を画す、
独自の視点と表現で観客の心に迫る。
なぜ、
本作が〈一線を画す〉作品となっているのか。
具体的に触れていこう。
それは、
歴史の表舞台を飾るスクープや大事件を安易に追いかけることをせず、
むしろ「小文字」の現実に目を向ける徹底した姿勢にある。
パリ解放、
青酸カリで自決した家族の顛末、
あるいは収容所の惨状といった、
歴史的にも有名な出来事をなぞるように描きながらも、
それらをセンセーショナルに消費することなく、
そこに隠されている個々の、
名もなき人々の「見えない傷」や「深い痛み」を、
リー・ミラーのまなざしを通して写真に残していく過程を丁寧に描写する。
ナチス、A.H.、チャーチル、スターリンといった「大文字」で語られる権力者(他の例、トランプ、プーチン、ゼレンスキー)の影に隠れた、
市井の人々の心の動きこそが、
この映画の主題であり、リー・ミラーが追い続けた【伝えるべき事】なのだ。
エレン・クルスの演出(撮影は別のスタッフとはいえ影響は大だろう)、
そのリアリズムと暗部の描写において、
本作の主題と見事に同期する。
ストロボを焚く光の閃光、
あるいは、
丹念に光量を計測する仕草、
といった写真撮影の現場における細やかな演出は、
単なる描写を超え、
リー・ミラーが実際に残した【歴史的な写真群と、
今我々が目にしている映画の映像の絶対温度をシームレスに繋ぐ】役割を果たす。
それは、クルス特有の技術が織りなすリアリズムであり、
観客はあたかもミラーのレンズ越しに、
あの時代の生々しい光景と感情を追体験するかのようだ。
(ゴンドリーのシームレス手腕も凄かった)
それぞれの「小さな痛み」にしっかりと軸足を置くことで、
個人の悲劇がやがて普遍的な歴史の「大文字」へと繋がっていく様を鮮やかに描き出す。
これは、ドキュメンタリー、フィクション、
そして伝記作品のいずれの分野においても「教科書的手法」と言えるだろう。
類似作品が数多く存在する中で、
本作がひときわ「出色の作品」として輝くのは、
その手法が表層的な模倣に終わらず、
人間の尊厳と痛みに向き合っているからに他ならない。
そして何よりも、
リー・ミラーという写真家、
ケイト・ウィンスレットというプロデューサー兼俳優、
エレン・クルスという監督、
の三位一体となった「ひとの痛みに向き合う」それを観客に自分事として、
目撃者として、
知らなかったとは言わせないように、
突きつける、
という揺るぎないスタンスこそが、
本作に深いメッセージを与えている、
それは、単にひとの傷みを伝えるという行為に留まらない。
映画やドラマといったフィクションの枠を超え、
ニュース、報道、雑誌といった、
あらゆるメディアの「存在意義」そのものも問われる、
極めて今日的で普遍的な問いを観客に投げかける。
果たしてメディアは、
表面的な出来事や大きな物語の裏に隠された真の人間性を掬い取れているのか?
この問いかけは、
我々がさまざまな情報と向き合う現代社会において、
看過できない重みを持つ。
本作は、単なる戦争の記録ではない。
それは、
時代と人間を見つめ続けた一人の人間の魂の軌跡であり、
観る者に痛みを伴う深い情動を促し、
メディアの根源的な存在意義をも再考させる、
極めて意義深い作品である。
その「小文字」の描写にこそ、
戦争の真の顔と、
人間の強さ、
そして脆さが凝縮されている、
と言われているような気がした。
【蛇足】
まんが、「ゴルゴ13」で、
デューク東郷の出生の秘密やルーツを追う作品はいくつかある。
ルーツを追うものは必ずゴルゴ13によって消される。
その中でも「日本人 東研作」「芹沢家殺人事件」
「ミステリーの女王」はなかなかスリリングな内容だ。
「ミステリーの女王」の中で、
ゴルゴを小説化しようと試みるマッジ・ペンローズ、
作家ペンローズは、
夫の名前繋がりと、
真実を追う姿勢で、
リー・ミラー説があったが、
讃美歌13番が鳴り始める前にやめておこう・・・
ケイトウィンスレットに興味あり観に行った
カメラマンを通して描く戦争映画です。
考えるな・感じろ!なのか?自分の目で確かめろ!なのか?行動あるのみ
舞台の中心は1944年~終戦に向かうフランス。ギュッと集約された濃密な期間を、主人公が撮影した写真と共に観る者も同じ時間を過ごすかのような作品でした。
戦争を終えてから、史実と共に振り返るのではなく、自身が戦地に赴き肌で感じ、被写体を選んでいるだけに、戦争の悲惨さやナチスの非道さが際立ったような感じがします。
その一方で、息子との間で繰り広げられるインタビュー(?)シーンは、時を行ったり来たりであるとか、何のためのやり取りだろうとかに気を取られがちで、ワタシ的には要らなかったかなと感じました。
後は、あれだけ広い地域で戦闘があったのに、それでも「彼の地」で起こっているかのような感覚のズレというのは国は違ってもあるのだなと、驚きでした。
いずれにしても戦争は良くない。そんな過去の教訓を何故人は活かせないのでしょうね。
驚きのポスター
リー・ミラー(映画の記憶2025/5/11)
人間リー
終生VOUGEにリーの戦場写真を載せられなく
後悔したというオードリー。
君のことが心配だ。と言う言葉でしか
リーを乞うことができなくなったローランド。
など人間リーに豪快に振り回せれた人物の葛藤が
興味深かった作品だった。
が、それを良しとするか良しとしないかで
自己のコーカソイド濃度が測れるんじゃないか?
と思うほど、争い多き彼らの特性をリーに見て取れた
ような気がしてならない。
歴史上では、史上最悪最狂の人物として描かれるAHも
後世のテクノロジー検証と残置物から
高度の薬中だったことが見て取れるが
全ては隠蔽された歴史が拓けば分かる事実何だと思う。
戦争とメディアはセットで悪巧みを行う。
と言うことに気付かせてもくれた静かな告発映画◎
その点で僕は本作を評価したい。
圧力と理不尽という波に抗い続け、真実を写真に収めた偉業
【イントロダクション】
トップモデルから写真家へと転身し、20世紀を代表する女性報道写真家となったリー・ミラーの数奇な人生の一時代を描く。
リー・ミラー役のケイト・ウィンスレット『タイタニック』(1997)は、主演の他に製作も務める。
監督には撮影監督としてキャリアを積んできたエレン・クラス。脚本に『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(2017)のリズ・ハナー、『ホテル・ムンバイ』(2018)のジョン・コリー、マリオン・ヒューム。
【ストーリー】
1977年イギリス、ファーリー・ファームの自宅にて、老齢の女性リー・ミラー(ケイト・ウィンスレット)は若い男性(ジョシュ・オコナー)からインタビューを受ける。気難しく、「質問される事が嫌い」だと言う彼女は、素直に応じようとはしない。だが、次第に彼女が写真家として活躍した第二次世界大戦時代について語り始める。
1938年南フランス。リーは芸術家や詩人仲間と共に、優雅な生活を送っていた。ある日、リーは芸術家のローランド・ペンローズ(アレクサンダー・スカルスガルド)と出会い恋に落ちる。
時を同じくして、ドイツのアドルフ・ヒトラーが政権を掌握し始めていたが、リー達はそんなヒトラーの台頭を何処か現実味のない出来事に感じていた。しかし、やがて戦火はリー達にも迫り、穏やかな日常は一変していく。
1939年。リーはローランドとロンドンへ移住。仲間達はレジスタンスに参加し、皆離れ離れとなってしまう。
翌1940年、リーはかつてモデルとして活躍した『VOGUE』の英国編集部に、今度は写真家としての仕事を求めて訪れる。最初は断られたが、女性編集者のオードリー・ウィザーズ(アンドレア・ライズボロー)と出会った事で仕事が舞い込むようになる。
写真家として活動する中で、リーは米国従軍記者のデイヴィッド・E・シャーマン(アンディ・サムバーグ)と出会う。
1942年。リーは戦場に赴く事を希望するが、英国軍の規定により女性の戦地への参加は認められない。そこで、リーはデイヴィッドの機転により、アメリカ軍の従軍記者となる事で戦場へ赴く。
1944年。リー達はアメリカ軍が解放したパリを訪れ、かつての友人であり、やつれて変わり果てたソランジュと再会する。夫のジャンはゲシュタポに連行され、自身も強制収容所に入っていた事を聞かされる。そこで初めて、リーは強制収容所の存在と、ユダヤ人をはじめとしたナチスに抵抗・反発する人々が姿を消している現実に直面する。
やがて、真実を明らかにしなければならないと使命感に駆られたリーは、ローランドの要望を無視してでも、先に待ち受ける“この世の地獄”を目指す決意をする。
1945年4月30日。ヒトラーが妻のエヴァと共に地下壕で自殺した日。リーはデイヴィッドと解放されたブーヘンヴァルトとダッハウ強制収容所を訪れ、惨劇の痕を写真に収める。そして、2人はミュンヘンにあるヒトラーのアパートを訪れ、彼の浴室で写真を撮る。
【感想】
昨年公開された『シビル・ウォー/アメリカ最後の日』の戦場カメラマン、リー・スミス(キルスティン・ダンスト)のモデルにもなった人物。また、脚本家にリズ・ハナーやジョン・コリーという実力派の起用。主演のケイト・ウィンスレットが製作まで務めた意欲作とあり、俄然興味が湧いた。
リーの肖像を調べると、トップモデル時代の写真に見覚えのあるものがあり、更に驚いた。
これはまさしく、リー・ミラーという1人の女性、そして報道写真家として真実を求めて戦い続けた人間の功績を讃え、権力により隠されてきた真実を明らかにしていく作品だ。
作品は1977年を現在と仮定して、謎の若い男性によるリーへのインタビューと、それによる1938年〜1945年までの8年間をリーが過去回想する構成となっている。リーの過ごした年や環境の変わり目には時を現代に戻し、度々男性とリーの問答が行われる。そうした現在と過去を行き来する構成には映画としての作りの巧みさはあまり感じられなかったが、そうではなく、1人の人間の人生における最も重要な時期を、場面毎に切り取って見せているのだと感じた。
「傷にはいろいろある。見える傷だけじゃない」
リーによる、まさに本作を象徴する台詞である。リーの強気で物怖じしない性格は、彼女がこれまでの人生において男性優位社会の圧力に屈せざるを得なかった、“見えない傷”の積み重ねから来る反骨心なのだ。それは、幼少期の男性からの性暴力に始まり、恐らくモデルとして華々しく活躍していた裏で男性から好奇の目で見られる苦痛、そして写真家として活動する中で経験したあらゆる理不尽についてもだ。
そんなリー・ミラーを全身全霊で演じ切った、ケイト・ウィンスレットの憑依とも言えるほどのエネルギーが凄まじい。特に、ダッハウ強制収容所で暴行されて怯えているユダヤ人少女の写真を見つめる際の表情、少女の悲痛な経験に自らを重ねずにはいられないでいるであろう僅かな目の演技、不安と恐怖を払拭するかの如く絶えずタバコを吹かす仕草は本作でもピカイチ。
また、彼女は単にジャーナリストとして真実を伝えようとしたのではない。その奥底には、ヒトラーという独裁者の誕生前夜に「彼が政権を手にするなどありえない」と、何処か現実味を抱けずに仲間と楽しく過ごしていた無知な自分に対する罪悪感と、「自分に近しい人が犠牲になった」という非常に個人的な要因が存在すると感じた。しかし、だからこそ彼女は「真実を明らかにしなければならない」と使命感に突き動かされ、ローランドの願いを拒否して強制収容所という“この世の地獄”へと足を進める事になる。他人事ではないと確信したからこそ、行かないわけにはいかないのだというその姿勢は、非常に人間味に溢れ、だからこそ信念に満ちている。
リー・ミラーという女性について鑑賞前に調べる事をしなかったからこそ、ラストでインタビューしていた男性がリーの息子であるアントニー・ペンローズだという仕掛けは面白いと感じた(途中、彼が母について語り出した辺りから匂いはした)。また、リーは既に亡くなっており、全てはトニーが屋根裏部屋で発見したリーの足跡を基に行われていた一人芝居だと判明するのには驚いた。このラストの驚きについては、映画的な面白さが感じられ、「息子と完全な和解を果たせずにこの世を去った母親」というほろ苦さを感じさせる締めが印象的だった。
個人的に、こうして文章にして作品のレビューを書いている身としては、戦場の悲惨さをどう文章にして表せば良いか分からないリーに、デイヴィッドが掛けた台詞が心に残る。
「まず真実を書いて、その後で磨けばいい」
ところで、本作の1番の肝とも言える「ヒトラーのアパートの浴室で写真を撮る」という行為の意図について、私は判断しかねている。
トニーの言うように、彼女のアーティスト性から来る衝動的な行動か、あるいは戦争の終結、1つの惨劇の終結を告げる為の彼女なりのファンファーレか。
いずれにせよ、あの浴室での行動は、当事者から証言を得られない以上、あくまで写真を基に我々一人一人が想像を膨らませるしかなく、それこそが彼女の、また本作を製作した人々の狙いかもしれない。
【総評】
リー・ミラーという、数奇な人生の果てに「20世紀を代表する女流写真家」としての評価を得た彼女が、どのようにして真実を追い求めたのか。その軌跡を追体験出来る作品だった。
時代の荒波、男性優位社会の圧力や理不尽、そうした苦難を乗り越えて真実を掴み取った彼女の偉業は、主演・製作のケイト・ウィンスレットが語るように、今日を生きる我々にも伝えられるべきなのだろう。
最後に彼女の思いが浮かびあがる
不勉強者の私には、大戦当時の米・英・仏・独がよく分からず、彼女の真意も掴めないまま、中盤辺りまでなんとなくフワフワと眺めていた。
「フワフワ」の原因は、やはりこのリーミラーが「シビルウォー」の主人公のモチーフだということも大きい。
報道というものの暴力性が、私にはやはり従軍記者・ジャーナリストという人々についてはいつも気になってしまう。
もちろん戦場で実際に起こっていることを世界に知らしめることの意義は絶大だ。
しかし、それがジャーナリストの私欲や単なる自己実現のためのプロセスとしてのみ機能しているなら、それは「暴力」になりうる。
「シビルウォー」は報道の正義を描きながら、そこに呑まれていく人々も視野に入れているという意味で価値があったと思う。
そして本作。
主人公のリーは、比較的奔放で自意識が強く、自立していてバイタリティもある活動的な女性として描かれる。
撮られる側だった彼女が撮る側に回り、戦地を撮ることに心を奪われていく。
いかにも、(あえてこの言葉を使います)「男勝り」な女性が他の反対を押し切って、活躍の場を求めていく感じ。
正直、途中までは若干「ノれないな」、と思いながら観ていくと、彼女のバイタリティがちゃんと「報道の正義」に繋がっているのが徐々に伝わってくる。
終盤、Vogueの事務所に怒鳴り込み、編集長を前にした自分語りで彼女の行動の根拠となる過去が示されて、それまで私の中でフワフワとしていたものが、まるで印画紙に焼き付けられる様に実体化する。
確かに、彼女のレンズは戦地においても「破壊」や「兵器」といった加害者側ではなく、いつも弱者に向けられていた。
その弱者の存在を世界が認知することで、彼女自身が強制的に葬ってきた過去にも決着がつけられると信じた。
彼女の残した写真が、彼女の死後、ようやく歴史的に大きな意味を持つものとして脚光を浴びるのは皮肉ではあるが、だからこそ報道が「自分だけのためではない」ということを示した本作の価値は重要なんだろう。
ただ、やはり私には彼女の意図を図りかねる行動なんかもあって、自分が彼女、ひいてはこの作品をちゃんと理解しているとは思えないってところも多い。
パンフレット買って知識を補強せねば。
彼女の強さと弱さ
彼女の伝えるという強い使命。そしてクリエイティブであるという姿勢に心を打たれた。
LEEに VOGUE LIFE
戦争の最前線でバリバリなお話かと思いきや、そうだった時代は戦時中性差別が激しい頃であった ましてや女性が最前線行ける訳なかった、否それでも戦場カメラマン先駆者的な方なのでしょうね 愛用のカメラが印象的 いつもタバコに思い立ったら即行動とっても姉御肌で頼もしいそうな性格、シスターフッド的なものも感じました 序盤のトップレスの集いは監督何のサービスかいなと思ったけど、最後の映像で!?ってなった リーさんのお話だけどLIFEの編集長役の人良かったな そしてまるでどんでん返しみたいな作り
少し強面のケイト・ウィンスレット
ヴォーグモデルからカメラマンに転身したリー・ミラーの人生のほんの一部だが最も色濃く、彼女のその後の人生において大きな影を落としたと言われる戦場カメラマン時代のお話。
リーは自由奔放で現代女性の先駆けの様なタイプで、ヒトラーが住んでたアパートのバスタブに入った写真で有名な人らしい。
チェーンスモーカーでアルコールと薬(飲んでた錠剤あれ何?)を日常的に摂取し、戦争による悲劇的な惨状に対し常に心を平静に保とうとする男前。
画家兼画商の恋人が連れ戻しに来た時に「こんな時に塗料なんか塗ったくっててお前頭の中お花畑かよ!」(もちろん正確には違う言い方ですw)みたいな事を言い罵倒するが、奇しくも現在放映中の朝ドラで戦時中に東京の美大に通っている能天気な幼馴染(やなせたかし先生がモデルです)に対し今田美桜さんが同じような事を言うが、人が生き死にしている状況下での芸術の立ち位置っていつでもこんなものw
話としては最後のシーンで「そうだったんだ!」と思わせる若干分かりにくい構成になっており、また息子アントニーに生前は戦場カメラマンであったことを明かすことはなく、屋根裏部屋にずっと保管していた大量の戦地の写真を亡くなった後に息子が見つけ、世に広めたということを知っていないと今一つピンとこないラストとなっている。
主演のケイト・ウィスレットは本作ではプロデューサーも兼ねており、この役を本当にやりたかったんだろうと思わせるほどに凄みと意気込みを演技から感じることができる。
内にあるものの表現やルッキズムへの抵抗が彼女の女優としての矜持やポリシーなのだろうが、映画である限りビジュアルへのアプローチは説得力を得る意味も含め避けるべきではなく、そこについては非常に残念に思った。
全73件中、21~40件目を表示
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