ミス・イタリアは死なない

配信開始日:

解説・あらすじ

Netflixで2025年2月26日から配信。

2025年製作/98分/イタリア
原題または英題:Miss Italia non deve morire
配信:Netflix
配信開始日:2025年2月26日

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映画レビュー

3.5ベリーショートのAurora 登場の意味

2025年3月5日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

笑える

知的

難しい

ドキュメンタリー。
「ミス・イタリア」はミス・日本とか、ミス・○○大学みたいな美人コンテストで85年もの歴史がある。サンレモ音楽祭よりも多くの観客がいて、テレビ視聴率が80%超えの時代もあった。ジーナ・ロロブリジーダもシルヴァーナ・マンガーノもソフィア・ローレンもミス・イタリアや関連コンテスト出身だ。過去に放映された「ミス・イタリア」の映像には、ゲストとしてマルチェロ・マストロヤンニ、ジェラール・ドパルデュー、アラン・ドロンといった錚々たるスターが映っている。だがここ最近は危機的状況にある。「ミス・イタリア」のファイナルをTV放送していたRAI(イタリアの公共放送局)が放送しないことを決めたからだ。理由は明らかで、「ミス・○○」は時代遅れ、女性を外見からのみ判断し女性をモノ化しているなどの世論及びRAIトップの決定だ(2023年の「ミス・イタリア」ファイナルは「ミス・イタリア」公式サイトYouTubeで動画配信された)。

この映画では2023年の「ミス・イタリア」の各地(イタリアの全20州)の数回もの予選、審査の様子、約1年近く続くスタッフの働きぶりが映し出される。スタッフの中には、過去、ミス・イタリアだった女性もいるし、「ミス・イタリア」創立者(男性)と共に盛り上げいまだ大きな影響力を持って自分の担当州の為に働く年配の男性達もいる。「ミス・イタリア」プロジェクトのトップは、創立者の娘のパトリーツィアだ。パトリーツィアと各地のスタッフは家族のようなものだ。この「家族」という言葉がパトリーツィアからもスタッフからも何度も口にされる。非常にイタリア的だ。一方で、どこの州から素晴らしいミス・イタリアを出すかの争いでもあるようで、○○州の○○が優勝だなんて有り得ない、全く美しくなかったと他州のスタッフが悪口言うのがイタリア的で笑えた。

どんな女性が「ミス・イタリア」に応募するのか?最低基準がある。身長は170センチかそれ以上、体重は60キロ(以下)。応募者は皆同じに見える。今の流行りか(昔の候補者の髪型は様々でパーマをかけていたりセミロングだったり色々)、髪は黒くストレートでロング(前髪なし)、アイメイクは強力なアイラインとマスカラ。ある程度の数に絞られた応募者達は、ランウェイでの歩き方、笑顔、ダンス、スピーチその他を厳しく仕込まれる。昔は外見の美しさ(顔、髪、スタイル)で選ばれていた。今は「フェミニズムとやら」のために、外見の美だけでなく、知性(話し方、正しい文法なども含む)や個性も審査基準に入れようという提案がなされる。だが外見の美が100%!という立場の昔からの男性スタッフにとっては有り得ない話で、彼は怒り心頭で会議の場から退席する。

審査する側を見ると女性もいるが圧倒的に男性が多い。お尻のアザは本番までに消しとけと本人に言ったり、審査員間の話として、○○○はあと2~3キロ減量させないといけない、○○○は信じられない程、尻がでかすぎると大声で言ったりする。若い男性スタッフに「彼女たち、まだ居ますので」と言われてようやく小声になる。あからさまなルッキズム。

区別がつかない程に外見が似通っている若い女性達の中で、唯一目立ち目が離せなかった候補者が一人居た。ラツィオ州(ローマがある所)のAuroraだ。美しい19歳、黒髪のベリーショート、趣味の中にサッカーも入っている。スカートやドレスといったフェミニンでエレガントあるいはセクシーな服装や、イタリア女性に多く見られる、胸元をかなり広く開ける着方もしない。彼女は言う:みんな私になぜショートヘアなのか聞くが有り得ない質問!男性に対して、アナタはなぜヒゲを生やさないのか聞かないくせに!そんな彼女がなぜ「ミス・イタリア」に応募したのか?Auroraは自分が他の女性と異なっていることをよくわかっている。自分は女性で同時に人間だと明言する。どんな格好をしようが個性の問題、皆がそれぞれ美しいという、自由で強い考えを持っている。「ミス・イタリア」から一番遠い存在である自分が応募することで「ミス・イタリア」の意味を変えたい、そして自分がかぶっていた見えない仮面(自信がありながらも、どうせ私は・・・という思い)を剥がしたいという思いがあったようだ。一度候補から外れたが、とても印象的だったという理由でまた候補者に戻ったりもする。最終選考まで彼女は行けなかったからミス・イタリアにはなれなかった。「髪を長くしてればよかったのかな」と彼女はつぶやく。そんなAuroraに心から共感した「Aurora」は私だ。世界中に「Aurora」がいると私は思うな。

創立者と濃い関係にあった人々、娘のパトリーツィアやその父親と共にこのイベントを盛り上げてきた男性スタッフ達が引退したり亡くなったら、「ミス・イタリア」は消滅するか全く異なるものになると思う。継ぐと目されている人々(血のつながりのある息子が多い)は、母親や父親と比べて熱くない。人権意識もある(ように見える)し、トランスジェンダー男性/女性が(冗談または批判のために)「ミス・イタリア」に応募することに、世界がひっくりかえる程には驚かない(ように見える)。今の世の中と「ミス・イタリア」はマッチしていない、親世代はアップ・デートされていないと思っている(ような)世代だ。

「ミス・イタリア」がなくなってもイタリア人が誇る美意識がなくなることはない。今まで同様、車、靴、椅子、食器、インテリア、アクセサリー、建物や街並みにたっぷり注がれる。とりわけ色彩感覚の中にあなた方の美意識は永遠に生き続ける。

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talisman