終わりの鳥のレビュー・感想・評価
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不発
妻が観たいとのことで(妻は大満足だったみたいです)、遠方の映画館だったので運転手をしつつ観てきました。
元々期待はしてなかったんですが、結果はやはり不発。本来、わたしはこうした死を扱う不思議は話(ファンタジー系、ロマンチック系)は大好きなんですが、今作はしっくりきませんでした。少し寝ました。
ところで、わたしは映画館ではポップコーンを食べながら観ないと気が済まないタイプです。いつも周りのお客さんに迷惑をかけないように空いている時間の回を選び、前から2列目くらいの左側に座ります。それでも、匂いとかポリポリ音とか気にしてます。今回、自由席で妻がいたので、センター席に陣取る彼女と離れて上記のマイポジションでポリポリやりながら観ました。音や匂いや動きなど全く気にならなかったと鑑賞後に妻に言われました。安心しました。
【重病の少女と”デス”の象徴である奇妙な鳥と、少女の母の関係性を描いた奇想天外、奇妙奇天烈なる”生と死”を描いた作品。”デス”の描き方がちょっと凄くってインパクト大です。良く考えたなあ、あの設定。】
■重病の少女、チューズデー(ローラ・ペティクルー)の元に死を司る鳥<デス>が飛んでくる。チューズデーは、ジョークで<デス>を笑わせ、いい加減な母ゾラ(ジュリア・ルイス・ドレイフェス)と最後の会話を交わすだけの猶予を貰う。
だが、ゾラはチューズデーを守る為なのか、ナント!<デス>にアルコールを掛けて燃やし、食べてしまうのである。ゴックン!
◆感想
・ナカナカにファンキーと言うか、奇想天外、奇妙奇天烈なる作品である。
・死を象徴する鳥<デス>が、様々な人の死を看取る(と言うか、鳥が来ると人は死んでしまう)シーンが幾つか続いた後に、<デス>がチューズデーと会話するシーンからの、ゾラのお腹に入ってしまった<デス>が、ゾラの身体に起こした変化。
天井までデカくなってしまったシーンでは、場内から笑い声が起こる。全くファンキーな母ゾラであるし、あれは罰かな?
・その後も、ゾラはチッチャクなったり、何だか可笑しなシーンが続くのである。特にゾラの胃の中の<デス>がゾラの口から外が見るシーンは、実にシュールである。
<今作は、重病の少女と”デス”の象徴である奇妙な鳥と、少女の母の関係性を描いた奇想天外、奇妙奇天烈なる”生と死”を描いた作品である。”デス”の描き方が、ちょっと凄いです。
生と死は、隣併せってことかな?と言うか、死は身体の中にいるってことかな?>
<2025年5月25日 刈谷日劇にて観賞>
終わりの鳥
難しく入り組んだ映画か?と思ったら めっちゃそのまんまだったという...
愛情の表現をどうしたかったのか。
どうせいつか死ぬんだから笑って受け入れようぜ。その準備だ。
A24映画らしい独特の世界観を楽しむ作品
命の終わりを告げる鳥Deathと病を患う主人公Tuesdayの出会い、その娘と暮らす母が鳥と対峙するという奇想天外な設定。鳥は状況に応じて大きさを大きく変え、低い声で語る。
当初から鳥を受け入れ、鳥からも慕われる存在のTuesday、一方で鳥と真っ向から戦おうとする母。そして鳥は姿を消し、母娘の関係はドラマチックに展開していく。
何とも奇抜な鳥の存在、独特の空気感に包まれながら、生と死というものをこれまでにない側面から描いている。ラップミュージックを巧みに使い、突飛な設定の中、A24の作品らしい独特の世界観を随所に感じ、引き込まれていく。
中盤からかなり突飛な展開となっていくが、それが逆に最近観た真っ当な映画と異なり、最後まで興味深く観ることが出来た。
鳥のシーンは妙な迫力と魅力がある
これが正しい
デスに持ってかれる死も悪くない
騙し絵のような幻覚のような、ちょっと気味悪いオープニングに、これは当たりだと。
デスに連れていかれる人たちの、それぞれの死の迎え方も良かった。
不吉なイメージのカラスではなく、人の言葉を話してもおかしくはないオウムなのも良いチョイス、色味も派手だし。
水浴びをして水が真っ黒になる場面では、長い間デスが背負ってきた業を感じて少し切ない気持ちになった。
デスが現れてから死を受け入れたチューズデーとは対照的に、受け入れられず電話にも出ない母。
死にゆく本人からすると、痛みや苦しみから解放されるならばと受け入れてしまうものなのか。
だけどちょっと期待しすぎたかな。お母さんがやらかしてから、女型の奇行種に見えてしまって少し残念。
上手く綺麗にまとめましたなエンディングも、まあ及第点。
死の視覚化
A24×クロアチア
普段考える事の無い死を少し考える機会になったかな。。
シビル・ウォーで話題となったA24製作の映画。
A24は一筋縄ではいかない映画を作りますね。
死を司るオウムが出てきて死へ導く。
寿命がくるとオウムが現れるという感じ。
死とは何かを考えさせる映画ですね。
病気の少女とその母の話。
その少女の前にオウムが現れる。
母は必至でオウムから娘を守ろうとする。
母の子への愛、そして、死を受け入れようとする娘。
一瞬、死が訪れない世界となり、世界中が混乱する。
なんか、コミカルに死を描いていた。
最後の母とオウムの会話が心に残った。
アフターライフがあるというオウム。
人間が考える形ではないが神はいるとも言った。
来世が無かったと考えたら死は受け入れがたい物になるのだろうか。。
日本人である私は普段来世を考える事は無い。
無宗教であり、漠然と信仰する神道でも来世の教義は無い。
どんな生き物にも必ず訪れる死。
普段考える事の無い死を少し考える機会になりました。
単純な娯楽映画ではなかったです。
圧倒的に人手(鳥翼?)が足りないのでは?
おもしろいです
母娘は似てないな〜、と観ていてずっと気になっちゃいましたけど
避けられない死を受け容れるまでの葛藤のようなものを表現したかったのかなーと勝手に推察
敢えてそうしたのでしょうけど、メインの母娘の関係性についてかなりショートカットし過ぎているのは気に掛かりました
父親の事をショートカットするのはいいんですけど
死神みたいな鳥が全ての死を司る風な割にはずいぶんと悠長だなぁと思ってしまいました
どうでもいいけど、部屋のピンクドクロとまねきねこが気にかかりました
鳥がなんか良いこと言ってましたけど、母親に向かってお前が生きることが娘を生かすことになる?みたいなニュアンスのセリフがよかったです。
その地域の死を担当するには圧倒的に人手(鳥羽?)が足りないのでは?
着地は
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