KIDDO キドーのレビュー・感想・評価
全33件中、1~20件目を表示
どうしても
「こわれた母」と「まともな娘」のショーン・ベイカー風「偽アメリカ」ロード・ムーヴィー。
絵にかいたようなロード・ムーヴィー。
やっていることも、ひたすら、
無軌道で、犯罪ぶくみで、あてずっぽう。
ほんとに、いかにもロード・ムーヴィー。
これが大人二人の逃避行なら、
組み合わせが男×女でも、女×女でも、
みんなまったく気にせずに観るんだろうが、
なんでか「母と子」だとひっかかるみたい(笑)。
結構手厳しい評が並んでいて、
それはまあそうなのかなあ、
いたしかたないのかなあ、と。
なにせ、いままで育児放棄してた母親が、
したり顔で、子供誘拐して、連れまわして、
挙句、犯罪教唆しまくるんだから。
まじめにきちんと生きてきた子供を、
わざわざ悪の道に染めようとするとか、
マジでなにしてくれてんのって感じですよね(笑)。
とはいえ。
僕は個人的には、意外と楽しめた。
少なくとも、母親のカリーナは、
娘のルーのことを愛していてるし、
娘のルーも母親のカリーナを愛している。
そこのところは、揺るがないから。
カリーナには、悪意がない。
あるのは無鉄砲さと、野放図さと、
遵法性の欠如だ。
情緒不安定で、虚言癖があり、
頭の回る部分(映画の分析とか)と
回らない部分(行動の結果とか)がある。
ただ、1時間30分付き合ってみて、
そんなに悪いやつではないように思う。
娘は、とてもまともでチャーミングな子だ。
いい児童施設で育ったからだろう。
常識をわきまえ、善悪の区別がつき、
羽目をはずす母親に「付き合い」ながらも、
どこか醒めた視点で自分たちの逃避行を
とらえている。
あとは、たぶんなら、
「観る側」の心持ちひとつなのだ。
これを、バカな母親が、娘を巻き込んで、
犯罪まみれの「ごっこ遊び」に
つき合わせているだけの「ひどい話」
だと思ったら単にムカつくだけだ。
だが、ルーの視点から見ればどうか。
たとえ、自分を捨てていった母親でも、
やっぱり母親のことは大好きだ。
久しぶりにあった母親は、相変わらず、
頭がおかしくて、めちゃくちゃ。
いってることも、やってることも
どう考えても、とちくるっている。
でも、お母さんのことはやっぱり好き。
ママも自分のことが好きだと知ってる。
どうしよう。ついていこうか。
どこまで相手してあげようか。
実際、カリーナといるのはすごく楽しいし、
やっちゃいけないことをやるのは、
痛快だし、解放感があるし、すっとする。
さあ、どうしようか。
一方、カリーナの視点というのもある。
カリーナだって、好きでこうなのではない。
彼女はもともと「まあまあ頭がヘン」なのだ。
最初から、母親に猛烈に向いていないのだ。
衝動的で、不安定で、破壊的で、無計画。
そんなカリーナが唯一、思いついた、
「母親としてふるまえるかもしれない」
虚構の世界、それが、ボニー&クライドであり、
テルマ&ルイーズの「映画」のごっこ遊びなのだ。
彼女は入念に「物語」と「設定」を用意して、
満を持して娘のところに乗り込んでくる。
自分はボニー。娘はクライド。
その「ごっこ遊び」のなかでのみ、彼女は、
ぎりぎりのところで「母親を演じられる」。
成長しきれない、クソガキのまんまの母親。
社会からもはみ出して相手にされない母親。
でも、「アウトローの逃避行」という物語性の
枠組みのなかでだけ、なんとか「母」でいられる。
これは、ちょっと大人びた少女と、
子供のまんま大人になった母親が、
今更のように「親子」であるために、
必死で相手との間合いをはかり続ける、
そんな、探り合いと触れ合いの物語だ。
― ― ― ―
パンフで、解説の三宅香帆氏が面白いことを言っている。
「だがその旅路は、結局、ルーの負担のうえにしか成り立たない。これもまた事実である。本来であれば子供として保護者からケアされるべきなのに、作中もはやルーはカリーナの母親のように振る舞う。ルーがカリーナの遊びに付き合ってあげているようにも見えてくる。母が「母」を放棄した時、娘は母の「母」になってしまう――そのような構造がふたりの関係をさらに歪なものにしている。ふたりの幸福なロード・ムーヴィーの裏側には、ルーの痛々しい努力が存在する。」
まさに、言いえて妙。
この映画において、
母と娘のあるべき関係性は逆転していて、
まるで娘が母のように母を「あやしている」。
そして、これは重要なことだが、
カリーナも、そのことに内心気づいている。
自分の考えたごっこ遊びが、早晩行き詰まり、
破綻することにも、気づいている。
だからこその、あのエンディングなのだ。
その意味では、
カリーナは自分のことがわかっているし、
ルーも母親のことがよくわかっている。
「こわれた母親」「毒親」に子が付き合うとなると、
どうしても辛気臭い話にならざるを得ない部分がある。
万引き家族とか。湊かなえとか。
でも『キドー』はあくまで「陽性」だ。
そこがいい。
なんとかして、頭のおかしい母親が、
はみ出し者で厄介者の自分でも母親でいられる
方法を必死に考え、それを理解した娘が、
必死でそれに合わせようとする。
そんな涙ぐましいけど微笑ましいやりとりが、
「あくまで前向きに」繰り広げられるから、
「こわれた母とまともな娘」の交情の物語としては、
後味はけっして悪くない。
まあ、軽犯罪まみれではあるんだけどね。
なので、僕はそこそこ、このお話を楽しめた。
スチールで見ただけだとルーちゃん、
もっとおへちゃかと思ったら、
意外と可愛かったし(笑)。
母親が蛇を捨てさせないところも、
果たせもしないのに指切りにこだわるところも、
娘を支配せず対等に話そうとするところも、
悪くなかった。
何より、映像感覚として「子供の視点」に
常に寄り添っているのが、とても良かった。
カメラ位置はおおむね低く、
細部にこだわって興味を集中しがちで、
ふっと気がまぎれると、ポップな想像の断片が、
現実に紛れ込んでくる。
この気まぐれな感じ、ぼんやりした感じ、
空想と現実がまぜこぜでぼーっとしてる感じ。
これはまさに、ルーの目を通してみた、
「子供」の認識する世界のありようだ。
そして、それは同時に、
「子供のまま」生きるカリーナの世界認識でもある。
― ― ― ―
パンフに掲載されている、ザラ・ドヴィンガー監督のインタビューを読んでいて、はたと気づいたことがある。
この人、「好きな監督は誰か」と訊ねられて、「その時々によって変わりますが、リン・ラムジーやショーン・ベイカー、ポール・トーマス・アンダーソン、ポン・ジュノは好きです」と答えているんだよね。
ああ、なるほどショーン・ベイカーか。
このあいだ観た『アノーラ』の。
たしかに、よく似てるわ。芸風が。
社会の枠組みの外で生きるアウトサイダーを、ことさら主人公として取り上げる点。
それを、コメディタッチで、辛気臭くならないように描こうとする点。
無軌道でめちゃくちゃな生き方を、必ずしも否定的にとらえず、むしろ温かい目線でとらえている点。
おかしいこと、間違ってること、落ちこぼれてること、社会から逸脱していることを、決して断罪しないで許容している点。
そうか、これは「母と娘」を描いた、
ショーン・ベイカー、女性監督&オランダ版なのね。
と思うと、おおいに腑に落ちた次第。
で、ふとパンフの最初のページを見ると、
「ユーモラスで、感動的。子どものような好奇心と大人のリアリティに満ちた見事なデビュー作!」という最初の賛辞を寄せているのが、ほかならぬショーン・ベイカーなのだ。
まるで、気づいていなかった。
そうか、映画宣伝会社もそのへんはよくわかってるんだな。
で、そこからさらにパラパラめくると、読むのを飛ばしてた常川拓也氏のコラムで、まさにショーン・ベイカーのことがきっちり書いてある(笑)。おお、なるほど!!
実際、インタビューで監督は次のように語っている。
「女性だってバカみたいなことをするし、間違いも起こすし、精神に問題を抱えていることもある。だからといって、その人が人間としてダメなわけではない、ということを私の映画では描きたいと思っているのです。」
うん、そこはちゃんと伝わりましたよ!
― ― ― ―
以下、気づいたことなどを列挙しておく。
●冒頭の、ルーがカリーナの到着を待ちながらすっぽかされるシークエンスは、「リュックサック」の背負い方や置き場所で、ルーの逸る気持ちや焦り、退屈、諦め、時間経過などがつぶさに表現されていて、ああ優秀な監督さんなんだなと思わされた。
●空想シーンが挿入されるときは、スタンダードサイズの画面が用いられる。アニメ、映画のキャラのアイコン、書き文字など、とても映画的な仕掛けに富んでいて楽しい。
●最初、どこの映画がわからずに観ていて、「このドイツ語っぽいけどよくわからない言語はなんだろう?」と思って聞いていたら、オランダが舞台だった。
でも、「ハリウッドでスーパースターだった」という触れ込みのカリーナだけは、しきりに「英語」を使う。オランダ語で話してはいるけど、ちゃんぽんのように英語のフレーズがまじる。着ているTシャツの胸には「USA」の文字。
ふたりが旅をしているのはポーランドの田舎だけど、カリーナのなかではあくまでここは「アメリカ」って設定なんだな、大西部の幹線道路とモーテルとダイナーなんだなと(笑)。
●ふたりが様々な形で着用する「かつら」も、本人たちは「逃避行で身バレしないため」といっているけど、本当はこの旅がアメリカン・ニュー・シネマを実地で体験する「ごっこ遊び」だからなんだよね。役として親子を演じてるから、かつらが要る。
最後は、その役を「降りる」から、かつらを脱ぎ棄てる。そういうことなんだね。
●ふたりがモーテルで観ているのは、ルイス・マイルストン監督の『呪いの血』(1946)。いわゆる典型的なフィルム・ノワールであり、ファム・ファタルを演じるのはバーバラ・スタンウィックだ。旅の行程では「アメリカン・ニュー・シネマ」を模倣しながら、夜の映画鑑賞でアメリカ映画のもう一面(夜の部分)である「フィルム・ノワール」の要素も補填しているわけだ。また、カリーナが「頭のおかしい社会規範から逸脱した女」としてのヒロイン、マーサに自分を重ねている部分もあるのかもしれない。
●なんでこの二人は叢まで行かないで、車から降りたところでわざわざ小便をしているのか?(笑) これも「わくわくするような不法行為」ってことか。
ダイナーでの食い逃げ大作戦は完全な犯罪行為だが、アクションとしてはなかなかに見ごたえがあった。
●ペットの蛇のハンクについては、ずっと観ていて「こいつ何を食っている(食わされている)んだろう」ってのが気になって仕方なかった。
●あの、母親が大声で「ああああああ!!」と叫び、娘も大声で「ああああああ!!」と叫ぶシーン。まるでそっくりのシーンを、去年観た『胸騒ぎ』(デンマーク映画)でも、『ありふれた教室』(ドイツ映画)でも目にしたが、なにあれ? ヨーロッパ北海沿岸地域ではああいうのが流行ってるのか??(笑) もう叫ばないとくるっちゃうくらい鬱屈がたまってる?
●作中で明確には指摘されないが、カリーナの「精神的に問題を抱えている」部分って具体的には境界性人格障害(ボーダー)って設定なんだろうな。
●別に同時期に観たというだけのことだけど、
『サブスタンス』ではカンヌを「ハリウッド」に見立てて撮っていた。
こちらの映画はポーランドを「アメリカ中西部」に見立てて撮っている。
コラリー・ファルジャはフランスの女性監督で、48歳。『サブスタンス』が2本目。
ザラ・ドヴィンガーはオランダの女性監督で、35歳。これがデビュー作。
『パリ、テキサス』(1984)、『バグダッド・カフェ』(1987)、『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(1990)と引き継がれてきた、ヨーロッパにおける「アメリカ幻想」が、こうやって若い女性監督たちの手によって正しく継承されていることに、不思議な感興をおぼえる。
90年代の価値観
お母さんが破天荒で、食い逃げをするしそんな軽犯罪をよしとする90年代までの価値観だ。当時もダメだったけど、ちょっとぐらいならいいのではという空気があった。今は立ちしょんどころか道に唾を吐くのも許されない。車でトウモロコシ畑にぐいぐい突っ込んいくのも家庭菜園をやっている身からはやめて欲しい。それにオートマ車で押し掛けはできるのだろうか。
娘が非の打ち所がないいい子で、お母さんの手前そうなるのかもしれないけど、ちょっとぐらい悪い子ならもっといい。
君には明日がある。
よくある話かもしれませんが
施設に預けられている娘に母親がひょっこり現れて、、、娘や周りの人を振り回し、そして。という話です。私はとても気に入りました。極端に悪い人間が出てこないし、極端な事件もなく、誰も犠牲にはならないし。しかし最後の場面では最初の場面とは大きく違っている。全く母親に向いていない人間が少しだけ母親になっていく。そんな映画です。母親との関係に悩んでいる人には特に見てほしいです。
小学生ぐらいの子供が何人か出てきますが何人か登場しますが片言以上の英語を話します。オランダでは英語を普通に話せる人が多いと聞いていましたが、再確認しました。
TM NETWORK「Self Control (方舟に曳かれて)」
♪走り抜けたボニー&クライド♪
でも、やっぱり帰る家は欲しい
母親の無軌道、そんな大人の危うさと、それでも肉親としての慈しみを見事に表現されている
そして、表現としての音効果
将来の楽しみな監督 今は奨励賞
深いところで親と子の関係性を考えさせられる
迷惑母ちゃんと娘の小さな旅。
オランダを舞台にした新人監督による母娘ロードムービー。自由…というか非常識で勝手気ままな母に対し、次第に冷静になっていく娘。でもやっぱり母ちゃんのことが好きでたまらない。
画郭の変化、音楽、効果音、ストップモーションアニメなど多様な演出がとにかく気持ちよかった。
あと、母ちゃんの謎の仕事も含め、映画引用が気が利いてる。
Stay awhlle
親子ロードムービーってええなぁと気になっていたのでちょっと遅れての鑑賞。
中々に大暴れなロードムービーで、軽犯罪しまくり、爆発もしたり、喧嘩もしたり、それでも見たことのない親子の形を観ているかのようで不思議なほっこり感のあるロードムービーになっていました。
児童養護施設に預けられているルーが、自分のことをハリウッドスターと名乗っている母親のカリーナが親子関係を再生していくって感じで、カリーナがかなーり変わってる人なので良くも悪くもそこが評価の分かれる要因になっているんだろうなと思いました。
嫌がらせ的な事は余裕でこなし、犯罪まがいの事も悪びれずにやるカリーナにちょっと引きつつもせっかくの親子の時間を楽しもうとするルーがとっても健気でした。
トラックの上に乗ってみたり、チョコまみれのケーキをベチャベチャになるまで食べてみたり、食い逃げをしたりと日常のすぐ隣の非日常を味わっているかのようでした。
花火を撒き散らしてみたり、爆発してしまったりと度が過ぎて大変なことになったりもするけれど笑い飛ばしている2人は眩しかったです。
ちょっとオンボロなアメ車で駆け回るっていうのもレトロなオシャレが詰まっていて憧れます。
ルーやカリーナのバックボーンはちょろっと回想で描かれるくらいで、ほとんどのシーンはルーとカリーナの分かりあう様子に割かれており、ロードムービーながらここまで主人公2人にフォーカスを当てるって珍しいな〜と思いました。
カリーナ自身は親になりきれなかった親という感じの立ち位置で、自分の子供との接し方が分からずに距離の詰め方を間違ってしまったりと試行錯誤している様子と強がっている様子が交錯しながら描かれるのでそこもキューっとなる部分です。
親から子へどう接するかではなく、子から親にどう接するかという逆転的な発想な進んでいくというのもこれまた面白いところでした。
2人の関係性をジェスチャーで深めていくのも面白く、タバコのジェスチャーは日常生活でも取り入れてみたいですし、なんなら帰り道にそのジェスチャーをしていたので速攻で影響を受けています。
ラストシーンも些細な変化って感じで素敵でした。
カリーナと距離を取ることを決め、児童養護施設に戻りつつもカリーナの事を忘れずに憂いているルーの元にちょっとしたサプライズ、終わり方は昭和アニメのような感じだったりと絶妙なラインをついてくるのもまた良かったです。
エフェクトだったり効果音だったりが結構目立っていたのも特徴的で、露骨すぎるところはありつつも、2人だけの共有し合ってる感情を視覚的に読み取れたのは面白かったです。
こういうロードムービーもいいよなぁとなりました。
またどこかで2人で再会してほしいなと思いつつ、このまま出会わずに過ごしていくのもまた一興かなとなりました。
鑑賞日 5/5
鑑賞時間 19:15〜20:45
思わせぶりなテルマ&ルイーズで引っ張るボニー&クライド
あのお顔からして、テルマ&ルイーズのスーザン・サランドンを連想させるオカン。
どこまでもついてくる謎の少年も面白い。テルマ&ルイーズのブラピ的なカンジ。
彼が言うようにたしかにルーの母親はクレイジー。
ルーちゃんはとても可愛くって、レオンのナタリー・ポートマンや鼻筋の感じからは若い頃のサンドラ・ブロックを思わせる美人さん。
ちっちゃいガラガラヘビのヘンクを飼っている。エサはどうしているのかとても気になってしまった😅
オカンがやってることはホボホボ犯罪なのだが、監督の眼差しは優しく、ショーン・ベイカー監督作品風。35歳のオランダ人新人女性監督サラ·ドビンガーの脚本センスや映像センスはむしろ上かもしれない。劇伴のセンスもとてもいい。
母親のカリーナがいうセリフ。
罪悪感っていうのは他人を貶めるために人間が作った言葉。
娘を自分ひとりで育てる経済力がなく、精神的にも未熟で不安定なのは自分でも分かっている悔しさがにじみ出ている。
彼女もまた母親の影響による問題を抱えたままもがいている。
左手の指の骨折はたぶん誰かを殴って負ったものだろう。会いに来るのが①日遅れたのは娘に会いにいくと誰かに言ったために、今さら?なんて罵られ、トラブルになったのかもしれない。
最後、児童養護施設に停められたクルマ。ルーが目を覚ますと、カリーナの姿はない。置き手紙にはトランクのお金はみんなあげると。
映画の冒頭、真夜中に大型スーパーのカートを押して歩いてゆくカリーナのシーンにつながるのだろう。
そして、いなくなったと思っていたヘンクがクマのぬいぐるみのホツレから顔を出す。
ヘンクが脱皮した抜け殻をルーが見つけるシーンがあった。
ヘビの抜け殻を財布に入れておくと、お金が貯まるそうだ。ルーとカリーナに幸あれ。
うわあああああ
星がつなぐ母と娘の絆
ラストでお母さんのカリーナは手に入れたお金を全部娘のルウに渡す。彼女はきっと自分で働いてお金を稼いでルウを迎えに来るつもりでお金を取らなかったのだと思う。
今回の二人だけの逃避行で娘のルウはお母さんとのかけがえのない時間を過ごせたけど、お母さんのカリーナにとってもこの二人での旅が大きな影響を与えたはず。
彼女は母親として間違いなく成長した。この数日の娘との旅で。子育ては親育てだ。人間は子育てすることによって大きく成長する。最初から完璧な親なんていない。親になる準備が十分にできて親になる人間なんていないし、ましてや思いがけず子供が出来てしまい心の準備はおろか子育てできる生活も成り立ってなかったりする。
このカリーナにしてもルウは思いがけずできた子供で、親になる準備も心構えもなく生んでしまったんだろう。親が未熟なままで子供を授かるのはけして珍しいことではない。それでも親としての自覚が生まれて四苦八苦しながら育てられる親ならいいが、みんながみんな同じようにできるわけでもない。中には不幸な結末を迎える場合もある。
だから赤ちゃんポストなるものも生まれた。親が自分で育てられない場合子供を引き取るシステム。せめて命を失うくらいなら社会が赤ん坊を守ろうというシステム。
ルウが暮らしていた施設の役割もとても重要。彼女は無断で抜け出したがちゃんと連絡を取っていて母親以上の社会性を身に着けていた。社会が親の代わりに彼女を責任ある子供に育てていたから、むしろルウの方がカリーナよりもしっかりしてる面があった。そんなルウにカリーナが諭される場面も。
おそらくカリーナは精神疾患とかで施設に入っていたのかもしれない。ロボットのように暮らしていたというのはそういう意味なのかも。でも娘を心配させたくないからハリウッドスターなんて噓ついたんだろう。
自分の子供を自分で育てるのが当たり前というのはある意味社会の常識だけどそれをできない人もいる。片親だけで頼れる親類もおらず、それで病気にでもなれば子育てなんて無理だろうし、またカリーナのように事情を抱えている場合もある。
社会に甘えるな、自己責任だと言われても犠牲になるのは何の罪もない子供だ。それを社会は見て見ぬ振りできない。
象は社会性のある動物で群れの中の子供を自分の子供でなくても互いに世話をするのだという。人間社会もこれと同じで他人の子供であってもけして見て見ぬふりはできない。
また会おうというカリーナの最後の言葉。次に会う時には彼女はちゃんとルウの普通のお母さんになれるはず。そんな希望を抱かせるラストだった。
とてもポップでチャーミングな愛すべき作品。ハチャメチャな二人の旅に心が癒された。
ロードムービーでも乗れない映画はある
女性2人が旅するロードムービーといえば「テルマ&ルイーズ」が思い浮かぶ。本作は母娘のロードムービー。しかも施設に預けられていた娘と、迎えにきた母が旅するというその設定だけで観たいと思ってしまう。
ところが個人的にはどうにも乗り切れなかった。ハリウッド女優だと語る母親の言動が気に入らないからかも。母親としてどうなの?と思うことが多い。ただ、娘のルーは母親になつく。久々に会えた母だから当然とも言えるのだが、やはり母親への愛に飢えていたのかなと納得するしかない。
母親が犯罪を犯した雰囲気を感じさせるが、明確にはそのことに触れていないので暗い感じにならないことが救いでもある。だから、母から娘、娘から母へとお互いが影響し合い、行動に変化が見える流れは悪くない。なのになぜだが退屈してしまう時間が長かった。タイミングが違えばもう少し印象も違ったかもしれないと思うととても惜しい映画だった。
親になる覚悟がないまま子供を作った場合
駄目だった。
鑑賞中、この母親にずっとイライラさせられてしまった。
そもそもハリウッドで成功するために娘を施設に預けてる時点で酷い(それも嘘かもしれないが…)。
娘を迎えにいくと事前に連絡しておいて、当日行けなくなったことは連絡無し。
仮にどうしても当日迎えにいけなくなるやむを得ない理由ができたとしても、連絡ぐらいは入れるはずで、それをしない時点で娘のことを本当には大事に思っていないことがわかる。
娘はずっと施設にいた方が良かったように思えた。
施設に対して不満に感じているような描写はなかったし。
むしろ落ち込んでいる時にみんなで励ましてくれて、素敵な場所にすら思えた。
ところが、娘はずっと母親に会えないことで、母親に対して幻想を抱いてしまっていたのが、不幸の始まりに思えた。
母親と一緒に暮らしさえすれば幸せになるはずと信じて疑わない様子。
親とずっと一緒に暮らしていても親と不仲な子供なんて世の中にいくらでもいると思うのだが、娘がそのことを知るのはもう少し大人になってから。
で、母親と娘が一緒に行動してからはあのザマ。
びっくりするほどの母親の幼稚性。
娘にやらせているのは犯罪の片棒。
でも、娘には母親が全てなので、母親を信じる道しかない。
親は育児能力がなくても子供は作れるわけで、そうすればこういうことも起きるという負の側面。
母親が娘を連れさった後、施設が娘に戻るようにしつこく言ってくるのも当然と思ってしまった。
最後の最後、娘が母親を反面教師にして成長が垣間見れたのはこの映画を観ていて良かったところ。
二人にしかわからない二人だけのかけがえのない特別な時間が愛おしい
ルーが健気でキュート
母親が、かっ飛び過ぎっていうか、突き抜け過ぎてて呆気にとられます。開いた口が塞がらない爆笑🤣笑笑
でも、そんな母親がルーの施設に来て、いきなり車🚗で旅しよう❗️なんて❗️突拍子も無いことを言う。そんな奇想天外な展開が好きだったりする🤣笑笑
ルーも本当の母親だから、母の突拍子も無い行動にビックリΣ('◉⌓◉’)しながらも、楽しそうに過ごしてる🍀☺️。。。そんな情景が好きだなぁ☺️✨
でも、お母さん、最後、実家のお金を強盗しては行けません❗️❗️❗️コレにはルーも怒る💢
ルーが、この旅で、お母さんに影響されずに自分自身をしっかり持って良識ある人に成長をしていってる姿が良い。
この映画は、最後振り返ると、けして悪くは無く考えさせられる映画🎞だと思います。
気持ちよく観れた。
最初はどうなることかと思ったけど、いわゆる暴力的な内容はなく、本当に悪い人も出ず、2人とも分かり合えたうえでのハッピーエンドといった感じ。
売春や暴力といった横道にいくらでもそらせられるし、そのほうが物語としては膨らむのにあえてそっちに行かなかったのかな。
そのおかげか、気持ちよく観ることができた。
「達観」した娘と「不完全」な母の二人旅
本作、鑑賞候補にはしていたものの公開週であった先週は残念ながら都合が合わず、今週は他に観たい作品が目白押しだったこともあって「配信待ち」にしようかと考えていたのですが、ムービーウォッチメン(TBSラジオ『アフター6ジャンクション』)の来週の課題作品となったことで急遽劇場鑑賞することに。ゴールデンウイーク前半の日曜10時40分の回、いつもなら敬遠しがちのヒューマントラストシネマ有楽町「シアター2」は満席か、それに近い状態だったと思います。
映画は一本の電話がきっかけで始まります。「ママがやって来る!」と思いがけない連絡に笑みが込み上げる11歳のルー(ローザ・ファン・レーウェン)。スタントも自分でこなす「ハリウッドスターの母」はルーの自慢であり憧れの人。別れの際、「すぐに戻る」と約束してくれた母の言葉を信じ、児童養護施設で多くの子供と一緒に養母(アイサ・ウィンター)に育てられたルーは、とても利発で真っ当な性格です。一方、ようやく姿を現す母・カリーナ(フリーダ・バーンハード)は奇想天外な言動で早速にルーを戸惑わせますが、そこは幼いながらに多くの他人に囲まれて育ったルーだけあって、すぐにどう接するのが正解なのかを察する能力に長けています。養護施設へ戻る気配を見せない母から話を聞きだせば、「ポーランドの母(ルーの祖母)の元へ向かう」と言い出すカリーナ。ルーは母を幻滅させないよう振舞いつつも、養母へも心配をかけないよう連絡を取りながら、映画にもなった実在の犯罪カップル「ボニー&クライド」になりきって母と二人のロードムービーが始まります。
本作は何と言ってもルー役・ローザ・ファン・レーウェンの可愛らしく繊細な演技が最大の見所です。予想の斜め上を行く言動の母が言い出す「私たちはボニー&クライド」設定に乗っかり、数種類のウィッグとサングラスでプチ変装する姿は微笑ましく、憧れの母との再会に心躍った様子を見れば当然にルーの幸せを願わざるを得ません。ところが、カリーナは幼かったルーを一人置き去りにしてしまうような「不完全な母」。娘をこれ以上ないほど愛してはいても、自分の人生を振り返って「理想と現実のギャップ」に苦しんできた経験から、ついつい浮ついた選択をしがち。そんな母を理解し、赦し、そして愛し続けるルーの「達観」は大人顔負けで神々しさすら感じます。ローザ・ファン・レーウェン、素晴らしい。
そして、星の数ほどある「ロードムービー」というジャンルですが、車内という狭くて代わり映えのしない画を補填するため、カーステレオから流れる音楽が良ければ一気に印象が良くなる重要な要素。本作も要所要所で流れる1960~70年代の楽曲はとても印象的で、帰宅して早速配信サービスで入手です。さらに、ルーのアクションに合わせて鳴らされる「ちょっと間抜けだけど、これだけ徹底されると最早可愛い」SE(サウンド・エフェクト)が癖になります。
と言ことで、必ずしも劇場鑑賞必須なタイプの作品ではありませんが、確実に観られるのは劇場でやっている今。配信待ちにしなくて良かった。そして、宇多丸さんの映画評も楽しみです。
全33件中、1~20件目を表示