プロフェッショナルのレビュー・感想・評価
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のれん分けをした老舗かと思いきや違う店
リーアムニーソン効果で見ました。
せっかくビールとつまみを用意したのに
いつものトラブル巻き込まれおじさんじゃなかったです。
アイルランドの歴史についての話になるので
多少何があったか知る必要があるのがめんどくさい。
同じ店名の違うラーメン屋。みたいな感じで
胃にもたれる。
まぁまたか。って層もいるんだろう。
内容としてはカッスカス(個人的)
リーアム・ニーソンに
はずれなし!のはずだったが、前作に続いて個人的にはイマイチ。
アマチュアより本作を観たかったが、近隣での上映はなく待望の観賞。
だが、プロフェッショナルじゃなかったな。
時代背景もあるとは言え、スタイリッシュじゃなくて圧倒的にB級感が漂う。
もはや彼に目を見張るアクションを望むのは酷なのかもしれない。
敵役の女性にも観ていてフラストレーションがたまった。
自分の思想に合致しないものはすべて悪。
それでいて自分のすることはすべて正当化。
左翼の思想は万国共通か。
リーアム・ニーソンでなければ、最後まで観るのも辛かったかも。
配信で十分すぎた。
罪と罰
時代は1974年アイルランド紛争の最中、足を洗おうとした元軍人の殺し屋フィンバー・マーフィー(リーアム・ニーソン)が住む北アイルランドの海辺の町に武装組織IRAのメンバーが逃げ込んでくる、メンバーの女ボス、デランが弟の仇フィンバーをつけ狙う・・。
どちらも人殺しなのだがIRAの方が市民迄巻き込むテロリストだからフィンバーの方が多少はましに思えます。独身の殺し屋のくせに猫を飼っている演出は、ハリウッドのシナリオの教科書にも載った「Save the Catの法則」にフィット、まさに善人ぽく思わせるためでしょう。物語は西部劇のようなアウトロー同士の抗争劇、悪をもって悪を倒すお話。
邦題のプロフェッショナルはプロの殺し屋フィンバーのことでしょう、原題のIn the Land of Saints and Sinners(聖人と罪人の国で)はまさに内戦で荒廃したアイルランドの惨状、おそらく聖人とはフィンバーの隣人たちのことで、フィンバーもデランも罪人の方でしょう。劇中でもドストエフスキーの小説「罪と罰」が出てきますが人間の内面的な葛藤や、罪と罰、救済といったテーマを探求し、人間の本質に迫るあたりは似たような感触の映画でした。
二択に失敗
忘れかけていたIRAの悲哀。
トレーラーとはちがう
96時間に代表されるスーパー暗殺者的なトレーラーだったがまったくちがう。アイルランドの田舎の人と自然の中で暗殺者として苦悩し引退する主人公。あくまでこれがテーマでありテロリストとの対決も地味。人の「罪と罰」とアクションが中途半端でした。
控え目なリーアム・ニーソン…
時代背景も去ることながら、一昔前の映画のようなスピード感。リーアム・ニーソンの年齢的な部分を加味したのか、単なるいつもの無双の殺し屋ではなく、殺し屋稼業に疲れ、平穏な生活で余生を過ごしたい男を描いている。IRAの姉も政治的テロであり、弟のために復讐する姿は単純な善悪では語れない。過去の所業が長くは居座れない運命、友との別れ、雄大な景色、音楽に寂しさを感じた
今回は控えめでしたね。
アイルランド
現題名は「聖人と罪人の地にて」と訳すことができる。
故に最後の「罪と罰」の本が生きてくる。
この物語はイギリス領の北アイルランド視点ではなく、アイルランド共和国側の視点で描かれているという点が重要だろう。
1970年代 IRAによる爆破テロが国際問題化していたころ。
歴史とは勝者の歴史、または統治者による一方的な視点となる。
アイルランド視点で見るIRAは、アイルランド島全体の統一と、イギリスからの完全な独立を目指す武装組織。
アイルランドのカトリック系住民を中心に支持され、特に北アイルランドにおけるイギリス支配に対する抵抗運動の象徴的存在だった。
故にIRAは単なるテロ組織ではなく、民族解放運動のひとつと考えられている。
特に1970年代以降の「暫定IRA(PIRA)」は、イギリス軍や警察による弾圧に対する防衛的な存在として、一定の市民の支持を得ていた。
この背景があってこの物語がある。
日本人にとってはほんの少しの知識しかないことで、この物語の解釈が多く気変わってしまうだろう。
彼らのテロ活動を支援する動き等々存在する。
主人公フィンバーもまた、アイルランドのために敵を暗殺する仕事に就いていた。
フィンバーは人を殺しことに対し罪の概念を持つようになっていた。
これがこの物語のひとつの軸となっている。
敵役のIRAはベルファストで爆破テロを成功させてこの地で身を隠していた。
そのひとり、デランの弟の行方が分からなくなったことでフィンバーとIRAが争うことになる。
アイルランドという国のためにテロを続けるデラン
その意志は固い。
同時に弟の面倒も見る。
その延長線上で起きたトラブルが、この物語であり、一番大きな軸
若い暗殺者ケビン
殺しを簡単なものとし、女まで殺した経験がある彼を、フィンバーは良く思わない。
しかし彼との会話で彼への印象を少しずつ変える。
ここも一つの軸
くだらないやつだと思っていたケビンだったが、腕の良さ、やると決めらた逃げないことなどがフィンバーの見方を変えてゆく。
リタとは、アイリッシュの代表だろうか?
フィンバーの職業よりも、彼の生き方に共感する。
フィンバーもまたアイリッシュの代表だろう。
弱きを守り強きをくじく。
ただ、
彼のしていることそのものは罪深さを拭えない。
だからデランを殺すことなく、弟の隣に埋める。
二人は同じ目的で殺人をしてきた。
戦争
彼らの背景にある戦争
それがもたらす狂気と惨劇と作り続けられる復讐の連鎖
この55年前の傷は今もアイリッシュの心に影を落としているのだろう。
こんなことが55年前には普通にあった。
聖人とはキリスト教の聖人たちのことだろうか?
敬虔なカソリックのいる場所で起きる戦争
デランは「神は私のした正しいことをわかってくれる」と言った。
しかしフィンバーは、彼女のその言葉に同意したい部分と、「罪と罰」に書かれている内容とを考え罪悪感が拭えない。
割り切れない気持ちこそ、フィンバーの中にあったものだろう。
自分の身代わりに死んだケビンの不条理も心の中にあっただろう。
友人の警察官ビンセントは、フィンバーの「本質」を見抜いていた。
彼らがこの地へ逃げ込んだ際に壊した看板は新しく立て替えられた。
古くなったり壊れたりしたものはまた新しくなってゆく。
アイリッシュの歴史 イギリスの植民地
これに抵抗したIRA
しかし、
血で血を洗うことはもう終わりにしようというのが、この作品だろう。
おそらく日本人にはわからない闇の深さがある。
だから、ひとことで評価できないが、この物語の深い傷跡は感じることができるように思う。
原題は「聖人と罪人たちの地で」
出演量産のリーアム・ニーソンの最近の作で、題名が「プロフェッショナル」‥
これは正直殆ど期待せずに見ました。
ですが、鑑賞したらとても良かったです。
荒涼だが美しい風景あり
日々の生活の穏やかさと楽しみ、老いの哀しみあり
日常の中での常軌を逸した内幕あり
人でなしにも、心あり、事情も言い訳もあり
友人あり
そして強く優しいが、強すぎず、また非情な冷酷さも日常なニーソン(ここ大切)
物語進行に緊張感があったので小さい画面にも関わらず、冗長さも感じず観られました。
まあ残念ながら、最近不可避的に観る側としての歳や心理環境も映画の批評に影響されてしまうので、評価に多少心情同調フィルタがかかっているかも知れません(勿論私は哀しい殺し屋でも強く優しい漢でもありませんが)。
リーアム・ニーソンの故郷、アイルランドを舞台に。
1970年代のアイルランドが舞台です。
この映画は、爆破活動などの過激なテロ活動で、恐れられた
IRA(アイルランド解放戦線)の残党が逃げ込んだ村。
その村で密かに殺し屋家業を生業とするの
フィンバー(リーアム・ニーソン)。
パブの女の幼い娘がIRAの男からDVを受けていることに怒りが爆発。
フィンバーは男を殺して埋める。
そのことを知った男の姉はフィンバーに復讐を企てるという話し。
IRAと聞くとIRAの指導者で暗殺された「マイケル・コリンズ」を
演じたリーアム・ニーソンが1996年ベネツィア国際映画祭で、
男優賞を受賞したことを思い出しました。
今回はIRAを倒す側。
「マイケル・コリンズ」は当時、英雄視されていたので、ちょっと
寝返った気がしてしまいます(笑)
アイルランドの寒村の海沿いを走る光景がとても美しくて
雰囲気のある良い映画でした。
そんな寂れた田舎町に殺し屋を差配する男がいる。
その黒幕は誰か?
なんの目的の殺人なのか?
殺し屋が職業として成り立つのか?
などの背景をもう少し描いて欲しかった。
西部劇や黒澤明の「用心棒」でも、黒幕の悪代官や悪保安官などの
【敵】が明白なのですが、この映画はその点が甘い。
なんとも物騒な村ですね。
【敵】は逃れてきたIRAなのですが、もう少し村人たちが、
IRAを【憎っくき敵】として感じているなどを描いて欲しかったです。
リーアム・ニーソンは、IRAの赤い車体に黒の屋根の車を奪って、
西部劇のように去っていくのです。
村に平和が帰って来たのだから、結果オーライなのでしょう。
会話にユーモアと余韻もあり、感動しました。
何がプロフェッショナル?
IRAを背景としたことで増す苦み
邦題とTVスポットが酷すぎる
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