JOIKA 美と狂気のバレリーナのレビュー・感想・評価
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すべてを捧げ芸を極める姿勢は狂信の域へ
バレエファンを除き日本での知名度は低いと思われるが、アメリカ人バレリーナであるジョイ・ウーマックの比較的最近の実話。世界3大バレエ団と称されるロシアのボリショイ・バレエ団で伝統的に外国人には困難なプリマになるべく、人生のすべてを捧げて挑む姿を描く。
ジョイ本人は2009年に15歳で単身ロシアに渡り、ボリショイ・バレエの養成学校であるアカデミーに入学。それからの激動の約10年間がまず2020年のドキュメンタリー映画「Joy Womack: The White Swan」で紹介される。これを観たニュージーランド出身のジェームス・ネイピア・ロバートソン監督が劇映画化を決意し、本人への粘り強い交渉の末に映画化権を獲得。それだけでなく、脚本開発への協力、振付、さらにタリア・ライダーが演じる主人公のダンスシーンのダブルとしてもジョイ本人が参加することに。ダンスダブルに関しては、2022年の撮影時に彼女が20代後半で現役トップダンサーであることも有利に働いたはずで、イギリス・ニュージーランド合作の本作が実現するまでのスピード感に驚かされる。
ジョイ本人が一部のシーンでダンスダブルを務めたものの、2002年生まれの主演タリア・ライダーも長くコンテンポラリーダンスのトレーニングを積んだ才能豊かな演者だ。3歳の時からずっと踊り続けてきたと語る彼女は、12歳でブロードウェイミュージカルのオーディションに受かり舞台女優としてのキャリアをスタート。短編映画1本を経て、「17歳の瞳に映る世界」で長編映画デビューを果たす。望まぬ妊娠をした従妹を助けてニューヨークまで一緒に旅する準主役で、2019年の撮影時は16歳。その歳であの強い意志を秘めつつも醒めた眼差し、達観したような表情を見せていたのだと思うと改めて早熟ぶりに驚嘆する。スティーヴン・スピルバーグ監督作「ウエスト・サイド・ストーリー」でも、ダンス演技があるジェッツのメンバー役をオーディションで射止めた。
ライダーは「JOIKA 美と狂気のバレリーナ」の主演が決まってから、1年かけてクラシックバレエをジョイ本人を含むトップダンサーたちから学んだ。また、ボリショイ・アカデミーで教師ヴォルコワを演じるダイアン・クルーガーも、少女時代にバレリーナを夢見て英ロイヤル・バレエ・スクールに合格したが、怪我で断念し演技の道に転向した経験を持つ。トップを目指すジョイと指導するヴォルコワ、それぞれを演じるライダーとクルーガーによる迫真のパフォーマンスも映画の大きな見所だ。
過酷なレッスンと絶え間ない怪我、激痛に耐えながら高みを目指す主人公の姿は、同じくバレエの世界を題材にした「ブラック・スワン」を容易に想起させるが、鬼のように厳しい指導者に執念で食らいついていく主人公という点ではデイミアン・チャゼル監督作「セッション」も思い出す。ジョイ本人はインタビューで、バレエは神に与えられた天職であり宗教に近いところがあると語っていた。芸能であれスポーツであれ、超一流になるために人生のすべてを捧げ、自らの心身を削ってでも技や芸を極めようとする姿勢は、一般人の感覚からするともはや“狂信”の域のように思えるし、そうした高みに届いたアーティストやアスリートの非凡なパフォーマンスを目撃するとき、私たちは聖者が起こす奇跡のように感動するのだろう。
タリア・ライダーは現在22歳。今後の飛躍がますます楽しみな若手スターだ。
愛すべきふてぶてしさ
映画製作における永遠の命題
映画製作における永遠の命題がある。
〈本物が芝居を習うか、役者が技術を習うか〉
特に身体表現を主題とする本作のような作品を企画・開発する際には、
この問いが常に付き纏う。
そして、ストーリーテリングにおいても、
観客の共感を呼ぶ劇的な脚色を選ぶか、
あるいは実話の持つ生々しさや不条理さを含め、
事実に忠実なシナリオを貫くか、議論が繰り返される。
本作『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』が選んだ方法は、
これらの問いに対する一つの明確な回答であり、
その選択こそが、
この映画を単なるサクセスストーリーや感動作品とは一線を画す、
独特のリアリティを持つ作品となっている。
キャスティングにおいては、
本作はバレエ経験のある俳優
(俳優訓練の一環で習得した可能性もある)、
タリア・ライダーを主演に据えつつ、
主人公ジョイ・ウーマック本人の身体操作を吹き替えとして前面に押し出すという、
非常に挑戦的な手法を採用した。
これは、単に役者に技術を習得させる、
あるいは技術者に演技をさせるという従来の二元論を超え、
演技者としての情感表現と、
世界最高峰のバレエ技術に裏打ちされた〈本物の身体操作〉が発する説得力を融合させようとする試みと言える。
シナリオは、
ジョイ本人のたどった実話に基づいているため、
その道のりは極めて劇的である。
しかし、
本作の演出は、徹底したストイックさ、
不必要なけれん味を排除したリアリズムに貫かれている。
感情を過度に煽るような音楽やモンタージュは極力抑えられ、
ボリショイバレエ団という特殊な世界の厳しさ、
指導者たちの容赦ない言葉、
そして何よりも主人公自身の孤独な努力と内なる声に静かに焦点を当てる。
葛藤はセリフよりも足元のヨリに忍ばせるような、
感動作として観客の涙を誘うことを目的とするのではなく、
バレエという芸術に人生を捧げる一人の人間の、
過酷ながらも純粋な探求の過程を、
冷徹なまでに誠実に描き出そうとしている。
後半の舞台シーンを含むバレエ描写における音響効果もまたストイックだ。
オーケストラの華やかな調べではなく、
効果音のような一定のミニマルな音楽のみが流れ、
そこで強調されるのは、床を踏むトウシューズの音、
激しい呼吸、そして筋肉、骨の軋みにも似た微かな音である。
これは、バレエが単なる視覚的な美しさだけでなく、
研ぎ澄まされた肉体と精神が発する「音」の芸術でもあることを示唆すると同時に、
観客の注意をダンサーの身体そのもの、
その努力の痕跡へと向けさせる。
バレエ経験者はもちろん、
スポーツ未経験者でもケガに関しては、
この音が持つ意味、
その裏にある途方もない日々を容易に想像できるだろう。
観客にとって、この作品は単なる映画を超え、
自らの経験と重なり合う共感と再認識の機会となるはずだ。
そして成功や栄光の陰にある、
見過ごされがちな現実や苦悩に光を当てる本作の姿勢は、
現代社会におけるあらゆる分野のプロフェッショナルが直面するであろう問題とも共鳴する。
まとめ
『JOIKA 美と狂気のバレリーナ』は、安易な感動を排し、
ドキュメンタリータッチの硬質な視点でバレエの世界、
そしてそこで生きる一人の女性の姿を描き切った作品である。
製作陣が選択した、演技と身体操作の融合、
そしてリアリズムを追求した演出は、
観る者にバレエの「美」だけでなく、
その美を生み出す「狂気」とも呼べるほどの情熱と、
それに伴う犠牲、
そして研ぎ澄まされたプロフェッショナリズムの真髄を鮮烈に焼き付ける。
一般的なエンターテイメント作品ではないかもしれないが、
その誠実さと独自のスタイルは、
バレエという芸術の奥深さ、
そして人間の可能性と限界について深く思考する機会を与えてくれる作品といえるだろう。
狂気乱舞
鋭い針で皮膚をチクチクと刺される様な痛み。
幼く愛らしい女の子が、パパとママの前でくるりと回って見せて、ハイにっこり。思わず頬摺りしたくなるような可愛いジョイは、ボリショイバレエ団のプリマバレリーナ、憧れのオシポワのようになりたいだけの夢見る少女だった。しかしボリショイの城壁は灰色に厚く重く、現実は非情冷酷で悪意の蔓延する世界だった。
狂気や執念と結論付けてしまうには、余りにも痛々しく繊細なジョイの姿。自己の肉体の限界を越えて鞭打ち血を流し、尚トゥシューズで舞い続ける。恋愛も結婚もバレエへの愛の深さには届かない。彼女がロシア国籍を得る為に夫となったニコライは少々不憫だったが、役を得る為に身を売る寸前に思い留まった彼女には安堵させられた。
ダイアン・クルーガー演じる、ボリショイアカデミー校の教師ヴォルコワは氷のような女だが、彼女もまたボリショイの犠牲者だったのだ。今作に、身体も感情も絞って役作りをしている。因みに私は、“敬愛なるベートーヴェン”の彼女に最も心を奪われている。
如何にしても二人の女優、タリア·ライダーとダイアン・クルーガーがこのバレエ作品を美しく魅惑的にしている事に間違いは無い。
戦慄のサイコ・バレエではなかった!
ロシアのボリショイ・バレエ団に入るべくやってきたアメリカ人バレリーナのジョイ。
アメリカから単身乗り込むくらい気合いが入っているため、
先生の超きっついシゴキにも耐えるし、
バレエシューズにガラス片を入れられたり、大事な日の朝に目覚まし時計を盗まれて
遅刻させられたりと、イジメというか蹴落とそうとするライバルも必死だけど
ジョイは全然負けてない。
その負けてなさっぷりが凄いのは、
ボリショイにはロシア人しか入れないと身をもってわかったときに、
ロシア人男性と結婚してロシア人になるところ。
これは相手の男性及び家族には失礼極まりないし、ジョイが失望のどん底にいたときに
「あんた夫でしょ」的なことを言うのもどうかしているクレイジーさ。
ボリショイに入ったはいいが、パトロンを見つけなきゃねとか言われて、
その気になるも、土壇場で逃げるところは、ちょっとは人間らしいところもあるんだなと
思った。ま、その影響たるや、夫やら先生やらにも波及し、
自分自身は裏切り者扱いされるから、自業自得感はある。
ラストは先生のおかげで再び舞台に立ち、自分の居場所はここだ!的な
きれいなエンディングだけど、いやいや、相当おかしいことしてまっせ、ジョイさん。
美と狂気はなるほどと思ったけど(特に狂気はまさに!という感じ)、
戦慄のサイコ・バレエじゃなかった。
↑
これにミスリードされて、ホラー寄りのスリラーなんじゃないかと勝手に期待していただけに
その点は残念だったけど、最初から最後まで一気に楽しめたので、この評価にした。
主役のジョイをタリア・ライダーが演じているが、ほとんど笑顔がなく、つらい表情が多かったのが
しょうがないけど残念。
【"ブラックスワン、ボリショイバレエ団実話バージョン”ボリショイのプリマドンナに憧れるアメリカ人少女が闇に引き込まれて行く様が恐ろしくも、少女を演じたタリア・ライダーの魅力炸裂作品なのである。】
ー 冒頭、”実話に基づく”というテロップが流れるのだが、フーンと思いながら鑑賞していたら、これがマア、とんでもなく恐ろしい作品でありました。-
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・アメリカから来たボリショイのプリマドンナ、オシポア(ご本人登場)に憧れるジョイ・ウーマック(タリア・ライダー)。
ボリショイバレエ団に入るために下部のバレエ団に入るが、ライバルたちの嫌がらせがマア怖い。トゥシューズにガラスの破片が入っていたり、目覚まし時計を隠されたり・・。
又、ライバルたちも、トイレで吐いて体重を減らしているのである。
そして、容赦ないコーチ、タチアナ(ダイアン・クルーガー:数か国語を操るドイツの名女優。余り映画に出てくれないが秀作多数。特に「女は二度決断する」は、必見である。)のスパルタ指導と、容赦ない人選。だが、後半に彼女の哀しき過去が彼女自身から語られるのである。
・そんな中、ジョイは同じ団のトップ男性ダンサー、ニコライ(オレグ・イヴェンコ:旧ソ連の名ダンサー、ルドルフ・ヌレエフが亡命する様を描いた「ホワイト・クロウ 伝説のダンサー」でヌレエフを演じた人。動きが衰えていません。)と恋仲になるが、彼から言われた言葉、”ボリショイに入るには実力だけではなく、政治が必要。”
そして、自分がボリショイに入団できると思ったら、男性はニコライだけで、女性は該当者なしと結果が貼りだされる。
この辺りから、ジョイの顔つきが変わって行くのである。
そして、彼女はニコライに結婚してくれと迫り、無事に結婚。そして、彼女はボリショイバレエ団に入団するのである。
・だが、念願のプリマドンナには、マダマダで群舞の一員のジョイ。そんな時に舞台監督の男から声を掛けられ、”生活が大変だろう?”と大金を渡され、”ゆっくりと話しをしよ・・。”と誘われるが、ギリギリ断ると、ナント、ボリショイバレエ団との契約を破棄にされる。序でに彼女を推薦したタチアナも契約を切られるのである。
そして、アメリカの新聞記者から退団の真相を話すインタビューを受けるのだが、それが逆にボリショイバレエ団の怒りを買い、”裏切り者”と呼ばれ、ゴシップ新聞のトップに写真が出てしまうのである。
ボリショイバレエ団、ドロドロです・・。
・そして、タチアナはジョイを自宅に呼び、自分が且つてバレリーナでありながら断念した事、娘も極度の体重減により拒食症になった事を告げた後に”ヴァルナ国際コンクー”で、”ドン・キホーテ”を演じる事を提案するのである。
彼女はその条件を飲み、舞台に立ち、男性ダンサーと”ドン・キホーテのパ・ド・ドゥ”を踊るシーンで、以前”貴女の足は練習し過ぎで、疲労骨折の可能性がある。”と警告されていた右足を高い跳躍をし、着地した時に、骨折してしまうのである。
そして、彼女は一度、舞台の袖に入り、米国から駆け付けた両親が"帰国しましょう”と言う中、松葉づえをつき挨拶するシーンを思い浮かべるが、ナント、怪我した足を軸に見事な回転を披露するのである。
彼女の表情は、それまでの狂的な思いつめた表情ではなく晴れやかで、会場からは万雷の拍手を浴びるのである。あーすっきりしたなあ。
<今作は、ボリショイのプリマドンナに憧れるアメリカ人少女が闇に引き込まれて行く様をキッツい多数の描写で描きながらも、アメリカ人少女ジョイを演じたタリア・ライダーと容赦ないコーチ、タチアナを演じたダイアン・クルーガーの魅力が炸裂する作品なのである。>
生々しさ
東京医大+フジテレビ=ボリショイ・バレエ団
前半は東京医大の女性差別入試のことを思い出した。
やってる側は合理性を追求しているつもりだと思うが、やられている側からすれば青春を懸けてきた努力を理不尽に否定させるわけで、到底納得できない。
被害者の視点に立てば、酷いことなのがよくわかる。
それに対する主人公ジョイの対処法には「その手があったか!」と度肝抜かれた。
この映画は事実に基づいているらしいが、これも事実ならそりゃ凄い。
前半のヤマ場は、誰もが認める才能を持つライバルとジョイの一対一のバレエ対決の場面だと思っていた。
ジョイはその勝負に勝つため、常軌を逸した秘密の特訓までしていた。
通常の作品であれば、「ライバルは凄い、だが主人公がそれを凌駕」といった感じで盛り上がる場面だと思うが、この映画はそうではなくて残念。
後半の展開は今の時期はどうしたってフジテレビのことを連想してしまう。
ジョイがパパ活みたいな行為をしている最中、男がジョイの肌を触り始めた瞬間、ジョイは咄嗟に化粧直しを理由にトイレへ退避。
その後のトイレでのジョイの行動が、まるで主役の座を掴むために倫理観や良心を殺そうとしているようで、切なかった。
ここまで観てたらポリジョイ・バレエ団なんてクソだからさっさと辞めるべきだと思うのだが、憧れというまやかしに囚われた人の悲劇に感じた。
教師による体罰を伴った指導の場面など、2015年公開の『セッション』を髣髴とさせるが、個人的に最も『セッション』っぽいと感じたのはラストの展開。
「長く穏やかな人生」を選ぶか、「今、目の前にある煌めき」を掴むかの選択。
親と教師の間で主人公が揺れ動くのも似てる。
親と教師が「天使と悪魔」のように見えた。
正直、バレリーナ描写は2011年公開の『ブラック・スワン』、スポ根描写は『セッション』に負けていると感じた。
題名は「美と狂気」でよいのだ。
女性同士のおとしめ合いのドロドロを期待しながら見に行った。
バレエシューズにガラスを入れられたり、目覚まし時計を隠されたり、唾を吐きかけられたり、古い少女漫画にありがちな、お約束のシーンが楽しい。
しかし、この映画のメインはそれではない。
JOIKAの野心、自分の価値を証明したいという野望、その強烈さだ。
JOIKAはロシア人になるためにダンサーに求婚する。愛はなかったわけではないとは言えだ。
夫の男性はJOIKAを殴るが、「ただ踊りたかったの」と言われて、俺は何だったの!、になるのは当然だ。
大物プロデューサーに身をゆだねることが出来なったが(まだ人妻だった)、JOIKAはそれを想定してディナーをともにしたはずだ。
JOIKAの根性サクセスストーリーではない。
あの世界でのし上がっていくには、狂気が必要なのだ。
JOIKAが上がっていくたび、よそ者であるJOIKAがロシア人を蹴落とすことになる。
痛みを忘れたバレリーナはバレリーナではない、とは常に痛みを感じ続けよ、である。
狂気でなくてなんだろう。狂気を伴わない美をせせら笑うようだ。
ボリショイのアメリカ人
素晴らしいの一言
「ジョイよ、ボリショイの星をつかめ」これはスポ根映画ですね
身体の心の悲鳴が止まらない
美しいバレエ•シーンに刮目せよ!! ボリショイ•バレエ団のプリマを目指したアメリカ人バレリーナの物語
いやあバレエ•シーンが美しかったですね。眼福でした。実際にボリショイでプリマを目指したジョイ•ウーマックさん本人もダンサー•ダブルで出演してたみたいです。
さて、鑑賞後、ボリショイ•バレエ団のことを調べてみて思わず笑ってしまいました。ボリショイ•バレエ団は1776年にモスクワにて創設されています。この1776年というのがなんとまあアメリカ合衆国建国の年なんです。つまりボリショイ•バレエ団はアメリカ合衆国と同じ長さの歴史を持っているということです。本篇中ではアメリカ人がボリショイに入れないのは政治の問題みたいなことを言ってましたが、それもあるにしろ、文化とか伝統とかの文脈でも語られなければならないことのように思えてきました。団員はともかくとして、ボリショイ•バレエ団のプリマはロシア人でなければならないというのは、ダブル•オー•セブンでジェームズ•ボンドを演じる俳優はイギリス人でなければならないというぐらいの説得力はあるように思われます。
本篇中のボリショイ関係者の行動でアウトと思ったのは、一部の指導者が団員女性をパトロンの富豪と思われる男性に斡旋していたことです。まるで、日本の某テレビ局の幹部社員が某タレントにしていたことのよう。決して許されることではありません。250年近い歴史を誇る世界トップのバレエ団ですのでこのあたりのところは浄化されていればよいのですが。
サブタイトルにあった「狂気」という言葉が少し気になりました。確かにジョイさんはボリショイ•バレエに信仰といえるぐらいに傾倒し、異常なまでに稽古に打ち込んでいたのです(一流のアスリートがよく使う「休養も練習のうち」という言葉をかけてあげる人が彼女の周囲にはいませんでした)が、人間としての尊厳は失っていなかったと思います。だからこそ、ボリショイから離れた後、世界のトップ•ダンサーとして成功できたのだと言えましょう。また、恐らくは、ボリショイ•バレエ団は今後も世界に冠たるバレエ団として君臨してゆくことでしょう。結局、ジョイ•ウーマックさんとボリショイ•バレエ団との関係というのは、身も蓋もない言い方になってしまいますが、「良き縁ではなかった」ということでしょうか。
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