「沖縄に行くと日本が見える」という筑紫哲也の言葉から、沖縄の取材にはまり込む事になったTBS報道局の佐古忠彦監督が、琉球放送とともに、大田昌秀、翁長雄志という2人の知事の姿を通して、今に続く沖縄の現代史を描いたドキュメンタリー作品。
監督のアフタートーク付き上映で鑑賞。
(今日は、本館の方は、face to aceの浴衣祭り2025のライブのため、トラゥム・ライゼの方で)
沖縄取材歴30年というだけあって、佐古監督が生前の両知事に直接取材を重ねた取材記録と、琉球放送に残された膨大なニュース映像のアーカイブ、そして両知事に関係する人々の証言から構成された重厚さで、沖縄が何と戦ってきて、何を背負わされ続けてきたのかを描き出す。
革新系だった大田昌秀第4代知事と、もとは自民党の保守本流にいた翁長雄志第7代知事。
イデオロギー的には正反対の、県議会でバチバチにやり合った2人だが、結果的にはどちらもオール沖縄の中心となって、同じような言葉を語るようになっていくところに、2人の沖縄県知事としての責任感が伝わってくる。
他の方も書かれていたのを目にしたが、佐古監督のアフタートークでは、県議会の場で、大田知事に「沖縄の知事なら、ウイスキーではなく泡盛を飲むべきだ」と迫ったというエピソードが紹介された。そこまで揚げ足を取るような攻撃をしてきた翁長氏に対して、個人的には許せない気持ちがあっても、知事となってからの取組にはエールを送ったという大田氏にウルっときた。
この映画、様々な論点があるのだが、自分が最も考えさせられたのは、「多数決」についてだった。
大田知事が、筑紫哲也を交えて、岡本行夫氏と対談する場面で、「1人の命も100人の命も重さは変わらない」という大田氏に対して、岡本氏は「いや、より多くの命をいかに救うかを考えるのが政治だ」と返す場面があった。
確かに岡本氏の言うことはもっともだが、大田氏が言いたかったのは「“100人のためにお前1人が犠牲になれ”ということを、正しいと思っているのか?」ということだろう。
人口比1%の沖縄は、ずっと防衛の最前線を担わされ続け、基地問題に関わる人道的なトラブルにも晒され続けてきた。
その切実な1%と、無関心の99%が一緒に行う多数決の結果は、真に民主的な「民意」と言えるのだろうか。
それが、この映画で自分が最も考えさせられたことだった。
今も続く基地問題と沖縄に影を落とす日米地位協定の問題は、関係ないと思う人には、全く関係ない話であり、それはそのまま、あらゆるマイノリティや、あらゆる人権の話にもつながる。
もうしばらくで、参院選となる。
歴史ある既成政党が苦戦し、華々しく見える新成保守政党が大躍進の気配だ。
トランプの躍進同様に、「保守」と呼ばれる層の中から、ルールを破壊するような「革命的な行動」を起こすことを期待させる一団が生まれ、人々の差別的な感覚に働きかけて、爽快感と誤認させるような振る舞いで支持を得る風潮が、日本でもいよいよ強まったということだろう。
対して「革新」と呼ばれる政党は、例えば、未だに実現していない憲法の公正公平な理念を守り抜こうと訴えると、それは表面的には、逆に何も変わらない振る舞いに人々には映り、それがどんなに自分たちを守ることにつながっていこうとも、人々の支持が得られなくなっていく結果が透けて見える。
こうした選挙に象徴されるように、ある意味、民主主義の中で多数決は絶対だ。
それでも、やはり、「より民主的な多数決」のためには、切実な1%の声を聞き合うことが大切だと、本作を観て改めて思った。