果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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作者の手には余ったテーマだったのか?
自分以外は一人というほぼ貸し切り状態で見ました。平日の午後とはいえちょっと少ないですね。
映像や音は映画らしくゴージャス。CG作画も気にならないし、アクションシーンではその特徴がよく生かされていると思いました。
懸念だった主役二人の演技は思ったよりもずいぶんマシ。芦田さん演ずるスカーレットの、予告編における弱々しい声で印象の悪かった「復讐を…果たさなければ」は地面に倒されて苦しい状態で言った言葉なので、演技としてはむしろ正しい。それ以外の場面でも本職の声優に比べれば発声に不安定さはありますが、感情の乗らない棒演技ではまったくないので、及第点といえるでしょう。
問題はやはりシナリオだと思います。人生や愛といったかなり大きく根本的なテーマに対しての結論が弱いんですね。悪役の叔父王は最後まで悪いままで主人公との和解も何もないし、倒すのは本人じゃないし、何かを成したり成長したりということもない。途中の歌でも出てくるテーマの連呼が観念的なプレゼンテーションにしかなっていません。最後の場面で女王となった主人公の演説に説得力がないのもそのためです。
そういったおとぎ話のような結末でしめるのであれば、16世紀のデンマークという現代と地続きの世界ではなく、架空の世界にするべきだったのではないかと思います。
死者の世界が現実とあまり変わらないのも混乱します。普通に食事したり楽器を弾いたり、あるいは武器で戦ったりしていますが、それらのものや食べ物はどこから得ているんでしょうか。死んでから来る世界なのに、叔父王や王の取り巻きまでが来ているのも変ですね。ここまで差がないのであれば、単に文明の届かない辺境の地にでもした方がよかった気はします。あと、言葉の壁がないというか最初から自動通訳のように意思が通じていたのに、フラダンスの場面だけ急に外国語になっているのはどういう理屈なのかと。
というわけで、粗を探せばいくらでもある不出来な作品なのは確かですが、ここまで客の入りが悪いのは不思議ではあります。前評判の微妙さと公開直後の不評のダブルパンチなのかなあ?
酷評を信じてはいけない、これは細田監督の最高傑作だ
正直に言います。映画館に行く直前まで、私は迷っていました。
ネットを開けば目に入ってくるのは「意味がわからない」「期待外れ」といった酷評の嵐。SNSでも否定的な意見が目立ち、正直なところ「今回はハズレなのかな……」と、期待値ゼロで席に着きました。
しかし、エンドロールが流れる頃、私は涙でスクリーンが滲んで見えなくなっていました。
**すごいものを観た。**
ただその一言に尽きます。ネットの評判なんて当てにならない。いや、むしろこの作品の真価は、表面的なストーリーを追うだけでは見えてこない深淵にあるのかもしれません。断言します。これは、細田守監督の過去一番の名作です。
**日本人には難解だった?メタファーの正体**
なぜこれほど評価が割れているのか。鑑賞中、その理由がなんとなく分かった気がしました。この映画は、極めて抽象的な「メタファー(暗喩)」で構築されているからです。
劇中で圧倒的な存在感を放つ「龍」や、物語の鍵となる「火山」。これらは単なるファンタジーのギミックではありません。あれは明らかに**「天災」のメタファー**です。
私たち日本人は、震災や台風といった逃れられない自然の猛威と隣り合わせで生きています。龍が暴れ、火山が火を噴くとき、それは理不尽に奪われる日常や命そのものを象徴しています。一見すると唐突に見える演出も、メタファーの全てに意味があり、一つとして無駄なシーンはありませんでした。
**「私たちみたいな子どもが死なない世界にする」**
主人公が叫ぶこの言葉。これが本作の核です。
天災という抗えない力によって、未来ある子供たちが犠牲になる悲しみ。その理不尽さに対して、人間はどう向き合うべきなのか。監督はファンタジーというオブラートに包みながらも、現代社会が抱える最も重いテーマを私たちに突きつけてきます。
**時を超えた、魂のラブストーリー**
そして、この物語は壮大なラブストーリーでもあります。しかし、それは単なる男女の恋愛ではありません。時を超え、生死の境界さえも超えて繋がる、魂の結びつきです。
劇中で語られるメッセージが胸に刺さります。
**「憎しみに囚われるより、君の人生を大切に生きて。自分らしく、のびのび輝いてほしい」**
愛する人を失った時、残された者はどう生きるべきか。悲しみや憎しみに心を支配されるのではなく、その分まで「自分らしく輝く」ことこそが、逝ってしまった人への最大の愛なのではないか。そう問いかけられているようでした。
**生も死も交わりあう、今までに見たことのない「別れ」**
この映画の世界観は独特です。「生」と「死」が断絶されたものではなく、グラデーションのように交わり合っています。
特にクライマックス。あんなにも美しい別れのシーンを、私は今まで観たことがありません。悲しいはずなのに、どこか温かく、光に満ちている。それは「死ぬとは何か」「生きるとは何か」という根源的な問いに対する、監督なりの一つの答えなのかもしれません。
**人間とは、愛とは**
『果てしなきスカーレット』は、単なるエンターテインメント作品の枠を超えています。
* 人間とは何か。
* 死ぬとはどういうことか。
* 生きるとはどういうことか。
* そして、愛とは何か。
哲学的な問いを、圧倒的な映像美と音楽に乗せて浴びせられる2時間。観終わった後、世界が少しだけ違って見える。そんな映画体験でした。
もし、ネットの評価を見て迷っている人がいたら、どうか自分の目で確かめてほしい。そこには、あなたの心を揺さぶる「真実」が隠されているはずです。
リアリティなきファンタジー
11月22日に映画館にて鑑賞。
すみません、とても長くなります。
ことさら作品を腐すわけでなく、さりとて持ち上げるでもなく。
感じたありのままを一生懸命レビューします。
シェイクスピアの悲劇「ハムレット」をモチーフとしつつ、「過去にとらわれず未来に向かうために誰かを、何かを許せるか」という青臭くも普遍的なテーマを取り扱った本作は、エンドロールが終わり館内に照明がついた後の私に多くの疑問を残した。
①序盤の布石が弱くないか?
この物語の肝の1つである「復讐心からの解放と許し」というテーマを存分に表現し切るには、スカーレットと生前のアムレット王との絆がどれほど強かったのか、クローディアスがどれだけ卑劣な手段でアムレット王を陥れたのかを丁寧に描く必要があった。そうでないとスカーレットのクローディアスに対する強い復讐心が観客側に共感されにくく、最後に復讐の執着から解き放たれるカタルシスが弱くなるからだ。
しかし、それら重要な序盤の布石はどれもダイジェスト的な見せ方に終始。例えばスカーレットとアムレット王の絆は、似顔絵を片手にキャッキャウフフという極めて記号的でテンプレート感の強い描かれ方しかされていない。
また、クローディアスは隣国との協調路線を打ち出すアムレット王に公然と反発するものの、その激しい反発心の背景が掘り下げられることはなく、イマイチ伝わってこない。さらには、クローディアスがどれだけ卑劣な奸計でもってアム王を反逆者に仕立て上げ処刑台に送り込んだのかも明らかにされない。単にアムレット王の説明的な台詞の中で「クローディアスが自分を反逆者に仕立てあげた」ということが語られるのみだ。
これでは、スカーレットがクローディアスに対して抱く憎悪と復讐心の強さを共感しにくい。脚本家:細田守の中では「ハムレットをモチーフにしているのだから、主人公が叔父に復讐を誓うまでは当然の前提条件」という理屈なのかもしれないが、登場人物の描写があまりにも淡泊過ぎたせいで、最後まで私はこの世界の人物に没入することができなかった
②「設定のための設定」でしかない世界
この物語のメインの舞台となる「死者の国」が出てきてから最後まで、私にはその場所が何なのか一向に腑に落ちなかったために、最後までずっと首を傾げてしまった。
死者の国では砂漠と荒野と廃墟が果てしなく続いているような描写があり、スカーレットには疲れや喉の渇きといった感覚はあるようだが、飢えに苦しむような様子はなく、憎き仇を探して不毛の荒野をさまよい歩くシーンが続く。これを観ながら私は「なるほど死者の国だから、飢えるということはないのか。きっと、強い未練を残してこの世を去った魂が、永久に果たせないであろう何らかの目的のために、未来永劫さまよい続けるような世界なのだろうか」などと自分なりに納得していたら、やがて日本人看護師:聖と出会ったスカーレットは、供連れの旅の途中で、様々な麻袋を馬に積んだキャラバンの隊列に行き合う。そしてキャラバンの集落に身を寄せる場面になったところで私の頭は完全に「?」に支配されてしまった。
このシーンの描写から、死者の国でも取引が行われており、食事をするという行為があることがわかる。ならば、それらを調達するため穀物や植物を育て収穫したり、動物を飼育したりといった、まさしく生きるための営みがあるはずだ。じゃあ死者の国ってなんなんだと、私の頭を浸食した「?」は、終盤に語られる説明でさらに広がっていく。
いわく、この国は生者と死者、過去と未来が混ざり合って存在している場所であり、スカーレットは実はこの時点では死んではおらず、現世で毒により昏倒し意識不明となっていたところを魂だけがこの地に行き着いた、ということのようだ。
…うん?
現世で意識を失っていたスカーレットの魂が、死者の国に一時的に迷い込んだというのは理解できる。クローディアスが死者の国にいる理由も、実はすでにクローディアスが死んでいるという説明が後になされたことで腑に落ちた。ただ、なんでクローディアスの配下一味は揃いもそろって死者の国にいるのだろうか。こいつらも全員すでに死んだか、あるいはみんなで現世では意識不明で死の淵をさまよっていたということなのか。
そして、過去も未来も混じり合っているにしては、死者の国の登場人物は誰も彼も中世ヨーロッパのたたずまいなのはなぜなのか。スカーレットに襲いかかる戦士たちはプレートアーマーで身を固めており、武士や古代ローマの戦士たち、あるいは現代の兵士といった装いのキャラクターは一切登場しない。聖だけがご都合的に現代人として登場するのみだ。
そして、この死者の国でもクローディアスが一大勢力を率いている様子がうかがえるが、クローディアスはどのようにして死者の国で城を構え、強大な軍を保有するに至ったのか。スカーレットは、この広大無辺な世界の中で、徒歩でどうやってクローディアスの所在を突き止め、たどり着いたのか。
さらに、アレキサンダーやチンギス・ハーン、項羽に劉邦などといった、かつて世界の版図を広く塗りつぶした歴史上の偉丈夫たちはこの死者の国で何をしているのか、一切語られることはない。
空を泳ぎ雷を降らすドラゴンも、ただ「ファンタジーぽい世界」の味付け程度の印象しか与えず、「見果てぬ場所」へと続くであろうと思われる閉ざされた巨大な扉の意味も、なんなら「見果てぬ場所」の意味さえ分からない。
つまるところ「死者の国」なるものは、16世紀のデンマーク人であるスカーレットと現代の日本人である聖との時空を超えた出会いというプロットを成立させるためだけにそれらしく存在する、何のリアリティも感じさせない「設定のための設定」の世界ということだ。
「ファンタジーにリアリティもクソもねぇだろ」と思うかもしれないが、この2つは相反しない。たとえファンタジーの世界であっても、ポップコーンとドリンクを片手に座席に座る観客をスクリーンの向こうの世界に引っ張り込むには、「自分がその世界にいたら」を実感させるに足るリアリティというものが不可欠なのだ。
こうした没入の仕掛けをポイポイっと捨て去っているとしか思えない細田監督にとって「ファンタジー」とは、クシャクシャに丸めた物語を勝手に整然と畳んでくれる魔法の風呂敷か何かなのだろうか。暖かい紅茶とシナモンチュロスを片手に本作を鑑賞していた私は、意識が現代の渋谷へと行き着いたスカーレットのようには自分の座席からスクリーンの向こう側へと突入することはできなかった。
私の勝手な意見だが、映像の美麗さ等を抜きにして、ストーリーをかみ砕くという点において「果てしなきスカーレット」はあまり映画向きの作品ではないように思う。映画は「その時間、集中してその作品を観る」という時間なので、観る側の集中力が非常に高い。だから、心を動かされるときの感動はひとしおだし、逆におかしいと感じるところはずっと引っかかってしまうものだ。どちらかというと、ネット配信や金曜ロードショー等で放送されているのを、家事をしたり趣味をしたり携帯電話を片手に「ながら」視聴をする方が、細かい設定が気にならずにスッと物語の世界観を受け入れられるのではないか(作品の程度の良し悪しの話ではなく、視聴媒体の向き不向きの話として)。
※余談だが、スカーレットが山頂から透明な階段を上っていくシーンで「カイジやんけ!」と私は小躍りし、さらに見果てぬ場所へと続くであろう巨大な扉の場面では、「きっとクローディアスがこの扉を開けた瞬間に気圧差のビル風で佐原よろしくはるか彼方に吹っ飛ばされるに違いない」と、この映画を観ている時間の中で一番ワクワクした。
③登場人物に台詞で説明させるのはやめないか
最近特に顕著な現代アニメの傾向、すなわち「心情、状況などあらゆることを登場人物に語らせて説明する」という演出は本作でも健在だ。細田守が誰をターゲットにこの映画を作っているかは知らないが、少なくとも鬼滅の刃よりは一回り上の年齢層、中学生以上がメインターゲットといったところではないかと推察する。であればもう少し、「演出でもって受け手に感じ取らせる」という手法があってもいいように思う。台詞での説明はクドさ、しつこさがどうしてもついて回る。
個人的にザワついたのが物語の終盤、消えゆく聖がスカーレットに「生きたい!」と何度も言わせる場面。おそらくハムレットの有名な台詞、"to be, or not to be, that is the question."(「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」という言葉だが、物語の文脈から「復讐をするべきか、すべきでないか、それが問題だ」という風に訳される)を踏まえてのシーンだとは思うのだが、私には散々焦らされたM女がドS気質の彼氏に早く絶頂に導いて欲しいと懇願しているようにしか見えなかった。
そしてその少し前、仇敵クローディアスを目の前にスカーレットが復讐を果たすべきかどうか激しく心中で自問自答する場面は、どうしても鬼殺隊の長男を思い出してしまい笑いをかみ殺すのが辛かった。
大体にして、スカーレットの中をあれほど支配していた復讐心が、クローディアスのあの程度の懺悔で簡単に揺らぐという心情がにわかには理解しがたい。
④終わり方はそれでいいのか
ここまで長々と書いた結びにひとつ、どうしても納得がいかない演出がある。物語のラストのラスト、スカーレットが歌を口ずさんでエンドロールへと移行するシーンだ。
観ている側はここまでの流れで、「結局のところスカーレットの体験は、現世で意識を失っていた間に観ていた夢物語だった」ということを理解しているのだが、それでもその夢物語の中で聖と出会い、スカーレットは復讐に執着していた自分自身を許し、未来に向かって生きることを学んだ。聖は消えてしまっても、聖との出会いで得たものは確実にスカーレットの中に生きている・・・
そうした2人をつなぐ絆の象徴のひとつが、キャラバンの集落で聖が教えてくれた歌(「以下「聖ソング」)のはずではないのか。それがなぜ、物語のラストでスカーレットが口ずさむのが、まったく関係のない歌なのか。このシーン、スカーレットに歌わせるべきなのは聖ソング以外に何があるというのか。
「スカーレットが口ずさんだのは聖ソングのAメロで、エンドロールが進むにつれて二人が歌ったあのサビが流れてくる」と思い込み、「ベタだけれども、良い終わり方だな」と先走って納得していた私は、曲がサビに移行したところで聖ソングとは全然別の歌だと分かり、思わず「えぇ・・・??」と声に出してしまった。
⑤結びに
こうして、映画「果てしなきスカーレット」の鑑賞を終えて照明が点った館内で、私は噛んでも噛んでも飲み込めないホルモン焼きがずっと口の中に残っているような心持ちのまま席をたった。
ただ、少なくともこの作品で何を表現したかったのかはハッキリ伝わるし、美麗な映像は映画館の大スクリーンならではの迫力ということもある。その意味で、有象無象のYoutuberたちが視聴回数を回したいがために酷評するほどには駄作というわけでもないと私は思う。ただ、「何を表現するのか」よりも「どう表現するのか」という点で大きな課題を残した作品だと思うし、だからこそ余計に脚本家:細田守の限界が改めて浮き彫りになった作品だったなぁというのが、全体的な私の感想です。
我ながら嫌になるほど長いレビューを読んでくださった方、ありがとうございました。
純粋に感じられない自分が悪いのか
悪評が気になって見に行った勢。
細田作品はほぼ初見です。
事前にYoutubeの個人レビュアーの感想をいくつか見ました。全体に酷評でしたが、良い点悪い点の根拠を述べていて、罵詈雑言レベルではなかったと思います。
以上の前提で、期待ハードルは超低かったのですが。
うーん…。
「何これぇ?」を、心の中で無限に呟く時間でした。
まず映像は素晴らしいです。
一部「ん?」と思う表現はありましたけど、生死の間の世界描写と龍は素晴らしかったです。
あと、芝居もそこそこ良かったです。
自分が一番ダメだった「主人公2人の人物造形」について感想を書きます。
まず看護師。
名前を呼びたくないほど無理でした。
外見と中身が合ってなさすぎる。現代日本らしい軽い感じの容姿と言動ならまだ耐えられたかも。古来日本男子のような職務実直坊主っぽい印象で、言うことやることが本当に軽い。
生前の価値観を異世界に持ち込み、押し付け、同行者に怪我を負わせるほどの迷惑をかけて「不殺」を押し付ける。
なのに記憶が蘇った途端に、自分は弓でころすんかーい…。
なんなのこの男。
信念軽すぎてお話にならん。
スカーレット。
親の仇を討ちたい、わかる。
じゃあなぜ大人になるまで仇の支配する城に留まってるの。父親を裏切った母に向ける気持ちは何もないの?
唐突に現れた男に感化されて不殺。
意味わからない。
袖を破られて恥じらっていたカマトトのくせに、寝る時は布一枚巻いただけで、起きた瞬間は肩の肌色が見える。貞操観念バグってる?
男の鼻歌を聞いて唐突に覚醒。夢の中でダンス、心象風景だから唐突なのは別にいいけど、その時の気づきで自分を許すにつながった…いやアクロバットすぎませんか?
主人公が好きになれない作品はそれだけでキツい。
そこに現実に戻ったスカーレットによるお花畑のようなラスト。
は?
ここまで不条理で報われない世界を描写しておいて、現実に戻ったら全部うまくいくエンド?
は?
良かったと思う人が羨ましいです。
自分はやっぱり「何それぇ…」としか思えないです。
映像と音楽、芝居に星2つ分。
他は0点です。
良いじゃないか
前評判が良くなかったので、いろいろ情報が入る前に見に行ったが、良い映画だった。
いろいろ、批判する人も居ると思うけど、自分の感性を信じて楽しめば良いと思う。
多くの人が観客を置いてきぼりにしていると恐らく指摘しているミュージカルシーンだが、そんな展開の映画なんて別に初めてでも無いし、置いてかれはしなかった。
とは言え、歌と踊りに説得力が有れば違和感は無いわけだが、まだその領域にいけていなった。そして、ヒロインのダンスに比べて男のダンスは男は髪の毛の躍動感も描けないし、スカートも翻らない、しょうがないのだけれど、やはり残念な感じだった。
観客を置き去りにする脚本と演出
戴冠したスカーレットは、本当に争いのない平和な世をつくれるのかと問う民衆に対してこう答えた。「あなたの賛同と、協力があれば」と。
本作がシェイクスピアの『ハムレット』を下敷きに、現代の世界情勢も踏まえつつ、「復讐と赦し」「争いと平和」「生きるとは、愛とはなにか」をテーマとして製作された映画であることは周知の通りである。これらのテーマ自体は社会的意義があり、とても良いことだと思う。だが、世界観も人物造形も薄っぺらなまま「こういうもんです」と言わんばかりに突き進む脚本、唐突に挿入されるダンスシーンで観客を置き去りにする演出はいただけない。お約束のように男女間で発生する恋愛も、台詞がクサすぎて終始シラケた気持ちで眺めていた。(「泣くなスカーレット、俺が側にいる」は直前の渋谷ダンス幻覚と相まって変な笑いが出そうになった)
スカーレットの母国が傾いた原因は、端的に言って王族間の権力争いである。民主的に選ばれたリーダーが戦争を起こして国が傾いたのであれば、国民にも責任の一端があるかもしれない。だが、舞台となった中世デンマークは王政なので、決してそうではない。クローディアスという権力者の個人的かつ身勝手な欲望のせいで、国民は被害を被っているのだ。その国民に対して、平和な世をつくるためには「あなたの賛同と協力が必要」だと王女が説くのは、なかなか傲慢だなと感じた。(この台詞は、現代を生きる我々に向けているものだと理解はできるが)王族の自覚があるのであればスカーレットは最初に、国民に対して王族の暴走と腐敗を詫びるべきなのだ。
故人が遺したメッセージをどのように解釈するかは難しい。正解は永遠にわからないので、遺されたひとの心が救われるなら、どのような解釈でもよいかと思う。スカーレットは処刑場で父が遺した「赦せ」という言葉に導かれ、父を殺した叔父を赦し(無条件な赦しではなかったが)、復讐の道でしか生きられなかった自分自身を赦した。二重の意味での「赦し」はこじつけっぽくも感じるが、追い詰められて生きてきた少女が、復讐の人生から解放されたのは単純によかったと思う。
映画の体感時間はかなり長めで、画がいくら綺麗でもストーリーは決して面白いとは言えなかった。他人にすすんで鑑賞をおすすめはしない。(細田監督作品はこれから完全にセルルック3DCGへ舵を切るのかな?手書きアニメーションの味が好きだったので残念)
生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ
細田監督がハムレットをモチーフに、復讐という難しいテーマをどう描くのか、楽しみにしていた。
スカーレットが果てに見た、二人で踊る人工的で無機質な渋谷。
こちらのほうがむしろ、地獄で空虚な世界。
今の社会を如実に反映したもので、監督の強烈なアイロニーを感じた。
最愛の父を殺され、あれだけ憎んでいた叔父の復讐に、最後に悩み、許しを与えようとするスカーレット。
子供を守るため殉死するも、刺客をなんのためらいもなく殺す(スカーレットを守るために)、看護師の聖。
人は矛盾した存在であり、殺伐とした現世を悩みながら生き抜けとのメッセージを受け取った。
映画はあれだけ斬新な映像で素晴らしいのに、心の琴線には触れることがなかったのが、不思議だ。
少し、狙いすぎたのかもしれない。
闇堕ち発狂からの復活がテーマなのかな
バケモノの子のラスト付近で敵が唐突に闇落ちして、「え?・・・」となったのですが、今作を見て細田監督は、闇堕ち発狂からの復活がやりたいのだなとハッキリ思いました。
父親を叔父に殺された姫の復讐を、現代からきた青年が説得して、姫は争いを無くすために全てを許すという内容なのですが、今この時代に復讐をテーマにするのは難しいのではないだろうか。。。
とにかく共感しづらい。叔父がひたすら悪党として描かれるので、許す気が起きないし、スカーレットが許した後、竜が叔父を殺して解決するのはなんとも納得しづらい。
許しへの答えが改心ではなく、天の裁きだったという事なのか・・・
直近で鬼滅の刃を観た後なので、「絶対に許さない鬼殺隊」と「全てを許すスカーレット」を比較してしまいますが、許さない方に軍配が上がってしまいました。
映画の短い尺であまりに哲学的なテーマは難しいのか、それとも時代が追いついていないのか、現代に刺さってない印象が強かったです。
いや、「戦争が起きない世界を創るためには、許すことが大切だよね」というのは、確かに今現代において大切な事ですが、竜と夢オチでちょっと逃げちゃったよね?とどうしても言いたくなります。
壮大な凡作。シェークスピアにはなれなかったね…でも観るならあえてIMAXで。
久しぶりの細田監督の作品である。舞台は中世デンマーク復讐と愛の物語…しかし残念ながらやはり公開当初からの酷評のそしりは免れないかなと。いったい何が言いたいのかよく分からないぽやっとした印象の作品だった。キツい言い方だが「薄いテーマのシェークスピアもどき」というのが正直な感想。なまじ映像の出来が良いので、なんのメッセージも受け取れない出来の悪いストーリーが際立ってしまい、鑑賞後は感動やカタルシスとは真逆の平野に置いてけぼりなのだ。あえて観るならIMAXで映像美だけを堪能した方がよほど満足度は高かっただろうと悪態をつく。
…思うのだが、細田監督は脚本を書かない方が良い。今作を見てどうもその部分の才はいよいよ怪しい気がしてならなくなった。原作としては良いのだろうが、とにかく脚本の出来がダメなのである。
まずあのダンスシーンはまったく意味不明だ。無理くり入れた感が際立ってダサい(街中で踊るモブの作画手を抜きすぎw)勘弁して欲しい。あれほど「殺すな殺すな」と言ってた聖があっさり人を殺すわ、死者の国で髪を切ったスカーレットが生き返ると髪が短いとかなんだ?しかも生き返ってみれば仇の叔父王は、間違って飲んだ毒で死んじゃってました??間抜けか!他の従者共も揃って同じ死に様で死者の国送りだったのかねぇ?www そして何より死者の国は死と生が混ざり合う場所ならば別に生きてるスカーレットが戻らなくてもいいんジャネ?本人戻りたくない言うてますやん。
真面目な話、もし今後作品を作るのであれば、名作サマーウォーズの時のように奥寺佐渡子氏でも脚本家を立てた方が無難ではなかろうか。その辺、出資会社各位も検討の余地は大ではないだろうか?
さて…鑑賞後、ハタと思ったのだが
これ、あの有名な都市伝説ドラえもん最終回「ドラえもんのお話は植物人間だったのび太の夢でした」と同じ夢オチだったんじゃないか?
つまりこのお話は、スカーレットは実在せず、すべて通り魔に刺された聖が臨終間際に見た夢
そう「(死にゆく聖が見る)果てしなきスカーレット(の夢)」だったんじゃないか!?
…とオチをつけて帰路についたのでした。
これはちょっと…
かつて酷評された「ドラゴンクエストユアストーリー」を思いっきりハードル下げて観たらそこそこ楽しめたので、こちらも同じやり方で楽しめる…はずだった😰。いや、すみません。どんなにハードル下げてもこれはダメでした。賛否両論の作品ではあるが圧倒的に否に同感。つまりは「主人公が復讐の虚しさに気づき憎しみを捨て善政をなす」というたったそれだけのプロットのために、この主人公たるや劇中でなんと「何もしない」のである。そして主人公との対比として登場する現代日本人の青年も、この主人公に対して「な~んにもしない」のである。ベタな平手打ちの一つすらしない。強いて言えば楽器を弾いて歌を歌うくらいのものであるが結果として表れる現代日本の夢は主人公が勝手に見ただけで青年が何か見せたわけではない。「復讐に取り付かれた中世西欧の王女と現代日本の男性看護士がもし出会ったら」という美味しいシチュエーションに対して信じられないことに「お互い何となくひかれあう」以上のドラマが何も展開しないのだ(というかドラマが作れなかったから代替にあの夢のシーンだけ作ったとしか思えない)。主人公は争いの無益さに気づく役どころなので他人を傷つけてはならない、じゃあ作劇上どうするか。悪い奴は周りが全部懲らしめてくれるのである。何なら主人公と何の関係もない怪物が唐突に現れて悪い奴らをやっつけたり相手が勝手に自滅してくれたりする。主演の芦田愛菜はさすがの熱演だが、思ってること全部口に出す脚本のお陰でセリフが異常に多いのが気の毒でならない。そして単に卑劣なだけの魅力も深みも何もない悪役に声当ててるの役所広司だぜ信じられるかい。他にも物凄い役者の無駄遣い。なに、理屈をこねるこたぁない、この作品の魅力のなさは「風の谷のナウシカ」と思い比べるだけで事足りる。日本テレビさん、ポストジブリ、ポスト宮崎駿は欲しいだろうと思いますが、悪いこと言わない他をあたった方がよい。
画が超絶良い、主人公も好き、テーマも尊いが・・・
IMAX でやってるうちに鑑賞。
映像と音が、とても良いので IMAX で観るのはアリだと思います。
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背景を含め、非常に画が作りこまれていて、アクションも良かった。
テーマも "現代" を模していて、非常に尊い、価値のあるシナリオ、
主人公「スカーレット」も、私はとても好きになったが、
"人によって評価が変わる" 作品だとも思う。
とにかく、演出とテンポが独特で、人を選ぶ。
感情移入、共感が強くないと、なかなか入り込めない世界観、
アニメというよりも、芝居に近い感じもするので、
そういう違和感も、マイナスになるかもしれない。
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賛否が分かれる作品ですが、演出やテンポは気にせず、
挑戦的な映像美、俳優さんの芝居、扱っているテーマを
広告、前作を気にせず、純粋に観て、感じてもらうのが良いと、私は思う。
※ 闇落ちした経験のある人ほど、この作品への共感度は高いかもしれない(笑)
映像は価値ありも内容が・・・
Dolbyシネマで観ました。ロシャオヘイセンキ2の後に連続で鑑賞。
同じアニメでもこれほど映像が違うのか!と感心した面もあります。
ロシャオヘイセンキはあの画像だから良いのですが、こちらは世界観も違うし
映像等なら一見の価値はあります。
ただ、ストーリーが期待した内容ではなかった。無理があるかな??
突然歌って踊り始めたり・・・看護師・・・斬新な視点ではありますけど。
好みがわかれる作品です。自分は内容がマイナス過ぎで評価が低くなりました。
監督の作品が好きな人にはいいのかな?
歌も上手いね芦田愛菜
テーマとか言いたい事はわからんでもない
でもエンタメじゃ無いんだよね…
なんで巨匠扱いされると文学に寄って行くんだろう
まだそんな年じゃないでしょ?
アマプラとかで観てたら途中でやめる感じ
ドラゴンが喰らわせる「ライデイン(電撃)」。
デンマーク王女のスカーレットは優しい父王に愛されていたが、母親には愛されていなかった。
そんな王を憎む王の弟であるスカーレットの叔父が王を謀略で陥れて処刑してしまう。スカーレットは復讐の機を窺うも、逆に伯父から毒を飲まされて殺されてしまう。
死の世界の一歩手前で目が覚めたスカーレットは憎き叔父を求めて流離ううちに、妙な格好をした男と道中を共にすることになった。
その男は「自分は看護士だ」と言い出し、怪我人の治療を始めるのだが・・・。
要は「復讐劇」です。
中世ヨーロッパの人間と現代の日本人とが死の世界で邂逅し、共闘する。
敵側の叔父やその手先がいつ死んだんだ・・・・?という当初の疑問点と、主人公側が多勢に無勢でピンチになると毎回出てきて「電撃をかましてくれる竜」の正体は何なんだ???結局最後まで明かされないまま。
現代にいたかもしれない「もう一人のスカーレット」の描写も特に入れる必要性を感じない。
父の言葉の意味
口コミを見てから鑑賞したが、とても素晴らしかった!なぜ酷評されているのか…
世界観、音楽、映像どれも素晴しく、特に芦田愛菜のスカーレットはピッタリだった。あのまっすぐで優しく、でも怒りを爆発させた時の迫力ある声は、スカーレットの魅力そのもの
そして、許せという父の言葉の意味をスカーレットが理解するシーンは、思わずうるっときた。
大人になる中で、誰しもが自分はこうでなければいけないと自分自身を奮い立たせて社会で生きている。そんな自分を時には許す=認めてあげる、もしくは違う生き方も選んで良いんだと自由にしてあげることの大事さに気づかされた。
日頃社会で疲弊している人ほど、この映画を見て感じることがあるのではないかと思う。
酷評される理由がわからん。アニヲタには理解不能か?
シェークスピア原作ですが、普通に面白かったですよ。細田監督はアニメというメディアを使いながら実写的な映画を志向する監督と思いますが今回もそういう色の濃い作品です。
作画も背景も超絶美しく、声の出演の芦田愛菜も岡田将生もキャラにピッタリで熱演されてたと思います。
アトモス音響はかなり踏み込んでいて、劇場内に音が移動しまくります。
アニメしか見ないアニヲタの方には理解できない作品といえますが、なぜここまで執拗に酷評されるのかはちょっと理解できません、
今まで細田ファンだった人が見ても全く違和感はなく楽しめると思います。
もやもやした
細田監督には前から批判的だったのだけどあまりに評判が悪いので気の毒だし、期待値も低くして見る。ところが、死後の世界で現世と同じように意思を持って行動するし、死んでるのに更に死ぬと粉になる。死んでいるのにアホな王に仕えたり、難民生活を送るなどさっさと粉になった方がましではないか。王は王で死んでいるのに、死んでいる群衆を前に演説するなど、誰一人としてそれについて疑問に思う知性はないのか。その世界観を思いついた時点でボツにすべきなのに、そのまま進んでしまうため何が起こっても心に響くものはなにもない。
前から細田監督には、不細工で間抜けな者は死ね、くらいの心根を感じているが、今回はあまり気にならない。また、独自ルールの押しつけが本当に腹立たしくすらあり、ただそのルールがとてもひどいが現実世界ではないので、押し付けられてもそれほど気にならない。
スカーレットが聖の歌に大感動して現代の渋谷に意識がタイムスリップする。すると、渋谷の交差点でインバウンドの迷惑インフルエンサーのように踊りだす。それから避難民たちとの交流でフラダンスをするなど、物語の緩急なのかほっこりさせようと意図する場面が空々しく鼻白む。
聖の歌やエンディング曲など、いい歌でしょ~という押しつけを強く感じる。好みの問題だが、あまりよくない。
スカーレットの父が残した言葉「許せ」について、スカーレットはあれこれ考える。叔父を死ぬほど憎んでいて、その彼を許せなのかと思い悩むが最終的に、自分を許せに落ち着く。なにそれ。父を殺した叔父の罪を許すと、「こうあらねばならない」と厳しくする自分を許すが比較対象になるだろうか。随分軽くなるし、父親がそこまで見越して言葉を残すだろうか。
いろいろ文句を述べたが、格闘場面はとても痛々しくて死後の世界とは思えないくらいいい。
アニメ史上位の美キャラ
映像美ももちろんだけどスカーレットとヒジリが心も見た目も美しい…特にスカーレット。
聖が地味という声があるけど普通の好青年で盛ってなくてとても良い。好き。
そして歌を聴く為にもう一度見ても良いと思える。いや是非見たい。中村佳穂が歌ったら鳥肌だったかも。
ただダンスはな〜ここ数年流行り(?)の絶えず速く動き続ける間も溜めも情緒もないダンス。個人的には好きじゃない。
低評価多いのは内容のペラさだろうけど大事なことは伝わるのでお子さんに見せるには良いと思う。これからの時代に合った新しい切り口の演出をしようと頑張った感はあると思う。
海外のハズレ映画より全然良いよ!
破綻してるという声があるがストーリーは破綻してはない。ポスト宮崎駿・ディズニー系譜として器が破綻したのかも知れない。
芦田愛菜は頑張ったし上手いけど感動はしなかった…でもエンディングの声はびっくりするくらい美しかったな。
ただ途中の宮野真守と津田健二郎の巧さをみてしまうと、やはり声優の凄さを否応にも感じてしまう。
作画レベルがガクンと落ちる場面が2回あったのですがあれは何(汗)演出だとしたら意味不明だな…
生死世界の描き分け…だとしたら序盤が作画綺麗過ぎるし何なんだろう、予算か??
あと血管描写あるね。雷の形がぽいなーと思ってたらやっぱり最後血管同じ形で浮き出てた。わかる人にはわかる話。
シェークスピア
俺が単純なのでそう思う。
おそらく人の何たるかを描くのに適した世界観なのであろう。驚いたのが死後の世界に居るってところ。細田監督曰く、人は死んでも現世の業から解放されないらしい。
形のある無し関わらずに人の執着は魂にでも刻まれるのだろうか?
復讐という感情
衣服
食欲
地位などの優劣
独占欲もあったろうか。
愛もその一つ。
王が妃に向けるものが愛の側面でもある。
楽器は文化の象徴だろうか?
人が獣では無い事の象徴というか、娯楽というか。
踊りは神との対話として使われていたけれど、言語の壁を飛び越えて共感を得る為のツールというか、体で発する動作という言語って感じかな。
突然差し込まれる現代のイメージは選ばなかった未来だったり、不確定な人生そのものかもしれない。
そんな、正と負の両面をぶち込んだ物語だった。
で、まあ…清濁合わせ飲んで、全てを凌駕するのが「愛」なんだとか。
この場合は「LOVE」の方の愛。
様々なシーンや台詞に含まれるものが多くて、ちゃんと受け止めようとする人には味わい深い作品に思う。
俺は元来、この手の話しは嫌いではないので、随分とわかりやすいなぁと思いながら観てた。
感動するような話ではないし、感銘するような話でもない。ただただ、筆者が持つ死生観や思想との答え合わせをする物語でもある。
作画は美しかった。
そこそこ不条理な事も起こるのだけど、現実ではないので、そこはまぁ突っ込むだけ野暮というものであろう。
アニメというポピュラーな媒体を通して、普段は目を向けない方向に思考を巡らすのもいいとは思う。
考えたところで答えが分かるわけではないのだが、指針くらいは変えられるかもと思う。
聖☆ヒジリに出会い知る愛と希望。
父を裏切り殺し、王位となった叔父クローディアスに復讐しようとした現世、その復讐が果たせず「死者の国」へと行ってしまうスカーレットの話。
死者の国にいる老婆から“クローディアスはここにいる”と聞き復讐心に燃えるスカーレットだったが、先の未来から死者の国へと来た看護師・聖の行動に、復讐心が揺らぎ始めるスカーレットだったが…。
本作の酷評で逆に気になり鑑賞。
冒頭の入りそんな酷評されるほど悪い入りではない、「父をハメ裏切った叔父への復讐」って題材も悪くもない。スカーレットってキャラも可愛い♡絵も上手く映像美で惹かれたんだけど…敵と聖が現れるまでは(笑)
『観た感想を言葉に表し書くのが難しいんだけど、一言でザックリ書くなら「浅い」ですかね。背景、風景描写はあんだけ綺麗なのにバトル中の単発描写、浅いセリフ、描写に合わないBGMと他にも色々と…伝わりにくいかな。』
殺伐とした世界で生きるスカーレット、先の未来から来た聖に出会い、時の旅で見た聖の生活する愛に満ちた世界を知り、争いでは何も解決しない、愛と希望に満ちた世界は来る!しよう!みたいな。
メッセージ性を感じる作品だけど、よく解らないし、観たままを思うなら今さら!?って感じだし。逆に少し残念で観れたっ事で↑の評価。あと芦田愛菜さんの声優は「かがみの孤城」のオオカミサマが印象的で声優・芦田愛菜は好きです♡
追記
「N-TOWN」というYouTuberさんが私の言いたかった『』内のことを代弁してくれるので、8分30秒~10分辺りまで超ド共感(笑)
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