果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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ディズニーランド的なところに行ってきた
ってことなのかなぁ。
死んだら命懸けのディズニーランドでしばらく過ごせると思うことにしよう。たぶん誤解だけど笑
体調がよくて吸収欲に満ちた時に見たら
色々な発見があったのかも。疲れてる時に見てしまった
絵を描くのが好きなところ、
もう少し成長過程で見せて欲しかったかも。
サマーウォーズのような、妄想MAX時のぶわーっと空間が広がる映像は良かった。
予定調和
何がなんだかわからないうちに突然異世界に
聖だけがなぜか未来から来ており
空には龍が都合よく現れピンチを凌ぐ
そして思った通り終盤にも現れ…
なぜか物語の中心人物はスカーレット周りの人で
突然渋谷に飛んだりもする
なんなんだろうこれは
画面としては美しいところもあったのでもったいない
渋谷のダンスがもっと良かったら…
肝心なここ決めなきゃというところの絵が弱いのがこの人の大きな問題な気がする
もったいない
果てしなき酷評が多いけど…
元々、細田映画についてはそこまで注目しておらず、
前作、竜とそばかすの姫が個人的に刺さったので、今回は劇場でと思い鑑賞
確かに渋谷ダンスやあれだけ人を救うことに命懸けだった聖がいきなり弓矢で仇を殺すシーンなど『!?』となる場面はあったが、憎しみを抱いたまま生きることの虚しさ、人が争うことの虚しさをスカーレットの再生をテーマに描かれており、最後は素直に感動してしまった
説明不足な要素もたくさんあるので、(あの婆さん誰やねん、ドラゴンサンダー強すぎとか)楽しめなかった人の気持ちも分かる
というか、日本人には中世ヨーロッパをベースにした世界観がそもそもアニメ映画を観に行く層にウケないのであろう
最近だと最後の決闘裁判とか面白かったなぁ…と思いつつ、自分はこの映画決して駄作ではないと思うので、細田監督、次回も自分の描きたい世界観で頑張ってください
聖の願いは絶対に違うと思う
何事も観てみないとね
と言うバッドバイブス入り混じった野次馬的な話ではなく98年版「ひみつのアッコちゃん」の細田守式ビックリ口表現から認知しだした人としての感想
「未来のミライ」あたりから脚本問題は顕著にあったし、公開当時はそれでもなんとか飲み込ましたが前作「竜とそばかすの姫」は流石に作家性に疑問を感じて向かえた今作。
事前情報は作品発表のみにとどめ
そのときは「あぁ、中世ダークファンタジーは求めてないし不安しかない」でした。
公開から数日経過し世間の評判をなんとなく肌で感じましたが自分はよくあるアニメファンの評価と乖離がある事が多いので鵜呑みにせず鑑賞。
もう序盤と世界観の設定に躓いたら視聴ではなく終わるまでやり過ごして下さい。
話がロードムービーのように進んでけば行くほどこの設定のおかしさは大きくなっていくので💦
例えばフラ字幕とか煉獄や黄昏時的な設定空間なのに睡眠、飢え、痛み、物資の調達、父の遺言、ドラゴン、虚無化した人の装飾、金貨などなど
とくに焚き火の聖の歌から領域展開渋谷ダンスとかもう訳わからなくて笑っちゃっいました。
CGに関しては風景や群衆は流石で映画館のスクリーンで観る価値はある。
ゲームっぽい戦闘シーンも慣れれば凄いなぁ、くらいは感動した。
完全平和を願うのは時世的に分からんではないけれど大分無責任ですね特に最後のスピーチはスッカスカで???って感じですし。
途中からスカーレット自身の救いの話だっけ?って分からんなぁと。
悪いところが多いレビューになってしまいましたが本作よりも酷い映画は沢山あるのでそこまでこき下ろすのもどうかなぁって着地です。
まぁ、他作品との比較になってしまう感じがこの点数である所以ですね💦
面白くもつまらなくもないです。
どうだろう?でした。
ちょっと感情移入しにくいなぁ。
叔父さん王を毒殺しようとするスカーレットの行動が軽く思える。
良いことをしたり人に善を尽くしても理不尽な死や暴力、悪や恨みの連鎖、経験からの強い疑心、色々なきっかけから自分や人の心が善から悪に変わったりしても、やはり生きて行かなければならない。
そんなつらい世界は生きてるんだか死んでるんだか分からない。っていう世界なのかな?
そんな世界でもバカみたいに踊ったり、バカみたいに助けたり、バカみたいに信じたりする人がいるんだからバカみたいに許したって良いんじゃないか、ってな感じ。
と、自分は理解しました。
が、やっぱり感情が持っていかれない。
スカーレットが前半アニメの主人公なんだけど後半急に人間の主人公になるような。アニメスタートの現実終わりみたいな。なんて言ったら良いかわからない。
ワクワク感は前半から徐々に薄れ、えぐられる様な悲しみもなく、スッキリもしないしモヤモヤもしない。
どういった気持ちで観たら楽しめたのか分からない。
なんとなく世の中こんな事であふれてるよと思ってる自分には物足りなかった。
「生も死も過去も未来もある」だったかな?このセリフに当たり前だろ、それって今だろ?と突っ込んだらだめですか?
気楽に観に行ってすみません。このコメントも許して下さい。
作画良かったです特に竜が凄くカッコイイ!迫力まんてん!一見の価値あり!
時間潰しで行って正解
悪評価多いなか どんな映画かと
思いみました
結果楽しめました
王女の変わっていく表情をみてると
応援したくなる
映画でした
先読みはあまりできませんでしたが
最後の落雷→国王がやられる は読み通り
王女が夢から覚めるも→読み通り でしたね
この映画でうけたシーン
☀︎渋谷駅前の開放感
☀︎渋谷駅で使っていた音楽
(また聴きたいと思わない)
☀︎渋谷駅前Uターン禁止とかあの標識3つは
要らないかと
☀︎国王がドラゴン?落雷にやられるシーンの顔が
アニメバビル2世のヨミにみえた
☀︎ひじりはMFゴーストやイニDの?誰かに
似ている
☀︎最後のほうでキスシーン?いらないでしょう
最後に声優さんと アニメの顔を並べて
演出して この人がこうでした〜
エンディングでたぜばいいのかと思います
どデカイドラゴンが大迫力の映像で味わえます。
結局あのどデカイドラゴンはなんだったのか?色んな武器がぶっ刺さりながら大空を飛んでいるのはナゾです。
ドラゴンの描写も書き込み量が細かく迫力もあったし、雷を落とすシーンも残虐で、シンプルに凄い迫力だわと思った。
ストーリーはハムレットをダイジェストで知っていれば問題ないです。
最後にスカーレットが歌い出したけど、劇中に何度も流れた歌ではないのは ????ってなりましたね。
芦田愛菜の演技と歌は凄い上手いと思ったけど、スカーレットのビジュアルから想像できる声ではなく、もう少し大人びた声が良かったなと思います。
もしかして・・・舞台化ありきの映画?
限られた登場人物。3DCGなのに奥行きのない世界。
わかりやすすぎる説明台詞に突然始まるミュージカル演出!
そして・・・ベースがハムレットと来たら
劇団四季、舞台版「果てしなきスカーレット」。
これ企画進行中でしょ!
そう思うくらいに演劇的に見えた。苦笑
影の描写を無くし平面化する事で予算と手間を削減という細田監督独自の表現を手放したのは何故なんだろう?
予算・時間・効率>表現 を優先した結果?
結局、この作品の中でも良く見えたのは2D作画部分だった。
普通に考えると58歳のオッサンが青空と制服のアオハル作品を作り続けるなんて「仕事とは言え」無理がある。
監督だって加齢からは逃れられない。
観客との間に乖離が生まれるのは当然だし、歴史モノに手を出した事に意外性はなかった。
「結局・・・生活が満たされて、言いたい事なんてないんだろうなぁ・・・」
と、この状態で修正も加えられず公開されてしまった細田王国の偽りの平和を憂う。
*憲法9条を盾に紛争地帯で平和維持活動をする日本人の聖。祖国を奪われたとロシアに復讐を誓うスカーレット。小競り合いが起きるとドラゴンと言う名のアメリカが「やめんかい!」と脅しの空爆をする。
↑要はこれなんでしょ。
ミュージカル部分の「祝祭の歌」。
あれを聞くと脳内でオリジナルラブの「月の裏で会いましょう」が再生されます。
エンディングは「TIME TO SAY GOODBYE」。
マジか。
『はたらく細胞』と『俺ではない炎上』で「劣化した」とか思ってごめんなさい。貴女なら声と歌だけでも充分活躍できます。もし『風の谷のナウシカ』がリメイクされたら、ナウシカは是非貴女に演じていただきたい、芦田愛菜様。
果てしなきスカーレット感想
細田監督の作品は今まで酷評されている作品も、部分的にひっかかるところもありつつも面白く観てこれたので、「酷評言っても、そこまでではないんだろうな」と公開されて4日目で観てきました。
単純に途中で眠気と戦うぐらいには面白くなかったです。
今回、扱っている内容に対して物語の舞台が大きすぎるのもつまらなさの原因なのかも。
変にどこかの西洋の一国の姫の物語にしないで、素直に現代日本の社長令嬢の復讐劇にでもすればすんなり楽しめたのかも。
出てくるモブおじちゃんやおばちゃんも日本の田舎あたりにいそうだし、
そうすれば現代日本から現れた聖の存在も入ってきやすい。
いろいろ粗が見えど、今までの細田作品は日本という舞台で日本人が受け入れやすかった。
今回は異国の姫という共感のしどころがない接点のない他人が主人公なのが今回の「面白くない」の最大の原因かな。
もやっと
美女と野獣の次はハムレットですか。
伝えたいことも、やりたいことも分かる内容でしたが、なんかいろいろ中途半端…。
復讐に固執するまてまの描写が弱い。
煉獄世界の設定も微妙。死者か生活を営んでいるんか?
あのドラゴンは結局なんなのよ。
聖だけが現代人。
突然の脈絡もない現代ダンス。
手抜きとも取られない味気のない未来の渋谷。
急に悟る聖。
最も違和感を感じたのは、最後のスカーレットの歌。あれは聖ソングにしないと…。スカーレットと聖の出会いと別れが、なんかラストのあの歌ですべてかき消された感じがして、エンディングの余韻が疑問符で吹っ飛びました。
CGの映像なんかは、挑戦的でまあ良かったんですけどね。
全体的にきれいにまとまってはいるけど、それ以上でも以下でもない作品。惜しいなあ。
作者の手には余ったテーマだったのか?
自分以外は一人というほぼ貸し切り状態で見ました。平日の午後とはいえちょっと少ないですね。
映像や音は映画らしくゴージャス。CG作画も気にならないし、アクションシーンではその特徴がよく生かされていると思いました。
懸念だった主役二人の演技は思ったよりもずいぶんマシ。芦田さん演ずるスカーレットの、予告編における弱々しい声で印象の悪かった「復讐を…果たさなければ」は地面に倒されて苦しい状態で言った言葉なので、演技としてはむしろ正しい。それ以外の場面でも本職の声優に比べれば発声に不安定さはありますが、感情の乗らない棒演技ではまったくないので、及第点といえるでしょう。
問題はやはりシナリオだと思います。人生や愛といったかなり大きく根本的なテーマに対しての結論が弱いんですね。悪役の叔父王は最後まで悪いままで主人公との和解も何もないし、倒すのは本人じゃないし、何かを成したり成長したりということもない。途中の歌でも出てくるテーマの連呼が観念的なプレゼンテーションにしかなっていません。最後の場面で女王となった主人公の演説に説得力がないのもそのためです。
そういったおとぎ話のような結末でしめるのであれば、16世紀のデンマークという現代と地続きの世界ではなく、架空の世界にするべきだったのではないかと思います。
死者の世界が現実とあまり変わらないのも混乱します。普通に食事したり楽器を弾いたり、あるいは武器で戦ったりしていますが、それらのものや食べ物はどこから得ているんでしょうか。死んでから来る世界なのに、叔父王や王の取り巻きまでが来ているのも変ですね。ここまで差がないのであれば、単に文明の届かない辺境の地にでもした方がよかった気はします。あと、言葉の壁がないというか最初から自動通訳のように意思が通じていたのに、フラダンスの場面だけ急に外国語になっているのはどういう理屈なのかと。
というわけで、粗を探せばいくらでもある不出来な作品なのは確かですが、ここまで客の入りが悪いのは不思議ではあります。前評判の微妙さと公開直後の不評のダブルパンチなのかなあ?
酷評を信じてはいけない、これは細田監督の最高傑作だ
正直に言います。映画館に行く直前まで、私は迷っていました。
ネットを開けば目に入ってくるのは「意味がわからない」「期待外れ」といった酷評の嵐。SNSでも否定的な意見が目立ち、正直なところ「今回はハズレなのかな……」と、期待値ゼロで席に着きました。
しかし、エンドロールが流れる頃、私は涙でスクリーンが滲んで見えなくなっていました。
**すごいものを観た。**
ただその一言に尽きます。ネットの評判なんて当てにならない。いや、むしろこの作品の真価は、表面的なストーリーを追うだけでは見えてこない深淵にあるのかもしれません。断言します。これは、細田守監督の過去一番の名作です。
**日本人には難解だった?メタファーの正体**
なぜこれほど評価が割れているのか。鑑賞中、その理由がなんとなく分かった気がしました。この映画は、極めて抽象的な「メタファー(暗喩)」で構築されているからです。
劇中で圧倒的な存在感を放つ「龍」や、物語の鍵となる「火山」。これらは単なるファンタジーのギミックではありません。あれは明らかに**「天災」のメタファー**です。
私たち日本人は、震災や台風といった逃れられない自然の猛威と隣り合わせで生きています。龍が暴れ、火山が火を噴くとき、それは理不尽に奪われる日常や命そのものを象徴しています。一見すると唐突に見える演出も、メタファーの全てに意味があり、一つとして無駄なシーンはありませんでした。
**「私たちみたいな子どもが死なない世界にする」**
主人公が叫ぶこの言葉。これが本作の核です。
天災という抗えない力によって、未来ある子供たちが犠牲になる悲しみ。その理不尽さに対して、人間はどう向き合うべきなのか。監督はファンタジーというオブラートに包みながらも、現代社会が抱える最も重いテーマを私たちに突きつけてきます。
**時を超えた、魂のラブストーリー**
そして、この物語は壮大なラブストーリーでもあります。しかし、それは単なる男女の恋愛ではありません。時を超え、生死の境界さえも超えて繋がる、魂の結びつきです。
劇中で語られるメッセージが胸に刺さります。
**「憎しみに囚われるより、君の人生を大切に生きて。自分らしく、のびのび輝いてほしい」**
愛する人を失った時、残された者はどう生きるべきか。悲しみや憎しみに心を支配されるのではなく、その分まで「自分らしく輝く」ことこそが、逝ってしまった人への最大の愛なのではないか。そう問いかけられているようでした。
**生も死も交わりあう、今までに見たことのない「別れ」**
この映画の世界観は独特です。「生」と「死」が断絶されたものではなく、グラデーションのように交わり合っています。
特にクライマックス。あんなにも美しい別れのシーンを、私は今まで観たことがありません。悲しいはずなのに、どこか温かく、光に満ちている。それは「死ぬとは何か」「生きるとは何か」という根源的な問いに対する、監督なりの一つの答えなのかもしれません。
**人間とは、愛とは**
『果てしなきスカーレット』は、単なるエンターテインメント作品の枠を超えています。
* 人間とは何か。
* 死ぬとはどういうことか。
* 生きるとはどういうことか。
* そして、愛とは何か。
哲学的な問いを、圧倒的な映像美と音楽に乗せて浴びせられる2時間。観終わった後、世界が少しだけ違って見える。そんな映画体験でした。
もし、ネットの評価を見て迷っている人がいたら、どうか自分の目で確かめてほしい。そこには、あなたの心を揺さぶる「真実」が隠されているはずです。
リアリティなきファンタジー
11月22日に映画館にて鑑賞。
すみません、とても長くなります。
ことさら作品を腐すわけでなく、さりとて持ち上げるでもなく。
感じたありのままを一生懸命レビューします。
シェイクスピアの悲劇「ハムレット」をモチーフとしつつ、「過去にとらわれず未来に向かうために誰かを、何かを許せるか」という青臭くも普遍的なテーマを取り扱った本作は、エンドロールが終わり館内に照明がついた後の私に多くの疑問を残した。
①序盤の布石が弱くないか?
この物語の肝の1つである「復讐心からの解放と許し」というテーマを存分に表現し切るには、スカーレットと生前のアムレット王との絆がどれほど強かったのか、クローディアスがどれだけ卑劣な手段でアムレット王を陥れたのかを丁寧に描く必要があった。そうでないとスカーレットのクローディアスに対する強い復讐心が観客側に共感されにくく、最後に復讐の執着から解き放たれるカタルシスが弱くなるからだ。
しかし、それら重要な序盤の布石はどれもダイジェスト的な見せ方に終始。例えばスカーレットとアムレット王の絆は、似顔絵を片手にキャッキャウフフという極めて記号的でテンプレート感の強い描かれ方しかされていない。
また、クローディアスは隣国との協調路線を打ち出すアムレット王に公然と反発するものの、その激しい反発心の背景が掘り下げられることはなく、イマイチ伝わってこない。さらには、クローディアスがどれだけ卑劣な奸計でもってアム王を反逆者に仕立て上げ処刑台に送り込んだのかも明らかにされない。単にアムレット王の説明的な台詞の中で「クローディアスが自分を反逆者に仕立てあげた」ということが語られるのみだ。
これでは、スカーレットがクローディアスに対して抱く憎悪と復讐心の強さを共感しにくい。脚本家:細田守の中では「ハムレットをモチーフにしているのだから、主人公が叔父に復讐を誓うまでは当然の前提条件」という理屈なのかもしれないが、登場人物の描写があまりにも淡泊過ぎたせいで、最後まで私はこの世界の人物に没入することができなかった
②「設定のための設定」でしかない世界
この物語のメインの舞台となる「死者の国」が出てきてから最後まで、私にはその場所が何なのか一向に腑に落ちなかったために、最後までずっと首を傾げてしまった。
死者の国では砂漠と荒野と廃墟が果てしなく続いているような描写があり、スカーレットには疲れや喉の渇きといった感覚はあるようだが、飢えに苦しむような様子はなく、憎き仇を探して不毛の荒野をさまよい歩くシーンが続く。これを観ながら私は「なるほど死者の国だから、飢えるということはないのか。きっと、強い未練を残してこの世を去った魂が、永久に果たせないであろう何らかの目的のために、未来永劫さまよい続けるような世界なのだろうか」などと自分なりに納得していたら、やがて日本人看護師:聖と出会ったスカーレットは、供連れの旅の途中で、様々な麻袋を馬に積んだキャラバンの隊列に行き合う。そしてキャラバンの集落に身を寄せる場面になったところで私の頭は完全に「?」に支配されてしまった。
このシーンの描写から、死者の国でも取引が行われており、食事をするという行為があることがわかる。ならば、それらを調達するため穀物や植物を育て収穫したり、動物を飼育したりといった、まさしく生きるための営みがあるはずだ。じゃあ死者の国ってなんなんだと、私の頭を浸食した「?」は、終盤に語られる説明でさらに広がっていく。
いわく、この国は生者と死者、過去と未来が混ざり合って存在している場所であり、スカーレットは実はこの時点では死んではおらず、現世で毒により昏倒し意識不明となっていたところを魂だけがこの地に行き着いた、ということのようだ。
…うん?
現世で意識を失っていたスカーレットの魂が、死者の国に一時的に迷い込んだというのは理解できる。クローディアスが死者の国にいる理由も、実はすでにクローディアスが死んでいるという説明が後になされたことで腑に落ちた。ただ、なんでクローディアスの配下一味は揃いもそろって死者の国にいるのだろうか。こいつらも全員すでに死んだか、あるいはみんなで現世では意識不明で死の淵をさまよっていたということなのか。
そして、過去も未来も混じり合っているにしては、死者の国の登場人物は誰も彼も中世ヨーロッパのたたずまいなのはなぜなのか。スカーレットに襲いかかる戦士たちはプレートアーマーで身を固めており、武士や古代ローマの戦士たち、あるいは現代の兵士といった装いのキャラクターは一切登場しない。聖だけがご都合的に現代人として登場するのみだ。
そして、この死者の国でもクローディアスが一大勢力を率いている様子がうかがえるが、クローディアスはどのようにして死者の国で城を構え、強大な軍を保有するに至ったのか。スカーレットは、この広大無辺な世界の中で、徒歩でどうやってクローディアスの所在を突き止め、たどり着いたのか。
さらに、アレキサンダーやチンギス・ハーン、項羽に劉邦などといった、かつて世界の版図を広く塗りつぶした歴史上の偉丈夫たちはこの死者の国で何をしているのか、一切語られることはない。
空を泳ぎ雷を降らすドラゴンも、ただ「ファンタジーぽい世界」の味付け程度の印象しか与えず、「見果てぬ場所」へと続くであろうと思われる閉ざされた巨大な扉の意味も、なんなら「見果てぬ場所」の意味さえ分からない。
つまるところ「死者の国」なるものは、16世紀のデンマーク人であるスカーレットと現代の日本人である聖との時空を超えた出会いというプロットを成立させるためだけにそれらしく存在する、何のリアリティも感じさせない「設定のための設定」の世界ということだ。
「ファンタジーにリアリティもクソもねぇだろ」と思うかもしれないが、この2つは相反しない。たとえファンタジーの世界であっても、ポップコーンとドリンクを片手に座席に座る観客をスクリーンの向こうの世界に引っ張り込むには、「自分がその世界にいたら」を実感させるに足るリアリティというものが不可欠なのだ。
こうした没入の仕掛けをポイポイっと捨て去っているとしか思えない細田監督にとって「ファンタジー」とは、クシャクシャに丸めた物語を勝手に整然と畳んでくれる魔法の風呂敷か何かなのだろうか。暖かい紅茶とシナモンチュロスを片手に本作を鑑賞していた私は、意識が現代の渋谷へと行き着いたスカーレットのようには自分の座席からスクリーンの向こう側へと突入することはできなかった。
私の勝手な意見だが、映像の美麗さ等を抜きにして、ストーリーをかみ砕くという点において「果てしなきスカーレット」はあまり映画向きの作品ではないように思う。映画は「その時間、集中してその作品を観る」という時間なので、観る側の集中力が非常に高い。だから、心を動かされるときの感動はひとしおだし、逆におかしいと感じるところはずっと引っかかってしまうものだ。どちらかというと、ネット配信や金曜ロードショー等で放送されているのを、家事をしたり趣味をしたり携帯電話を片手に「ながら」視聴をする方が、細かい設定が気にならずにスッと物語の世界観を受け入れられるのではないか(作品の程度の良し悪しの話ではなく、視聴媒体の向き不向きの話として)。
※余談だが、スカーレットが山頂から透明な階段を上っていくシーンで「カイジやんけ!」と私は小躍りし、さらに見果てぬ場所へと続くであろう巨大な扉の場面では、「きっとクローディアスがこの扉を開けた瞬間に気圧差のビル風で佐原よろしくはるか彼方に吹っ飛ばされるに違いない」と、この映画を観ている時間の中で一番ワクワクした。
③登場人物に台詞で説明させるのはやめないか
最近特に顕著な現代アニメの傾向、すなわち「心情、状況などあらゆることを登場人物に語らせて説明する」という演出は本作でも健在だ。細田守が誰をターゲットにこの映画を作っているかは知らないが、少なくとも鬼滅の刃よりは一回り上の年齢層、中学生以上がメインターゲットといったところではないかと推察する。であればもう少し、「演出でもって受け手に感じ取らせる」という手法があってもいいように思う。台詞での説明はクドさ、しつこさがどうしてもついて回る。
個人的にザワついたのが物語の終盤、消えゆく聖がスカーレットに「生きたい!」と何度も言わせる場面。おそらくハムレットの有名な台詞、"to be, or not to be, that is the question."(「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」という言葉だが、物語の文脈から「復讐をするべきか、すべきでないか、それが問題だ」という風に訳される)を踏まえてのシーンだとは思うのだが、私には散々焦らされたM女がドS気質の彼氏に早く絶頂に導いて欲しいと懇願しているようにしか見えなかった。
そしてその少し前、仇敵クローディアスを目の前にスカーレットが復讐を果たすべきかどうか激しく心中で自問自答する場面は、どうしても鬼殺隊の長男を思い出してしまい笑いをかみ殺すのが辛かった。
大体にして、スカーレットの中をあれほど支配していた復讐心が、クローディアスのあの程度の懺悔で簡単に揺らぐという心情がにわかには理解しがたい。
④終わり方はそれでいいのか
ここまで長々と書いた結びにひとつ、どうしても納得がいかない演出がある。物語のラストのラスト、スカーレットが歌を口ずさんでエンドロールへと移行するシーンだ。
観ている側はここまでの流れで、「結局のところスカーレットの体験は、現世で意識を失っていた間に観ていた夢物語だった」ということを理解しているのだが、それでもその夢物語の中で聖と出会い、スカーレットは復讐に執着していた自分自身を許し、未来に向かって生きることを学んだ。聖は消えてしまっても、聖との出会いで得たものは確実にスカーレットの中に生きている・・・
そうした2人をつなぐ絆の象徴のひとつが、キャラバンの集落で聖が教えてくれた歌(「以下「聖ソング」)のはずではないのか。それがなぜ、物語のラストでスカーレットが口ずさむのが、まったく関係のない歌なのか。このシーン、スカーレットに歌わせるべきなのは聖ソング以外に何があるというのか。
「スカーレットが口ずさんだのは聖ソングのAメロで、エンドロールが進むにつれて二人が歌ったあのサビが流れてくる」と思い込み、「ベタだけれども、良い終わり方だな」と先走って納得していた私は、曲がサビに移行したところで聖ソングとは全然別の歌だと分かり、思わず「えぇ・・・??」と声に出してしまった。
⑤結びに
こうして、映画「果てしなきスカーレット」の鑑賞を終えて照明が点った館内で、私は噛んでも噛んでも飲み込めないホルモン焼きがずっと口の中に残っているような心持ちのまま席をたった。
ただ、少なくともこの作品で何を表現したかったのかはハッキリ伝わるし、美麗な映像は映画館の大スクリーンならではの迫力ということもある。その意味で、有象無象のYoutuberたちが視聴回数を回したいがために酷評するほどには駄作というわけでもないと私は思う。ただ、「何を表現するのか」よりも「どう表現するのか」という点で大きな課題を残した作品だと思うし、だからこそ余計に脚本家:細田守の限界が改めて浮き彫りになった作品だったなぁというのが、全体的な私の感想です。
我ながら嫌になるほど長いレビューを読んでくださった方、ありがとうございました。
純粋に感じられない自分が悪いのか
悪評が気になって見に行った勢。
細田作品はほぼ初見です。
事前にYoutubeの個人レビュアーの感想をいくつか見ました。全体に酷評でしたが、良い点悪い点の根拠を述べていて、罵詈雑言レベルではなかったと思います。
以上の前提で、期待ハードルは超低かったのですが。
うーん…。
「何これぇ?」を、心の中で無限に呟く時間でした。
まず映像は素晴らしいです。
一部「ん?」と思う表現はありましたけど、生死の間の世界描写と龍は素晴らしかったです。
あと、芝居もそこそこ良かったです。
自分が一番ダメだった「主人公2人の人物造形」について感想を書きます。
まず看護師。
名前を呼びたくないほど無理でした。
外見と中身が合ってなさすぎる。現代日本らしい軽い感じの容姿と言動ならまだ耐えられたかも。古来日本男子のような職務実直坊主っぽい印象で、言うことやることが本当に軽い。
生前の価値観を異世界に持ち込み、押し付け、同行者に怪我を負わせるほどの迷惑をかけて「不殺」を押し付ける。
なのに記憶が蘇った途端に、自分は弓でころすんかーい…。
なんなのこの男。
信念軽すぎてお話にならん。
スカーレット。
親の仇を討ちたい、わかる。
じゃあなぜ大人になるまで仇の支配する城に留まってるの。父親を裏切った母に向ける気持ちは何もないの?
唐突に現れた男に感化されて不殺。
意味わからない。
袖を破られて恥じらっていたカマトトのくせに、寝る時は布一枚巻いただけで、起きた瞬間は肩の肌色が見える。貞操観念バグってる?
男の鼻歌を聞いて唐突に覚醒。夢の中でダンス、心象風景だから唐突なのは別にいいけど、その時の気づきで自分を許すにつながった…いやアクロバットすぎませんか?
主人公が好きになれない作品はそれだけでキツい。
そこに現実に戻ったスカーレットによるお花畑のようなラスト。
は?
ここまで不条理で報われない世界を描写しておいて、現実に戻ったら全部うまくいくエンド?
は?
良かったと思う人が羨ましいです。
自分はやっぱり「何それぇ…」としか思えないです。
映像と音楽、芝居に星2つ分。
他は0点です。
観客を置き去りにする脚本と演出
戴冠したスカーレットは、本当に争いのない平和な世をつくれるのかと問う民衆に対してこう答えた。「あなたの賛同と、協力があれば」と。
本作がシェイクスピアの『ハムレット』を下敷きに、現代の世界情勢も踏まえつつ、「復讐と赦し」「争いと平和」「生きるとは、愛とはなにか」をテーマとして製作された映画であることは周知の通りである。これらのテーマ自体は社会的意義があり、とても良いことだと思う。だが、世界観も人物造形も薄っぺらなまま「こういうもんです」と言わんばかりに突き進む脚本、唐突に挿入されるダンスシーンで観客を置き去りにする演出はいただけない。お約束のように男女間で発生する恋愛も、台詞がクサすぎて終始シラケた気持ちで眺めていた。(「泣くなスカーレット、俺が側にいる」は直前の渋谷ダンス幻覚と相まって変な笑いが出そうになった)
スカーレットの母国が傾いた原因は、端的に言って王族間の権力争いである。民主的に選ばれたリーダーが戦争を起こして国が傾いたのであれば、国民にも責任の一端があるかもしれない。だが、舞台となった中世デンマークは王政なので、決してそうではない。クローディアスという権力者の個人的かつ身勝手な欲望のせいで、国民は被害を被っているのだ。その国民に対して、平和な世をつくるためには「あなたの賛同と協力が必要」だと王女が説くのは、なかなか傲慢だなと感じた。(この台詞は、現代を生きる我々に向けているものだと理解はできるが)王族の自覚があるのであればスカーレットは最初に、国民に対して王族の暴走と腐敗を詫びるべきなのだ。
故人が遺したメッセージをどのように解釈するかは難しい。正解は永遠にわからないので、遺されたひとの心が救われるなら、どのような解釈でもよいかと思う。スカーレットは処刑場で父が遺した「赦せ」という言葉に導かれ、父を殺した叔父を赦し(無条件な赦しではなかったが)、復讐の道でしか生きられなかった自分自身を赦した。二重の意味での「赦し」はこじつけっぽくも感じるが、追い詰められて生きてきた少女が、復讐の人生から解放されたのは単純によかったと思う。
映画の体感時間はかなり長めで、画がいくら綺麗でもストーリーは決して面白いとは言えなかった。他人にすすんで鑑賞をおすすめはしない。(細田監督作品はこれから完全にセルルック3DCGへ舵を切るのかな?手書きアニメーションの味が好きだったので残念)
生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ
細田監督がハムレットをモチーフに、復讐という難しいテーマをどう描くのか、楽しみにしていた。
スカーレットが果てに見た、二人で踊る人工的で無機質な渋谷。
こちらのほうがむしろ、地獄で空虚な世界。
今の社会を如実に反映したもので、監督の強烈なアイロニーを感じた。
最愛の父を殺され、あれだけ憎んでいた叔父の復讐に、最後に悩み、許しを与えようとするスカーレット。
子供を守るため殉死するも、刺客をなんのためらいもなく殺す(スカーレットを守るために)、看護師の聖。
人は矛盾した存在であり、殺伐とした現世を悩みながら生き抜けとのメッセージを受け取った。
映画はあれだけ斬新な映像で素晴らしいのに、心の琴線には触れることがなかったのが、不思議だ。
少し、狙いすぎたのかもしれない。
闇堕ち発狂からの復活がテーマなのかな
バケモノの子のラスト付近で敵が唐突に闇落ちして、「え?・・・」となったのですが、今作を見て細田監督は、闇堕ち発狂からの復活がやりたいのだなとハッキリ思いました。
父親を叔父に殺された姫の復讐を、現代からきた青年が説得して、姫は争いを無くすために全てを許すという内容なのですが、今この時代に復讐をテーマにするのは難しいのではないだろうか。。。
とにかく共感しづらい。叔父がひたすら悪党として描かれるので、許す気が起きないし、スカーレットが許した後、竜が叔父を殺して解決するのはなんとも納得しづらい。
許しへの答えが改心ではなく、天の裁きだったという事なのか・・・
直近で鬼滅の刃を観た後なので、「絶対に許さない鬼殺隊」と「全てを許すスカーレット」を比較してしまいますが、許さない方に軍配が上がってしまいました。
映画の短い尺であまりに哲学的なテーマは難しいのか、それとも時代が追いついていないのか、現代に刺さってない印象が強かったです。
いや、「戦争が起きない世界を創るためには、許すことが大切だよね」というのは、確かに今現代において大切な事ですが、竜と夢オチでちょっと逃げちゃったよね?とどうしても言いたくなります。
壮大な凡作。シェークスピアにはなれなかったね…でも観るならあえてIMAXで。
久しぶりの細田監督の作品である。舞台は中世デンマーク復讐と愛の物語…しかし残念ながらやはり公開当初からの酷評のそしりは免れないかなと。いったい何が言いたいのかよく分からないぽやっとした印象の作品だった。キツい言い方だが「薄いテーマのシェークスピアもどき」というのが正直な感想。なまじ映像の出来が良いので、なんのメッセージも受け取れない出来の悪いストーリーが際立ってしまい、鑑賞後は感動やカタルシスとは真逆の平野に置いてけぼりなのだ。あえて観るならIMAXで映像美だけを堪能した方がよほど満足度は高かっただろうと悪態をつく。
…思うのだが、細田監督は脚本を書かない方が良い。今作を見てどうもその部分の才はいよいよ怪しい気がしてならなくなった。原作としては良いのだろうが、とにかく脚本の出来がダメなのである。
まずあのダンスシーンはまったく意味不明だ。無理くり入れた感が際立ってダサい(街中で踊るモブの作画手を抜きすぎw)勘弁して欲しい。あれほど「殺すな殺すな」と言ってた聖があっさり人を殺すわ、死者の国で髪を切ったスカーレットが生き返ると髪が短いとかなんだ?しかも生き返ってみれば仇の叔父王は、間違って飲んだ毒で死んじゃってました??間抜けか!他の従者共も揃って同じ死に様で死者の国送りだったのかねぇ?www そして何より死者の国は死と生が混ざり合う場所ならば別に生きてるスカーレットが戻らなくてもいいんジャネ?本人戻りたくない言うてますやん。
真面目な話、もし今後作品を作るのであれば、名作サマーウォーズの時のように奥寺佐渡子氏でも脚本家を立てた方が無難ではなかろうか。その辺、出資会社各位も検討の余地は大ではないだろうか?
さて…鑑賞後、ハタと思ったのだが
これ、あの有名な都市伝説ドラえもん最終回「ドラえもんのお話は植物人間だったのび太の夢でした」と同じ夢オチだったんじゃないか?
つまりこのお話は、スカーレットは実在せず、すべて通り魔に刺された聖が臨終間際に見た夢
そう「(死にゆく聖が見る)果てしなきスカーレット(の夢)」だったんじゃないか!?
…とオチをつけて帰路についたのでした。
これはちょっと…
かつて酷評された「ドラゴンクエストユアストーリー」を思いっきりハードル下げて観たらそこそこ楽しめたので、こちらも同じやり方で楽しめる…はずだった😰。いや、すみません。どんなにハードル下げてもこれはダメでした。賛否両論の作品ではあるが圧倒的に否に同感。つまりは「主人公が復讐の虚しさに気づき憎しみを捨て善政をなす」というたったそれだけのプロットのために、この主人公たるや劇中でなんと「何もしない」のである。そして主人公との対比として登場する現代日本人の青年も、この主人公に対して「な~んにもしない」のである。ベタな平手打ちの一つすらしない。強いて言えば楽器を弾いて歌を歌うくらいのものであるが結果として表れる現代日本の夢は主人公が勝手に見ただけで青年が何か見せたわけではない。「復讐に取り付かれた中世西欧の王女と現代日本の男性看護士がもし出会ったら」という美味しいシチュエーションに対して信じられないことに「お互い何となくひかれあう」以上のドラマが何も展開しないのだ(というかドラマが作れなかったから代替にあの夢のシーンだけ作ったとしか思えない)。主人公は争いの無益さに気づく役どころなので他人を傷つけてはならない、じゃあ作劇上どうするか。悪い奴は周りが全部懲らしめてくれるのである。何なら主人公と何の関係もない怪物が唐突に現れて悪い奴らをやっつけたり相手が勝手に自滅してくれたりする。主演の芦田愛菜はさすがの熱演だが、思ってること全部口に出す脚本のお陰でセリフが異常に多いのが気の毒でならない。そして単に卑劣なだけの魅力も深みも何もない悪役に声当ててるの役所広司だぜ信じられるかい。他にも物凄い役者の無駄遣い。なに、理屈をこねるこたぁない、この作品の魅力のなさは「風の谷のナウシカ」と思い比べるだけで事足りる。日本テレビさん、ポストジブリ、ポスト宮崎駿は欲しいだろうと思いますが、悪いこと言わない他をあたった方がよい。
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