果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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そこまで批評するほどでは、、、ないか?
ストーリーは、復讐に囚われたスカーレットが聖と出会い、様々な冒険をすることで復讐が全てではない。自分を赦すべきだと成長する話かな?分からんけど笑
内容は、一応わかるんだけど説明不足が多い。今までの細田守作品もファンタジー要素があるのもあったり意味がわからない場面もあったけど今回はそれが強い気がする。
例えば、龍の事とか、神?的な存在のこととか、東京?のダンスのシーンとか、クローディアスの死因が薄いとか、聖だけなんで服ごと消滅したのかとか、聖が殺すなとか言っといて自分は殺すのかとか、、、、。
疑問というか、モヤモヤした感情は解消せずなんだかなぁって感じ。
スカーレット自体(父親も)バカ正直すぎるし、騙されてからは、逆に疑い深すぎるし過去があって仕方ないけれどそこまで好きになれなかった。あと、聖。弱いのに正義感が強くて普通にウザイ。嫌いまである。
徹頭徹尾に謎が多すぎて、なんとも言えなかったけれど、割と芦田愛菜ちゃんの演技は良かったし映像は綺麗だった。あとは、ラスト。復讐しろよ!とかまだ騙されんのかよ。とか2人はこれでおしまいなのか、、、とか色々言いたいけれどとりあえずは、綺麗にまとまりハッピーエンド寄りではあったので一応満足。
行く前からレビューが悪すぎたのもあったので、期待せずに見たのでまぁそこそこ面白いのかなって思う。
最低作品とは思わない。ただ、見終わってパンフ買いたいとかもう1回行こうかなとは思わなかったかな。
to be,or not to be…
公開初日からかなり批判的なコメントが多く、一周回って興味を持ちました。
倍速視聴や食傷気味な異世界転生(俺TUEEE)、食べログ★3.5以下のお店には食べに行かないみたいな大衆が騒いでいるだけで、日本人の大衆の感性なんてどうせ感受性が死んでいるんだろうと思ってましたが、私の感受性もいよいよ遂に死んだのか、本当にフォローの余地がないくらいに作品(脚本?)が作品として成り立っていないのか判別できないくらいに退屈でした。
細田監督の作品は『時をかける少女』が一番好きで、『サマーウォーズ』と『おおかみこどもと雨と雪』で関心を失い、未視聴だった『バケモノの子』『未来のミライ』『竜とそばかすの姫』を観てからファーストディで観てきました。
尚、個人的に『時をかける少女』★5.0、『サマーウォーズ』★3.5、『おおかみこどもと雨と雪』★3.0、『バケモノの子』★4.0、『未来のミライ』★3.5、『竜とそばかすの姫』★4.0でそれほど悪い印象はありませんでしたが劇場で鑑賞料を支払って観るか問われれば宣伝で興味を全く惹かれなかった直感が覆されるような感動はありませんでした。
私のレビューはおおよそ下記の基準でつけています。
(他に加点も減点もあります)
★0.5は時間の無駄
★1.0は課題かお金をもらえるなら観る
★1.5はネタとして割り切るなら
★2.0はB級映画の方がマシ
★2.5は配信で十分
★3.0は悪くないが、私には合わなかった
★3.5は人によって好き嫌いかなり分かれる
★4.0は劇場で観るべき作品、
★4.5は人に勧めたい作品
★5.0は感動!数年に1本の傑作〜
シェイクスピアの『ハムレット』、ダンテの『新曲』などをモチーフに…というのは知っている人にはわかるけど、知らない人にはあまり意味を持たないでしょう。
観た人に伝わるものがなければ、それは受け手の問題である以上に興行的に失敗してしまうのですから、アマチュアや自主制作ならいざしらず、多くのスポンサーを抱えてやるべき事ではないでしょう。
スポンサーを含めて、もはや日本の観客など観ていないのかもしれませんが、良くも悪くも「自分の創りたいものを創る」にこだわった結果が本作だとすると、大衆迎合に舵を切った新海誠作品(すずめ)よりはマシだけど、これで打ち止めかもしれません。
煮詰まらない作品(脚本)をスタジオを維持するために定期的に映画を作らないといけない。
そして納期に合わせて周りの声を聴かずに作りきってしまったのかなと思います。
またかつてはポスト宮崎駿と言われた皮肉を込めて細田版の『ハウルの動く城』か『ゲド戦記』かもしれません。
好きな人には怒られるかもされませんが、ジブリにオリジナリティのある作品は殆どなく、何かしらの他者の原作を土台に物語がアニメ化される意味で、和製ディズニーがスタジオジブリというのが私の評価です。
変な話ですが、ジブリでさえ何本かに一つしか興行的な成功はありません。
なので、これをバネに作り続けられるか、これで辞めてしまっても不思議ではない結果です。
興行収入は5億ギリギリ、10億に届くかはなんとも言えないでしょう。
ジブリ作品
•風の谷のナウシカ(1984) – 14.8億円
※ジブリ前
天空の城ラピュタ(1986) 11.6億円
となりのトトロ(1988)
火垂るの墓(1988) 5.9億円(トトロと同時上映)
魔女の宅急便(1989) 43.0億円
おもひでぽろぽろ(1991) 31.8億円
紅の豚(1992) 47.6億円
平成狸合戦ぽんぽこ(1994) 44.7億円
耳をすませば(1995) 18.5億円
もののけ姫(1997) 201.8億円
ホーホケキョ となりの山田くん(1999) 15.6億円
千と千尋の神隠し(2001) 316.8億円
猫の恩返し(2002) 64.6億円
ハウルの動く城(2004) 196億円
ゲド戦記(2006) 78.4億円
崖の上のポニョ(2008) 155億円
借りぐらしのアリエッティ(2010) 92.5億円
コクリコ坂から(2011) 44.6億円
風立ちぬ(2013) 120.2億円
かぐや姫の物語(2013) 24.7億円
思い出のマーニー(2014) 35.3億円
レッドタートル ある島の物語(2016) 2.5億円
君たちはどう生きるか(2023) 89億円
細田守 監督作品
時をかける少女(2006) 2.6億円
サマーウォーズ(2009) 16.5億円
おおかみこどもの雨と雪(2012) 42.2億円
バケモノの子(2015) 58.5億円
未来のミライ(2018) 28.8億円
竜とそばかすの姫(2021) 66億円
新海誠 監督作品(公開年順)
ほしのこえ(2002) 興収不明(自主制作規模)
雲のむこう、約束の場所(2004) 5000万円
秒速5センチメートル(2007) 1億円
星を追う子ども(2011) 1.5億円
言の葉の庭(2013) 2.1億円
君の名は。(2016) 261.1億円
天気の子(2019) 141.9億円
すずめの戸締まり(2022) 147.5億円
正直に言って、前半何度もうつらうつらしてました。
映像は予告に出てくる竜のシーンが一番迫力があり、それ以上に迫力を観ている場面で感じるシーンはありませんでした。
フォローする訳ではありませんが、日本はこの作品にスポンサーがついて創られる程度には表面的に平和なのでしょう。
またアニメが動画配信を含めてコスパの良い趣味(暇つぶし)として認知されて市場が拡大したのでしょう。
作品の主題だと思われる生きたいと願っているのに叶わない人が世界にいる。内戦や紛争など理不尽に生きることを奪われる人がいる世界において、この作品で描かれたようなことにリアリティも切実さも感じられないくらいに平和ボケしているのでしょう。
またそうした市場にそうした作品を創りたいように創って殆どの人に受け入れられずにコケた。
監督の信念に従って製作してコケたのですから、もう言い訳のしようがない。
"to be,or not to be..."
監督自身も自問自答したのかもしれませんが、どうかそれでも懲りずに我を通して作り続けて欲しいと思います。
この作品の★は某監督の『すずめ…』と同じ評価ですが、評価の意味と意図は全く別物(失望/期待)であることは書き添えておきたいと思います。
がんばれ、細田守。
創りたいものを創れる監督が今の日本に何人いるだろう?その意味で周りの声など無視して、自分の感性を信じて創り続けて欲しいです。
個人的に新海作品よりは期待してます。
スッキリしない○○◎○○
絵とキャラは良い!!
細田監督のファンタジーと現代が混ざった感じは好きなのだが、終始設定がわからず、話が進んでいっても解決していかないし、謎解けた感じもなくスッキリもしない
結局、あの世界が何をするところなのかよくわからないし、どうしてあの世界にいるのか、理解ができないまま進んでいく
上の理解ができないからなのか、現代の聖と古代のスカーレットが会った意味も良くわからないし、現代のスカーレットが出て来たのも良く分からなかった
ラストは現代につなげて終わるなりしていたら多少はスッキリしていたかもしれません
見やすさ○
ストーリー○
キャラクター◎
没入感○
個人的好み○
内界の深層で“別の自分”を見つける物語として読む
細田守の最新作『果てしなきスカーレット』は、公開当初から
「難解」「象徴が多すぎる」「平和メッセージが陳腐」
など、多数の批判に晒された作品である。
しかし、これらの評価の多くは “外側の筋”を物語の中心と誤読している” ことに起因する。
復讐、戦い、神話、平和といった表層的テーマは、
確かに作品のフレームを形作るが、作品の“核心”ではない。
本作を理解する鍵は、
「あの世界はすべてスカーレットの内界で起きている」
という視点である。
この読み方を採用すると、作品が抱える“矛盾”が消え、
断片的に見える映像が明確な意味を持ち始める。
そして何より、スカーレットという主人公の存在が
“ひとつの物語を生きる少女”ではなく、
“複数の価値観がひとりの中で折り重なった象徴的存在”として立ち上がる。
■1:スカーレットという“多面体の自分”
本作の主人公スカーレットは、
一般的な劇映画における「共感されるヒロイン」ではない。
むしろ、感情を読み取りづらく、
観客に対して“心を閉ざした存在”として描かれる。
しかしこれは欠点ではない。
スカーレットは ひとりの人間の姿を借りた“多層的な内面の集合体” である。
作品中で時代・文化・神話・現実が混じりあうのは、
世界が混乱しているからではなく、
彼女の内側が異なる価値観の層を持っているからだ。
彼女が見るもの、触れるものはすべて
“自分ではない自分”であり、
その価値観との衝突こそが物語の本質である。
■2:聖という存在――自分の外側にある自分
スカーレットに大きな影響を与える少女・聖。
表面上は「別世界の住人」であり、
物語の鍵を握るキャラクターとして登場するが、
その正体は極めて象徴的である。
聖は “スカーレットが理解できない価値観を体現した別の自分” である。
強さ、静けさ、覚悟、喪失への受容――
スカーレットが持ち得なかった側面を、
聖が代わりに背負って登場する。
敵もまた、怒りや憎悪などの“破壊衝動としての自分”が具現化した姿と読める。
つまり本作は、善悪が交錯する戦いの映画ではなく、
内面世界の中で複数の自分が衝突し続ける心理劇である。
■3:ダンスシーンの誤読と真価
公開時に最も批判されたのが、
スカーレットが“現代風のダンス”を目撃するシーンだ。
しかし、ここを「突然の現代化」と捉えるのは誤読である。
あのダンスは スカーレットの想像の中で見えた“別価値観の生の表現” であり、
時代移動でも現代批評でもない。
身体の動きが曖昧で、現実味がないのは、
モーションキャプチャーの精度ではなく
“内界のイメージは、現実の肉体ほど明確に描かれない”
という事実を映像表現にしたためである。
スカーレットは別の生き方、別の魂、別の世界のリズムに
“感覚的に触れただけ”であり、
その体験が彼女の価値観を揺さぶる。
■4:世界の構造は“現実”ではなく“心の地図”
この映画世界では、
過去
神話
現代
異界
戦い
語られていない記憶
他者の物語
自分の想像
これらが等価に画面に現れる。
一般の映画であれば破綻するが、
これは“外側の現実”ではなく
“内界の構造”を地図のように描いているから成立する”。
(この構造は『未来のミライ』の庭世界や、『竜そば』のUの内面反映と同系統)
スカーレットは世界を旅しているのではなく、
自分自身の内側の旅をしている。
■5:ラストの門が示す“認識の変容”
本作の象徴的クライマックスは
「門が開かないのに、水面に映った門は開いている」という矛盾したラストだ。
この矛盾こそが、本作の本質だ。
● 現実の門は開かない
世界は変わらない。
境界は境界として残る。
喪失は消えない。
過去は変わらない。
● 水面の門は開いている
しかし、自分の内側は変わった。
世界の“見え方”は変わった。
別の価値観を受け入れた。
新しい自分が生まれた。
つまり、
> 「現実は閉じたままだが、内側では扉が開いた」
という 成熟した世界観 を示す終わり方である。
外界が変わるのではなく、
自分が変わる――
これは細田守作品では珍しいほど陰影に満ちた“静かな救い”だ。
■6:なぜ誤読されるのか
スカーレットは説明しない。
聖も説明しない。
世界も説明しない。
そのため、
“説明されないと理解できない”観客には厳しい作品となる。
だが、説明が無いことが欠点ではない。
これは“説明より記憶・象徴・感覚が優先される世界”だからだ。
外側の物語で観ようとすれば破綻に見える。
だが、内界の寓話として読めば
どのシーンも緻密に繋がっていく。
■7:『果てしなきスカーレット』の本当の価値
本作は “自分ではない自分に出会い、価値観が変容する物語” である。
聖、敵、神話、戦い、ダンス、門。
これらはすべて
“スカーレットの内側にある別の価値観の断片”として登場し、
最後に水面で開いた門が
彼女の内的成長を象徴する。
これは平和の寓話でもなく、
復讐の映画でもなく、
神話の再話でもない。
**“内界の成熟の物語”**である。
このような読み方で鑑賞すると、
『果てしなきスカーレット』は
細田守作品の中でも最も深い精神性を持つ作品となり、
その価値は大きく変わる。
教養がない人には難しいか
古典を現代の価値観にアップデートして話。そこに細田監督の感性が惜しみなく入っていて、細かい粗はあるけど、とても良かった。
ストーリーについて。原作はなかなか復習しないハムレットを見るのが共感ポイントだった。しかし今回は、復讐を越えて、許せるようになる物語だった。途中までは叔父を許す話なのかと思ったけど、違った。自分を許す話でした。最後でそれがやりたかったのね、って唸らせてもらいました。それでいて演出は舞台っぽいセリフ回しだったり、最後の精神世界の葛藤シーンだったり、ハムレットっぽさがあったのでにっこり。
ビジュアルについては、なんやかんやヨーロッパ中世ベースの異世界ものが多い中、どこの国ともとれない本当のファンタジーを構築している。加えて、全体的に暗めの絵作りながら、単調にならずに迫力と美しさを伝えてくれている。色彩カラフルにするのは簡単だけど、これだけ落とした中で圧倒する世界を作ってくれたのが粋。最後の階段とかも、あえて消えそうな位のステップにしているのが良いよね。
最後にミュージカルについては、差し込む部分が違う。
最初に、復讐の期待を一身に背負い稽古に励むシーン。次に、キャラバンで復讐を忘れて楽しく踊るシーン。最後に、復讐の対象である叔父とダンスするシーン。
特に見せ場は最後、歌とダンスで、なぜスカーレットが叔父を許すようになったのか、を表現してほしかった。
ネットあてにならんですね
ネットの評価が最悪だがとにかく観てみないと思い本日…
結果は表題のようにあてにならんですね。
そんなに悪くない
むしろイイ
脚本もそんなに
CGと手書きのハイブリッドもそんなに違和感ない
声も悪くない
渋谷も別に※なくてもいいけどなぁ?
最後の天界のシーンはむしろ感動的な気がする
主人公が弱いのもイイ
唐突に別キャラがでてくるのも許せる
宮崎駿をある面では超えたのではとまで思えるシーンもあると思う
キャラ設定が弱い→貞本さんならもっと
世界観がわかりづらい
あと、何か道案内的なカワイイキャラクターがいればもっと完璧👌
インドよりも和製ディズニーの方がピッタリと思う
いゃあ〜いいものみせてもらったわぁ
別の宮崎ぽいなんとかポニ◯クの100倍いわぁ❗️
ぜひぜひ見に行って🙏
普通
予想外の事がなく山場がない
スカーレットがかわいい
ダンスシーンは面白かった
兄王の派閥は何処に行ったのかスカーレットが現実に帰ってきて周りの弟王派閥とどうやって戦っていくのかがもっと見たかった。
「復讐劇」結末は二つに一つさてどっち
主人公が16世紀のデンマークの王女スカーレット。
そしてシェイクスピア4大悲劇の1つである「ハムレット」をベースにしたファンタジー。「ハムレット」は、王子ハムレットが王である父を殺した叔父に復讐しようとする物語。本作の基本的な設定は「ハムレット」をなぞっており、「復讐」をテーマにした作品。
復讐を果たすのか許すのか。どちらのラストとなっても使い古された話です。
国王だった父アムレットを叔父のクローディアスに殺されたスカーレットは、自身も毒を飲まされ、死者の国を彷徨いながら復讐を誓ったクローディアスを捜す。舞台を死の国にして、時を超えて現代の看護師である聖(ひじり)がスカーレットの前に現れます。
聖はスカーレットとは対照的で、人を助け、ケアし、争いを拒否する姿勢を貫く。歌を唄い、踊り、出会った人々と交流することで、笑顔と平和をもたらすキャラクターとなっています。これがアレンジとなっています。この設定だからとはいえ、中盤でのダンスシーンいる?と疑問になります。歌詞も「愛」「愛」とうーーんとなります。ディズニーかインド映画かとなります。
この聖に、スカーレットは戦いを止められつつ、敵クローディアに近づいていく展開です。まずは、クローディアの部下で父の処刑に加担したコーネリウスとヴォルティマンドと対峙することになります。つまり聖はスカーレットのブレーキ役です。
ここまでくると、勘のいい鑑賞者はほぼラストが想像できると思います。よってこれ以上の記述は野暮です。
アニメとはいえ、アクションシーンの演出は見ごたえあります。
そして、人々のために奉仕すること、隣国とは対立よりも友好を築くこと、子どもを死なせないこと、争わないで済む道を諦めないで探し続けることを誓う、リーダーが誕生します。国の指導者の思想と市民との協働によっりより良い社会ができるという事を訴えています。
今までの細田監督の描いた作品とは異なる物となっています。日本ではなく、明らかに海外上映を見据えた作品です。賛否わかれる作品です。
大衆というやつは、理性で判断するということを知らない。ただ目に見えるところだけで好悪を決めるのだ。「ハムレットより」
彷徨っているのは細田守監督本人なのか?
(ちょっと長文)
最寄のシネコンでは公開2周目にして、一番客席数の少ないスクリーンでの公開になっている。細田守作品としては興行的失敗はほぼ確実だ。
序盤の舞台がデンマークだったり、母親が叔父をけしかけて、父たる王を計略に嵌めて殺害したりと、この愛憎劇はもうシェイクスピア劇である。
シェイクスピア劇の翻案は黒澤明監督が見事にやり遂げているが(「マクベス」→「蜘蛛巣城」)、本作は空回り感が強い。
声優陣のなかでも吉田剛太郎さんや白石加代子さんは、シェイクスピア全作連続上演を試みた蜷川幸雄さんの常連俳優だったし、さらに吉田剛太郎さんは蜷川さんが亡くなったあとはシェイクスピア連続上演の演出も担当している。
これでシェイクスピアを意識するなというほうが無理だ。
ただ、死者の国というのが掴みにくい。ダンテの「神曲」と言われても、すんなりとそうですねとはいかない。
死者の国は、地上と地獄(あるいは天国?)の中継地点であり、うまくすれば元の世界に戻れるらしいが、都合が良すぎる設定だ。日本人の聖(ひじり)という青年も何故か死者の国におり(他の日本人がいないのは何故?)、聖は物語のキーマンになる。
デンマーク人と日本人が通訳もなしに会話できるのはアニメの強みとして気にしないでおく(死者の国の特長なのかもしれないが不明)。
聖は見事な弓使いをみせるが、現代日本で看護士だった彼が何故弓がうまいのかは不明だ。
聖がスカーレットに対し「生きろ!」と言ったり、弓使いの上手さと合わせると殆ど「もののけ姫」へのアンサーソングみたいである。
スカーレットは途中で長く束ねた髪を切るが、直後にスカーレットを探す兵士らに見つかる。兵士らが「長い髪を束ねている女を探せ」といっていたのに、あっさりと見つかる。だったらなんで髪を切るという場面を直前に入れたんだろうか?
全体として、監督のやりたいことが不明だし、ちぐはぐさが否めない。
海外で受けそうなテーマ(シェイクスピアとダンテ)を選んだと言われそうだ。
スカーレットの声を演じた芦田愛菜さんは下手ではないが、やや一本調子という感じだ。だがこれは演出側のせいだと思う(怒りを爆発させている場面が多過ぎるという事情もある。人はそれほど怒りを持続出来ないものだが。)。芦田愛菜さんは子役から芸歴も長い。きちんと演出意図を伝えれば対応する演技が出来る人だ。
「もののけ姫」で祟り神になってしまった乙事主に対し山犬(声:美輪明宏さん)が「もう言葉まで無くしたか」という台詞録音のとき、宮崎駿監督は美輪さんに「二人?はかつて良い仲(恋愛関係)だったんです」ということを告げ、三輪さんもなるほどと了解し録音をやり直したという。そのことで、憐憫と怒りが入り混じった素晴らしいあの科白が出来上がったという。
声を当てるということは、まさに魂を吹き込むことだ。厳しく言うなら、本作には魂が欠けていないだろうか(声優陣が駄目という意味ではない)。
王の残した「許せ」とは、対立する他人を許せということではなく、怒りと憎しみに駆られた自分自身を許せと言う意味であろう。
ガザやウクライナのように前近代的な迫害と侵略がある一方で、ネットには呪詛の言葉があふれている。
この映画はそんな時代の世界に向けて放れた光なのかもしれない。
多くの人々にその「許せ」という言葉(光)は届いたのだろうかと疑問に感じた。
時間があったので2回観た。
不入りの原因の一つは、鼻白むくらいの理想主義にあるのかもしれない。人間が幾ばくか成長出来たなら、本作は佳作として評価されるかもしれないと、2度目の観賞の後で思っている。
赦しても改心しない奴はコロスしかない
「サシャは狩人やった、森で獣を撃って殺して食ってきた、同じ生き方が続けられん時代が来ることはわかっていた、だからサシャを森から外にだした、兵士になったサシャは、よその土地に攻め入り人を撃ち、人に撃たれた。森を出たつもりが世界は命の奪い合いを続ける巨大な森の中やったんや。サシャが殺されたんは森を彷徨ったからやと思っとる。」
「せめて子供達はこの森から出してやらんといかん。そうやないとまた同じところをぐるぐる回るだけやろう。だから過去の罪や憎しみを背負うのは我々大人の責任や。」
パッパ聖人過ぎんか?身内の仇よ、5〜6回ぶん殴っても赦されるだろ?
パッパが包丁持った時、ワイは「ヨシッ!!刺せ!コロしてええぞ!」ってリアルに声に出して言っていた、そこからこの台詞よ、数分前の自分を恥じたね。
このシーンの前後の流れホントに良きよ、特に後の「よくもお姉ちゃんを!人殺し!友達だと思っていたのに!」ってシーン。
いやぁ~、キツイて、感情の起伏が、ホント心臓に悪い。
「お姉ちゃんのように困っている人を助けられる人になりたい」って言って、実際に助けてやった相手が、姉の仇よ、信じれんわ、よくもこんな話作ったな、人間性を疑うわ、パッパの「大丈夫か?」からのコレよ。
ぶん殴られて鼻血だしてるクソガキが赦されてよぉ、これで考えを改めないなら黒い龍に焼きコロされてほしい。
素直に面白かったんですけど・・・
シェークスピアだハムレットだを知らないと面白くないだとか、逆に知っている人にとっては面白くないだとか、どーでもいい。
生と死、過去と未来が入り混じる混沌世界の中で実によく物語が「わかりやすく」描かれ構成されている。生きるべきか死ぬべきか、許すとは何か、私くらいの年齢になるとこれらの哲学的な「問い」に関して何度か出会い、考えることがある。読み物や舞台や映画も、少なからず良い作品の中にはこれらのテーマが色濃く反映されていることがある。スカーレットも同じだ。混沌とした地獄とも天国ともつかない、未来を生きた者も過去に生きた者も同じ空間に存在するこの世界では、死んだ者がまるで生きていた時のように生活していて、この世界での死(つまり2回目の死)が「虚無になる」という表現が好きだ。皆がこの「虚無になる」ことを本当の「死」として恐れている。この世界観を受け入れられないと作品は意味不明で面白さを感じられないのかもしれないが・・・
難しく考えることはない。作品のテーマのように、自身の心の開放をこの映画からつかみ取ってほしいと思う。
と言いながら、残念だった点を2つ
些細な点として、ラストに近づくある部分から、明らかにそれまでの作画クォリティーが落ちたと感じてしまう点。あれはわざとか?演出か?
もう一つは、スカーレットの声だ。芦田愛菜さんが悪いんじゃない。彼女の声は優しすぎて柔らかすぎて激烈な主人公の生きざまに声が合わないのだ。スカーレットの強烈な人生の歩みの中で腹の底から沸き起こる怒りの声、力強い声には向かないのだ。絶対に負けない!復讐の鬼と化したスカーレットの声は、もっと攻撃的で威圧的でその恫喝に男どもがひるむのもうなずける、そんな声じゃなきゃダメなんだ。その声だからこそ最後に自身を「許す」時の優しい本来の王女としての民を前に語る声が生きるのに。最初からずっと優しい声のままでメリハリが作れない点は、プロの声優さんにすべきだったと残念に思った。これがクリアされていれば、☆5を胸張ってつけられた。繰り返すが、芦田愛菜さんが悪いのではなく、この作品に彼女を選んだ側に問題がある。
追記:ラストシーンでのクローディアスの絶叫を聞くまで、声の主が役所広司さんだと気が付かなかった。あの絶叫シーンで初めて、声が役所さんだと気が付いた。役所さんの声の演技はすごかったことの証明だ(私の勝手な基準ね)
それにしても、よくよくキャストを見ると声優さんが逆に全然いないということに気が付いた。
そこまで悪くない。
個人的には前作より良かったし、なんなら最後はうるっとした。
貴方が手伝ってくれるなら(みたいなことを主人公が言ってた)のは結構重い話で、本当にそうしたいなら自分達もそうなるように動かなきゃいかんのよ?っていうのを、監督さんはチクッとしたかったんだと思う。
確かに色々すっ飛ばして話が進むところはいくつかあったけれどストーリーの根幹は一貫していたので、あちこちに手を出して何の話だったっけ?ってなってた「竜とそばかすの姫」より個人的には好きでした。
日本人って、伏線回収とか話の整合性とかこだわり過ぎなんじゃないかな(だからデウス・エクス・マキナとか大嫌い)って思う。でも、現実ってそんなもんだし、映画や物語は現実じゃねぇって言っても現実を下敷きにしてるのならそこまできっちりしてなくても良くないですかね?
きっとこの作品は、その辺りおおらかな海外の方がウケるんだろうな。
マイナス一つは、途中の聖&スカーレットのラブ&ベリー笑のところで、あそこだけCGがやっつけ感あったような。。
結構大事なシーンだったと思うんだけどな。
そこだけちょい残念でした。
最後に。
芦田愛菜さんのエンディングは圧巻でした。
お見事👏👏👏
脚本・細田守でなかったら世に出なかった作品
《竜とそばかすの姫》のとき思ったんだけど、細田守監督の脚本は、人物がお約束で動くんだよね。作者の都合で動くの。《竜とそばかすの姫》だと、ラストに向かって確か皆が団結してく感じになるんだけど、理由は描かれないんだよね。「ラストなんだから、みんな団結するでしょ」という感じに見えるの。
本作もお約束で動いていて、一番わかりやすくお約束なのは、スカーレットと看護師が恋仲になることだよね。「主人公と副主人公は恋仲になりました」って描かれてるの。
「主人公と副主人公は、△△ということがあって、◯◯という気持ちの変化が起きて、恋仲になりました」と描くのが普通だと思うんだけど、そういうの、極めてあっさりしてるの。
スカーレットの父の重臣も「重臣は叔父を裏切りました」と描かれてるね。「重臣は、とある事情で叔父の命令にやむなく従っていたが、◯◯ということがあって気持ちが変わり、叔父を裏切りました」という描かれ方をしてないの。
こういう脚本、分かりやすい話の場合だと、まあ、見逃せるんだけど、本作のように「《ハムレット》と《神曲》を下敷きにしました」っていう分かりづらい話だと、無理すぎるね。話が分からないから、登場人物の心情に寄り添って観るしかないんだけど、そこがお約束の動きしかしないからね。
「《ハムレット》と《神曲》の世界を用いて、物語を描いたら、いやー、ヒャー、もう考えるだけで興奮してきた!」って感じで書いちゃった気がすんのね。書いてて楽しくなる気持ちは分かるよ。
でも普通だったら、このレベルの脚本は書き直しになるか、企画自体がポシャると思うの。
でも「《竜とそばかすの姫》でメチャクチャ稼いだ細田守がやるって言ってるんだから……」で通っちゃうんだろうな。
本作は、どう楽しめば良いかも分からなかったのね。
《竜とそばかすの姫》は脚本ヘンテコだったけど、映像と音楽を観れば良かったんだよね。
本作は、エンタメとして観ることを意図されてない気もするのね。かといってアートではないし。純文学のような人間の本質的な部分を描いているわけでもない。
いっそ、メチャクチャ難解で、思わせぶりな作品になってた方が、楽しめた気もするの。
《ハムレット》と《神曲》を下敷きにするのものね、どうだったんだろう。
「みんな考察してくれるよ」というのもあったかも知れないけど。アニメファンのインプットは、原則アニメだからね。《ハムレット》と《神曲》を履修してから来いはハードル高いよ。
例えば、《風の谷のナウシカ》と《エヴァンゲリオン》を下敷きにしたらね、みんなすごい考察して楽しんでくれると思う。なんでいきなりハイアート系を狙っているのか。
物語の最後に地獄の門みたいなやつ出てくるよね。「なんか《鋼の錬金術師》でも似たようなやつ出てきたなあ」とか「国立西洋博物館の前庭に置いてあるやつかな」と思ったね。ハイアート系を参照しながら、表現がしょぼいんだよね。
この作品、企画の段階でね「これは、確実にコケる」と分かったと思うんだよね。
だって、観客にウケる要素が、ほぼないじゃん。
「なるほど《ハムレット》と《神曲》ですね。分かります」という人はいると思うけど、少数でしょ。そもそも《ハムレット》と《神曲》を履修済みみたいな人が、アニメを観に映画館に来るのかな。来ても少数じゃないのかな。
登場人物に感情移入できるような描かれ方をしていないし、音楽と美術が飛び抜けて良いわけではないし、真摯にテーマを描こうとして難解になっているわけでもない。
それなのになぜ、制作・公開に踏み切ってしまったのかという、内側に興味が湧いたな。
でも通して観てみてね、《神曲》履修しよと思ったよ。
いろんな作品の下敷きになってそうだしね。
そういう意識を持たせてくれた点では、良い作品だったよ。
声優は、この話なら、正直、誰でも良かった気はしたな。
それでも吉田鋼太郎はね「さすがシェイクスピア俳優」って感じで良かったよ。
言われるほど悪くない
ネットでは評価が分かれているようですが、私としては、言われているほど悪いとは思いませんでした。「物議」の近未来の渋谷のダンスシーンにしても、もともとファンタジーだから、少しくらい時空を超えてもいいのでは。これがドキュメンタリーや、ドキュメンタリー風のフィクションなら問題かもしれませんが、今回はそれに当たらないと思います。
悪役クローディアス王の、都合のいい最期は、「私はあなたを赦すが、しかし神はあなたを罰する」というキリスト教的な(かな)考えではないでしょうか?
ラストも良いと思う。ただ、個人的に欲を言えば、聖君には、一命を取り留めたとかで、生きてほしかったという気もしました。
細田守自身の半生と今の心境を語る私小説っぽいアニメ
果てしなきスカーレットは、ハウルの動く城の正反対
ジブリ、宮崎駿に対する復讐作品&細田守自身の半生と今の心境を語る私小説っぽいアニメでしょう
スカーレットはソフィーのように守ってもらう存在ではない
聖はハウルのように守る側のイケメンではなく看護師
不殺の精神なのに弓矢で倒してるのは意味不明ですが
ピンチに助ける大きなドラゴンは、細田守自信を守る大きな権力と主人公達=自身の無力さを表し
最後に復讐するより、生きたい生きたい生きたい ハッピーエンドで生きてます
大好きな宮崎駿先生、私細田守は全てを許し生きてます
こんなオチに繋がるののでしょう
まだ長い妄想ですが
細田守は大好きな宮崎駿監督ジブリでハウルの動く城を、原作通り作る予定だったが
内部で色々あったのか、よく分からず急遽途中で降ろされ
誰も監督をやらないので宮崎駿が監督になったというが
全部白紙になりストーリーやキャラまでも全然違う作品になりトラウマになった
この出来事により細田守は、ワンピース映画でトラウマストーリーに改変したり
脚本家を軽んじたり卑下したり、脚本を勝手に変えたりと
自分のトラウマをアニメにぶつけるのが、アニメ作りの原動力になってしまった
それを果てしなきスカーレットで、復讐しつつも自分自身を許したかったんだ
映画大爆死でまたトラウマ映画作りそうだけど
本質
酷評目立ってるが見に行って損はなかった。
脚本構成だけにとらわれている人がケチをつけてるのだろう。
本質は何か!何がテーマか。
見る人が見たらスピリチュアルな要素満載で面白かった。このタイミングで雨降るんだとか。
龍が登場!とか
主人公の苦悩と葛藤。
何に気づいて救われたか?
それがテーマであり本質の映画だった。
まったく異なる世界線から出会う設定も面白い。
スカーレットを応援したくなる
あまりの低評価が気になり自ら確認するため鑑賞。午後のサッカーまでの時間潰しに会員割引の1300円、ハードル低めです。結果ラストでは泣きそうになりました。
強く美しくも復讐心に囚われたスカーレット。解放されて自由に生きてほしい、でも復讐も遂げさせてあげたい、しかし復讐を遂げたあとに何が残るのか。彼女の旅を見届けたい気持ちになりました。
芯の強い聖に救われるスカーレットはアシタカに救われるサンのようでした。ただ聖はアシタカのように背負ったものが描かれないので深くはないです。
歌と踊りのシーンは私がミュージカルを見慣れており耐性があるのでむしろ好きです。スカーレットが未来の人々が幸せに暮らせる世界にと願う動機付けになっています。
声は俳優ではないほうがよいのでは。俳優さんはあくまで顔で売っている人なのでどうしても顔が浮かんでしまいます。非公表ならいいですが(笑)。
過去、未来、死者の国、見果てぬ場所、スカーレットの夢、全て繋がっているのだと感じました。素晴らしい映像のフィクションエンタメアニメとしてお薦めです。
ご都合主義、という批判があるが
物語とは大抵の場合ご都合主義である。現実の持つ煩雑さや些少な諸々を一々拾っていてはお話は纏まらない。ハッピーエンドは少なからず都合が良く収束するものだし、所謂バッドやビターといったエンディングを辿る作品はその逆のベクトルを持っている
そのご都合、に説得力を持たせるために脚本はストーリーの中で段取りを用意し、それを魅力的なキャラクターに演じさせる。それを受け手が「こういう流れならこうなっても納得できる」であったり「都合が良すぎるけどこの主人公が幸せになってくれてよかった」と受容出来なかった場合に「ご都合主義」という批判が発生する、と自分は考える
前置きが長くなった。はい、申し訳ない。
ご都合主義だな、と思いました。自分がこの映画に抱いた印象の中で最も強い要素がそこにあるので、以下それを中心に書く
この映画は非常にメッセージ性が強い。ハムレットや神曲といった西洋古典の素養があるならどうやら深いところにある要素を掬えるらしいが、それを持たない浅学な自分であっても表層的なメッセージに関しては概ね捉えることが出来ているのではないかと思う。
何しろあからさまだし、何なら登場人物達が大事な部分は口頭で説明してくれるからだ
そうして叩きつけてくるメッセージそのものに関してはさほど文句はない。綺麗事そのものは自分は好きだ。綺麗事でも回るような世の中になってほしいとは思う
しかしあまりに登場人物に役割を与えすぎたために、結論から逆算された台本に従っているとしか思えない行動をするキャラクターが多く、青臭い言い方になるが登場人物に魂を感じなかった。これが「ご都合主義だな」と思ってしまった第1点だ
第二に、復讐の連鎖、分断の悲劇、自分自身を縛る事の辛さ、己や己の大事なものだけが幸福になればいいという思想の醜さを描写し、そこからの脱却が困難である事、現実世界における綺麗事の難しさを間接的に描いている(スカーレットの殺人を何度も制止してきた聖青年は、最終的に彼女を救うために自ら殺人を犯すし、クローディアスを赦そうとしたスカーレット唾を吐かれ罵られる)にも関わらず、最後の最後で「天の裁き」で終わらせてしまったことだ
復讐に囚われていたスカーレットは葛藤と幻視の果てに自分を赦し、復讐の連鎖からの脱却を図る。これ自体はそれまでの自分自身の人生をもひっくり返す一大決心であり、それが出来る事は大したものだと思うのだが、当人の内面でのみ完結している事象が他人にとっては関係のないことであるのもまた事実である。スカーレットが手放した剣を拾い、襲いかかったクローディアスの振り上げた剣に、序盤から何度か出てきた巨大な竜(スカーレットを導く老婆であり、鳥の群れ)の発した雷が直撃する
棒状の物体を高く振り上げると雷を誘引する、というのはさほど科学に明るくなくともイメージのしやすい現象であり、この第一撃だけならば「復讐を捨て剣を捨てた事でスカーレットは難を逃れ、武器を振り上げたクローディアスは死んだ」という因果関係であり、物質的な現象としての因果応報としてある意味で分かりやすい。これで終わってしまうことも出来ただろう
が、竜は丸焦げになって動きを止めたクローディアスめがけて第二撃を放つ。この段になると明らかに剣を振り上げてたから雷を誘引どうこうといった小賢しい理屈の問題ではなく、あからさまにクローディアスを狙って雷が発されている。傲慢な者に対して明確な意思を持って放たれた上位者による「天の裁き」だ
敵を赦し、己を赦し、変化を受け入れ、悪しき連鎖を断つ。美しい理想だが相手までそう思ってくるれるかは別の問題だ、さぁどうする? という問いに対して、どんな小さなものであれスカーレット自身の選択の結果を見せてほしかった。「わるいことをしたらかみさまが天罰をくだしますよ」で解決するのならば何故あの世界の人々は、現実の人々は苦しむのか、何故スカーレットだけが救われたのか、そもそも序盤から老婆がハナクソを爆発させたりしてスカーレットだけにやたら親切なのはなんなのか
少なくとも自分はそこに何の納得感も見出すことが出来なかった。自分が努めて信仰を持たない事に拘る人間だからかもしれない
そのせいでその後の流れにも気持ちが乗らず、スカーレットが王座に就く流れは茶番めいて映った
以上が自分がこの映画をご都合主義だと感じてしまい、評価出来ない理由だ
良かったと思う点もある。既に言われているが絵作りは綺麗で、やや登場人物(主にスカーレット)の顔が安定しない点が目についたものの映像作品としては秀逸だし、躍動感のある殺陣のシーンはエンタメとしても楽しめるものだったと思う
批判の対象になりがち俳優陣による演技も「少女としてのスカーレット」が出ている場面に芦田愛菜氏の顔がチラつくぐらいで十分に鑑賞に耐えうるものだったように思う
聖が矢を構えるシーンがやたら大仰でやや笑ってしまうのだが、同じ「矢を放つ」という行為の結果が真逆であることを強調する場面であるから意図的なものであろう
評価しない、と言った立場で、とも思うが世間的に言われているほどひどいものだとは感じなかった
純粋にこの映画を楽しみたい、と思う方はIMAXでの鑑賞をおすすめする
多くの宗教が儀礼に合唱や諷経を取り入れているのは、音は力であるからである。音は空気の振動であり、まとまりのあるそれは物理的な効力を持って鑑賞者の精神を揺さぶる
ある程度音を強調した映画であれば、音響が良い環境で観るだけで随分印象が変わるだろう
以上、まとまりのない駄文にお付き合い頂きありがとうございました
以下、さらにどうでもいい駄文
正直なところ、渋谷ダンスの存在をノイズとして脇に退ければ「復讐疲れした少女スカーレットが生死の境を彷徨っている間に自分を納得させるために見た夢」と解釈したほうが自分には飲み込みやすい内容だった
老婆が彼女にだけ親切なのも、父を処刑した実行犯があまさずあの世界に居るのも、新しい生き方を提示する青年と恋に落ちるのも
全く聞き取れなかったはずの父のつぶやきが「ゆるせ」であったと敵から聞かされたにも関わらずほとんど抵抗無く受け入れ、最後には記憶の中の父すらそう叫んでいる事も
最後に登場した父の幻影が彼女にとっての思い出の象徴である破れた似顔絵に変わった事もとりあえず説明が付く
それはそれで「未来のミライ」を書いた細田脚本らしいなぁと思わなくもないものであった
細田守で観たいものと違った
この酷評の原因は「守の綺麗な映像にハッピーなファンタジーを求めすぎた私たち観客」と「現実味のあるそれぞれの地獄と戦い+叶わない理想と願いを描いた作品」とのギャップにあるのかなと思いました。
結論悪いのは私たちで変わってしまったのも守だけではなく私たち。
日本の長編アニメは常に駿と比較され続けファンタジーかつ誰も悲しくない、誰かの大切な人がちゃんと幸せになれるハッピーエンドを求められすぎているのが可哀想だなと思います。
それだけすごい人だったんや駿。鬼になって一生生きよう駿。
ストーリーは面白く楽しめたのでこの物語をもしも実写でやっていたら跳ねていたのかな山崎賢人使いましょう。
内容に関して何か言うとすれば死後の国の神(仙人?)と竜?どちらかでよかったような気がします。
こんなに細部までこだわって映像が美しく綺麗なのに、ここまで酷評されたら鬱になる私だったら。
だけど守はファンタジーでハッピーエンド!がウケる事、求められている事を分かった上であえてこれをやってる気がします。
守の着いて来れないやつは来なくていいですよ(笑)感が年々増してきている気もしなくもない。私は好きですそのスタンス。あと芦田愛菜の歌が上手い。
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