果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
16世紀のデンマークの王女スカーレット(声:芦田愛菜)は「死者の国」で目覚める。
父王アムレット(声:市村正親)の仇を討とうとして、叔父王クローディアス(声:役所広司)に返り討ち、毒殺されたのだ。
時間や場所を超えて、死を受け入れていない者たちが集うのが「死者の国」。
「死者の国」でも国を牛耳っているのはクローディアス。
復讐を果たそうと誓うが、「死者の国」でスカーレットが出逢ったのは21世紀日本の救急救命看護士・聖(声:岡田将生)だった・・・
といったところからはじまる物語。
「ハムレット」ベースのヒロイックファンタジー。
なれど、エンタメ性が希薄。
スカッとする復讐劇でなく、細田版『君たちはどう生きるか』。
復讐か赦しか。
父王を叔父に殺された姫の「葛藤」の物語。
時間も場所も混然となった「死者の国」は、多様性の象徴。
本来フラットであるべき死者の国も叔父王により牛耳られている。
死者の国の住人が求める「果てなき場所のその先」とは生への執着か。
この設定だけでもエンタメから遠い作品とわかる。
フラットで多様性の象徴である「死者の国」を現代社会のメタファーと捉えると理解しやすい。
唐突に挿入される現在の渋谷に似た世界は、幻想の理想の世界、ということでしょうか。
細部の設定などは別にして、わかりやすい映画だと思うが、スカッともしない。
スカッとしないことが本作の欠点だが、魅力でもある。
まぁ、デンマークとかハムレットとかって何やねん! というのがエンタメを期待した観客の感じ方かなぁ。
ロトスコープ、モーションキャプチャのアニメ表現も、多くの観客に受け入れらないだろうし。
なお、「ハムレット」の名台詞「To be, or Not to be」は形を変えて終盤に登場する。
その他の台詞もかなり流用されている印象。
メジャーなエンタメ作品をあまり観ない身としては、水準以上でした。
【追加】映画批判者に対するコメント 映画を見ました。正直な感想ですが十分見ごたえがありました。
【追加】
批判している人の特徴として話が分からないみたいなことがよく書かれていますが、映画の冒頭や、事前の各メディアに公開した筋書でスカーレットは叔父王に復讐が失敗して死者の国に落ちたとあり、これはスカーレットが見ている夢であり憎悪、恐怖、願望、宗教観、悲しみ、希望がドロドロに渦巻いた精神世界であり、急に人が出てきても、いなくなっても、非現実的な場面でもスカーレットの夢の中なので不思議はありません。
あの空を飛んでいる龍の様な生物もスカーレットが想像する人智を超えた罰と救いを与える神の様な存在が具現化したものと思います。
人の見ている夢なのにおかしいとケチをつける人はどうあれば納得なのか、もしかして死者の国は実際にあり、我々の世界と同じ規則、空間、時間が流れているとでも思っているのでしょうか。映画の設定を事前に学習していればわかるはずです。
(そもそも16世紀のデンマーク人のスカーレットと現代日本の聖が普通に会話していることが現実ではなく夢だと言うことを表しています。)
これはスカーレットの脳内で起こっている夢想であり、本来は誰にも見ることはできませんが、映画鑑賞者は言わば神の視点で見ているのであり、その神様がここがおかしい、ここが変などと重箱の隅をつつく様な事ばかり言っていると他の神様(映画鑑賞者)から笑われますよ。
声の大きいインフルエンサーが駄作だと言い出すとそれに影響を受けて映画をよく理解しようともせず同じ様に批判をしだす人たちは、自分の意思があるでしょうか。
「共感できない」「筋書に置いて行かれる」「何を見せられているのかわからない」「過去の細田作品ではなく落胆した」と言う他人が使用したフレーズそのままで批判している人がいますが、映画主人公に必ずしも共感する必要はなく、私もスカーレットの執念深く、頑固ともいえる復讐心に何故、もっと楽に生きないのかといらだちました。
「筋書きに置いて行かれる」「何を見せられているのかわからない」も学校に置き換えれば、予習もせず、授業についていけないのは当然です。
「過去の細田作品ではなく落胆した」もこれだけ事前の情報、映像も出て、明らかに過去の作風とは異なるのに、映画を見て落胆すると言うのは完全に予習不足と思い込みが強すぎるのでは?と言うしかありません。
よく批判者には「時をかける少女」「サマーウオーズ」を手放しで称賛する人がいますが、「時をかける少女」のタイムリープの原理、回数の制限があると言う謎設定、過去にタイムリープを繰り返すと未来が大幅に変わってしまう。と言う問題をどう折り合いをつけているのか、SFの設定としては非常に甘く、こんな設定でみんな文句も言わず納得しているんだと驚きます。
また「サマーウオーズ」で世界危機にたまたま、数学の天才とゲームの達人が同じ場所にいて、たまたま原因の人工知能を開発した犯人も身内でと言う究極のご都合主義なのに、それを誰も疑問に思わず、簡単に受け入れていることに驚きです。
要は映画を面白くするためには現実にはありえない、ぶっ飛んだ設定をすることも必要でそんな細かいことを気にしていては映画を楽しめないと言うことではないでしょうか。
この2作品は脚本が優れていると言われていますが、今回の作品は脚本で物語が小綺麗に起承転結にまとめられるより、脚本に制限されず表現したい映像、演出を優先したのだと思います。
映画の批評は必要ですが、あまりにも執拗であの大阪万博開催前、開催後に繰り返されたあのネチネチと揚げ足取りの様な批判のいやらしいさとそっくりです。いったん標的を見つけると傷口に群がる蠅のようにどこからでも湧いてきて批判を繰り返す。映画を見て満足した人を不快にするコメントを繰り返し、自分が見て満足しなかったからと言ってまだ見ていない人にも見させない様に妨害する様なコメントなど、もし本当に映画に不満ならば、「自分には合わなかった。」と思って高評価のズートピア2の批評欄にでも行ってはどうかと思います。
声優についは鬼滅の様に登場人物がハイテンションで必殺技を連呼するならば、言語明瞭、歯切れのよい美声の声優でもよいかと思いますが、この映画の様にダークな世界ではむしろ言語明瞭の必要はなく年齢に応じた声優の方が雰囲気があり、素材(映像、演出)の邪魔をしないと思います。
プロの声優を使えば、化学調味料の様にどんな料理も一定の水準にはなるかと思いますが、監督はそれを良しとしなかったのだと思います。(宮崎監督も同じなのでは)
終盤でスカーレットが「生きたい」と連呼する場面で批判者は鬼の首を取ったようにワンピースのパクリと連呼していますが、生きる気力をなくしている者を「生きろ」と励まし「生きたい」と言わせることは、人間の普遍的な行動でありおかしくありません。アニメ界ではワンピースの専売特許で「生きたい」と言う言葉は誰にも使えないとでも思っているのでしょうか。
映画の宣伝で大ヒット上映中と宣伝していることを揶揄している人がいますが、作品評価と動員数は関係がなく、この様な人たちは作品評価イコール動員数と思っているのでしょうね。映画製作関係者はこのような人たちも相手にしなくてはならないので本当に気の毒です。
この様な批判を見ているとadoさんの歌の歌詞が頭の中でリフレインします。
「♬ 一切合切凡庸な♪ あなたじゃ分からないかもね ♫」「♫ 閉じろ ♫ 閉じろ ♪ その口 閉じろ ♬ 助言など頼んではいない ♪ 」
以上、私の意見です。
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映画の冒頭でスカーレットは叔父王に復讐しようとして逆に毒を盛られ、昏睡状態になり、その夢想の中で死者の国に落ちたと言う設定になっています。他の方の批評で「話が分からない」「筋書きに必然性がない」「登場する人物がおかしい」「ご都合主義だ」と言う様な意見が散見されますが、人間が眠っている時の夢とは元々その様なものであり、どんな描き方でもそれはスカーレットが見ている夢だと説明できると思います。スカーレットは夢の中でも復讐を果たそうとしますが、色々な出来事、人物とのふれあいで考えが変わっていきます。夢の中の登場人物は他人ではなく、もう一人の自分、その他大勢も、もう一人の自分であり、自問自答を繰り返して、本当の自分の気持ちにたどり着いたのではないでしょうか。最後に昏睡状態から回復して目覚めますが、これもまだ夢の続きであり最終的には死に至ったと思っています。理由は「目覚めても夢の中で切った髪は短いままになっている」「聖に手当てしてもらった手の包帯がある」「叔父王が盛った毒は確実に死をもたらすもので、解毒剤が効くとは思えない」「都合よく叔父王が間違って毒を飲み死んでいる」最後にスカーレットは王位についてハッピーエンドに見えますが、これも死の最後に見た夢であり、復讐心のままで死ぬのではなく、他人も自分も赦すことにより、本当の自分を取り戻して虚無にならず、魂は天へ昇って行ったのではと思います。(父王と再会できていればうれしい)
以上、あまりにも評判の悪さで色々学習、自分なりに設定を考えて鑑賞しました。皆様も他人の批評には影響されず、自分の目と耳で聞いて映画の評価をすることをお勧めします。
細田守版ハムレットの再解釈?
果てしなきスカーレット、細田守版ハムレットの再解釈?と巷で話題の本作、公開1週経たないうちに、嫌でも雑音が大きくなってきたのでこれ以上ノイズが入る前に、とそれでも水曜特売日で保険かけました。
見る予定の人、細田守が好きな人は飛ばしてください。
以下ネタバレ含みます。
公開最初の水曜日の夜19時の回、池袋TOHOシネマズでしたが、嘘でしょ?てくらいの入りでした。
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映画の脚本って書くの難しいのね、とつくづく思いました。多分4年間想像もつかないような紆余曲折が細田守にはあったんだろうと思います。でも言いたいことは言います。
とにかく登場人物の行動に合理性がない。あれ?この数分、自分意識飛んでたんだっけ?と言うくらいキャラの行動や台詞回しに整合性が取れていない。
敵キャラは野良ポケモンレベルで仲間になるし、あるはずのない伏線を探す行為を、ずっとさせられている感覚。広げた風呂敷すらない場面転換、途中で既視感を覚えたのは息子の高校の自作脚本の演劇を観たときの感覚でした、時間も金も比較にならないくらいかかってますが。
その演出、どっかで説明ありましたっけ?とずっと突っ込んでました。
また、行動原理に整合性が取れてないのでキャラにも魅力がなく、世界観もオリジナティあり過ぎてルールが分からずとりつくしまがない。
唯一渋谷のダンスシーンだけが(唐突で前後の繋がり不明だが)安心して画面見られた程度。
劇中歌も要所のセリフも、中二病人ですら赤面してモゴモゴするワードを連発しててスタジオ地図に「誰か止める奴はいなかったのか?」と叫びたくなりました。勿論劇中歌の作詞はエンドロールで目で追える範囲はすべて細田守、でした。
例えるならキャシャーンの最後の三十分と、ハウルと動く城の例のシーンの15分を煎じ詰めて二時間アニメ映画にしたような作品、と言えば伝わるでしょうか。
キャシャーンは紀里谷の方です。
岡田麿里と細田守は暫く劇場長編作らせてもらえないんではなかろうか、
きっと今日はキルケーの魔女のリーフをゲットするために劇場に行ったんだろうと思うことにしました。
果てしなきエゴ(自己満足、思想、哲学)を観せられた印象
採点内訳
総評:☆1
映像美 :☆5
物語 :☆1
キャラ性:☆0.5
世界観 :☆1
現在のアニメで表現可能な実写的映像美を可能な限り追い求めたような映像であり、背景や水の表現を初めとするCG技術は実写と見紛うばかりの部分もある。鬼滅、レゼ、ズートピア2のような映画と見比べても『実写的アニメ映像』という括りで観れば、おそらく勝っているような印象を受けましたが……逆に言えばそれだけしか評価ができない、というのが個人的な意見です。
鬼滅、レゼ、ズートピア2は観客を楽しませる大衆映画でエンターテインメントに徹していますが、本作こと『果てしなきスカーレット』は全く違います。
細田守監督の考える『人とは、人生とは、争いとは、生きるとは、死とは何なのか』という哲学と思想がキャラクター達を演じる声優達の声で語られる……謂わば『哲学映画』に分類されるべき作品です。
人は誰しも『自分の考えを語る、説明する』ことが大好きです。脚本を書いている時の監督はそれはもう気持ちが良くて、さぞ楽しかったことでしょう。しかし、結果としてエンターテインメント性が著しく低い。
もちろん、世の中には『面白い哲学的な映画』というのは存在しますが、それは哲学とエンターテインメントのバランスが取れているからです。
その点『果てしなきスカーレット』は、監督の哲学と思想が終始全面で自己満足的に押し出され、かつエンターテインメント性が低いため、表題の『果てしなきエゴ』に繋がっています。
本作を観たあと、果てしなきスカーレットの予告編を見直すと『一番わくわくできる部分』
が全て集約されていることに気付かされ『予告映像が一番面白い』と感じられるほどです。
いっそ予告で映画の暗い場面ばかりを抜粋し、『この映画は細田守監督の哲学を集約した復讐劇』としてくれれば、まだ良かったかもしれません。内容が駄目なことにはかわりませんが、少なからず大衆映画を期待した観客をがっかりさせることは多少なりとも防げたはずです。
物語はハムレットという古典の復讐劇を元にしているそうで、クーデターで王を殺害して圧政を敷く伯父クローディアスに、王の娘である主人公スカーレットが復讐を果たす……という物語の『軸』はそこまで難しいものでありません。問題なのは世界観と登場人物です。
主人公をはじめとする登場人物が揃いも揃って感情移入して応援できるようなキャラではなく、観客は「うーん、そうかなぁ。それって、どうなの?」と首を傾げて唸ることになるでしょう。そこに拍車を掛けるのが『よくわからない世界観』です。
映画の冒頭、主人公のスカーレットは伯父クローディアスの暗殺に失敗。返り討ちにあって死んでしまいます。
死後の世界に行き着いたスカーレットでしたが、クローディアスも死後の世界にいて、かつ巨大な権力を保持しているということを『謎の老婆』に教えられ、再び復讐を果たすべく死後の世界を旅することになります。
この際、謎の老婆に『ここは現在、未来、過去、生と死が混ざり合って溶け合った世界だ』と教えられます。しかし、死後の世界でスカーレットが合う登場人物はモブを含め『スカーレットが生きた時代と同じ人ばかり』なのです。ちなみに、主人公のスカーレットはクローディアスに復讐することだけを考え、何故彼が同じ死後の世界にいる理由をほとんど考えようとはしません。考えさせるのが面倒臭かったのかな?
物語の途中で『聖』という日本で救急看護士を勤めていた青年と出会い、旅を一緒にすることになるのですが、観客の考える『現代人』は彼しかでてきません。海外の現代人は一人も出てこないのです。映像の中で日本の甲冑や武具が映り込む映像はありますが、それだけです。『謎の老婆』は言いたかっただけなのか?
また、聖という登場人物も剣を持って殺しにきた盗賊をスカーレットを返り討ちにして殺害することをよしとせず『殺すな』とか『治療できずにすいません』など呟き、いかにも『戦争の現実を知らないステレオタイプの日本人』であり、とても応援できませんし、感情移入できません。おまけに物語後半で、彼は弓矢で敵を葬ります。『殺すな』はどうなったのか?
なお、死後の世界とか言いつつも、登場人物達は致命傷を負うと体が砂のようになって完全に死んでしまいます。これを『虚無』というらしいですが、個人的にゲームのDARK SOULSに存在する『亡者』から着想を得たのかな? という印象を受けました。というか、全体的に世界観がDARK SOULSシリーズに近い気が……。
いくらファンタジーと言っても、物語と世界観の整合性がつかない展開をされると白けてしまいます。挙げ句、ずっと細田守監督の哲学、思想を語られるので上映時間が果てしなく感じてしまうのでしょう。
つまらないことを前提で観に行くならお勧めできますが、大衆映画として観に行くのはお勧めしません。
まだまだ書き足りない気もしますが、これぐらいにしておきます。
ご覧頂きありがとうございました。
素晴らしかった
現実主義者と理想主義者の相互理解により自己理解が深まっていく、といった表現が心に響いた。
部分的には仏教的であり、憎しみという「執着」から解き放たれるお話だった。
日中関係に亀裂が生じている中、この映画が公開されたことは運命的でもあり、タイミングが悪かったとも受け取れるが、このタイミングだからこそ、細田監督は「持ってる人」だなと私は思う。
扱いが難しく、でも今世界的に大切ではないかと思われるテーマをご自身の言葉で正直に描いているのも素晴らしい。傑作だと思う。
作中何度も登場する竜は「天罰」を与える神様のような存在ではないと思う。
憎しみや怒りを抱えたまま生きた人間は新たな憎しみを呼び、そのループの中に彷徨い続ける。
竜はそのような「終わらない悪意や怨恨」を象徴した存在であるように思う。
少し突飛な想像かもしれないが鳥の集合体として描かれる竜は、鳥をシンボルマークとしているTwitter(SNSに渦巻く悪意)のメタファーのようにも解釈できる。
クローディアスは天罰をくだされたというよりは、悪意を肯定し尊重することで悪意を呼び込んだように見えた。
悪意を自分の原動力として動く集団に取り込まれてしまったような印象を受けた。
竜が現れるタイミングには決まりがあるようで、人が人から悪意を持って何かを奪う瞬間に現れる。
聖が終盤で矢を放ち相手の命を奪ったシーンが肯定され竜が現れないのには意味があると思う。
大切な人を守るために戦う行為は作中否定されていないということだと解釈している。
むしろ、力とは「大切な人を守るために使う」ものだと。
道中でキャラバンの女性から譲り受けた楽器を売り弓具に買い替えるシーンがあるが、
険しい道中を覚悟し、大切な人を守るために戦う覚悟を持った瞬間を描いていたのかと想像する。
聖は通り魔に刺されてしまった時に、意識が薄れていく中で、守りたい人(子供たち)を守れたのか
判別できない状況を後悔したのだろう。
老婆に「お前がここにいる意味は何だ?」と問われ、強く「守りたかった」と思ったのではないか。
聖はあの場面でやっと自分が「死んでいた」ことに気付いたと思う。
絶対に映画館に行け。どうせ見ないお前らになぜ最高に面白いか大ネタバレ有りで説明する。
まぁ待て。
どうせこれを読んでるやつは映画館に行かないだろうからネタバレ全開でこの映画がどれだけ面白かったか、俺が教えたい。
大前提として、私は石川典行さんのレビュー動画を見て、どれだけこの映画が酷いのか気になり視聴した。
ちなみにほとんど内容は石川典行さんが言っていた通りで、多少の誇張はあれど、基本的に「マジ」だった。なのでこのレビューを読まなくてもそっちだけ見れば大丈夫だ。
映画館を出て言いたいことはすぐメモったが、話の内容として多少の順番の前後はあると思うが、どうせお前ら見ないし気にしないこととする。
まず最大の魅力を書き記す。(この映画で一番酷かったところは最後に話す)
まず本作主人公スカーレットの父、ハムレット王は弟の手によって処刑に追い込まれる。そしてその死に際に放った一言。たった一言「許せ。」であった。
一体その言葉の真意は何なのか?
幼いながらに娘を残して死ぬ父を許せという意味なのか?それとも父であるハムレットを処刑に追い込んだ叔父を許せという意味なのか?はたまた...というシーンが有る。
まぁよくあるやつだ。あの言葉の意味は何だったんだろう...主人公は少し俯いたまま深く考え込み、頭を振るって今、この現実に直面しなければいけない。
だいたいそんな感じを想像できると思う。私も最初回想が始まった瞬間、「ああ、あれね。いつものね。」と思っていた。
しかし、細田守は一味違う。
なんと、その言葉の真意は一体何だったんだろうか?と聖(ひじり)というパートナー的存在とさっきまで戦闘を繰り広げていた敵の前で話し合うのである。(その敵の親玉が処刑人の内の一人で、父の最後の言葉を教えてくれた)
スカーレット「あれはいったいどういう意味なんだろう...やはり〇〇という意味なのだろうか?」
聖「ふむ、俺は〇〇という意味にも考え取れるな。」
スカーレット「なるほど、ということは〇〇という意味なのか。」
聖「いや、背景を考えると〇〇という意味で言い放ったとも捉えられる。それに、〇〇という意味ともとれる。」
スカーレット「一体真意はなんなんだ...」
親玉「へへ、実は俺はあんたの叔父を許せという意味だと思うぜ...」
マジでこんな感じだったと思う。何故か劇場で見ているときにシュールすぎて笑ってしまった。今こう文字にして書き起こしてみると、なぜ既視感があって笑ったのかわかった。
これ、国語のリスニングテストに似てるんだ。
多分質問文は「聖さんはどうして◯◯という意味とも捉えられると言ったのですか?」とか聞かれるやつだと思う。
いや、ここまじで面白かった。そこを序盤で、倒した後とはいえ敵の前でめっちゃ真面目に話し合うんだ。
ええ。と。
奇抜すぎて本当に良かった。他の映画ではまずないと思う。
そして、他のレビューでも散々言われている渋谷ダンス。
いや、最高でした。僕は事前に典之さんのレビューを見ていたので、いつ来るかワクワクしながら映画を見ていました。途中、一瞬渋谷がチラ見えする瞬間があって、(く、くる....)とニヤニヤしていたらチラ見せだけで終わって(こ、こない....)と寸止めされた気分でした。
そしてその後ちゃんとダンスシーンがありました。
いや、本当唐突。
いや、流れ的なのはあったっちゃあったんですが、まぁ、山の映像が流れてるんだから突然山賊が出てきて渋谷にワープして踊りだしても唐突じゃないよねって言えるなら唐突じゃないんじゃない?って言えるぐらい唐突。
突然スターツアーズのワープみたいな映像と音声が始まったと思ったらなぜか手足が長くジョイマンみたいになった聖とめちゃくちゃ可愛い女優化したスカーレットが渋谷?(と言われてるがそんなに渋谷感を感じなかった)でめちゃくちゃダンスするという。
思わず(う、うおw)と笑いが込み上げてきました。本当に脈略がないし、聖が改造人間みたいになっていて、なんか素人が作ったMADとか、MMDみたいなクオリティだなと思ってしまい、本当に面白かった。(ちな聖ダンス死ぬほどうまい)
作中一番面白いシーンはここと言っても過言ではないです。後スカーレットがかわいい。
おそらくわかりやすくこのシーンに似ているものを例えるなら、今日ビジュいいじゃん。という曲を調べてみてください。まさにあれです。あれを映画でやられたら流石に面白いということです。
まぁ、細田さん的には全体的に暗い映画なので途中でダンスや明るい歌を入れたほうが良いと思ったそうなんですが、僕的には最高でした。ありがとう守。
さて、もう一つの爆笑ポイントは、最後のスカーレットロビン化です。
「生きたいと言え!!もっと大きな声で!!!ほら!!!!!!」
「い、いぎだいいいいいいいいいい」
いや、全評で聞いてたけどマジであるのかよ、笑。と。
いや、ホンマにたぶんロビンのまんまレベルでした。
さてさて、まだ面白い部分がたくさんありますが、ここからはツッコミどころがあるからこそ面白い部分を紹介したいと思います。(今までのはツッコミなし!?)
えー、聖。アーチャー化。
聖はひょんなことからスカーレットのパートナーとなった現代人の看護師で何故か、何故か一人だけ作中に出てくる現代日本人です。
彼マジで高スペック男性なんですよね。
まず弓が使えます。なぜ?しかもプロ級。
弓道部だったみたいなシーンを入れれば良いもののそんなものはない。
この映画は基本お前らが勝手に脳内で補正して楽しめよ。というスタンスだと思いますので、つっこみどころを突っ込むのは野暮、無粋かもしれませんが、それにしても多いよ、守。
うん、FATEの衛宮化してました。防具をウクレレと交換して片腕の色が変わる(防具で赤っぽく)のとか、もう衛宮やん。
まぁとにかくとんでもない弓スキルを持っているわけなんですよ。
しかもね、ウクレレは途中で助けてもらったキャラバンの人たちが仲良くなったお礼で渡してくれて、「大事にしてね」とか言われてたのに笑顔で鎧と交換で売っぱらってるんですよこいつ。
ガチサイコパスなんですよ。
えええええええええええって。
しかもこいつガチで乗馬がプロ級です。スカーレットが驚いてました。
(え?なんでこいつナチュラルに馬乗れるし走れるの??え、待って?)って顔してました。
普通に「はいや!」って感じで馬に乗って爆走。敵陣に特攻(和平)を仕掛けるという無茶っぷり。もちろんなぜ乗馬スキルがあるかは謎。(一切の描写なし)
さらに、スカーレットが銃弾で打たれるも「ちょっと痛いが我慢しろよ!」と言って治す事ができる。(ちな治すために袖切ったとき恥ずかしいとか言ったスカーレットはマジで謎。大事なときにそういう変なこと言うキャラじゃなかっただろ)
いや、医者名乗れるんじゃないか?
つうか実は医者だろ。そのほうが納得できるね。幼い頃から英才教育を受けてきたから乗馬も弓も使えるとか、そのほうが整合性取れるやん。
そして聖、「殺すのはだめだ!!人を殺してはいけない!!」と中盤以降までスカーレットに説教垂れ幕っていた。
いや、そこはわかる。まぁそういう人もいるだろう。
が、しかしスカーレットがピンチに陥ったとき。
まず弓をよっぴいでひょうど放って1KILL。止められないサイコパス聖は矢を片手に敵の脇腹に思いっきり突き刺し2KILL。
えええええええええええええええええええ
2killしてるやん!!!!嘘ぺこでしょ.....W
流石に面白すぎた。いや、斬新。
俺は守を褒めたい。
こんなの一貫性がない!キャラクターとして破綻している!と批判するやつがいる。
しかし人間、最も大切な人間が死にそうになったとき、取って貼り付けたというか、現代日本の教育で植え付けられた薄っぺらい清い信念を貫き通すことができるのだろうか?
きっと守はそれを視聴者に問いかけたかったに違いない。たぶん。おそらく。メイビー...。
そしてもう一つ、同じくツッコミどころと面白さを兼ね備えていたのが僕が勝手にご都合(主義)ドラゴンとよんでいる、謎の作者が知っているタイプのサンダードラゴン。
だいたいピンチになったらドラゴンが助けてくれます(ガチ)
なんならラスボス、叔父と戦うとなったシーン。未来の争いをなくすため、争いは誰かが終わらせなければいけないという信念からスカーレットは叔父を殺すのを辞める。
え、どうするの?このままじゃスカーレット殺されちゃうよ!!え、冗談抜きでこれどうするの?え??と困惑する僕。
叔父はここぞとばかりにスカーレットを殺そうとする。すると謎のドラゴンが天空からやって来て叔父を雷で焼き尽くし丸焦げにし倒すという。
ええええええええええええええええええ
まもたん!?それでいいの!??困ったらドラゴン出せばいいと思ってない!?
まぁ悪い人をドラゴンは殺すっていうような描写はたしかにあったけどさぁ、その、タイミング良すぎない?だったらもともと極悪人なんだからもっとはやく殺しといてもおかしくないと思うんですけど...。
さすがに最後のドラゴンキルは面白すぎた。
ウッソオオオオオオオオオオオオオオって感じ。
さて、残り文字数が少なくなってきたので残りは箇条書き形式でまとめる。基本的にはツッコミどころ。あと個人的に良かったところ。悪かったところ。
(また、石川さんが言っていた矛盾点は省いている可能性があるので石川さんのレビューも見てね。)
叔父の処刑なぜ王宮の前でやった??流石に王族が住まう王城の玄関の眼の前で処刑はありえなくない?普通民衆集めるなら街の中央広場とかでしょ。
王族が住まう場所ってそんな簡単に民衆通していいの????
自分がスカーレット暗殺用に用意した毒を誤飲して死ぬ叔父って何?アホなん????
謎の愉悦系老婆なんなん(龍の化身?)
墓掘ってたやつなんなん???
あとスカーレット父殺されてやることが戦闘訓練ってなんなん??証拠とか集めて叔父を糾弾しろよ。なんでナイフとか剣の稽古やって努力してますよ感出してんねん。
んで死ぬほど戦闘強くて草。めっちゃ良かった。ガチで強いやつには叶わずボッコボコにされてるのもリアリティあって良い。ふざけてた奴らを瞬殺するのも良かった。
洗顔(水浴び?)スカーレットえどすぎ。
スカーレット死んだ後なんで叔父も側近も全員死んどるねん。
過去と未来と現実が混ざった場所とか言ってるくせに現代の兵士一人もおらんやん。未来の兵士とか居てもええやろ。
謎に始まるダンス(キャラバンのおばさんのダンス。)
何故最果ての場所みたいなところを叔父は守ってるのか????守る理由why?独り占めしたい??何故民衆が賛同する???why??
芦田愛菜声優うますぎ。めっちゃ良かった。全然気にならん。スカーレットクソかわいいしマジでいい。俺は芦田愛菜なんかより一番ひどいと思ったのが最後山頂で出てきた側近二人組の金髪のヒョロイやつ。「ウラギリモノニハバツヲー」とかいう意味わからん棒読み。
スカーレットと比べるのもおこがましい。(プロの声優さんだったらごめんね)
あとやっぱスカーレットかわいい。ほんとに。
さて、最高に面白い映画だったが、一つだけマジで酷かったシーンが有る。
最後の最後。「私を王と認めてくださるなら、子供が死なない世の中に!争いのない世界を作ると約束します!」的なシーン。
→「だったら俺等も王女様を支持します!」「うおー!」「俺もだ!」「私も!」
う、うお...。
マジで見ててキツかった。いや、なんか。説明が難しいんだけど、無理やり作品を仕上げるために賛同する民衆を描いているというか、死ぬほどツッコミどころがある本作だけどここだけは「いや、そうはならんやろ....」とマジで萎えました。
お遊戯会レベル。
総評→最高に面白い映画でした。スカーレットがかわえどなんで見る価値あり。最後はマジで終わってる。以上。
「大衆に迎合しない」宣言
観た直後にはっきりとした感想を抱いたのですがもやもやが止まらず、ネットに溢れるたくさんの意見を見まくり、様々な思考を経て最終的な自分の結論が出ました。
そういう意味で余韻が長い作品です。
今も考え続けています。
<私の状況>
演劇業界の住人。
細田監督の作品は「時をかける少女」の大ファン。
子供を連れて「サマーウォーズ」を見て、家族で感動しました。
その後、映画から離れたため、テレビで「バケモノの子」を観たくらいです。
<観た直後>
「エンターテイメントしていない」
「脚本が酷い」
観た直後に真っ先に想ったのがこれでした。
脚本が悪いとその後どんなに頑張っても取り返しがつきません。
何が酷いと思ったのかというと・・・
①どのキャラクターも背景や思考の深みがなく、とても薄い。
②スカーレットのいる時代を16世紀北欧としているのに、その時代らしさを全く感じない。
王・貴族・兵隊・民衆など全ての人の発言・行動全てが現代的。
③「死者の国」に暮らす人々の感情が見えてこない。
自分が死んだこと、そして更なる死に当たる「虚無」をどう捉え恐れているかわからない。
④「死者の国」にいる人々に多様性(国・時代・考え方)がなく、時代や国を超えている感じが全くしない。
⑤博愛者である聖が弓で人を殺し、全く動じないのはなぜ?
⑥神のような存在である龍の存在理由が全く見えなかった。
⑦ずっと暗いシーンが続き暗鬱なのに、突如明るいシーンが入り、それがちょうど1時間。演出的都合を感じた。
⑧「果てしなき」を全く感じなかった。
他にもたくさんあり、枚挙に暇がない。
映像に力があるため退屈はしないが、観ている最中、謎で一杯。。
多くの観客が求めていたのは、「時をかける少女」「サマーウォーズ」のような、多くの人が楽しめるエンターテイメント作品。
しかし観たのは、謎がいっぱいで多くの人がついていけない作品でした。
<面白さがわからなくてネットを彷徨った>
初めは酷評ばかりでした。
酷評の理由はやはり「わからない」が多数。
その後、ネットの常の「揺り返し」がきて「擁護論」に溢れました。
擁護派の主たる言葉は「ハムレット」と「画力」。
私が気になった「脚本」はどの人も「置いといて」でした。
なので読めど読めど納得がいきませんでした。
その後出てきたのは「私は好き」。
これは逆に理解できます。
結局観た人が好きか嫌いかです。
言葉苦しく擁護するより、こちらの方が理解できます。
これが現在地です。
<結論>
各々の好き嫌いはあってしかるべき。
「大衆に向けた作品を作ってきた細田監督が、自分の言葉で少数に向けた作品を作り始めた」
というのが私の結論でした。
巨匠になる前はエンターテイメントを強いられ、商業的に成功するために
〇原作が有名
〇流行の役者
〇提携するテレビ局の事情
など様々な制約が入り、その中であがくことになる。
そして、そこで成功した人のみがわが道を行く権利を得ることになる。
宮崎駿監督然り、庵野監督然り。
そして徐々に政治的思想や個人の嗜好を作品に反映させるようになり、作品が大衆にわかりづらくなる。
細田監督もそうなっていくのだな・・・というのが私の結論です。
今後も大衆に迎合しない、独自の作品を作っていくと思う。
観客はそれを好き嫌いで観に行くようになる。
その先にあるものが何かを見届けていくのだな・・・と強く思いました。
「エンターテイメントから離れた」
勿論、結論は人によって違い、それでよいです。
これまでのように皆で楽しさを共有できない・・・それを受け入れたことによって、私の迷いが消えました。
これで劇評を彷徨わなくて済みます。
様々なことを考えた、余韻の長い作品でした。
余韻が長いということは、作品を楽しむ時間が長かったということでもあります。
どうもありがとうございました。
噂に違わぬ
酷評の嵐を分かった上で鑑賞しました。
細田守作品は前作見ていて、前作の竜とそばかすの姫は比較的好きで楽しめました。
鑑賞後に思ったことは、どっかで意識が飛んでしまっていたかな?という果てしない疑問でした
とにかくキャラクターの感情についていけず戸惑うばかりでした
行間を読むのはあまり得意ではないのもあるかもしれませんが、台本何ページか破り捨てられたのかな?と思うくらいには心情の動き方が唐突でした
特に感じたのは聖がスカーレットを助けるために弓で射殺すシーン
あれだけ人を殺める行為を否定していた聖が、射殺した直後にスカーレットが無事で良かったと安堵する。
そして殺した後悔をしている描写はない。
いやいやいや、とツッコんでしまいました。
作品のテーマとして生きるとは何か
他者を許し、争いの螺旋から降りることが大事ではないのか
などと言うことがメッセージとして伝えたいことなのかなとは感じました。
ですが、作品として観た時にそのメッセージへの裏付けとなるエピソードや感情の動きがなく戸惑いました。
なんなら復讐を肯定している描写も最終あるためより疑問が、、、
観客が自己投影できるキャラクターが少ないのもその要因かもしれません。
映像としては従来のアニメーションと3DCGとの住み分けは面白かったし、CGの表現も圧倒されるものがありました。
しかし、内容がな、、、、と。
歌や踊りが時代を超え、感情を超える伝達手段として描きたいのかな?とは思いましたがそれにしては大事に扱ってないし、、、
キャラバンの人と歌うシーンでは実際に登場人物が踊るのにその場で演奏している人はゼロ
えぇー、、、となりました。
なんというか、やりたい事だけ先行しているような印象です。
32/100
酷評する程不満はないが、絶賛するにはベタ過ぎる
ハムレット風に言えば「観るべきか、観ざるべきか、それが問題だ」った作品。細田作品なら「時駆け」「サマウォ」は笑えて楽しかったし、「おおかみ子供」は溺愛してる名作ですが、以降の3作はピンと来ず、劇場から遠ざかりました。本作も悪評が千里を走り、公開から暫く躊躇っていましたが、Radio Showでの塙さんの賛辞に誘われて鑑賞しました。結論から言うと、酷評する程不満はないが、絶賛するにはベタ過ぎるという印象。とは言え、ベタではあるがヒロインの「気付き」で締める素粗な展開は嫌いじゃありませんでした。
⚔️
1. 復讐心を煽る世界の中心で、ベタな説教が叫ばれる
死者が彷徨う世界の映像表現も、復讐に駆られるヒロインのやるせなさも、悪くない幕開け。ただ、復讐モノは主人公にどこまで共感できるかが肝。父を死に追い込み、自身に毒を飲ませた相手への恨みは、観客として忖度できる。それでも、父の殺害にも毒を盛るもに直接関与していない部下(っぽい兵士)まで、ヒロインが怒りのままに切り裂くと、鬱憤晴らし?と冷めてしまう。
父が残した「赦せ」の言葉。繰り返される21世紀感覚な聖の説教。脈略なく現代の日本人が登場するのは奇異だが、中世の騎士道では身内が殺されたら復讐こそが正義だった筈で、「復讐の連鎖を断ち切る」なんて近代的主張は、現代人の登場が必要不可欠。キレイ後と馬鹿にされても、暴力に暴力で対抗し続ける限り、連鎖は止まらない。だからどんなにベタでも、Scarletが断腸の想いで剣を捨てる展開には共感。ただ剣を拾った宿敵が雷に打たれて塵となる処は、ベタが連続しすぎて、安田大サーカスまで登場しそうだった。
⚔️
2. 心が動いたプラトニック・ラブ
序盤は反発しあう二人だが、聖の分け隔てのない治療や、住人に溶け込む心の壁のなさや、自身に対する気遣いにScarletも心を開く。そして、聖との永遠の別れを察した瞬間に溢れたScarletの想いにキュンとした。それは、恋心までいかずとも、友情には留らず、始めて”恥ずかしい”脇の下を見せた異性に対する想いだったに違いない。
惜しむらくは、恋心が復活後に活かされなかった事。眼下のかなり離れた位置に居る臣民とScarletが、謎に普通の声の大きさで会話できちゃうシーンなんて要らないから、Scarletが数ある求婚を断って独身を通したとか、Scarletが産んだ第一王子には"Hijiri"という風変わりな名前を付けたとかいう後日談がほしかったです。
The 失敗作(ネタバレあり)
はじめに
私は例のダンスシーンにて大爆笑してしまい、この映画がストレス発散の一助となったのは事実である。しかし、他の方に手放しで薦めることはできないと考えたため、酷評をさせていただこうと思う。
主な本作の低評価の理由は「脚本の拙さ」である。もう少し掘り下げると第一に世界観の推敲・説明不足、第二にキャラの会話の拙さ・行動原理の不足、第三に場面展開の非連続性(突然のダンスシーンなど)である。これらへの詳細な指摘は他レビュワーにお任せして、私は本作らしく、考察および妄想を述べようと思う。
細田監督単独による演出偏重な作品づくりについて
そもそも、細田監督は「赦しによる復讐=死から愛=生への転換」という崇高なテーマに興味がないのではなかろうか。これにより、テーマの掘り下げはせずに、得意な演出を全てやりきりたいがための場面展開が増えたのではと勘繰っている。その多すぎる場面転換を捌くために、主要キャラに説明を肩代わりさせており、それがキャラ達の会話の違和感に繋がっている。また、スカーレットや男主人公である聖の心理変化を掴みきれずに感情移入できないのは、細田監督が演出したい一部の場面だけを見せられている弊害だと考えている。独裁的な製作体制の中、教義にある多くの崇高な思想を全て伝えきろうとするカルト映画と似た部分が多いと感じたのは恐らく偶然ではない。
この問題の解決方法は多くの方の指摘通り、独裁的な企画・演出偏重をやめて、誰かに頼って脚本にも重きを置くことである。私見としては、現状の脚本は改善余地だらけの印象だ。ストーリーの本筋を残す場合、聖の過去編を追加してテーマと関連づけたストーリー展開を行いつつ、キャラの掘り下げを行ったり、そもそも防壁前にある大集落から物語を始めて場面展開数(戦闘回数)を大幅削減したら良いと思っている。
この映画のヤバさについて
荒唐無稽な考察に基づいて、本作のヤバさの片鱗を伝えられたらと思う。
私は死の国を「今際の際におけるスカーレットと聖の二人の夢が時空を超えて共有された状態」と考えた。二人の悪夢ならば支離滅裂な論理や場面展開の非連続性にもまだ納得できる。しかし、スカーレットが目覚めた後、①黒幕が不注意で死んでいて、②スカーレットが戴冠して女王になり、③王宮でも街でもない謎の場所で、④ひしめく民の前で演説することで、⑤民はあっさり演説に心打たれて女王陛下万歳となる。①-⑤のストーリー展開は、都合が良すぎる上に女王の演説場所として不適切であるので、これらを全て夢だと考えた方が現実的だ。しかしその場合、現実である部分は、九死に一生で毒から回復したスカーレットが王冠未着用の姿での(現実では女王になれなかった示唆とも取れる)歌う場面のみとなる。そんな無意味で虚無な映画はあってはいけないのだが、そう受け取れてしまうのが本作のヤバさであり、致命的、絶望的、圧倒的にストーリーや映像に「現実味が存在しない」のだ。
さいごに
鑑賞後から一週間経ってレビューを見ると、「意外と悪くない、普通」という善意に溢れた中途半端な擁護が沢山あった。しかし、これは毒にも薬にもならない作品であると主張しているに他ならない(毒で笑い楽しめる者も一定数いるのだ)。凡作なら人は映画館に行かずに、地上波で見ることを選択して、動員数の阻害要因にしかならないのではないだろうか。
さて、本レビューで提示したヤバさが気になる未鑑賞の方は、是非とも映画館にてお金を払ってヤバさを噛み締めて欲しい。ダンスシーン含めても1/4もこの異常性を伝えられていないことが分かるだろう。なお、道連れにしてやろうなどの意図は一切ないと断言しておく。
個人的には、本作が最低限の興行収入に到達して、細田監督には次のチャンスを勝ち取って欲しい。そして、ビジネスモデル・ターゲット層を再考する必要はあるが、細田監督の強みである、人の露悪性を描く表現力や展開の非連続性を活かした次回作を待っている。
ハムレット好きにはたまらなかった
オープニングからなかなか重い。
あまりあらすじとか見ずに行ったのもあるけど、どういう世界、どういう状況?とはなったけど、
時々、写真?え、写真じゃないの?と思うくらいリアルな絵に驚くところがあった。
最初に出てきた映像が、最後にも出てきたので、何かはわかったけど、草木?脳細胞?とか色々考えてしまった(笑)
ハムレットをなぞらえてるとは知らずにみていて、
名前やらストーリーやら、あれあれ?と
シェイクスピア、特にハムレット好きとしては、たまらなかった!
しかも実際見た舞台の役者、吉田鋼太郎さんや市村さんが声優人にいるから、余計シェイクスピアの世界観を感じました。
デンマークも行った国でもあるので、入りやすかった。
まーもちろん違うところもあって、お母さんはどうなったんだよと途中思うことはあった。
なんであんなに冷たくされ、さらに伯父と再婚した母のことはなんとも思わないんだろう?
父を殺したと思っていた2人が、実は殺してなくて躊躇したことを知り、最初敵対はしていたけど、後で助けてくれるのとか、出来過ぎではあるけど、まあいい話ですね。
キャラバンのシーンが癒された!
聖いい人すぎ。
ハムレットで好きだったレアティーズが悪者みたいになってたのは悲しかった。
火山の後のカルデアが、君の名はを思わせたり、天への階段がアナ雪を思わせたり、なんかどこかで見たような感じはあったけど、全体的には楽しめました。
映画が酷評だとはあとから知ったけど、なんで?
酷評するほどでは無い。全てが惜しい印象
良かったのは何より映像です。とても美しく、映画館で見てよかった点はこれに尽きます。海やら肌などが特に良かったです。実写にはない、きれいさがあります。
言われていた脚本も悪くはなく、目的や結末はしっかり書かれていたので支離滅裂では決してないです。ネタにされていた渋谷で踊るシーンも唐突ではないです。むしろスカーレットがあそこで聖に恋したのかなと思った印象で削ってはいけないと思いました。
悪かったのはまず、主要キャストが合っていないのと棒読みに聞こえました。お2人共ドラマでは素晴らしい演技なだけに、声優としては意外にも微妙でした。話題作りもあるでしょうがプロの方や声の演技が上手い俳優さんを起用した方がいいです。個人的に1番のマイナスポイントでした。未来のミライの一般観客の感想を見ていないのかなと思いました。あとは無駄にダラダラ歩いてるシーンが全体的に多く、ダレてきて飽きました。無駄を省いて謎の龍(?)の謎やお父様が虚無になった理由、最初と最後に出てくるおばあさんの役割を立たせて欲しかったです。あとはネタにされているダンスシーンの曲がチープすぎて、せっかくのシーンが台無しです。もうひとつ、スカーレットが殴られたり、嘔吐したり、吐息がうるさいなど、女性なら不快に感じるかもしれません。最後に、スカーレットと聖を恋仲にさせたのは残念、一個人の好みですが。
設定が意味不明と言ってはキリがないのですが、酷評するほどでは無く、むしろ面白かったです。時をかける少女やサマーウォーズほどのテンポの良さや面白さはないですが、未来のミライに通ずる酷さや不快さはないです。友人や家族がこの映画を見ようとして止めはしないです。自分の目で見て感想を持つべきだとおもいました。
申し訳ない。。。価値はあるけど
最後の「自分を…赦す…」のくだりは良かったが。
最初から最後までなにからなにまで唐突すぎて、なんだか2時間弱でダイジェストを見ているようでした。
中盤から終盤にかけての見せ場でもあった、劇中歌の魅力が全くなく白けてしまいました。
エンドロールで作詞者を確認したら、細田守となっておましたので(やっぱりか…)と思ってしまいました。
「復讐心」がスカーレットの生きる糧になっていたのも事実なので、そこをどう処理していくのかも見せ場だったのですが、簡単に処理しすぎで白けてしまいました。
シェークスピアの「ハムレット」や、ダンテの「神曲」などをモチーフにしているようですが、モチーフ作品が素晴らしいからといって、オマージュ作が素晴らしいとは限りませんよね。
黒澤明監督の「乱」が「リア王」をモチーフにしていましたが、「乱」も面白くなかったし。
細田守の脳内を見る、という意味では価値があると思います。
ディレクターカット版が観たいです。
良いテーマ
良いキャラクター
良いキャストとスタッフ、予算をかけながら
このまま酷評で終わるにはもったいない作品です。
是非ディレクターカット版を作成して欲しい。
特に若い観客にも、もう少し寄り添った作品に
再編して欲しいと強く感じます。
(低予算で出来るはずです)
以降はネタバレを含めますので
観ていない方はスルーして下さい。
(年寄りの雑な感想です)
スカーレット
ヒロインだけあって丁寧に描かれていて
特に大きな違和感は感じませんでしたが、
それでも他の登場人物との会話が足りないと思います。特に聖には博愛主義の限界と厳しい現実に対する答えの無い疑問をぶつけて欲しかったです。
聖の葛藤
命に優先順位は有るのか?
能動的に動くことで救える命があるなら
己の手を血に汚すことは許されるのか?
せっかく同僚やキャラバンで仲良くなった人が
登場していたのだから言葉で聖の信念と挫折を語らせて欲しかったです。それが無いと終盤での
魂のトリアージが???になってしまいます。
悪役の葛藤
なぜ悪に仕えるのか
なぜ終盤に寝返ったのか説得力が足りない。
アニメで俳優の演技力を過剰に期待するのは
お門違いだと思います。
(俳優、声優、アニメーターは素晴らしかったです)
仇役が単なる小悪党では違和感あり過ぎ
借りにも魔王なら魅力的な悪党を描いて欲しい
今のままなら強い手下が付き従うのが不明
(山賊ならともかく冥界の覇王でしょうに)
龍に頼り過ぎ
龍の巨大さが分からない。表現力不足。
いっそ削除して、単なる稲妻にしたほうが
火山との相性もいいと思う。
悪の軍勢の巨大さの強調はミスリード
後半の民衆のさらなる巨大さが伝わらない
カットすべきシーン
民衆の巨大さはもっともっともっと強調すべき
圧倒的な数の暴力、人海戦術での勝利を強調
しなければ、武装にも優れた悪の軍勢が敗れた
ことが納得出来ない。腹落ちしない。
民衆の大多数を占める弱者の説明なし
なぜ強大な敵や火山を前にしても歩みを止めなかったのかの説明が無い。自分を犠牲にしても子供たちを救いたかった為と思うが、アレでは意思の無いモルモットの行進にしか見えない。
キャラバンの仲間や少女の母親に語らせろ
なんのために前に進むのか
子供たち、次世代のためではないのか?
言葉で言わないと観客には伝わらないぞ。
特にアニメでは。
メインテーマの赦しはともかく
サブテーマの子どもたちに対する想いの
強調が不十分だったのが残念でたまりません。
以上
復讐劇(復讐劇じゃない)
・サンダードラゴン(仮名)に展開頼り過ぎでは?
・あらすじや紹介で復讐がどうこう言う割にはヒジリという存在のせいで「復讐なんてダメだよねラブアンドピースだよね」って感じになるかと思ったら終盤でヒジリ人刺しちゃうし結局サンダードラゴンの力で敵死んじゃうし、愛をテーマにするなら終盤も愛で解決するべきだったのでは?クローディアスを「雷死」や「うっかり自分で毒飲んじゃった」で解決するのは愛でも平和でもないよね?
・死後の世界に日本人いなさ過ぎじゃね?ヒジリ以外見つからんなかったけど
・もう死後の世界なんだから「生きたい!」「生きるんだ!」「死にたくない!」みたいな物言いは言い方考えて欲しかった。「いやもう死んでますが?」って何度もツッコみたくなった。まぁ生=死後の世界で生活し続ける。死=虚無。かもしれんけどモヤる。
・生前の世界が2D手書き、死後の世界が3D表現なのは面白いと思ったけどそれが活かせてるとは思えない。生前:1割、死後:9割くらいの描写でほとんど3Dだったから書き分けた意義があまり感じられない。…ていうかこの設定だとするならスカーレットが3D表現だったのは矛盾するのでは?
・「反射的に体動いたから死んだと思わなかった」は無理あるでしょ。通り魔の刃物で刺されたなら絶対即死じゃないでしょ。
・結局「見果てぬ場所」ってなんだったん?あれだけ無駄に城砦や壁作って多くを犠牲にして辿り着いたのにどういう場所かわからんかったんだけど。生き返れる場所かとも思ったけど、最後のアレは元から死んでなかったってだけで見果てぬ場所は関係ないよね?
・「自分を許せ」が正直よくわからんかった、少なくとも死刑間際に言うことではなくね?
・あらゆる時代の人間が死後に集まるならクローディアスだけが独裁者みたくなってるのは違和感ある。歴史的にヤバい人間もっと色々いるでしょ。ヒジリ出すための設定なのはわかるけどそのせいで死後の世界観が変に感じられた
・ダンスにちょっと尺割きすぎかな。アジアンダンス然り、特に渋谷ダンスカーニバルはただでさえ急展開な描写なのに尺も長くて、これまでの展開見た上でどんなテンションで見りゃ良いんだよってなった。…っていうかなんで渋谷ダンスが見えたの?可能性の世界?死後の世界だからってご都合設定過ぎん?
・声優はそんなに気にはならなかった、芦田愛菜が思ったより良い感じだった。ヒジリはもうちょいかな
進化を続ける細田ワールド
【ネタバレ有り】飽く迄も2次元に拘る「時をかける少女」時代の細田守の信奉者にとって「果てしなきスカーレット」は、その独特の世界観への冒涜と思われるかも知れない。しかし、進化し続ける映像の世界・・・、自身に枠を嵌め、その範囲から一歩も出ないで制作を続けるのは大変な事だ。その意味で「果てしなきスカーレット」における細田ワールドの変容は当然の帰結である。ただ、本作品の変化の度合いは些か大き過ぎて、昔ながらの信奉者を置いてきぼりにしてしまった感は拭えない。だが、ついてこられる者だけを相手にするのもクリエイターとしては致し方無い事だ。
それでは何が変わったのか?先ず言えるのは背景描写の圧倒的な立体感だ。砂漠・遺跡・海・空・・・2Dからの潔いまでの決別である。私にとってはどれもこれも当然の帰結と思われる。恐らく多くの場面で実在する風景をロケハンして行けばその世界を2Dの空間に閉じ込めるのは無理だと気付くのであろう。万物は流転する。その中で人もまた万物の一部だ。よって、背景だけ無く人物も立体的に動き出す。これは特にバトルシーンで顕著に見られる。確かに人物の造形では3Dは無いが、動きは頗る軽快で立体的であった。進化の一つだ。
更に、台詞回しまでも新境地が垣間見られる。これは、古典への回帰という意味での斬新さだ。主人公はスカーレットであるが、宿敵はクローディアス、更にガートルード・ローゼンクランツ・ギルデンスターンe.t.c.シェークスピア悲劇「ハムレット」の登場人物が目白押しである。更に、市村正親・吉田鋼太郎といった声優には、日本を代表するシェークスピア役者を充てる。私は、「ハムレット」をク・ナウカや蜷川版の舞台、そしてグレゴリー・ドラン監督の映画等で見ているが、何れも演出こそ違うが格調高い(別の表現をすれば「過度なまでに装飾された」)台詞回しのオンパレードで、シェークスピアの世界観から逸脱するものでは無かった。勿論、そこから逸脱しては意味が無いと云う事もあるが・・・。よって、この「果てしなきスカーレット」でもその些か装飾過多な台詞回しが時々出てくる。これもまた細田アニメの信奉者の癇に障る処となるのであろうが、シェークスピアが大好物の私にとってはこれは大歓迎であった。
とは言うものの、このアニメは「ハムレット」の焼直しではない。主人公スカーレットは、「果てしなき恨み」に支配された人物と言うことではハムレットと言えるが、其れが現代日本から来た看護師聖(ヒジリ)と出会う事によって「赦し」の概念を受け入れて行くことなる。この「赦し」によってシェークスピアの代表的悲劇はハッピーエンドに変わる。恐らくこの聖こそがオフィーリアなのであろう。ハムレットの遺恨とは対局にあるオフィーリアを受け入れる事が赦しに繋がって行くことが面白い。因みに、スカーレットが聖に「寺にゆけ」と云う場面があるが、これはハムレットがオフィーリアに言う「尼寺へ行け」のオマージュだろう。
そしてもう一つの大好物。渋谷でのダンスシーンだ。コレが素晴らしい。私はこれを「祝祭」のシーンと呼びたい。私の好きなアニメーターに今敏と云う人がいた(残念なことにもうこの世には居ない)。彼は人間の記憶や感情を具現化する事をライフワークにしていたが、その集大成とも言える「パプリカ」で、記憶の中にあるすべてのものを総動員させて街を練り歩かせる・・・ある種の「祝祭」のイメージを何度も出している。其れを彷彿とさせるのが渋谷でのダンスシーンだ。些か唐突ではあるが、元々「彼岸」と「此岸」の間にある曖昧な空間の出来事である。何が出てきても良いであろう。
さて、世間から認められない天才・・・そう、ゴッホの様な芸術家は・・・自分の作風を頑なに変えないが、早々に認められた天才・・・、ピカソの様な人は貪欲に新しい自分を作り出す。細田守と言う人はそう云うタイプなのかも知れない。ニュータイプを受け入れられない人は取り残されるだけである。
眠くなるほど酷くはないが、面白いとは言い難い
どうにもスカーレットに共感できず…
この辺りが面白いと思えなかった原因かな、と。
序盤はなぜ王が処刑されるに至ったのか全く納得できないし(毒殺ならともかく)。
他国に国を売ったという理由もあまりにテキトー過ぎる。
閣僚や軍が弟クローディアス配下に占められたのなら、その過程で気づかない王はあまりに間抜け…
ハムレット原作はその辺りを語らないことで観客に疑問を抱かせないよう配慮していたかと。
序盤の設定はハムレットというより『暁のヨナ』に酷似していました。
こちらの共感させられ度が凄いので、比較すると天と地…なぜ王が殺されなければならなかったのかも合理性が取れていたしね。
完全に死に至る前に、もう1ステージ世界がある、という設定には興味が湧きました。
ただ、その世界の仕組みがしっかり造られていなかった印象(スカーレットの夢の中だから?)
飲食は不要なのか、物は作るのか、それとも埋まっているものを使用するだけなのか、動植物は生まれ育つのか、次々に湧き出る疑問は置き去りにされたままでした。
死に方だけはよく理解できましたが。
主人公がどうやってピンチをど切り抜けるか。
これはアイディアの見せどころ。
しかしデウスエクスマキナ(脈絡なく神が助けてくれるってやつ)は紀元前には禁じ手とされたはずですが、複数回、使っていましたね…
せっかくの「許す」テーマも、クローディアスが死んだから「許せた」の結果論になってしまった。
ラストのスカーレットの演説はあまりに幼稚だし。
愛を知っても政治はできないと思うぞ?
ガンジーのように毎回、身体を張る覚悟なんでしょうか…
歌とダンスは細田作品のお約束なの?
唐突感極まりなかった気がしましたが、お約束なら致し方ないのかもしれません。
個人的に最も良かったところは、天国への階段が透明なところと、海辺のウミガメでした。
全編通して息苦しいシーンが多いので、ウミガメには大変癒されました。
前例がない新しい表現だと思いました
今回、この映画の表現は前例がなく、自分の受け取り方が正しいのか分からない為星3にしました。個人的には星MAX5です。
これは所謂「戯曲」をそのままアニメで表現した作品なのではないかと感じました。
まず冒頭のスカーレットの世界を2D作画表現で描きつつ、背景のレイアウトをひとつの舞台に見立てた=場面にキャラクターが実際の演劇の様に配置され、話が進んで行く様なカットがあり、基本どのシーン、カットもレイアウトとキャラクターの収まりがすごい丁寧に感じられました。
死者の世界に移動してからは3Dに切り替わるものの、昨今のゴリゴリカメラを動かしたり派手なアクションをしたりする様な作品とは真逆で、レイアウトの収まりを舞台に見立ててその収まりに合う様なアクションとなっている様に感じました。
恐らくこの冒頭は「このアニメはこう見せていきますよ」という説明になっているのですが、これは台詞で説明する事がまず基本的に無理で、この冒頭で細田監督の新しいアニメの見せ方を受け取れないと本当に最後まで置いてきぼりを食らう可能性があります。
↓戯曲説明
戯曲は登場人物(キャラクターとも言う)と、彼らが舞台上で行う行為(アクションとも言う)によって構成される。登場人物の行為は通常、連鎖反応的に描かれる。つまり、ある行為が次の行為を誘発し、その繰り返しが劇の始まりから終わりまで続く(ウィキペディアから引用)
否定的な意見の中に脚本について言われている方が多いのですが、これは戯曲としての脚本で、戯曲をそのままアニメ化し、さらに細田監督版ハムレットとされていると私は解釈したので今までのアニメの脚本とは全くの別物で前例が無く、シーンの前後の説明が無いのもキャラクターの説明が無いのも恐らく「ハムレット」を知っているのが前提で描かれている可能性があるため「ハムレット」を事前に読んでおくと見やすいかもしれません。
ちなみに私は「ハムレット」を読んだ事も戯曲というものを見たこともありません。戯曲の意味も映画を視聴後検索して調べてこうではないかと勝手に解釈したものになります。しかしそれ以外この映画を上手く説明できません。
また、作中出てくる龍は「サマーウォーズ」「竜とそばかすの姫」で出てきた守護神のクジラ的な存在であると解釈すれば大分見やすくなります。
戯曲=舞台として見せる+現実世界は2Dで見せる、アクションが強めのシーン+死者の世界は3Dで見せると、今回も2Dと3Dの使い分けが前回に比べてよりパワーアップしている様な感じがしました。ただ、この2D作画と3Dの入れ替わりが絶妙で、上手くいっているのかどうかがちょっと分かりません。
かなり新しいことに挑戦しているイメージが強かったです。
「鬼滅の刃」「チェンソーマン」の後に公開するには余りにもタイミングが悪く、この2作品とは全く真逆かつ前例のない見せ方だと感じたので現状の評価がとても残念に感じました。
個人的にはすごい楽しめて新しすぎて何回も見て考察したいのですが、2100円は高いので配信を待つことにします。
どっちつかず!中途半端
◾️どう言う立ち位置で見ればいいの?
客を置き去りにしたいのか、エンタメにしたくて日和ってんのか、どう言う目線で見ればいいのコレ?
死者の国という半分心象風景のようなものに、整合性求めるのはナンセンスかなぁと思う。
そう言うものと割り切って鑑賞したい気持が一つ。
「ついていけない君の為に説明してあげよう!」
と口頭での説明が多く、こちらとしても
あゝ理解して見る映画なのかな?と思いきや
例のダンスシーンが始まるので、
海で遭難したら救援ボートきたけれど、結局見つけてもらえずにそのまま放置されている…そんな気持ちがもう一つ…。
味付けが「君たちはどう生きるか」に似ている。
けれど
「客なんかしらねぇえええ!!俺の好き勝手する!!ここは異空間みたいなもんだからわけわからん事起こる!!こーんなこともあんなこともしちゃうぞ!どやぁああ」
みたいなよくわかんねーけれどやべーものを見ている感覚もない。
整合性もなければ勢いもない。
テンポも悪く。私のような性格の悪い人間に悪口を考えさせてしまう隙を与えている。
◾️例のダンスシーン
別にいいと思う。だって異空間だし。
でも、ダンス始まるだいぶん前からダンス音楽流れて
たりするのなんか腹立つ。
「ダンス。急に始まるわけじゃないんっすよ」
と言い訳がましい印象。
◾️ハムレット事前に予習しておくべきか?
見ても見なくても感想は変わらない内容。
◾️その他所感
・ガートルードが全く魅力的じゃない。
クローディアスがやたら執着する割にただの乾いたイヤミな婆さん。
逢瀬の時の髪下ろしてるカット一つを、下心ばかりの他の監督が演出したらもっとエ口く悪そうになる。
・ダンスマウント
聖が急にばぁさんらに「踊れ!!」と無茶振りをされて
ちゃんと言われた通りに踊ったのに、下手だなんだのマジトーンでディスられて、
挙句退場させられ全然知らん爺さんが笑顔で上手いダンスを見せつけてくる。
翌日。「練習しろ」と楽器をもらう。
その後の渋谷ダンスに繋がるのでストーリー上楽器は必要だけれど
まぁまぁデカい楽器だから旅に邪魔すぎる…。
そんなんだから死者の国ではいつまで経っても争いが絶えねぇんだよ。
・ヒロインの顔、表情かわいい
・三下と骨ストのおっさんはめちゃくちゃいい
・ホドロフスキーみたいな荒涼とした風景が好きで、それっぽい雰囲気の背景がとても印象的
・あんまり出てこないけれど、草や木がいい感じ
・駄作ではない。おもろくはないだけ
全309件中、41~60件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。




